学位論文要旨



No 112336
著者(漢字) 金,良姫
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヤンヒ
標題(和) 韓日アパレル産業の成熟への企業の対応様式と競争優位に関する比較考察
標題(洋)
報告番号 112336
報告番号 甲12336
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第108号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安保,哲夫
 東京大学 教授 植草,益
 東京大学 教授 工藤,章
 東京大学 教授 伊藤,元重
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
内容要旨 研究目的・問題意識・研究課題

 この研究の目的は、産業の成熟への企業の対応様式と競争優位を関連させ、アパレル産業の成熟に立ち向かう企業の対応様式とその企業の競争優位との相関関係を、韓国と日本の間に比較考察することにある。

 さて、本稿では、需要側における価値が多様化し、供給側において価格競争優位の低下に伴って国内生産・輸出が鈍化し、企業間競争における焦点が猛烈な価格競争におかれる一方で、他方、非価格競争優位の重要な焦点として浮上する産業の発展段階を成熟期として捉える。

 この研究は、需要側と供給側のコミュニケーションが生み出すダイナミズムに投影される産業発展のあり方を推論し、両国のアパレル産業の成熟のつぎの段階を展望することが可能となるのではないかという問題意識から出発している。

 本稿では、上記の研究目的を達成するために、つぎの3つの研究課題に取り組む。つまり、第1に、韓日アパレル産業の成熟プロセスを明らかにし、第2に、両国の成熟したアパレル産業の構造的特徴は何かを考察する。そして、第3には、韓日アパレル企業それぞれの産業の成熟に対する対応様式と競争優位を、韓国と日本の各4社に対する事例研究を通じて実証分析を行う。

分析方法論-機能的アプローチ-

 上記の研究課題を掘り下げるためには、アパレル産業特殊性と産業の成熟に伴う需給間のコミュニケーションを動態的に把握できる方法論が要請される。しかし、先行研究のなかにはそのような方法論がないので、いわゆる「機能的アプローチ」を新たな分析方法論として試みる。すなわち、ある製品は、消費者が必要かつ満足する価値を創出するために要請される諸機能が相互緊密に結ばれた「価値創出システム(VCS)」の産物であるとする。そして、このVCSにおける諸機能を、計画と実行という「要素」面で捉える一方、他方で企画と生産および販売という「領域」面でも捉え、VCSを要素と領域の結合体としてみなす。こうして、ある製品のVCSにおける特定企業の担当機能に注目し、その機能における企業の競争優位を穿鑿する。

韓日アパレル産業の成熟への企業の対応と競争優位の相関関係

 韓国のK1とK2、A社は、輸出品のVCS上では生産実行者であり、積極的に海外生産に乗り出して、輸出品の価格競争力を維持しようとしている。他方、この3社は国内販売品のVCSにおいてはMD機能の担い手に転換している。設立当初から全製品のVCSのMDとして出発したK3は、今日MD機能の強化と海外生産を通じた生産における価格競争優位の維持を図っている。ところで、K3のMD関連競争優位は弱い段階にある。K2は、生産領域内での担当機能に徹することで産業への成熟対応を案じており、そのため海外生産に全力を投じている。そして、その対応に相応する強い生産関連競争優位をもっている。

 日本のJ1は、生産実行内で対応様式をとっており、現在価格競争優位と納期面非価格競争優位をもっている。J2も設立当初はJ1と同様に生産実行者であったが、産業の成熟に直面してから、J1とは好対照にMDとして転換する対応様式を採った。J2とJ3は今後もMD機能の強化と生産実行における価格競争優位の強化で産業の成熟を克服しようとしている。しかし、J2がMDとして抜群の競争優位をもっているのに対して、MDでありながら企画と生産の計画者でもあるJ3は、弱いMD関連競争優位をもっている。一方、中国を舞台に現地型総合商社を軸としたMDへの転換を試みるB社の事例は、もはや日本国内でMD機能を形成することが困難になってきたことの証明である。

韓日アパレル企業の成熟への対応様式と競争優位の相違点の比較

 韓日アパレル産業の成熟への企業の対応様式と競争優位を比較してみると、韓国の企業の成熟への対応様式は、一方で、国内販売品のVCSにおけるMD機能の担い手として転換し、他方で海外生産を通じて輸出品のVCS上の生産実行者としての競争優位を維持しようとする共通性が見られる。しかしながら、MDへの転換を望まないK2はともかく、輸出品のVCSにおけるMDを目指しているその他の3社は、まだグローバルに発揮できる十分な競争優位をもっていない段階にある。

 日本の4社の対応様式に共通して見られるのは、もはや国内市場でも失った価格競争優位を維持するために、生産領域において海外生産に乗り出し国内市場への逆輸入をしている点である。そして、こうした対応様式においては、VCS上の競争優位は生産関連における強い品質管理意識にある。

 なぜ、韓国と日本の企業間にこうした違いが生じるのか。それは、第1に、成熟度の差異によると言える。つまり、韓国が成熟第1期にあるのに対して、日本は成熟第2期に入っていることがもたらす相違点である。その一つは、国内市場における需要側の価値の多様化の差異で、今一つは、両国の貿易収支の差異にみられる価格競争力の差異である。しかし、その違いをすべて成熟の度合だけで説明することはできない。そこで、第2に、両国の産業の歴史的、構造的そして制度的側面という国特殊的要因がもたらす相違点もあるということができる。一つは構造的要因としての国内市場の規模と成長率である。二つは、産業の主たるリーダーが形成されるまでの歴史的な要因である。そして、三つは、品質に対する認識にみられる広義の制度的要因が取り上げられる。

結論を踏まえて

 本論で論じた度業の発展段階を機能的アプローチから捉えると、発展段階に応じて異なる需要側の価値と供給側のVCS上の中核機能が変化することによって、企業の競争の焦点が変遷するという傾向性が見い出される。つまり、アパレル産業が生成・成長段階から成熟段階に進むにつれて、需要側の価値は普遍性より多様性が強まる。他方、供給側におけるVCS上の中核機能は、生産から企画や販売へ移行するという領域間変化がみられる。さらに、実行から計画・管理へという要素間変化及び、部分的機能の計画・管理から全体的機能の統合的計画・管理に移る変化も現れる。さらに、価格競争優位から非価格競争優位へと変化という領域内変化も現れる。したがって、企業の競争の焦点もこうした機能の変化に沿って移り変わるのである。

 本稿の結論が韓国企業に与える政策的インプリケーションを述べると、生産実行者が成熟への対応を講ずる際には、いきなりMDへの飛躍を考えるよりは、現在自らが接しているところから、産業の成熟を克服しようとすることが必要であろう。実際、輸出品の生産実行者である韓国企業のほとんどは、まだ十分な品質管理体制を整えていない。そうした企業は、まず生産領域における品質管理強化から踏み出して、生産における非価格競争優位とMD関連優位の形成を考えることが現実的である。

 日本の企業は、VCSをシステムとして認識することから成熟への対応に取り組む必要がある。日本の製造卸は、過度に進んだ機能の企業間分業のもとで、消費者から遠ざかり、消費者の価値には鈍感になる一方、VCSがシステムとして見えなくなった。今後日本の製造卸は、そのシステムのなかでVCSが究極的に実現しようとする価値が何であるかを把握できるように、他の機能との有機的作用を図りつつ、隔離された需要側に近づくよう努めなければならないだろう。

 かくして、産業が上のような傾向性をもって変化・発展する際に、個別企業は、間接的にその国による違いからも影響を受けつつ、直接には自社の指向性と競争優位の源泉によって、自らの産業の成熟への対応様式を選択するのである。それゆえ、各々の企業にしかるべき対応様式を示すことは非常に難しく、緊要なのは、各社が指向する目的が何であるかよりは、ある選択した対応様式に見合う競争優位をもつために、いま具体的かつ現実的な方案を備えて取り込もうとするかではなかろうか。

 こうして、関連研究分野における本稿の位置づけは、つぎの三点であろう。それは一つに、新たな分析方法論として機能的アプローチを試みた点である。二つは、それに基づき、アパレル産業の成熟に伴う中核機能の変化の傾向性を見いだし、成熟産業論において一つの新たな仮説を示したことである。三つは、本稿が韓国と日本のアパレル産業と企業に関する最初の実証的な比較考察を行った点である。

 最後に、今後の研究課題は機能的アプローチを一層発展させることである。そのためには、同アプローチを用いて、アパレル産業内及び他産業へ事例研究を積み重ね、アパレル産業論と成熟産業論への方法論の一般化を追求することが要請されるだろう。

審査要旨

 本論文は、一定のズレを伴いつつ成熟期を迎えている韓国と日本のアパレル産業における企業の競争優位の問題を、企業の対応様式との関連で比較追究した、国際経済・国際経営学の実証研究である。本論文において一貫している問題関心は、成熟段階を迎えた産業において個別企業はいかにして国際的な競争優位を獲得・強化することが出来るかという興味深い論点である。その課題の追究にあたって、企業の機能を「領域」や「要素」に分解しその内訳と相互関連を検討する「機能的アプローチ」を考案した点に特徴がある。以下章を追って要点を示しつつ、その評価をおこなう。

 第1章「序論」では、本論文の問題意識、目的、方法などが提示される。問題意識に特徴があり、一産業が成熟期を迎えたとき個々の企業主体にはどのような対応が可能で あるか、またそれは産業自体の発展傾向にも影響を与えうるかという問題を提起している。そこでその好例としてアパレル産業を取り上げ、次のような興味深い産業論を展開する。1)その市場が普遍性(生活必需品としての服の生産)と多様性(所得水準と個性に応じたファッション性)を併せ持つ。2)需要面では、生活必需品としての服の生産という普遍性と所得水準と個性に応じてファッション性を強めるという多様性をもつ。3)供給面では、普遍的ニーズの段階に応じるのは労働集約的な成長産業、そしてニーズが多様化・個別化の段階に入れば製品差別化競争を焦点とする情報・知識集約的成熟産業としての特徴を示す。4)したがってアパレル産業は、成熟したからといって衰退するわけではなく、個々の企業はその対応の仕方によって繁栄することも可能であるとする。

 発展途上国のアパレル産業の競争優位は、その成長期には安価な労働力、原料などを源泉とする比較優位に基づいているが、この源泉が失われた成熟期には個別企業の固有の優位に転換されなければならない。これを韓国のアパレル産業についてみると、比較優位を失いながら生き残ってきた企業は、経営の柔軟性を発揮し、海外直接投資による現地生産というグローバリゼーションを通じて先進国のバイヤーへのOEM生産の地位を持続するが、そこでクローズアップされたのがマーケティングにおける弱みであった。

 こうして本論文の中心課題が次のように設定される。すなわち、1)韓国と日本のアパレル産業がたどってきた成熟のプロセス、2)今日の成熟した韓日アパレル産業の構造的特徴、3)韓日アパレル企業における成熟化への対応様式の選択と競争優位の相関関係、といった課題の究明である。

 第2章「先行研究の批判的検討--新たな分析方法論を求めて--」では、本論の課題に沿って、成熟を焦点とするアパレル産業の構造と動態を解明するフレームワークを求めるために、関連する先行研究が批判的に検討される。ポイントは、アパレル産業の独特の発展段階の変化への個々の企業の対応と競争優位との相関関係を捉える分析方法論である。

 そこでは、成熟に伴う需要と供給の相互作用に関わるものとして、雁行形態論、貿易サイクル論、プロダクトサイクル(PC)論、脱成熟論などが取り上げられる。なかでもPC論は、製品のライフサイクルをもちいて産業の発展段階の変化を説明するのに有益だが産業の構造的特徴を明らかにするのに難があり、脱成熟論は、「生産関連単位」という概念を使いPC論の運命論的側面を批判した点で優れているがシステム的理解がないと批判する。また競争優位論の関係では、ベインの産業組織論的アプローチをベースにしつつ、ポーター、ペンローズなども検討し、さらにグローバルに展開する企業間関係に着目している点で示唆に富むとしてゲロフィーらの商品連鎖論を取り上げている。しかし結局以上の先行研究には本論が要請する方法論は見つからなかったとして、次章で自らの議論を展開する。ただし、以下において実際にはかなり先行研究の諸論点が組み込まれている。

 第3章「分析方法論-機能的アプローチ-」では、企業が市場で消費者の求める価値を創出する活動に必要な諸機能の働きとして「価値創出システム(VCS)」という概念を用いて、著者自身の分析方法論を展開する。ここで「機能」とは、企業活動において、企画、生産、販売と進行する側面である「領域」、およびそれぞれに関わる計画と実行の側面である「要素」の両側面からなっている。機能的アプローチは、この両側面の結合体としてあるVCSを構成する各機能の働きぶりやその相互関係のあり方によって企業活動を評価しようという分析枠組みである。このアプローチがアパレル産業についてとくに有効なのは、こうした諸機能が広範な企業間分業関係として遂行され、ある企業競争優位の所在はこの分業関係のどこを分担しているかを検出することによって明確に捉えることが出来るからである、とする。

 ここでアパレル産業の成熟との関連が取り上げられる。成熟とは、需要側で価格指向から価値の多様化指向へ、それに対応して供給側でも価格競争力に加え非価格競争力の同時追求が要請されるという産業発展段階の変化であり、具体的な過程としては、定番品の国内生産と輸出が鈍化し、輸出のための低賃金国への海外生産、さらには高級品や定番品の輸入も開始され(成熟第一期)、次いで貿易収支が赤字に転化する(成熟第二期)。こうした産業の成熟に対して、アパレル企業がいかに競争優位を保持・強化できるかが問題であるが、その焦点は、成熟期におけるこの産業の発展方向からみて、MD(Merchandising)機能--「企業のマーケティング目的(と)…戦略に沿って、…VCSにおける機能を領域別および統合的に計画・管理すること」--主導の対応が出来るかどうかである。成熟化し高価品セグメントに特化した国のアパレル企業は企画・販売を中心としたMD主導にならざるを得ないからである。それは、機能的アプローチの図式によれば、企業の競争優位の所在を生産→販売→企画、実行→計画の順に移していくことであり、個々の企業の対応の様式の適否もこうした両面の複合的進行度合いによって評価されることになる。もちろん、生産、販売など個々の領域の競争優位を強化する対応もあり得るが、最終的には全社的品質管理(TQC)やQRシステム(Quick response system)などに具体的にみられる統合的競争優位の強化に向かうべきとされる。

 第4章「韓日アパレル産業の成熟」では、韓国、日本のアパレル産業について、マクロ面のデータを用いて、製造業における地位、貿易構造の変化など同産業の簡単な歴史を概観し、成熟化とグローバリゼーションの実態を確認している。

 韓国では、1960年代後半に始まった輸出主導の成長期が80年代末に輸出および製造業における出荷比率がピークに達して以後成熟期に入り、海外生産の拡大と内需中心の発展パターンへの転換が起こる。海外生産は、従来のOEM輸出中心のアメリカなど先進国市場確保のため、アジアや中南米の低賃金国において現地法人を設立するか国際下請けを利用するものであり、国内では、ニーズの高度化を反映した海外ブランドの急増やこれに対応した国内メーカーによる物流システムの構築、QRS導入への関心の高まりなどがみられた。日本では、70年代初めに輸出入の逆転といった成熟の徴候が現れ、先ず主力は国内市場に集中し、次いで80年代後半にアジアでの海外生産による国内輸入が現れる。ただここでは韓国と違い、海外生産全体をリードしているのはアパレル産業ではなく紡績・合繊といった川上部門であった。また日本では90年代にはいると第2次成熟期に入り、小売業者が卸売業者に変わって主導力を発揮するという"流通革命"が起きて、非価格競争に加えて新しいタイプの価格競争が展開されている。韓日の違いをさらにみれば、成熟期に対応能力を持っている企業が韓国では99人以下と比較的大きいのに対して、日本は20-49人と小規模であること、韓国ではなお出超が続いているのに日本は大幅入超で国内市場志向が顕著である、などがあげられる。以上のような韓日の違いの要因について著者は、成熟の時間差の他に構造的、制度的違いがあるとしている。

 第5章「韓日アパレル産業の価値創出システム」では、本論の分析枠組みを適用して両国アパレル産業の分析に踏み込んでいる。産業の範囲が確定された後、両国のVCSの特徴、ことに企業間分業構造のなかにおけるMD主導の全体の動向が考察される。

 まず韓国アパレル産業のMDの担い手をみると、海外への販売製品は海外のバイヤーが担い、国内向けは海外向け生産の実行者が担うという、興味深い二重構造になっている。海外向けには、マーケティング面で強みを持つ海外バイヤーにたいして、海外生産のグローバル展開まで含めて低コスト生産をフレキシブルに行う点に競争優位を持つ韓国企業がOEM供給で対応し、他方近年この韓国企業は国内向けには、流通業の遅れに乗じて企画・販売の機能をも強めつつあるのである。他方国内市場中心の日本のアパレル産業では、従来大手アパレルメーカーが全ての機能を担当し主導してきたが、最近は百貨店やスーパーが自主ブランドを開発して生産者と直結するなど、MD主導型が強まる傾向を見せている。また両国における生産面の特徴をみれば、韓国の大企業が良好なパフォーマンスをあげているとはいえ、いずれも中小規模の企業が主流を占めていることには変わりはなく、この産業では市場の変化にすばやく対応しうるフレキシブルな生産構造を持つことが必要であることを示す、としている。

 第6章「韓国の3社」からは、調査結果を踏まえた個別企業の事例研究に入り、以上の考察がミクロ面から深く検証される。本章で取り上げられる韓国の3社は次のようなものである。K1は、従業員800人の大企業で、成長期にOEM輸出主導で拡張し、90年代には国内市場向けにはMDに転換、輸出はOEMを継続しつつも「企画輸出」に取り組んでいる。K2は、578人の従業員でスポーツウエアを内外のメーカー向けのOEM生産に集中して高成長し、この方針を変える予定はない。K3は、従業員3000人の巨大カジュアル・アパレルメーカーで、80年代後半から国内向けにMDを開始し、90年代にはいると海外でも直営店を持つなどMD強化に乗り出している。

 第7章「韓国のA社」もやはり事例研究の一つだが、それは本論文の主要な論点に関わるほとんど全てのデータを提供し、論文評価を決定的にする魅力に富んだ分析になっている。A社は、前述の機能的分業の中では、生産の計画、実行ともに当初から担当し、80年代から海外生産に進出した。販売では、計画は国内と海外バイヤーへのOEM輸出を担当、実行は国内とニューヨークの複数の専門店経営を担当、準備工程では、ごく最近(1994年)国内向けのブランド品のパターン制作を、ニューヨーク売場のイタリア系アメリカ人の助けを借りて担当し始めた。こうしてA社は、徐々にではあるが、生産機能中心からMD機能への進出を開始していて興味深いが、なおそれは極めて限定されたものでしかない。しかもA社自身はアンケート調査への回答などでその点の自覚に乏しい、と指摘されている。

 第8章「日本の3社」、第9章「日本のB社」の内容については、ここではごく簡単に述べる。J1は、40人の小企業で、成熟期に国内から100%海外外生産に転換したが一貫して委託生産に集中している。J2は、163人の中規模、TQC、QRSなどフレクシブルな生産の優位を強調しているが、企画、販売もおこなっている。J3は、8618人の総合アパレル巨大企業で、国内市場中心に多品種少量の生産実行型であったが、グローバル化、MD補強の課題を抱えて苦境を迎えている。B社は、100人の規模で、中国での委託生産から現地法人に切り替えつつOEM生産を続けているが、やっと企画・生産・販売への計画機能の導入に取り組んでいる。

 第10章「結論」では、以上の分析・考察を要約しつつ、この分析結果を本論の研究課題-成熟への対応様式と競争優位の相関関係の比較-に照らして総括し、そのインプリケーションを述べている。ことに第6章以下の事例研究の結果を類型化し、それぞれのケースを産業の発展方向の中に位置づけようとしているのは、注目に値する。これによれば、両国のほとんどの企業は、産業の成熟とともに従来の生産実行中心からMD主導(ないし統合優位志向)への転換を迫られているが、現在それをほぼ達成しているのはJ2に限られ(高い一致型)、依然として生産実行機能を志向して高いパフォーマンスを挙げているK2,J1(低い一致型)を除く残りの5社は、MD主導を目指しながらそれが実現できていない段階にとどまっている(高い不一致型)。こうした両国の企業の間にみられる一定の差異をもたらした要因としては、成熟度のズレ、国内市場の規模という構造的要因、さらに政策、慣行などの制度的要因が指摘されている。さらに以上から引き出されるインプリケーションとして、なお生産領域に競争優位がある韓国企業にはTQC的な非価格競争優位の強化の必要性を、企業間分業の過度に進んだ日本企業にはVCSをシステムとして認識すること、などを薦めている。そして総括的な展望として、産業の成熟に直面した企業は、現在の競争優位の段階から大きく離れることなく、産業発展の方向に沿った形で進むことの重要性を指摘する。

 以上の概要からも伺えるように、本論文の学問的貢献としては次の諸点が挙げられる。第1に、アパレル産業という多様で奥行きの深い産業を、成熟産業の比較優位と個別企業の競争優位の関係という難しい文脈の中において取り上げた問題設定の適切さ、発想の面白さは、高く評価されよう。第2に、その分析の方法論として考案された「機能的アプローチ」は、その目新しさや有用性について著者の主張どおりかどうかは後に触れるようにやや疑問が残るが、企業の競争優位の段階を活動の諸機能に即して多面的に評価し、今後の対応を探るためのトゥールとしては一定の有効性を持つものとして評価できる。第3に、実証分析の成果として、いくつかの重要な事実の解明がなされている。(1)アパレル産業論としても、繊維・アパレル産業の全体的な構造と動態の特徴をふまえつつ、韓国、日本の比較分析がマクロ、ミクロの両面からなされており、それだけでも相当の水準を示している。(2)かなり丹念な調査を通じた韓日8企業の事例分析の成果は、極めて興味深い事実発見であり、また貴重な情報を提供している。産業の発展構造の転換局面に当面した企業ごとの競争優位のあり方とそれへの対応様式との関係についての細かな分析結果は、その類型化の試みともあわせて、なお種々検討の余地を残しつつも、多くの示唆と教訓を汲み取れるものになっている。

 他方において本論文には、さらに再検討され、改善され、深く考究されなければならない課題がいくつかある。第1に、その全考察の大前提になっている産業の成熟の概念定義についていまひとつ明確でない部分が残る。アパレル産業と本論の文脈に即してさらに考究が加えられるべきであろう。第2に、分析の課題の設定の仕方が、アパレル産業全体を「機能的アプローチ」の分析方法で一般的に取り上げるといったように、やや広すぎると思われる。いますこし問題を絞った設定の仕方もあったのではないか。そのために、事例分析では極めて豊富な事実発見がなされながら、結論部分の印象は必ずしも強いとはいえず、やや単調な規範的主張になっている。関連して第3に、この機能的アプローチの適用の仕方にも若干の疑問が残る。第3章において、同アプローチに従い韓日アパレル企業の諸機能に即した多面的分析がなされながら、その今後の展望になるといきなり全機能の統合といった方向の主張になるところにはいささか飛躍があるといわざるおえない。第4に、インタビュー調査における企業側の自己評価を著者が修正したとされるが、その方法、基準を明確に示すべきであろう。第4に、産業組織論、貿易理論など理論的な扱いの面でさらに改善の必要がある。

 以上のように、本論文は、いくつかの改善点が指摘されたとはいえ、理論・実証両面において既存の研究水準引き上げに貢献するところはかなり大きいものが認められる。よって、審査員は全員一致して本論文が博士(経済学)の学位を授与されるにふさわしいものと判断した。

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