学位論文要旨



No 112335
著者(漢字) 金,東煥
著者(英字)
著者(カナ) キム,ドンハン
標題(和) 戦後日本における銀行・企業間関係 : その形成と機能に対する規制と競争の影響
標題(洋)
報告番号 112335
報告番号 甲12335
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第107号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀内,昭義
 東京大学 教授 若杉,敬明
 東京大学 教授 伊藤,元重
 東京大学 助教授 福田,慎一
 東京大学 助教授 柳川,範之
内容要旨 1。問題の提起及び研究の目的

 メインバンク関係の形成及び機能は民間経済主体(つまり銀行や企業)の合理的かつ自発的な意思決定によるものであったかそれとも政府による企業規制の結果であったか-規制か競争か-、そしてメインバンク関係は競争的市場メカニズムとは相容れないヒエラルキー的な組織の-形態であるか-市場か組織か-?

 青木、Hellmann、Murdock、Stiglitz、Prowseなどニューパラダイム(New Paradigm)論者は、銀行など金融仲介機関が顧客企業を真面目にモニターしその企業の機会主義的行動を防ぐと共にこうしたモニタリングへ自ずからコミットする為には、銀行産業への新規参入阻止・自由な資本市場の発達抑制・貸出・預金金利の規制などの金融規制手段(financial restraint)を通じて銀行に対し一定のレントを保証する必要がある、と主張する。また、彼らによれば、1970年代中盤以降の金融市場における規制緩和や資本自由化は、銀行に対してこうしたレント獲得機会の喪失をもたらし、メインバンク関係の存在や機能を危うくした。しかし、ニューパラダイム論者の主張には政府の金融規制政策などがメインバンク関係の形成や日本経済の高度成長を結果したと断言できるほどの決定的な根拠に乏しいし、1970年代中盤ないし80年代中盤以降の規制緩和・資本自由化期におけるメインバンク機能の低下説も未だにその理論的検討と実証的検定を差し控えている状態にある。

 この研究は、メインバンク関係の形成及びその機能に対する貸出市場における規制と競争の影響、そしてメインバンク関係が経済のパフォーマンスに対して及ぼす影響などを理論的かつ実証的に分析することによって、メインバンク関係に関する諸定型化された事実を整合的に説明し、かつ、ニューパラダイムの主張の妥当性を検討することを目的とする。

2。研究の主な内容(1)理論編

 金融契約をめぐる企業・銀行間関係をプリンシパル・エイジェントモデルを用いて分析する。ただし、その関係において銀行(企業)がプリンシパルになるような経済環境を規制パラダイム(競争パラダイム)と命名する。企業経営権を巡る再交渉(または状態依存的ガバナンス)の可能性やモニタリングの有無によって標準的な債務契約(debt contract)を二つに区分し、一定のモニタリングコストのかかる再交渉可能な債務契約(モニタリングヘ「ただ乗り」する再交渉不可能な債務契約)をメインバンク関係(市場取引)と定義する。また、一時的な経営危機に陥った企業を衰退可能企業と成長可能企業とに分類し、衰退可能な企業(成長可能な企業)を中途清算(続行または救済)させることを事後的に効率的な(ex-post efficient)取引として定義する。そして、ある企業が一時的な経営危機に陥る確率はその企業の事前的経営努力などの関数と想定し、自己資金調達する企業の最適な事前的経営努力水準を事前的に効率的な(ex-ante efficient)投資水準として定義する。

-メインバンク関係および市場取引の機能

 市場取引は、成長可能な企業に対しては常に事後的効率性を保証するが、衰退可能な企業を存続させる点において事後的非効率性を引き起こす。また、市場取引は、全ての企業に対して過少努力誘因(under-investment incentive of ex-ante effort)を発生させる点においては常に事前的に非効率的である。一方、メインバンク関係は、経済パラダイム及び企業の種類に無関係に事後的効率性を保証し、競争パラダイムの下では常に事前的効率性をも保証するが、規制パラダイムの下ではそうではない。特に、規制パラダイム下の再交渉可能な短期債務契約はすべての企業に対して過少努力誘因を発生させる。

-メインバンク関係の形成および変遷

 規制パラダイムの下では、(i)対銀行交渉力の強い企業ほど市場取引よりメインバンク関係を選択し、(ii)他の条件(交渉力)が一定なら、成長可能な企業ほど市場取引よりメインバンク関係を選択する可能性が高い。一方、競争パラダイムの下では、(i)衰退可能な企業は、プロジェクトの成功確率、モニタリング・コスト負担額などが小さいほど、市場取引よりメインバンク関係を選択する可能性が高いし、(ii)成長可能な企業はプロジェクトの成功確率が高いほどメインバンク関係より市場取引を選択する可能性が高い。規制パラダイムから競争パラダイムへの移行に伴ってメインバンク関係の機能は改善される。また、経済パラダイムの変化はメインバンク関係の全消滅を招くことはないが、メインバンク関係の中心は成長可能な企業(ないし大手企業)から衰退可能な企業(ないし中小企業)へ移ることは有り得る。

(2)実証編

 企業によるメインバンク関係の選択という事象を内生的ダミー変数(endogenous dummy variable)として取り扱うと共にこうした変数選択における非ランダム性(non-randomness)による選択誤差(sample selection bias)を明示的に考慮する同時方程式体系の計量モデル(Heckman(1978))を導入する。ここで提示される計量モデルは、メインバンク関係の存在が企業のパフォーマンスに対して真の影響を及ぼしているか否かを分析するのに役に立つ。また、統計的検定の対象になる仮説-メインバンク関係に関するニューパラダイムの仮説-は次のようである;メインバンク関係は、規制パラダイムによって形成し、競争パラダイムにより解体される:メインバンク関係の形成・変遷仮説。メインバンク関係は、規制パラダイムの下では企業成長に有意に寄与し、競争パラダイムの下ではそうではない:メインバンク関係の機能仮説。

 推定およびニューパラダイム仮説の検定作業に際しては、19641994年の間引き続き東証1、2部に属している電気機器産業の60個企業-1部企業33社、2部企業27社-を対象にパネルデータ分析を行う。

規制パラダイムとメインバンク関係:196575

 -メインバンク関係の形成

 1部企業のメインバンク関係が銀行の影響力と有意に正の相関を持って形成されるのに対し、2部企業は(その統計的有意性は低いものの)影響力の強い銀行から離れる傾向がある。高度成長期におけるメインバンク関係は、必ずしも全ての企業に共通に成り立っていた現象ではないし、とりわけ対銀行交渉力の強い企業と銀行の間の特殊な顧客関係ないし力の均衡関係であった可能性が高い。

 -メインバンク関係の機能

 メインバンク関係による過少投資の可能性が否定できない。高度成長期における日本企業の成長は(1部企業を中心とした)経営者のオートノミーの高揚によって有意に説明できる。言い換えれば、これは高度成長期日本のコーポレート・ガバナンスにおいて企業(経営者)側のモラル・ハザードはそれほど深刻な問題ではなかったことを裏付けるかも知れない。これより、高度成長期の下ではメインバンク関係が企業の成長に有意に寄与したというニューパラダイムのメインバンク機能仮説は採択され難い。また、標本選択誤差を明示的に考慮した時の実証結果とそうしなかった時の実証結果はほぼ差が出ないが推定は不安定になる。これは高度成長期がメインバンク関係の模索期である事実を反映しているかもしれない。

競争パラダイムとメインバンク関係:197694

 -メインバンク関係の形成

 もし1部企業を成長可能な企業と見做すことが出来れば、’成長可能な企業のメインバンク離れ’が目立つ。ただし、影響力の強い銀行から離れようとした高度成長期における2部企業の姿は見えなくなるし、もし2部企業を衰退可能な企業と見做すことが出来れば、’衰退可能な企業のメインバンク関係選択’の側面も明らかになる。そして、この時期において活発化された市場取引機会は必ずしも企業の銀行離れを導くものではない。

 -メインバンク関係の機能

 企業(経営者)側のモラル・ハザードはある程度問題視されていたことが推測できる。しかし、1、2部企業共に、メインバンク関係は企業の成長に寄与したことが分かる。こうした実証結果は、標本選択誤差を明示的に考慮することによって一層その信頼性が高まり、ニューパラダイムのメインバンク機能仮説が採択され難い一つの根拠を与える。

3。結論

 メインバンク関係の本質的側面は、銀行による企業へのモニタリング及びそれに基づく企業支配(corporate governance)にある。再交渉可能な債務契約は、こうしたメインバンク関係の本質を把握することができる。メインバンク関係は、企業と銀行間の自発的顧客関係ないしある種の力の均衡関係の下で、一層その機能を発揮し易い。

 勿論、規制的経済環境の下でもメインバンク関係は形成し得る。しかし、その規制が企業・銀行間取引の自発性や力の均衡を阻害するほどのものであれば、メインバンク関係はその正常な機能が発揮できないばかりか、もはやその姿も消滅する恐れさえある。また、競争的経済環境の下でもメインバンク関係が消滅することは有り得る。しかし、この時、メインバンク関係の代わりに市場取引の方が経済の効率性の面で優れているとすれば、たとえメインバンク関係が無くなるとしても何の差し支えもない。なぜなら、そもそもメインバンク関係(つまり、組織的取引)が注目されたきっかけは市場メカニズムの限界(つまり、市場取引の限界)に対する経験的発見であったからである。

 経験的に完全な市場メカニズムは存在しない。しかし、組織的取引が市場メカニズムを完全に代替するほと機能面で優れているとも限らない。ただし、組織的取引がその構成員間の競争の産物である限り、戦後日本の高度成長を支えてきたと言われるメインバンク関係は、それ以降の市場経済的環境の下でも引き続き存続しその機能を発揮するだろう。

審査要旨

 1.第二次世界大戦後の日本の急速な経済的発展と金融システムとの関連については、これまでも多くの専門家によって分析がなされてきた。そうした分析の多くは、銀行融資を核とする日本の金融システムが、証券市場を主軸とするアングロ・サクソンの金融システムとの形態的相違を強調し、銀行と企業との長期取引関係(それはしばしばメインバンク関係、あるいはメインバンク制度と呼ばれる)が、金融仲介に伴うエージェンシー・コストの削減に寄与してきたことを強調している。金東煥が提出した学位申請論文『戦後日本における銀行-企業間関係:その形成と機能に対する規制と競争の影響』も、そうした試みの延長線上に位置づけられる。

 2.ただし金論文は、いくつかの側面において従来の研究を乗り越えようとする野心的な試みとみなすことができよう。第一に、銀行と企業との融資関係について、近年急速に発展しつつある金融契約理論(特に不完全契約理論)の理論を全面的に応用している点である。この面における金論文の分析はRajan(1992)の先駆的な理論分析に依拠しているが、それを日本のメインバンク関係という具体的事例に適用する点で意義のある試みとなっている。

 第二に、金論文は、日本のメインバンク関係を銀行と企業との不完全契約の一形態と見ることによって、銀行と企業との間の取引関係のメリットとデメリットを明らかにしている。1980年代以降の企業金融の動向は、有力企業の「銀行離れ」現象を示しているが、これはメインバンク関係が弱まっていることを示唆している。しかしメインバンク関係の変遷を説明するためには、メインバンク関係がもたらす便益だけではなく、費用をも考慮する必要がある。金論文では、メインバンクが企業との取引関係を通じて情報を生産する誘因をもち、借手企業の非効率的行動を抑止できるメリットと、メインバンクが特定企業の経営内容に関する情報を占有することによるデメリットを比較しているのである。

 第三に、金論文は理論的分析を踏まえて、金融規制とメインバンク関係の機能との間にどのような関係があるかという、重要ではあるが未解決な研究領域に踏み込んでいる。金論文が直接考察の対象としているのは、いわゆるニューパラダイムと呼ばれる仮説である。この仮説は、青木昌彦(1994)等によって示唆されている次のような命題である。すなわち「メインバンクは借手企業の経営行動を様々な側面からモニターする役割を担うが、その役割を効率的に演じるためには、銀行に競争制限的規制を通じてレントを与えることが必要である」というものである。金論文は、銀行融資市場における競争条件が、銀行と企業との取引関係に及ぼす影響を考察し、とり競争的な貸出市場がむしろ金融仲介の効率性を高める可能性があることを導き出している。これは、先に指摘したメインバンク関係のコストと深くかかわっている。

 第四に、金論文の実証分析においては、従来の多くの研究のようにメインバンク関係、あるいは金融系列関係を外生的変数とみなして、メインバンク関係の企業の経営パフォーマンスに及ぼす影響を分析するだけに止まらず、企業のパフォーマンスがメインバンク関係に及ぼす影響を分析している。つまりメインバンク関係は金論文の理論編で説明しているように内生的に説明されるべきものである。借手企業のパフォーマンスとメインバンク関係が相互に関連し合って同時に決定される場合には、メインバンク関係を外生的変数とみなして計測することは結果に偏りをもたらすのである。金論文はこの点に注意を払っているユニークな実証分析を展開している。

 3. 以上が金論文の全体を通した特徴であるが、以下では多少立ち入って、論文の構成と内容の概略を説明する。学位申請論文は次のような構成となっている。

 I 序

 II 銀行・企業関係に関する歴史的サーベイ

 III メインバンク関係の機能:2期間モデル

 IV メインバンク関係の形成と変遷

 V 実証分析のための事前的準備

 VI 実証分析の結果

 VII 結び

 第II章は企業金融における銀行融資の重要性とその変遷を第二次世界大戦後の日本と韓国について展望している。この章の特徴は、日本のメインバンク関係と比較する形で韓国のいわゆる「主去来銀行制度」の概要が説明されている点である。主去来銀行制度は政府(銀行監督院)の指導に基づいて人為的に形成された銀行・企業の取引関係である点で、日本のメインバンク関係と異なっていること、また株式保有などの点で制約があり、日本のメインバンク関係に比較してモニタリング機能を有効に発揮し得なかった点が述べられている。(因みに、主去来銀行制度は1984年廃止された。)しかし、日本と韓国の金融システムの本格的な比較考察はなされておらず、今後の課題として残されている。

 第III章と第IV章は学位論文の核となる理論分析の部分であり、第V章と第VI章における実証分析のために作業仮説を準備している。ここでは比較的単純な銀行と企業との取引関係のモデルが展開されている。このモデルの構造はRajan(1992)に依拠しているが、その基本的な性格は次のように要約できる。資金調達企業は営業活動の途中(中間期)で将来の生産性(あるいは成長性)に関する情報を手に入れることができるが、部外の投資家はこの情報を入手できない。劣悪な生産性しか実現できないという情報が中間期に得られる場合には、当該企業は営業活動の継続を停止して清算することが経済全体としては効率的な判断である。しかし有限責任原則による融資によって資金を調達する企業にとっては、たとえ芳しくない情報が入ってきても営業活動を継続する誘因があると仮定されている。

 銀行融資、あるいはメインバンク関係のメリットは企業との長期取引関係を通じて企業の将来性に関する情報を入手し、企業経営者が無駄な営業活動を継続しようとすることを防止できる点に求められる。(中間期に企業の将来性を否定する情報が入ってきたときには企業と銀行の間で再交渉が展開され、銀行から企業へ営業を停止し清算するための補償が支払われる。)

 しかし特定銀行(メインバンク)が企業との取引関係を通じて情報を占有することは、企業が獲得する将来のレントを収奪する可能性を銀行に与える。これは一種のホールド・アップ問題である。企業は取引を続けてきた銀行との関係を絶って、他の銀行から融資を仰ぐことも不可能ではないが、他の銀行は取引関係がないために、企業の属性を正確に把握できない。そのため企業にとっては高い資本コストに直面せざるを得ない。これがメインバンク関係のコストであり、このコストが企業の投資をパレート最適な水準よりも低めてしまう。(命題1)とくに将来性の高い企業ほど、メインバンク関係に付随するホールドアップ問題から大きなダメージを受ける。(命題2)このメインバンク関係のコストのために、企業の側には銀行とのメインバンク取引を通じない資金調達(すなわち、市場取引)を選択する誘因が生じるのである。

 金論文の関心事は、銀行融資市場の競争条件がメインバンク関係に伴うコストにどのような影響を及ぼすかという問題である。この問題が、第III章で展開されたモデルに立脚して第IV章において分析されている。基本的な分析方法は、銀行融資の市場において銀行間の競争が存在しない状況(規制パラダイム)と銀行間に有効な競争が展開されているため個別銀行は参加条件を充足する最低限のレントしか獲得できない状況(競争パラダイム)を比較することである。分析の構造は複雑で、必ずしも説明の手順は明快とは言えないが、結論的に銀行融資市場における銀行間競争は(ニューパラダイム論者が主張するように)メインバンク関係の形成を妨げ、金融仲介の効率性を損なうとは限らないことが明らかにされている。銀行間競争は、むしろメインバンク関係に潜在している銀行による企業の利益収奪の可能性を狭め、企業による過少投資の問題を取り除く効果を持っているのである。とくに成長性の高い企業はメインバンク関係よりも市場取引を選択する誘因を持つことが示されている。

 第V章の目的は、第IV章までの理論分析のインプリケーションを実証分析で確かめるための統計理論の基盤を与えることである。まず分析の対象となる標本期間を1965年から70年代中盤までの高度成長期と70年代中盤から90年代初頭までの低成長期に二分する。さらに、前者は規制パラダイムが支配していた期間、後者は競争パラダイムが支配する期間とみなされる。統計理論上の問題点は、個別企業の投資活動やその他のパフォーマンスがメインバンク関係の有無から影響を受けるだけではなく、企業がメインバンク関係を受け入れるか否かをパフォーマンスの状況に応じて選択する可能性があるという点にある。メインバンク関係の形成を内生的選択ダミー変数として扱う計量的分析は、単純なOLSではなくプロビット式による「ミルズ比率の逆数」を含む自己選択モデルとなるであろう。金論文は、この計測方法をHeckmanにしたがって定式化している。

 第VI章は第V章で定式化された計量モデルにしたがって、ニューパラダイム仮説が主張するように、メインバンク関係は金融規制が緩和されるとともに解消するか、あるいは金融規制下においてより有意に企業成長に貢献するか否かを統計的に検定している。標本企業は1964年から1994年までの間に一貫して東京証券取引所に上場されていた電気機器産業に属する60社(一部上場企業33社、二部上場企業27社)である。

 実証分析の手順は、まず第一段階でメインバンク関係の形成を資本コスト、金融機関借入、内部資金、金融機関の影響力(金融機関保有株式比率で代理)、経営者のオートノミー(経営者の株式保有比率で代理)を説明変数としてプロビットで計測する。第二段階は、企業のパフォーマンスとして設備投資率を被説明変数とし、資本コスト、金融機関借入、内部資金、金融機関保有株比率、経営者の株式保有比率、そしてプロビット計測式から計算されるミルズ比率の逆数を説明変数とする計測である。これらの計測を既に紹介したように、標本期間を高度成長期(1965年〜75年)と低成長期(1976年〜94年)に二分して、それぞれ計測している。計測の結果は、著者の野心的な意図とは裏腹に、必ずしも明確な結果を示していないと思われる。しかし著者の解釈では、計測結果はニューパラダイム仮説、すなわち競争制限的規制の緩和・撤廃がメインバンク関係の解消を促す、あるいは、銀行間競争の激化がメインバンク関係のメリットを減殺するという命題を十分には支持していない。

 4. 学位申請論文の評価

 以上が学位申請論文の概要である。金東煥は従来から非常に漠然と論じられてきたメインバンクの形成・機能と金融規制の関係に表面から取り組み、ミクロ理論において急速に発展しつつある契約理論を応用してこの問題に理論的な分析を加えようと果敢な試みをおこなった。理論的モデルに関しては、その枠組みは先駆的なRajan(1992)の論文に依拠している点でオリジナリティーに問題はある。しかし日本のメインバンク関係に応用するため、随所に著者なりの工夫が凝らされている点は評価できる。また、実証分析の側面では、自己選択アプローチをメインバンク関係の形成を説明するための手法として応用している点が、斬新な試みとして評価できる。おそらく今後、この研究領域ではこの手法が活発に使われるのではないかと思われる。

 ただしいくつかの点で論文に難点が散見することも指摘しておきたい。第一に論文の構成からみて、メインバンク関係についてのこれまでの先行研究の展望が不十分である。このために、この学位申請論文の意味、位置づけ、さらにはオリジナリティーが不明瞭になっている。第二に、この論文が取上げているメインバンク機能は、これまで多くの専門家たちが指摘してきた定型化された事実の一部分(つまり劣悪なパフォーマンス企業の非効率的な営業継続を阻止するという機能)を理論的に検討しているにすぎない。本申請論文の分析の範囲が限定されていることを明示的に記述しておくべきであろう。第三に、理論分析と実証分析の接合が必ずしも明確ではない。実証分析が理論分析から導出される命題とどのように対応しているかをもっと分り易く説明すべきである。

 以上のように、提出された学位申請論文は万全のできばえとは言い難い。しかし申請者の絶え間ない努力、研鑚の跡が十分にうかがえる論文であることも認めるべきであろう。審査委員会は、提出された学位申請論文が申請者の研究者としての一定水準以上の資質を示しているとし、博士(経済学)の学位を授与するに値するものと判断した。

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