1.序論 低次元電子系は、波数2kFの摂動に対して不安定であり低温で電荷密度波やスピン密度波相への転移を起こす。(TMTSF)2PF6および(TMTSF)2AsF6は、12K付近の低温でSDW相へと転移する。これはb’-軸方向へスピンの並んだ反強磁的な秩序状態への転移である。 密度波のスライディングには種々の興味深い現象がみられる。CDWのスライディングについては、現在ではその基本的な描像はほぼ明らかになったといってよい。その中でも記憶効果はもっとも注目すべき現象の1つであろう。この記憶効果は密度波が非常に多数の準安定状態を持つことにその原因があるとされている。 (TMTSF)2XのSDWについても集団的なスライディングが起こっていることが明らかになってきている。これまでに報告されているSDWのスライディング運動の特性はCDWのものと非常に良く似ている。Krizaらは、(TMTSF)2PF6のSDW相においてパルス方向記憶効果を発見し、SDWにも準安定なピン止め配置が存在することを示した。 本論文では、(TMTSF)2AsF6のSDWにおいて初めて発見されたパルス幅記憶効果について報告し、その起因について考察を行う。 (TMTSF)2PF6のSDW相内に新たな相転移の存在を示唆する異常が現れることがNMRの緩和時間の測定から指摘されている。この物質のSDW相は単一の相ではなくいくつかの相からなる可能性がある。NMR緩和時間以外にもさまざまな実験で異常が見つかっている。しかしこれらの異常が本当の相転移に対応しているのか、また実際に相があるとしてこれらの相の性質の違いが何であるのかはまだ明らかでない。本論文ではSDW状態でのバンド構造という観点からこの問題に対する実験的アプローチを試みる。具体的な実験手段として、いくつかの磁場又は電流方位に対して磁気抵抗およびHall効果の測定を行った。その結果これらの量に特異な振る舞いが見出され、またSDW多相との関わりがある可能性もでてきた。 2.高電場下での電気伝導、パルス幅記憶効果 本研究で使用した試料は自作したものである。伝導度測定では質が良く、ある程度の大きさの単結晶試料を得ることが鍵となる。(TMTSF)2PF6と(TMTSF)2AsF6の単結晶試料の作成は広く行われている電解法で行った。 電極の作成は試料表面上に金を蒸着し、その上に直径10mの金線を金ペーストでとりつけている。このようにして作成した電極の抵抗は1〜3程度である。結晶のab面上に4つの帯状の電極をならべてある。試料への加圧はクランプ式の圧力セルを用いて行った。冷却速度は0.2K/min.以下、圧力は室温で6kbarである。 本研究で発見されたパルス幅記憶効果は正負両極性のパルス電流を交互にかけたときに観測される。図1に5つの異なった幅を持つパルス電流を流したときの(TMTSF)2AsF6の電圧応答波形を示す。応答電圧波形の最高点で測った電場は約140mV/cmであり、これはこの試料のT=1.4Kにおける非線形伝導のしきい電場の3倍程度の電場である。図にはこの時の電流パルスの波形も破線で示してある。図からあきらかに見てとれるように、ある幅を持つパルス電流に対する応答電圧の増大は、そのパルス幅に特有なものである。より広いパルス幅範囲での電圧応答には、パルス幅の増加に伴って先頭での立ち上がりが遅くなっていく効果があることもわかった。 これらの現象は、ある幅のパルス電流を繰り返しかけているうちに試料がかけられているパルス電流の幅を学習し、その幅に特有の応答を示すようになるととらえることができる。これは、SDWにおける「パルス幅記憶効果」である。 ここで示した結果はすべて、パルスの終わりから次のパルスまでの間隔が40msのときのものである。このパルス間隔を10sから10s間で変化させても結果に違いは現れない。パルス幅記憶効果はかけられたパルス電流の振幅に依存し、しきい電場をこえる電場のもとでのみ観測される。 パルス幅を変えたときにSDWは何回のパルスでその幅を記憶するのであろうか。実験結果はSDWがかけられたパルスの幅を学習し、そのパルス幅に特有の応答を示すようになるためにはただ1回のパルスで十分であることを示している。パルス幅記憶効果は低温で顕著であり、温度の上昇とともに小さくなっていくが、4.2Kでも有限に残っている。 本研究で発見されたパルス幅記憶効果は2つの特徴的な振る舞いをしている。1つはパルスがきれる直前での応答電圧の増大。もう1つはパルスの立ち上がりでの波形の丸まりである。パルスの立ち上がり部分の丸まりは、かけられた電場のためにおこった局所的なSDWの変形によるものであろう。この変形の量は電場がかけられている時間が長いほど大きくなると期待される。もし、たとえば正極性のパルス電流による正極性のSDWの変形を誘起するときの時定数が、その前の負極性のパルス電流によって作られた負極性の変形の量の増加とともに増えていくと仮定すると簡単に説明できる。 もう1種類のパルス幅記憶効果は、図1に示したようなパルスの終わりの部分での応答電圧の増大である。この現象に対しても具体的なモデルはないが、似たような現象はCDW系においても報告されている。K0.3MoO3やNbSe3においてはパルス電流に対する応答に電圧振動が観測されていて、この振動はパルスの幅にかかわらずピークをすぎたところのあるいっていの点でおわることが報告されている。本研究で行った(TMTSF)2AsF6に対する実験では、パルスの終わりでは応答波形はむしろカスプ状である。しかしながら、K0.3MoO3におけるパルスの終わり前の最後の振動の振幅がその以前の振動の振幅に比較して大きいことは注目すべきである。もしも最後の振動以外の振動が消失したら、その応答電圧波形は本研究での(TMTSF)2AsF6のものとよく似たものになるに違いない。 これらCDW、SDWにおけるパルス幅記憶効果の類似点、相違点を論じるためには、さらなる研究が必要とされる。 3磁場中の電気伝導現象 磁場中での電気伝導現象の測定は、物質のバンド構造に対する知見を得るのに極めて有力な手段である。本研究では(TMTSF)2AsF6のスピン密度波相内において、主としてSDW多相との関連を調べるため磁場中での電気伝導度の測定を行った。この実験で測定した量は次の磁場、電流方向における磁気抵抗とHall効果である。 1.B//、I//a 2.B//、I//b’ 3.B//b’、I//a 磁場範囲は12Tまで、温度範囲は0.5Kから10Kまでである。 電極は通常の6端子を配置した。抵抗の測定は通常のlock-in法である。電流方向に現れる電場は0.1mV/cm以下になるように電流の振幅を調節した。用いた周波数は100Hz以下である。温度はゼロ磁場で測定し、温度一定の条件下で磁場をスイープした。磁場スイープ中温度を一定に保つことには細心の注意を払っている。磁気抵抗成分を除くため、同一条件で磁場の向きを反転させた2回の測定を行い、その差からHall抵抗を求めた。 (TMTSF)2AsF6における、磁気抵抗RaaおよびHall抵抗Rb’aの磁場依存性の特徴は以下の点である。 1.Hall抵抗は磁場が増加するにつれ線形から外れ、2.5T付近でピークをとりその後減少をはじめる。6T付近から、再び増加をはじめる。 2.Hall抵抗の符号は正である。 3.Hall抵抗がピークをとり減少をしている間、磁気抵抗は磁場に対してほぼ一定であり、Hall抵抗が再び増加に転じる磁場から磁気抵抗も増加をはじめる。 磁気抵抗のプラトーは低温にいくにしたがって見えなくなる。Hall抵抗にピークが現れる磁場BPは、2K以上ではほぼ一定であるが2K以下で急激な減少を示している。この様子を図2に示した。この結果は、2K以下の温度でバンド構造に何らかの変化があることを示唆している。 M.Basleticらは(TMTSF)2NO3におけるHall効果の異常を説明するためTwo Carrierモデルを使用し、異常は電子とホールがそれぞれ別の磁場領域で強磁場極限に入るからであろうとしている。 別の可能性も考えられる。SDWギャップの上下のバンドの底は平坦ではない。弱磁場ではキャリアはこのバンドの底の付近で2次元的な軌道運動をするであろう。しかし磁場が高くなってくると1次元的な開いた軌道上を運動するようになる。この2次元的な軌道から1次元的な軌道への変化が、3T付近の磁場でおきている可能性もある。 b’-軸方向に電流を流したときの磁気抵抗およびHall効果に対しては3Tから6T付近の異常は特にみえていない。 磁場の効果の結晶方位に対する依存性を調べるため、同一試料についてb’面内で磁場の軸からの傾きが0°(B//)、45°、90°(B//b’)の場合についての磁気抵抗、および=90°の場合のHall効果を測定した。磁場の効果はcosでスケールできる。磁気抵抗の異常な振る舞いには磁場の-軸方向の成分がきいていることを意味している。 =90°の場合には負の磁気抵抗がみられる。抵抗は磁場に対して、ほぼ直線状に下がり、1.2T付近で折れ曲がった構造を見せさらに6T付近まで減少を続けている。折れ曲がりの構造が見える磁場は温度には依存しない。このときのHall抵抗は磁場に対して線形であり、特に1.2T付近に構造はない。 図1 パルス幅記憶効果図2 ピーク磁場の温度依存性 |