学位論文要旨



No 112361
著者(漢字) 山本,知幸
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,トモユキ
標題(和) タイル・オートマトン : 並列的自己複雑化機械あるいは生命の構成原理のモデル
標題(洋) Tile Automaton : a model for parallel self-tangling machines or a possible architecture of life
報告番号 112361
報告番号 甲12361
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第118号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,邦彦
 東京大学 教授 浅野,攝郎
 東京大学 教授 永山,国昭
 東京大学 助教授 池上,高志
 東京大学 助教授 佐々,真一
内容要旨 1イントロダクション

 人工生命的な手法を用いタイル・オートマトンと呼ばれる化学反応の抽象モデル構成し、計算機実験を通じて研究を行なった。生命の起源および生物のメカニズムを理解することを最終的な目的としているが、まず各部の独立性や全体的な同期がとれないような状況下でも各部の並列的な相互作用もしくは干渉を通じて機能が形成されることが可能であることを確認した。機械論的な生命観に基いているというよりは、むしろその「機械」という概念自体を再構築しようという企てである。

 生物の体の構造は階層化され、器官のレベルから分子レベルまで多様性を持ちつつ非常に緻密に構成されている。さらに、各モジュール間には明示的非明示的を問わず複雑なネットワークが形成されている。生物学により多くのモジュールの機能が解明されてきたとはいえ、いかにしてシステムとしての全体像を構成するかということは未解決の問題である。

 生物は物質からつくられているので、これを何らかの機械であると考えることは自然である。しかし、いままで作られて来た機械的メカニズムの概念とは大きく異なる。いわゆる「機械」とは、順序が保たれ、単一機能のモジュールが独立性を保って集積されたものである。さらにモジュール間の干渉により機械は容易に壊れてしまうので、並列に動作する多数のモジュールが場所を共有して干渉しあっている生体内の機構とは、かなりかけ離れている。また機械は目的とするタスクを分割して、各モジュールに一対一の対応関係を持たせて設計されるが、それは還元論的手法と同様である。この様な見方で生物をはじめとする複雑なシステムを記述することは困難であることが複雑系の研究で示されており、新たな方法が模索されている。また、いかにして複雑なシステムを設計するかという問題もこの研究に含まれている。

 このモデルは化学反応を抽象化している。様々な形状をしたタイルで分子を表し、それらが衝突により反応を起こして形を変えることで化学反応を表現している。形を変えるルールは確定的であるが、周囲の状況に依存したり多体反応を許容しているので、自明な周期的構造を離れて多様な形をつくり得る。また、このモデルには2つの版があり、それぞれ「空間版」と「タンク版」と呼ばれている。前者は平面上をタイルが動きまわり、衝突すると反応が起きるというものである。後者はランダムにタイルを選び、さらにランダムに選んだ配置で衝突させて反応させるというものである。

 反応のルールは、基本的には衝突しているタイルの衝突部位とその最近傍(リアクティング・ゾーンと呼ぶ)の状態をセル・オートマトン的に変化させる。予備実験の結果、リアクティング・ゾーンの内部の状態を反転させるルール(ルール1100と呼ぶ)と、リアクティング・ゾーンの内部を基本的に全てタイルで埋めるが、反応中のタイルの一部と接している場合はその部分を消滅させるというルール(ルール1010)を採用した。なお、リアクティング・ゾーンはタイルの衝突の形態によって形状が変わる。多体衝突や複数の箇所での衝突が起きている場合は各々のリアクティング・ゾーンの和をとる。また、タイルが密集している場合は反応を起こさない。これは特にルール1100でタイルが急に減少することを防ぐだけでなく、接触を許すのでメカニカルな運動など機構的な複雑さを獲得できるようにもなっている。

2空間版

 空間版では、タイルは形と速度をもっている。速度と位置は実数で表されるが、衝突判定や反応のルールを適用する時は、離散化した座標の上で行う。また、タイルの動ける世界の境界条件はオープンになっており、世界の縁に触れたタイルは消滅する。つまりこの世界では、タイルが継続して生産されていないと、「死んで」しまって世界は空になる。またタイルの間には第2最近傍までに相互作用として線形バネが組み込まれている。これは開境界によりタイルが停止することを防ぐのと、反応により再構成されることから吸/発熱反応を表現するという役割を持っている。相互作用の力は弱く、またタイルが衝突しても反応が起きない場合には弾性的に反射させるので自明なクラスタリングのみ起きる訳ではない。

 ここでは、単純な形状の少数のタイルの初期条件から、多様な形状のタイルが形成され、さらにクラスター化したタイルが継続的な生産を行なって、無限に増殖し続ける構造が出現した。その形は初期条件に依存して異なるが、タイルが自己組織的に生産を行う「工場」をつくったということになる。この構造を「ファクトリー」と呼ぶ(図1)。反応のルールでタイルの面積が増えることは許されているが、継続的な生産が起こるのは非自明な結果である。

 ただし、ファクトリーは既存の「機械」の概念に基いたような機構ではない。周期的・順序的な構造ではなく、むしろ「カオス的」であり、それによって複雑な機能を実現していると考えられる。それは初期条件依存性がかなり大きいことと、タイルの速度を離散化した場合(刻幅0.2程度)形は多様であるのに生産を続けることが出来くなることから示される。ここでは周期運動に落ちた場合は速度の有限性により抜け出せなくなっていることが原因と考えられ、カオスによりその状態から抜け出すことが重要であると思われる。

 また、ファクトリーが分裂を起こす場合があることが見出された。ファクトリーを自発的に形成された増殖反応系と見るならば、その分裂は増殖反応系自体の増殖という、より高次の階層の現象と見ることができる。

3タンク版

 タンク版では、全ての分子(タイル)はタンクの中の水溶液として存在し、激しく撹拌されているとする。つまりリストの中からランダムにタイルの組が選ばれ、ランダムな配置で反応させられる。さらに中間状態を導入し、リストに戻されて待機している間に再度選ばれて、多体反応を起こせるようになっている。なお、タイルの総数の上限、各タイルの個体数の上限、質量5以下のタイルの保持などの境界条件を加えている。

 ここでは、ルールにより結果に大きな差が出た。まず、リアクティング・ゾーンを反転させるルール1100では、多様なタイルが現われ、また一部のタイルが急速に成長してゆく現象が見られた(図2)。ただし、これは単なる結晶成長的な現象とは異なる。タイルが成長してゆく反応経路のみでなく、タイルを分解する反応経路が存在し、それが支配的である。このルールでは質量1と2の最も小さいタイルの間に自己触媒的な反応経路が存在し、これを「ミニマル・ネットワーク」と呼ぶ。この反応経路がその中心にあることにより、タイルを分解する反応経路は安定に存在し、小さなタイルは急速に分解される。成長が見られるのは、むしろ境界条件を導入してそれを抑制した結果である。特に質量5以下のタイルを保持する境界条件がないとタイルの急速な成長は見られない。

図1:初期条件と、形成されたファクトリーの例。ルール1100、時刻2000。中央の大きな塊がファクトリーである。タイルは内部で振動して、反応を起こし続けている。

 大きなタイルでも反応により分解されるが、その質量が大きいことにより分解される前に他のタイルと結合して、より大きな質量を獲得することができる。結合は反応により起きるので、タイルはそれに適した形状で衝突を起こす必要がある。結合により成長が起きることから、この現象を「結合成長」と呼ぶ。結合成長と分解の双方の反応経路は完全に分離されている訳ではなく、あらゆるタイルが双方の経路に組み込まれて動的に共存している。

 ルール1010では、タイルの形状に多様さは見出されるものの、結合成長による急速な成長は見出されなかった。なお、いずれルールでもタイルの形の多様性は多体反応によって引き起こされるが、これは中間状態の導入による効果である。

4考察と結論

 このモデルで見られた自己組織的な発展機構を表現するために、tangling of contextsという概念を提案している。例えば空間版では、タイルの運動により位置関係が変わって反応が起きるが、反応により形が変えられると、運動の境界条件も変わるのでその影響が位置関係に及ぶ。このようにして、形態と運動の間に反応というインターフェイスが介在する形になっている。それぞれの面におけるローカルな状況という「文脈」が混合されていることになる。

 タンク版では空間は取り除かれているが、分化した反応経路が得られた。小さいタイルに分解される速い反応経路という文脈と、結合成長により伸びてゆく遅い反応経路という文脈が見られるが、これらは決して独立なものではない。これらの2つの文脈は、成長したタイルの大きさにより緩やかに分離されている。成長と分解の双方が起きていることにより、タイルの多様さが獲得されている。

 このモデルは各要素の内部状態を仮定せず、相互作用を中心に記述・構成されているので相互作用の関係性の中から文脈が絡まり合うことにより周期性などの機械的な構造が破壊されてしまうような状況下でも新たな形態の機能が出現が見出された。このような機能は、生命的なシステムの構築と理解のために重要であると考えられる。

図2:タンク版で得られた多様なタイル。ルール1100、時刻10。サイズの順に下から並べてある。タイルの形の下に、左から個体数と質量が表示されている。上部に位置するのは、中間状態にあるタイルの組である。
審査要旨

 提出された山本知幸氏の博士論文は化学反応を抽象化したモデルを構成し、そのシミュレーションを通して生命システムを逐次的な機械でなく並列な多体干渉機械として捉える論理を構築し、その観点から生命の起源を論じたものである。生命の起源を念頭に置いた、新しいモデルを提案し、その広範なシミュレーションを通して生命システムへの新しい見方を構成することに成功したものである。

 本論文は5章127ページから成っている。まず第1章では機械として生命を捉えるこれまでの見方をふりかえり、そこで文脈が相互干渉した機械という視点の必要性を論じている。ついで、第2章ではこのような問題を議論するためのバックグランドとして、セルオートマトンから始まり、人工生命研究で提唱されたこれまでのモデルを概観し、その問題点を議論している。ついで機械という視点からロボティックスと計算機システムを振り返り、ここで議論するような生命システムのための基本的な論点を挙げている。第3、第4章がここで提唱されたタイルオートマトンのモデルの導入およびその2つのタイプのモデルでのシミュレーションの結果であり、第5章ではそれらをふまえて生命システムの論理を議論している。

 タイルオートマトンモデルではまず、様々な形状をしたタイルで分子を表し、それらが衝突により反応を起こして形を変えることで化学反応を表現している。形を変えるルールは一意的に定められているが、周囲の状況に依存したり多体反応を許容しているので、自明な周期的構造を離れて多様な形をつくりうる。これについて「空間版」と「タンク版」の2つのシミュレータを構成し、その振舞を調べている。前者は平面上をタイルが動きまわり、衝突すると反応が起きるというものであり、後者はよく混ざった溶液の中からランダムにタイルが衝突して反応するというものである。反応のルールは、基本的には衝突しているタイルの衝突部位とその最近傍(反応ゾーンと呼ぶ)の状態をセル・オートマトン的に変化させる(主に、反応・ゾーンの内部の状態を反転させる)ことで行なっている。

 空間版では、単純な形状の少数のタイルの初期条件から、多様な形状のタイルが形成され、さらにクラスター化したタイルが継続的な生産を行なって、無限に増殖し続ける構造が出現した。これは自己組織的に生産を行う「工場」の構造の出現という非自明な結果である。ここで、「工場」は既存の「機械」の概念に基いたような機構ではない。周期的・順序的な構造ではなく、カオスにより多様な形を作りつつ増殖していく。様々な反応過程が相互に干渉しあうことで生産性を維持しており、それには、カオスによって周期からはずれることが必要であることも見出された。また、「工場」自体が分裂を起こすことも発見されている。このことは、増殖反応系自体の増殖という、より高次の階層の現象を生じたことを意味しており重要と考えられる。

 タンク版では、時間的な構造を見るために反応の中間状態を導入して多体反応を可能にしている。このシミュレーションでは多様なタイルが現われ、そこから一部のタイルが急速に成長してゆく現象が見られた。ここでは単なる結晶成長的な現象とは異なり、成長してゆく反応経路と分解する反応経路が形成されている。成長は結合に適した形のタイルを利用して起こる。この結合的な成長と分解の双方の反応経路は完全に分離されている訳ではなく、あらゆるタイルが双方の経路に組み込まれて動的に共存している。ただし、成長経路と分解経路の間のでは時間スケールが分離しており、このことが成長に本質的である。

 これらの結果から、生命の起源において、まず多様な増殖構造が生成され、維持され、多プロセスが干渉した、副産物のネットワークとして生命システムを捉えるという視点を提出している。

 当博士論文の研究は、新しいモデルを導入し、生命システムとその起源への新しい視点を導入したものである。むろん、生命の起源は一朝一夕に決着がつけられるような問題ではなく、ここで提出された概念はまだまだ発展させられなければならない。またここで提出された考え方がここでのシミュレーションにより定量的レベルまで完全に確認されたとは一概に言えないかもしれない。しかし、ここで提出された生命システムへの考え方がタイルオートマトンモデルの構築とそのシミュレーションを通して形成された、独創的なものであることは事実であり、この考え方は今後、生命の起源や生命の論理を考える上で鍵となる重要なものに発展していくことが期待されるものである。

 この研究は非線型物理、統計力学の理解、生命系やコンピュータシステムへの洞察、高度なシミュレーション技術をふまえて実現したものである。ここで挙げられた結果の一部は既に論文が専門誌に掲載されており、全貌は間もなく投稿予定である。また、空間版、タンク版はそれぞれ人工生命の国際会議で発表され、注目されている。このように、論文提出者の研究は、理論生物学についてコンピュータ科学をふまえた新しい方向を切り開き、この分野への独創的かつ重要な寄与をなしていると考えられる。

 以上の点から本論文は博士(学術)の学位を与えるのにふさわしい内容であると審査委員会は全員一致で判定した。

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