学位論文要旨



No 112347
著者(漢字) 江守,正多
著者(英字)
著者(カナ) エモリ,セイタ
標題(和) 陸面-大気水循環におけるフィードバック過程の数値的研究
標題(洋) A Numerical Study of the Feedback Processes in the Hydrological Cycle in the Land-Atmosphere System
報告番号 112347
報告番号 甲12347
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第104号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,寛治
 東京大学 教授 江里口,良治
 東京大学 助教授 木本,昌秀
 東京大学 助教授 蜂巣,泉
 東京大学 助教授 牧野,淳一郎
内容要旨

 陸面水循環過程の気候システムにおける重要性は,近年,気象予報,気候変動予測などの分野で盛んに注目を集めている。陸面水循環は,大気からの降水により供給される土壌水分が蒸発と流出の両過程によって取り除かれていく系である。ここでは蒸発は植物による蒸散を含み,土壌水分が大気に戻される過程を指す。流出は河川水や地下水を通して土壌水分が海洋に輸送される過程である。気候システムの研究には,大気の運動とそれに伴う様々な物理的過程を総合的に表現する大気大循環モデルによる数値シミュレーションが広く用いられている。それらのシミュレーションにおいては,土壌水分の収支を表現する簡単なモデル(バケツモデル)が今まで多く用いられてきたが,近年,生物学における植物生理に関する知見や水文学における洪水予測などの研究成果を取り入れて,より現実に近付くことを目的としたモデル化が盛んに試みられている。これらの複雑な陸面水循環過程のモデルを大循環モデルに組み込んだシミュレーション結果は,簡単な陸面過程を用いた場合に比べて観測値に比較的近い結果をもたらすようである。しかし,大循環モデルでは一つの原因が複雑なフィードバックを経て結果に現れるため,モデル内の因果関係を明確に解釈することは一般に難しい。したがって,陸面過程モデルがどのようなフィードバックを通じて大循環モデルの結果に影響を与えているのかは明らかではない。また,大循環モデルの降水などの表現の不十分さ,モデル内の経験的パラメータの不確定性のため,陸面過程モデルの効果を高い精度で定量的に議論することは現時点では困難である。したがって本研究では,陸面水循環と大気との相互作用におけるフィードバック過程を整理し,それらにより形成されるフィードバックループのもたらす影響の定性的な理解を深めることが重要と考え,比較的単純化した条件におけるモデル実験の結果をフィードバックに注意して解析した。

 本研究は二つの部分からなる。第一部(第2章)では大気大循環モデルを用いた実験によって流出過程に対する陸面大気水循環の感度を調べた。第二部(第3章)では積雲対流を解像できる分解能の領域モデルを用いて積雲対流と陸面過程の相互作用を調べた。

 流出過程は大気に直接的に影響を及ぼさないため,全体の水循環における役割が特に理解しにくいと考えられる。水文学の知見に基づいて開発された流出のモデルを大循環モデルに組み込んでも結果が改善されない例も見られる。そこで本研究第2章では,大循環モデルの流出過程の違いがどのような条件で,どのような過程を通じて,どの程度の影響を陸面大気水循環にもたらすのかを調べることを目的として大循環モデルによる実験を行った。

 降水量と土壌水分量の積に比例すると仮定した「地表流出」と土壌水分量の4乗に比例すると仮定した「排水流出」のモデルをそれぞれ別々に大循環モデルに組み込み結果を比較した。流出以外の陸面水循環過程は簡単なバケツモデルにより扱った。

 二つの実験の結果は,水循環が活発である熱帯,亜熱帯雨期,および高緯度の融雪期から夏期に有意な差(10-20%)をもたらした。モデル化の仮定によって,降水量が比較的大きく土壌水分量が少ない場合には地表流出が,逆の条件では排水流出がより大きな流出量を見積もる。例えば,熱帯および亜熱帯の乾期から雨期への移行期には地表流出が排水流出よりも大きくなる。実験間に流出量の差が生じるとそれは土壌水分量および蒸発量にも差をもたらす。すなわち,大きな流出量は小さな土壌水分量をもたらし,したがって小さな蒸発量をもたらす。しかし,二つの流出過程が差を生じる状況が終ると,土壌水分量に生じた差は次第に減衰する。これは,例えば大きな土壌水分量は大きな蒸発量および流出量により土壌水分の減少をもたらすためである。

 この減衰の過程における大気のフィードバックの効果を抽出して注意深く調べた。大きな蒸発量に伴って,大きな降水量がもたらされる傾向が見られた。この降水のフィードバックの効果により,実験間の土壌水分量の差は増幅され,また長時間持続することが示された。すなわち,例えば大きな土壌水分量は大きな蒸発量をもたらし,それが大きな降水量をもたらすことによって大きな土壌水分量が持続する。大気のフィードバックが無いと仮定した場合には減衰の時間スケールは1ヵ月程度,ある場合には2-3ヵ月程度であった。

 実験間の差の減衰に関するこの結果は,気候の自然変動による土壌水分量の平年値からの偏差(洪水や干ばつ)の減衰に関しても示唆を与える。すなわち,土壌水分量の平年値からの偏差の減衰は,基本的には蒸発と流出の両過程のフィードバックによりもたらされる。蒸発-降水の正のフィードバックが顕著であれば偏差は著しく持続する。この場合,減衰の過程として流出過程が重要な役割を果たすことに注意すべきである。

 第2章の結果において重要な役割を果たした蒸発と降水のフィードバックについては未だ不明な部分が多く,大循環モデルにおける降水過程のモデル化の方法によっても違った結果が出る可能性がある。また,このフィードバックにおいて特に積雲対流による降水が重要であることが示唆されている。これに関連して第3章では,陸上の降水過程と陸面過程との基本的な相互作用を調べるために,個々の積雲対流を解像できる領域モデルを用いた実験を行った。同様なモデルを用いた既存の研究では,与えられた土壌水分量の水平分布に対する1日程度の積雲対流の応答を調べるものがある。これに対して本研究では積雲対流によって陸面の水循環過程がさらにどのように影響を受け,結果としてどのようなフィードバックループを形成するかを調べるために,より長時間の積分を試みた。

 東西-鉛直2次元のモデルを用い,現実の大気の性質を比較的よく表す準平衡状態を得た。陸面水循環は簡単なバケツモデルにより扱った。比較的乾燥した陸面と湿潤な陸面にそれぞれ平衡する大気の状態で60日づつの積分を行った。

 水平に一様な境界条件と初期条件を与えたにも拘らず,乾燥した系と湿潤な系のどちらにおいても可降水量(鉛直に積分した水蒸気量)に波数1の水平分布が生じた。この分布は形を安定に保ちながら背景風の速さで移動した。積雲対流による降水は可降水量のある程度大きな領域でのみ生じた。

 個々の積雲対流は20km程度の限られた領域で降水をもたらすため,土壌水分量の分布には降水の履歴を反映した強いコントラストが生じはじめる。コントラストが強くなり十分に乾燥した領域が現れると,そこでは蒸発が抑制され,日中の地表温度が大きく上昇する。地表温度のコントラストは日中に海陸風的な局地循環を誘起し,乾燥域に上昇流,湿潤域に下降流をもたらす。この場合,ほとんどの積雲対流はこの上昇流によって午後に引き起こされ,乾燥域に降水をもたらす。

 これに対して,土壌が領域全体で十分湿潤である場合,このような強い局地循環は生じない。積雲対流は放射のコントラストにより生じる弱い局地循環によって引き起こされるか,または前回の積雲対流から内部重力波として伝播してきた上昇流によって引き起こされる。強い局地循環が生じる場合に比べて,一日のうちで積雲対流の起きる時間はそれほど限定されない。

 また,強い局地循環が生じる場合でも午前中や夜間に積雲対流が起こる場合がある。これは下層雲が存在した場合に,雲頂の放射冷却と水蒸気の凝結の効果による強い乱流運動が雲の下から水蒸気を輸送することにより引き起こされている。

 この実験で可降水量の分布が安定に保たれた理由は二つ考えられる。一つは積雲対流により水蒸気が集められる効果である。もう一つは,水蒸気の放射効果により弱い循環が生じ,可降水量の大きいところで上昇流,小さいところで下降流をもたらす効果である。

 第2章の結果から,陸面の水循環を土壌水分が蒸発と流出の両過程によって減衰する系として捉えることの有用性が示された。これは,蒸発量と流出量が共に土壌水分の増加関数であるという仮定に基づいている。現実には,大きな領域における流出量の土壌水分などへの依存性は明らかになっていないため,今後さらなる観測的な研究が必要とされる。また,蒸発-降水の正のフィードバックが土壌水分の減衰を遅らせる効果の重要性が示された。

 第3章では,熱的に駆動される局地循環の効果により,20km程度のスケールでは積雲対流による降水は主に乾燥した領域でもたらされることが示された。これは第2章で見られた蒸発-降水の正のフィードバックとは逆の関係といえる。したがって,熱的に駆動される循環の効果がより大きなスケールの蒸発-降水フィードバックにどのように影響するかは興味深い課題であり,さらなる研究が必要とされる。

審査要旨

 気候の研究には、大気の運動とそれに伴う様々な物理的過程を総合的に表現する大気大循環モデルによる数値シミュレーションが広く用いられている。しかし、大循環モデルでは一つの原因が複雑なフィードバックを経て結果に現れるため、モデル内の因果関係を明確に解釈することは一般に難しい。当研究は陸面水循環と大気運動の関係を調べたものであるが、陸面水循環がどのようなフィードバックを通じて気候システムに影響を与えているのかは過去の研究によって十分明らかにされていなかった。論文提出者は、モデル実験の条件をできる限り単純化し、いくつかのフィードバック過程を取り出して注意深く調べることによって、陸面水循環と大気との相互作用におけるフィードバック過程を今までに無い明確な形で整理し、それらにより形成されるフィードバックループのもたらす影響についての理解を深めることに成功している。

 提出論文は二つの部分からなる。第一部(第2章)では大気大循環モデルを用いた電子計算機実験によって流出過程に対する陸面大気水循環の感度を調べている。第二部(第3章)では積雲対流を解像できる高分解能の領域モデルを用いて積雲対流と陸面過程の相互作用を調べている。

 第一部では、異なる流出過程を与えた二つの大循環モデル実験を比較することによって、流出過程の違いが水循環全体に及ぼす影響を調べ、そこで重要となるフィードバック過程を明らかにしている。論文提出者は、水循環過程の本質を損なわないことに注意しながら地形などの条件を大胆に簡単化し、これによって実験結果を明解に解釈することに成功している。流出過程の違いは、二つの実験間に土壌水分の違いを生じさせるが、その違いは蒸発、流出の両過程が変化することによってやがて減衰する。論文提出者は、この減衰の過程における大気のフィードバックの効果を今までに無い明確な形で取り出して注意深く調べた。これによって、蒸発-降水の正のフィードバックの効果がこの減衰を著しく遅くすることが明確に示された。また、この大気のフィードバックが減衰時間スケールに及ぼす効果に数式による半定量的な説明を与えることに成功し、さらに、実験間の差の減衰に関するこの結果が、気候の自然変動による土壌水分量の平年値からの偏差(洪水や干ばつ)の減衰に関しても応用できることを示唆した。すなわち、洪水や干ばつの状態は蒸発量と流出量の変化によるフィードバックの効果で平年の状態に戻ろうとするが、蒸発-降水の正のフィードバックが顕著であれば著しく持続することが当研究により示唆された。

 第一部において重要性が明らかになった蒸発-降水のフィードバックに関連して、第二部では、降水をもたらす重要な過程である積雲対流と陸面過程との相互作用について詳しく調べている。論文提出者は空間スケールの小さい積雲対流を直接扱うために高分解能の領域モデルを用いて、積雲対流と陸面の相互作用を数十日の時間スケールで調べた。同様のモデルを使った過去の研究は陸面に対する積雲対流の一日程度の応答を調べるもののみであり、土壌水分の変化にも注目した長時間の実験は独創的といえる。この結果、水平方向に閉ざされた外乱の無い理想的な系においては、降水の履歴を反映した土壌水分の強いコントラストが自然に生じることが示唆された。またこの過程で、地表温度のコントラストにより駆動される局地循環が陸面過程と積雲対流を強く結びつけていることが示された。すなわち、乾燥した地表では蒸発が少ないため地表が高温となり、これによって生じる局地循環の上昇流が積雲対流を引き起こす。これは蒸発-降水の負のフィードバックを意味しており、第一部で顕著に見られたフィードバックと比べて蒸発の変化に対する降水の応答が逆方向である。

 以上の結果から、論文提出者は陸面大気水循環における重要なフィードバックループを4つ指摘した。すなわち1)蒸発過程および2)流出過程によって土壌水分の偏差を減衰する二つの負のフィードバックループ、3)蒸発-降水の正のフィードバックを通じた正のループ、4)蒸発-降水の負のフィードバックを通じた負のループである。また、互いに逆センスの3と4のループが現実の気候においてどのように働いているのかという興味深い問題を今後の課題として指摘した。論文提出者が指摘したフィードバック過程の一つ一つは過去の研究によって示唆されてきたものであるが、これらのフィードバックを明確に整理し、フィードバックループとその機能という形でまとめ上げたところに彼の研究の評価すべき点がある。この結果は、シミュレーションや観測的研究の解釈の枠組などの形で今後の研究に貢献することが期待される。

 この提出論文の第一部は、論文提出者と阿部寛治、沼口敦、光本茂記の共著として学術論文誌に投稿され、掲載されている。しかし、その内容の主要な部分は論文提出者によって解明されたものであり、そのため、論文提出者が筆頭著者となっている。第二部は専門研究者との何度かの議論を経ており、高い評価を得ている。提出学位論文が主として論文提出者の成果によるものであることは、論文審査会においても確認された。また共著者からも、その内容を博士論文として使用することの承諾が得られている。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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