学位論文要旨



No 112370
著者(漢字) 松永,浩之
著者(英字) Matsunaga,Hiroyuki
著者(カナ) マツナガ,ヒロユキ
標題(和) 宇宙線反陽子流束の測定
標題(洋) A Measurement of Cosmic Ray Antiproton Flux
報告番号 112370
報告番号 甲12370
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3150号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 相原,博昭
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 助教授 佐々木,真人
 東京大学 助教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 湯田,利典
内容要旨

 宇宙線反陽子は、一次宇宙線と星間物質との衝突により二次的に生成されると考えられるが、その様な反応では1GeV以下の低エネルギー反陽子の生成は運動学的に制限される。その結果、二次生成された宇宙線反陽子のエネルギースペクトルは低エネルギー側が落ちる傾向にある。他方、ダークマター超対称粒子(ニュートラリーノ)の対消滅や原始ブラックホールの蒸発など未知の現象による反陽子生成では低エネルギー側で大きい流束が予想されるので、低エネルギーでの反陽子スペクトルの精密測定によりこれらの検証を行なうことが出来る。これら一次起源反陽子は、そのスペクトルの形から太陽活動の影響を受けやすいので、活動が極小付近で影響が少ない時期でのみ精度よく測定することが出来る。また反陽子は、これまで多く観測された軽元素とは性質が異なるため、宇宙線伝播モデルにとって重要な情報を与えてくれる。宇宙線伝播の標準的なモデルである"Standard Leaky Box model"と最近提唱された"Diffusive Reacceleration model"とでは反陽子の流束が2GeV以下で約2倍違うので、やはり精密測定により検証可能である。しかし、これまでの宇宙線反陽子流束の観測は、測定器の面積立体角が大きくないなど十分な精度で行なわれなかった。未知の現象を探る上で最も重要となる低エネルギー領域では、質量を求めて確実に反陽子を同定する方法により、初めてBESS実験で有限の流束が与えられたが、太陽活動極小期付近での実験ではまだ有限な流束は得られていない。

図1:1995年の実験に使われたBESS測定器

 我々は低エネルギーの反陽子を観測するため、超伝導ソレノイドを搭載したスペクトロメータを大気の影響をほとんど受けない高空まで打ち上げて行なう気球実験、"Balloon-borne Experiments with Superconducting solenoidal magnet Spectrometer(BESS)"を1993年から1995年にかけて三度行った。BESS測定器(図1)は、薄肉超伝導ソレノイドの内外に磁気硬度(magnetic rigidity)測定用ドリフトチェンバー(JET Chamber)、トリガー用ドリフトチェンバー(Inner/Outer Drift Chamber)、粒子速度(TOF)・エネルギー損失(dE/dx)測定用シンチレーションカウンタ(TOF Counter)を円筒状に配置した、大立体角・高精度のスペクトロメータである。超伝導ソレノイドはその内部にほぼ均一な1teslaの磁場を生成し、ドリフトチェンバーによる位置測定から磁気硬度を最大200GVまで測定可能である。1995年には、新しいシンチレーションカウンタを導入し、最小電離粒子に対して時間分解能110psecを得たことが確認された。この結果、粒子の質量を約2GVまでの磁気硬度で同定することができる。

 トリガーは、宇宙線中の大部分を占める陽子、ヘリウムを取り除き、観測対象である反陽子などの負電荷粒子の事象をより効率的に記録するように設計された。シンチレーション・カウンターの信号によって第一段のトリガー(T0トリガー)が作られた後、トリガー用ドリフト・チェンバーが粒子の電荷の正負を判別して、負電荷の粒子を多くとるようバイアスをかけてデータ収集システムを起動し、各測定器のデータを磁気テープに記録する。このトリガーの効率の測定や陽子の観測も行なうため、T0トリガーのうち一定の割合を無条件にデータ収集した。

 実験は地磁気による影響が少ない、北磁極に近いカナダで行なわれた。測定器は、浮遊高度36km、残留大気5g/cm2の高空を20時間近く飛翔した。1993年の実験では実効観測時間(測定器の不感時間を除いた観測時間)8.5時間の間に3.6×106事象、1994年の実験では実効観測時間7.3時間で4.8×106事象、さらに1995年の実験では実効観測時間7.6時間の間に4.6×106事象を記録した。この論文では、測定器が改良され、さらに太陽活動が最も極小に近い1995年のデータを用いて解析を行なった。

図2:(a)-測定器上部のシンチレーションカウンタにおけるエネルギー損失(dE/dx)と磁気硬度(Rigidity)の分布。(b)-速度(≡v/c)の逆数と磁気硬度(Rigidity)の分布。電荷z=1の粒子とz=2の粒子が明白に分かれるほか、低磁気硬度では質量の違いによる粒子識別が可能。 電荷当りの質量(M/z)の異なる粒子が明白に認識できる。

 観測した粒子の識別は、粒子の磁気硬度のほか、速度およびシンチレーションカウンタとドリフトチェンバーでのエネルギー損失(dE/dx)に基づいて質量および電荷を決定することにより行なわれる。データ解析ではまず、入射粒子が物質との相互作用した場合などに起こり得る粒子の誤認を防ぐため、いくつかの条件を課して事象を選別した。条件を通過した事象について、粒子のシンチレーションカウンタにおけるエネルギー損失、粒子の速度と磁気硬度の分布は図2のようになる。

 粒子識別をするためには、エネルギー損失dE/dxの大きさから粒子の電荷zを決定し、これと速度、および磁気硬度Rigidityを用いて質量を計算する。さらに、低エネルギーの反陽子を-/-/e-から分離する際には、dE/dxの値が低エネルギーで異なる事実を用いてバックグラウンドを大幅に減らすことができる。この結果、1995年のデータを用いて、図3(a)に示されるように、43事象の反陽子候補を得た。これらの事象を入念に検討し、宇宙線反陽子であることを確認して流束を求めた。

 大気中、測定器中における物質との相互作用の効果、トリガーと事象選別による検出効率を補正すると、大気の上での反陽子流束は

 

 となる。誤差のうち、第一項は統計誤差、第二項は系統誤差を表している。図4にこの実験結果と、これまでの実験結果、反陽子生成モデルを示す。

図3:シンチレーションカウンタとドリフトチェンバーにおけるエネルギー損失が陽子(反陽子)のものに相当する事象の、速度の逆数と磁気硬度の分布。丸印は43事象の反陽子を示している。図4:この実験で求めた反陽子流束。他の実験データ、および宇宙線伝播モデル(SLB model およびDR model)、超対称粒子(Neutralino)の対消滅、原始ブラックホール(PBH)の蒸発について太陽活動も考慮して計算されたスペクトルも併せて示す。

 この実験により、われわれは1.4GeV以下で、宇宙線反陽子のエネルギースペクトルの測定に成功した。この測定結果は、宇宙線伝播モデルに比べスペルトルの形が平らであるが、誤差が大きく標準的なモデルであるStandard Leaky Box(SLB)modelを否定するには至らない。しかし、Diffusive Reacceleration(DR)modelのみを仮定すると、測定結果は外れていると言える。

 一方、超対称粒子の対消滅や原始ブラックホールの蒸発などの一次起源反陽子について存在を仮定すると、誤差が大きいながらもそのエネルギースペクトルの形が一致している。超対称粒子ダークマターに関しては不確定なことが多く測定結果から何ら制限を課すことは出来ないが、原始ブラックホールの蒸発に関しては、宇宙線伝播モデルにDR modelを仮定すると、局所的なブラックホールの蒸発率Rの最確値として

 

 を得、さらに上限としてR<1.1×10-2pc-3yr-1(90%C.L.)を得る。

審査要旨

 本論文は、超伝導ソレノイドと高性能ドリフトチェンバーによるスペクトロメーターを搭載した気球を使った観測実験、"Balloon-borne Experiments with Superconducting solenoidal magnet Spectrometer(BESS)"、によって得られた宇宙起源の反陽子のスペクトルについて記述している。この実験は、素粒子実験によって発展してきた高度の測定器技術を宇宙線観測に応用し、これまでの気球実験とくらべて、systematic errorが格段に少なく、かつ高い統計のデータの収集を目指したものである。本論文の第2章は、この実験装置についての詳細を記述し、第4章以降は、実験の解析、特に反陽子の選定とそのエネルギー分布の導出の詳細を記述している。実験は地磁気による影響が少ない、北極に近いカナダで行なわれた。1995年の実験において、測定器は、浮遊高度36km、残留大気5g/cm2の高空を20時間近く飛翔し、4.6×106事象を記録、解析の結果43個の反陽子を検出した。

 この43個という統計は、これまでの他の実験を大きく上回る高い数値である。さらに、測定器中でのエネルギー損失と、速度および磁気硬度による質量の同定から、これらの反陽子に含まれるバックグランドが、極めて少ないことを示している。また、本論文は、これらの反陽子の流速を決定し、宇宙線物理学上非常に重要な結果を提供した。

 論文提出者は、このように極めて質の高いデータの抽出に大きな寄与をしており、博士の学位に十分に値する学識を有することを証明した。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54555