学位論文要旨



No 112368
著者(漢字) 大上,雅史
著者(英字)
著者(カナ) オオガミ,マサシ
標題(和) 2次元の特異なレッジェ格子の曲率について
標題(洋) On the Curvature of 2D Singular Regge Lattices
報告番号 112368
報告番号 甲12368
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3148号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 風間,洋一
 東京大学 教授 荒船,次郎
 東京大学 助教授 加藤,晃史
 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 助教授 坪野,公夫
内容要旨

 本論文では特異なレッジェ格子上の高階曲率について考察した。ここで特異なレッジェ格子とは非常に痩せた単体が含まれているレッジェ格子のことである。

 レッジェが滑らかなリーマン多様体の自然な格子近似として導入したレッジェ格子は、近年では量子重力効果を調べるためのモデルとして広く利用されている。こうしたモデルにおいては現在のところ、多様体上の計量についての足し上げに対応するものを格子上で実現する方法について異なった二つの立場が存在している。ひとつはレッジェ格子中の単体の辺の長さを固定して単体分割の仕方について足し上げを行う立場(動的単体分割)であり、もう一つは単体分割を固定して単体の辺の長さについての積分を行う立場(固定単体分割)である。いずれの立場をとる場合でも、高エネルギー領域で格子化によって正則化された高階曲率を含む格子重力作用が低エネルギー領域において一般相対論を有効的に再現する可能性があり、この点でレッジェ格子上の高階曲率には興味が持たれる。またこうした曲率はレッジェ格子を古典一般相対論や多様体上の場の理論の研究に応用する上でも重要である。

 多様体上にはリーマンテンソルの成分を縮約して得られる高階曲率が多数存在するが、今のところ個々の高階曲率の類似物をどのようにしてレッジェ格子上に定義すればよいかを示す一般的な処方は知られていない。しかし二三の曲率については多くの理由で自然な格子化であると考えて良い格子上の高階曲率が定義できる。この論文で考察した2次元におけるスカラー曲率の高階べきや一般次元におけるリプシッツ・キリング曲率はそうした例である。

 こうした格子上の高階曲率についての基本的な疑問の一つは、それらがいかなる意味で多様体上の曲率の格子版と呼び得るのかという問いである。この問いに一つの解答を与えるため我々はある多様体Mを近似するレッジェ格子の列Ksを構成して、多様体M上の曲率と格子Ks上の対応する格子曲率との関係を調べた。我々の研究の以前にも様々な近似の方法やそれに伴う格子曲率の連続極限が考察されてきたが、特異なレッジェ格子、すなわち痩せた単体を含むレッジェ格子によって多様体を近似することは未だ考察されていない。我々は主に2次元において特異な格子による近似を考察した。

 特異な格子による近似を考察する物理的な動機としては、固定単体分割による量子重力モデルにおいては曲率の大きな多様体上の計量を表現するためには非常に痩せた単体を含むレッジェ格子という配位が現れることが不可避である点が挙げられる。以下に述べる我々の結果は、少なくとも古典的な意味での格子近似という文脈では、こうした痩せた単体が存在しても多様体を近似するうえで特に問題とはならないことを示している。

 定理

 Mを2次元多様体とし、Ks(s>0)をレジェ格子の列で次の4つの性質を持つものとする。

 1.位相同型fs:Ks→Mが存在する

 2.fsによるKsの各三角形の像はMの測地的三角形

 3.fsによるKsの各辺の像はM上の同じ長さを持つ測地線

 4.Ksの各辺の長さはs以下

 このときs→0に伴って、スカラー曲率のべきに対応する格子上の曲率(定義はEliezer1による)は測度の意味でM上のスカラー曲率のべきに収束する。

 1 D.Eliezer,Nucl.Phys.B319(1989)667.

 ここでは各辺の長さをゼロに近づけるだけでKsの各三角形の形状については全く仮定をおいていない点が重要である。上の定理は如何に痩せた三角形が含まれていようともそれには関わりなく多様体のレッジェ格子による古典的な近似が可能であることを示している。この定理が本論文の主結果である。

 我々は、特異なレッジェ格子による近似に関係した高次元多様体の局所的な性質についても調べた。大雑把な表現になるが、n次元多様体Mが点0において局所的な性質Emを持つとは(m<=n)、M内の測地線を辺に持ち点0をひとつの頂点とするm単体が与えられたとき、それと同じ辺の長さを持つm単体をユークリッド空間の中に構成できることであると定義する。このときあらゆる多様体Mはその次元n>=2に関わらず常に性質E2を持つことを示すことができるが、この性質が先の2次元における定理の証明に役立つ。ところがm>2の場合にはこうした良い性質はなく、ある点において性質E3、...、Enのいずれの性質も有しない多様体が存在することがわかった。このことが我々の2次元における結果を高次元の場合に一般化することが困難である一つの理由である。

 我々はまた、一般次元のレッジェ格子上で定義される格子リプシッツ・キリング曲率についても調べた。この曲率については単体の内角を用いた二つの表現が知られている。一つは組み合わせ位相幾何的な考察から導かれる表現で、そこには奇数次元の内角も現れる。もう一つは熱核の考察から導かれる表現で、偶数次元の内角のみが現れる。この二つの表現の同等性は以前から知られていたが、その証明は解析的な手法によっていた。我々は、内角和が満たす恒等式を利用した組み合わせ論的な考察によってこの同等性の別証明を与えた。

審査要旨

 一般相対性原理に基づく重力理論を量子力学と矛盾しない形で扱うといういわゆる「重力の量子化」の問題は、基礎物理学における最大の問題のひとつである。そして基本となるアインシュタイン理論、あるいはそれを場の理論の範囲で拡張した様々な理論を摂動論的に量子化しようとすると、繰り込み不可能な発散の困難が現れることはよく知られている。この困難を摂動論の範囲で解決できる理論は現在のところ弦理論しか知られていない。しかしながら、非摂動的な取扱いができれば、アインシュタイン重力及びその拡張理論が整合的に量子化できる可能性も残されており、主に数値計算を用いて、こうした研究も盛んに行われている。

 短距離の相互作用に由来する発散の困難を回避しながら非摂動的な量子化を行うには、まず時空多様体を正則化(すなわち有限な数の単体に分割して近似)することが必要であるが、その方法として現在考えられているものは大別して次の二つである。一つは「動的単体分割」(Dynamical Triangulation)と呼ばれるもので、単体の辺の長さは固定して、考えている多様体の様々な分割の仕方について重み付きの和をとることで、時空の計量の量子的揺らぎを足しあげるものである。もう一つは、本論文で取り上げられている「固定単体分割」(Fixed Triangulation)の方法で、分割自体は固定しておいて単体の辺の長さについて適当な重み付きの積分を行うものである。この方法はT.Reggeにより考案されたことから、しばしばRegge calculusと呼ばれ、分割された多様体を表す三角格子をRegge格子と呼ぶ。

 本論文は、このRegge calculusにおいて従来不十分であった高階の曲率の取扱いに対して一つの重要な定理を一般の2次元多様体の場合に厳密に証明し、この方法の進展に新たな寄与をしたものである。論文の構成及びその内容の評価すべき点は次の通りである。

 序章である第1章では簡潔に研究の主題とその位置づけ、重要性が述べられている。多様体の計量を足し上げる際には当然曲率の大きな多様体も含まれる。そのような多様体上の高階の曲率をレッジェ格子上で近似しようとすると、最長辺の長さの二乗に比して面積が非常に小さいいわゆる「痩せた三角形」が必要になる。そのような特異な三角形を含む格子が論文の表題にある特異なレッジェ格子と呼ばれるものである。分割を細分化したときレッジェ格子上の高階の曲率がもとの滑らかな多様体の上で定義された曲率に一致することはこれまで特異な単体を含まない範囲でしか証明されていなかった。本論文の目的はこれを特異なレッジェ格子の場合にも厳密に拡張できることを示すことである。

 第2章では、準備として、解析に必要な概念のレヴューが行われる。基本となるPiecewise linear space及びその上の単体及び複体の概念が説明され、レッジェ格子が厳密に定義される。さらにその上の曲率、特にLipschitz-Killing曲率の性質と格子上の表現が述べられている。

 これだけの準備をしたのち、第3章で本論文の主要結果が証明される。まず三角形がどれだけ「太っているか」を特徴付ける「fatness」の概念を定義した後非常に小さいfatnessを持った三角形を許すような分割の場合には近似の仕方によっては細分化の極限がよく定義されず連続理論の答えに近づかない現象が生ずることが示される。そして、よい近似の列を得るには、三角形の辺の長さをもとの多様体上での測地的長さにとる「測地線近似」が有効であることが述べられる。この近似法のもとではすでにEliezerによって非特異なレッジェ格子に限れば近似列が正しい連続極限を持つことが示されていたが、必要とされる不等式の評価が荒いために特異な格子の場合には証明が適用できなかった。本論文の著者は測地線を表す微分方程式を積分方程式に直し、接空間で定義した曲率の評価をうまく媒介することによって、必要な不等式の評価を精密化することに成功し、この困難を解決した。その方法は数学的に厳密でありながら、叙述は明快であり、結果として少なくとも2次元ではレッジェ格子法を用いた重力の量子化が可能であり得るという肯定的な結論を導くことができたことは高く評価されるものである。

 この方法は直接高次元の場合に拡張するには困難があるが、第4章では高次元への拡張の準備として、Lipschitz-Killing曲率に対する格子上の二つの表現の等価性の新しい証明がなされている。第5章はまとめと今後の展望にあてられている。

 以上述べてきたように、この論文はレッジェ格子を用いた重力の量子化におけるひとつの基本的問題、すなわち高階のものを含めて曲率の正しい近次列が構成できるかという問題に厳密で新たな肯定的結論を導き出した点でこの分野の発展に寄与しており、審査員一同博士(理学)の学位を与えるに十分なものと判断した。

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