学位論文要旨



No 112369
著者(漢字) 河内,明子
著者(英字)
著者(カナ) カワチ,アキコ
標題(和) 静止K-吸収におけるハイパーフラグメントの生成
標題(洋) Hyperfragment Production from Stopped K- Absorption
報告番号 112369
報告番号 甲12369
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3149号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 福田,共和
 東京大学 教授 矢崎,紘一
 東京大学 助教授 永江,知文
 東京大学 教授 野村,亨
 東京大学 教授 柴田,徳思
内容要旨

 静止K-吸収によって様々なハイパーフラグメントが生成されることは昔からエマルジョン実験で知られていたが生成機構については研究されていなかった。最近KEKで行われた実験では軽い標的核での生成率が測定され、ハイパーフラグメントとして生成されるは静止K-当たり数パーセントに上ること、生成率に明らかな標的依存性が見られることが判った。この結果の解釈として、ハイペロン複合核モデルが提案された。30MeV程度の励起エネルギーを持ったを含む複合核状態を経由して統計的にハイパーフラグメントが放出されるとするモデルである。この場合、例えば生成時Q値の大きいより多く生成される等、各フラグメントの生成率はQ値で決まり、のスピンフリップも起こる。一方標的核内クラスターにK-が吸収され、という特定のハイパーフラグメントが生成されるモデルも考えられる。直接反応的なこのモデルではスピンフリップ状態(例えば(1+))は抑制され、反応でのアイソスピンの重みからの生成量はの二倍となる。これまでほとんど研究されていないハイパーフラグメントの生成機構を解明するために、本研究ではの生成率、及び(1+)の生成率を軽い標的(7Li,9Be,12C)で系統的に測定した。

・実験の概要

 ハイパーフラグメントの核種は、フラグメントの弱崩壊で放出される-の運動量から同定する。-の運動量測定にはKEK-PS K5ライン上に設置されたトロイダルスペクトロメーターを用いた。基礎になるのは12の磁極間隙を持つ超電導トロイダル型磁石である。入射K-を標的中に止め、発生する-の軌跡から運動量を求めた。スペクトロメーターの立体角は約6%×4 strであり、運動量分解能は、標的中のエネルギー損失の広がりによる分解能への影響を含めて、130MeV/cにおいてFWHM3MeV/cであった。励起状態からの遷移線の検出には24台のNaIカウンターを設置し,15%×4 strをカバーした。

 ・解析結果

図1:7Li,9Be,12C標的それぞれでの-中間子の運動量スペクトル。スペクトロメーターのアクセプタンスは補正されている。

 図1はアクセプタンス補正後の-運動量スペクトルである。二体崩壊ピーク(133MeV/c),及びバンプ(〜100MeV/c)が見られる。100MeV/c付近には、,,の三体崩壊の-がほぼ同位置に分布しているはずである。

 からの寄与は過去の実験で得られた二体/三体崩壊の分岐比を用いて差し引いた。の割合については分離が難しいが、割合をパラメーターとしてフィッティングを行ない各々の収量を分離した。その際バックグラウンドはモンテカルロ計算により滑らかであることが判っているのでspline多項式で近似し、崩壊-の運動量分布は熊谷らの理論計算結果を使用した。得られた収量をとの生成比として表した結果は後に述べるモデル計算と一緒に図2a)b)にまとめられている。の生成比は標的が重くなるにつれ大きくなり、12C標的ではの3倍にもなる。前述のように、生成のQ値が大きく核内クラスターでの直接反応からはそもそも出来ないの収量が増大することは、標的が重くなるにつれ統計モデルの妥当性が増すことを示している。

 一方-と同時測定した線のエネルギー分布に対しては、-の運動量での二体崩壊ピークにゲートをかけの遷移線を探した。(1+)から基底状態(0+)への遷移線(1.1MeV)の検出は非常に困難であるが、これは通常核の励起状態(,など)が近いエネルギー領域にあること、-運動量スペクトル中でのピークのsignal to noise比が小さく、-ゲートをかけただけではバックグラウンドを落し切れないことが理由である。ピークゲートに対応する線スペクトルからゲート外のイベントの線スペクトルをバックグラウンドとして差し引き、そこに認められた1.1MeV 線ピークの強度から、*(1+)の生成率を全体の生成率に対する比として求めた。

 標的核7Li,9Be,12Cに対する結果は図2c)の様に標的が重くなると増大する傾向となった。この励起状態(1+)と(基底状態(0+)+励起状態(1+))の比は、統計モデルではスピンの多重度により75%程度になるはずだが、12C標的では80%強で、近い値となっている。これは、前項のの生成比から導かれる重い標的核での統計的生成反応の寄与の増大という推論を支持する。軽い核では直接反応が優位になるという帰結だが、ただし、直接反応のみでは7Liにおける有限の励起状態(1+)の収量が説明出来ない。

 最近AMD(Anti-symmetrized Molecular Dynamics)を用いたハイパーフラグメントの生成率の理論計算が奈良によって為された。生成率の実験値のうち、12C,16O標的の場合はAMDに統計崩壊を加えた計算で再現でき、9Be標的ではクラスター直接反応過程の考慮が必要となり、7Li標的ではさらに別の何らかの過程が寄与すると考えられた。

 今回の測定された,,の生成率は、7Li標的でのの結果を除けば、AMD+統計崩壊と直接反応過程を合わせたモデル計算の傾向を再現した。モデル計算の結果は図2に星印で表示した。7Liに対しては、ここで考えた生成過程とは別に7Li内のtritonクラスターとの組み替えによる生成も可能性があり、その過程を考慮すると励起状態収量がある程度説明出来ることがわかった。

・まとめ

 軽い標的にK-中間子を静止させ、フラグメントとして生成する軽いハイパー核の生成比を求めた。7Li,9Be,12Cの標的で、,及び(1+)の生成率が得られた。

 これらハイパーフラグメントの生成機構は単一ではなく、標的核が重くなるに従って統計的生成の寄与が増え、軽い標的では核のクラスター構造を反映する直接反応の生成が増える。我々は生成機構に単純に還元できるような特徴的なハイパーフラグメントの生成比を系統的に測ることによって、これら生成機構の寄与を多角的に評価することができた。

図2a)の標的別生成比図2b)の生成比←図2c)の励起状態とトータルの生成比
審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章序章、第2章は実験装置、第3章は実験データの解析について述べており、第4章に実験結果をまとめ、第5章でそれについての議論を行っている。第6章は全体の結論を述べている。

 本研究は原子核標的に対し静止K-吸収によって生成される、ラムダハイパーフラグメント(核)の生成機構の解明を目的としたものである。これ以前の研究ではi)古くからのエマルジョン法により様々なハイパーフラグメントが生成されることii)80年代後半に行われた高工研でのカウンター実験により、の生成率は静止K-あたり数パーセントに上ること及び生成率には明らかに標的依存性がみられることが判っていた。これらの研究に触発されて生成機構に関していくつかのモデルが提唱された。たとえばハイペロン複合核モデル、あるいはそれのより進んだ形と考えられる反対称化分子動力学法(Antisymmetried Molecular Dynamics:AMD)を用いた解析や直接反応的モデルである。直接反応的モデルは核内の""クラスターにK-が吸収され、K-+""→+゜反応によってが生成されるとする考えでありこのモデルでは4体より重いフラグメントやスピンフリップ状態は生成されない。

 しかしながら、これらのモデルの優劣の判定或はより深い生成機構の理解のためにはデータが決定的に不足していた。すなわちエマルジョン法では、あらわな標的核依存性がわからないことであり、以前の高工研の実験ではの生成率のみが測定された。今回の実験では、7Li,9Be,12C標的に対して,,及びのスピンフリップ状態である第1励起準位(1+)の生成率をに対する比で求めた。これははじめての試みであり、その結果以下に述べる様に生成機構のより深い理解が得られた。

 実験は高工研陽子シンクロトロン(KEK-PS)K5ライン上に設置された超伝導トロイダルスペクトロメーターを用いておこなわれた。入射K-をスペクトロメータ中央におかれた標的中にとめ、発生する-をスペクトロメータで測定する。,,の生成量はそれぞれの中間子崩壊で放出される-のピーク収量を計測することにより求めた。又(1+)状態の生成量はの二体崩壊の-のピークにゲートをかけ遷移線(1.1MeV)をNal(Tl)で観測しその収量より決定した。スペクトロメータの分解能は3MeV/c (FWHM)@130MeV/c,立体角は7%×4 str,Nal(Tl)の空間立体角は15%×4 strであり、高分解能、高立体角により、実験が可能となった。

 得られた結果の特徴的な点は、の励起状態が基底状態と同程度かそれ以上に生成されている事と、の生成比が有意にOより大きく、9Be,12Cでは1に近いかそれ以上となっている事である。一番単純な直接反応モデルでは、この値はOとなるので、ハイパーフラグメント生成がより複雑な過程で生成される割合が大きいことが確定した。より複雑な過程を取り扱っていると考えられるAMD法と直接反応モデルの両方を考慮した理論値と実験値を比較すると7Li標的の(1+)状態の比をのぞいて(実験値が約6倍大きい)誤差の範囲でほぼ一致していることがわかった。一方標的核依存性をみると、軽い核ほど直接反応の寄与が増大していることがわかった。7Li標的の(1+)状態に関しても7Li中のtクラスター構造も考慮した直接反応の理論値は実験値との不一致を改善する傾向があると指摘されている。

 以上の様に、本研究は原子核標的に対する静止K-吸収により生成されるラムダハイパーフラグメントについて系統的データをはじめて収集し、生成機構に関して種々の理論と比較して詳細な議論を行い、その機構について新しい知見を得た。

 なお、本論文は、8名よりなる共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分大であると判断する。よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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