本論文は多変量解析の数学的な基礎に関して、変換群論や束論といった代数的な方法を用いて導かれた新たな結果を含んだ論文である。 この論文は1.Introduction,2.On rankings generated by pairwise linear discriminant analysis of m populations,3.Borel measurable orbital decomposition,4.Global cross section and its associated decomposable distributionsの4章(英文、計76ページ)からなっているが、内容的には2章が束論を判別分析とランキングに応用したもの、3,4章が変換群論を多変量解析の不変性に応用したもの、の二つの部分からなっている。 これらの二つの部分について要約と評価を述べる。第一の部分では、複数の群の判別分析の問題を扱っている。多群の判別分析の問題においては、通常は特定の観測値をどの母集団に分類するかのみを考える。すなわち特定の観測値が最も属しやすいと思われる母集団を特定することになる。ここでもし最も可能性の高い母集団のみならず、2番目、3番目、…に可能性の高い母集団を考えていくと、可能性の高い順に母集団にランクをつけることになる。いまm個の母集団があるとすると、可能なランキングの総数はmの階乗m!=m(m-1)…1個である。 ところで、データの次元pが低くかつ母集団の数mが大きい場合(より正確にはm>p+1の場合)には、m!個のランキングのうち一部のものしか現れない、という現象が生じる。この時、a)現れるランキングの総数はいくつか、b)現れないランキングの特徴づけができるか、という問題が生じる。前者については紙屋氏は超平面配置(Hyperplane arrangement)とよばれる空間分割に関する束論を用いた代数理論を応用して明確な解答を与えている。すなわちtを不定元とする多項式を とおく時、現れるランキングの総数はつねに と表されるという結果である。また後者の問題についても、いくつかの有用な結果を与えている。例えば 特定のランキングがp次元空間Rpの有界な領域のみで現れるならば、そのランキングの順位を逆順にしたランキングは現れない というような結果である。ただし後者の問題についてはまだ完全な解答が得られているわけではない。 紙屋氏の結果は計算幾何学の分野でボロノイ図とよばれる話題とも関連しておりこの関連も興味深い。また統計学により近い分野としては、紙屋氏の結果はマーケティングや心理学の分野で「理想点モデル」とよばれているランキングのモデル化に関して基礎的な結果を与えるものであり、この分野での応用も期待できるものとなっている。 次に第二の変換群論の話題に移る。変換群論の理論に基づく不変性(あるいは共変性)の議論は、多変量解析の推測理論の中でも以前から重要な部分をしめて来ている。この分野は変換群論というやや高度な数学的道具を用いるために、国際的に見ても比較的小数の専門家による貢献の多い分野である。このような中で、紙屋氏は群作用の「クロスセクション」に注目して3章ではクロスセクショクの可測性の問題について新たな結果を与えている。また4章では主査の竹村が最近になって提唱したcross-sectionally contoured distributionに関する理論を更に展開して、群作用が「自由」でない場合についての理論を構築している。 いまを標本空間としGをの作用群とする。の点xに対しGx={gx|g∈G}はxを含む軌道(orbit)とよばれる。標本空間は互いに排反な軌道によって分割される。のクロスセクション(横断面)とは各軌道と一点でまじわるようなの部分集合である(あるいは各軌道からの代表元の集合と言ってもよい)。クロスセクションの中でも紙屋氏はglobal cross sectionとよばれる良い性質を持ったクロスセクションを考察している。これはクロスセクション上の各点で固定部分群Gx={g∈G|gx=x}が共通なものである。3章では可測なglobal cross sectionが存在する十分条件を与えている。このための技法として紙屋氏は可測な多価関数の理論を用いている。4章では、まずglobal cross section全体のなす集合の特徴づけという基本的な結果を与えたのち、主査の竹村が提唱したcross-sectionally contoured distributionをglobal cross sectionの場合に拡張している。主査の竹村のもともとの結果は固定部分群Gxが単位元のみからなる特殊な場合(群作用が「自由」な場合)に関するものであり、この点で紙屋氏は一般的な枠組での結果を与えている。cross-sectionally contoured distributionとはクロスセクションを等高線とするような密度を持つ分布であり、この性質を持つ分布に関しては共変部分(軌道の部分)と不変部分(クロスセクションの部分)の独立性が成立する。紙屋氏は一般の枠組でもglobal cross sectionを考察することによりこの独立性が成立することを示している。 さらに、4章の4節では一つの標本空間Xに群Gとその部分群Hが同時に作用している場合に関する結果を与えている。この場合、Gのそれぞれの軌道の中に、Hの軌道とクロスセクションが存在するという「入れ子」の構造があり、紙屋氏はこの入れ子の構造を明らかにしている。これらはいずれもかなり数学的な結果ではあるが、不変性という以前からかなり研究の蓄積のある分野で新しい結果を導出したことは評価に値する。 出版状況も 3章 Kamiya,H.(1996).Borel isomorphism between the sample space and a product space.Mathematical Methods of Statistics,5,237-243. 2章 Kamiya,H.and A.Takemura(1997).On rankings generated by pairwise linear discriminant analysis of m populations.Journal of Multivariate Analysis,in Press. となっている。 一方この論文について次のような要望点を指摘できる。まず第一にこの論文は二つの部分からなっており、両者とも代数的方法を用いたものではあるものの、話題としてはかなり異なっており、その意味では一つの論文としてのまとまりに欠ける面があること。第二に、この論文は主に理論的な展開を扱っており、特に第二の話題について応用の観点からの重要性が必ずしも明確になっていないこと。これらの要望点については、紙屋氏の今後の研究の中で解決されて行くことを期待する。 このような要望点にもかかわらず、本論文は課程博士論文としては非常に高いレベルの研究を達成したものと認めることができ、このことは出版状況にも反映されている通りである。以上のような理由から、審査委員会は申請論文が博士(経済学)の学位にふさわしいものと評価する。 |