学位論文要旨



No 112380
著者(漢字) 稲垣,祐一郎
著者(英字)
著者(カナ) イナガキ,ユウイチロウ
標題(和) 宇宙における構造形成の流体力学的シミュレーション
標題(洋) Hydrodynamical Simulations of Structure Formation in the Universe
報告番号 112380
報告番号 甲12380
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3160号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 川崎,雅裕
 東京大学 教授 岡村,定矩
 東京大学 教授 吉澤,徴
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 教授 長瀬,文昭
内容要旨

 宇宙のなかの銀河などの構造がどのように形成されるかを決定するもののうち、最も重要なのは宇宙論的パラメーターと呼ばれるハッブル定数、密度定数、宇宙項である。従ってこれらのパラメーターの値を観測的に求めることは宇宙の歴史を理解する上で第一義的なことである。しかし、観測で得られる情報とパラメーターとの関係はしばしば高度に非線形である。従って数値計算によって宇宙論的パラメーターの違いによって構造形成がどのように変わるかを調べることが必要になる。ここでは、宇宙の中の主な構造である銀河と銀河団について流体力学的シミュレーションを行い、宇宙論的パラメーターとの関係を調べた。

 ハッブル定数H0を、銀河団に対するSunyaev-Zel’dovich効果(以下、SZ効果)とX線観測を組み合わせることで推定した結果がいくつか報告されているが、それらはいずれも小さめの値(H0=20〜60km/s/Mpc)を示唆している。これらは、他の光学的な経験式を用いた方法による結果(H0=80km/s/Mpc)と比べると系統的に小さな値となっている。この推定は、銀河団ガスをモデルと呼ばれる等温かつ球対称密度分布で近似して得られるものである。しかし、現実の銀河団ガスは非球対称性や局所的非一様性を持つとともに、温度分布も等温であるわけではない。そこで、観測から推定されるハッブル定数の値の信頼性を調べるために、より現実的であると思われる数値シミュレーションから得られた銀河団ガスを解析した。実際の観測と同じ解析を行なうことにより、SZ効果を用いたH0の推定が、果たしてどの程度真の値H0,trutを再現できるのかを統計的に考察した。その結果、系統的バイアスの原因として最大のものは温度分布であり、統計的誤差の原因として最大のものは非球対称性であることがわかった。今回得られた結果では、温度分布が等温からかなりずれている場合には、それに伴うバイアスが非球対称性による統計的散らばりよりも卓越している。一方、等温に近い分布の場合には、主として非球対称性による効果がハッブル定数の推定の信頼性を決定する。後者は、銀河団のサンプルを増やすことで、統計精度をあげることが可能であるが、前者については直接X線観測からガスの温度分布を決定することで解決することが重要である。

 次に、銀河形成と、銀河形成時の初期条件や環境となる宇宙に一様に分布しているガスとの関係を宇宙論的パラメーターとの関わりにおいて調べた。最近のHSTやKeck望遠鏡による観測により、z=3.3のQuasarスペクトルの中にHe IIのLyによる吸収があることが分かった。これは、Heのイオン化がHe IIIまで進まないように、He IIのイオン化エネルギーの所でUV背景輻射(UVB)のスペクトルがsteepに落ちていなければいけないことを意味する。UVBのスペクトルがpower lawであるとすると()、>3という結果が得られている。このようなsteepなスペクトルは、Quasarを起源とする今までのUV背景輻射のモデルでは考えにくい。そこでここでは、collapseしつつあるobjectから重力エネルギーを解放する過程で出るHe IIのline coolingの輻射と制動輻射とをUVBの起源として考察することにした。He IIのline coolingの輻射は今までUVBの起源としては考えられていなかったものである。このline coolingを考える利点は、そのlineのエネルギーではHe IIをイオン化できないため、UVBのスペクトルがeffectiveにsteepになることである。ここではこれらの輻射のUVBへの寄与がQuasarの寄与と比べてどの程度であるか、また、そのスペクトルが観測から要求されている程度にsteepになるかを調べた。宇宙モデルとしては、0=1,h=0.05,H0=50km/s/Mpcの標準CDMモデルを用いた。天体は一旦virializeすると仮定した。virial温度と天体の質量からその天体の輻射冷却による冷却のタイムスケールを計算し、それがCompton冷却による冷却のタイムスケールと現在の宇宙年齢のどちらよりも短い天体のみ重力エネルギーを放出するとした。重力エネルギーを放出すると判定された天体は冷却によりエネルギーを失い半径がvirial半径のfr倍になるまで縮むと仮定した。その際ガス温度はvirial温度で一定とし、その温度におけるtotalの冷却率と、He line cooling・制動輻射によるそれぞれの冷却率との比から、輻射のスペクトルと量を計算した。Quasarからの輻射は、Peiによるluminosity functionを用いて計算した。Quasarのスペクトルはpower law()であるとし、Q=1.5、Q=1.5の場合について調べた。その結果、Quasarのみの場合、天体が十分収縮すれば、z<5でcollapseしつつある天体からのradiationがdominantになり、宇宙の再イオン化をし得ることが分かる。これは"proximity effect"を使ったUVBの量の推定とも一致している。また、得られたスペクトルは、HIとのHeIIのionization thresholdのエネルギーの所で比較した場合、かなりsteepになることが分かった。このことを定量的に調べるため、求まったスペクトルをもつUVBの下に銀河間ガスが光電離平衡になっていると仮定する(この仮定は十分なりたつ)。その時のHとHeの電離度の比をpower lawスペクトルを持ったUVBで実現するには、次に定義するpower law index effをUVBは持っていなければならない:

 

 ここでHHeはそれぞれHIとHe IIの光電離の断面積である。このeffを求まったz=3.3のスペクトルで計算した結果、Q=1.5の時eff=2.5、Q=2.0の時eff=3.0となり、Q=2.0であれば観測を説明できることが分かった。以上により、collapseしつつあるobjectからでる輻射は、冷却によるdissipationが十分起こりobjectの半径が10分の1程度になれば、Quasarと同程度以上にUVBに寄与し、スペクトルは観測から要求されている程度にsteepになることが分かった。

審査要旨

 本論文は5章からなり、第1章は序章として、観測的宇宙論において、宇宙の構造がどのように形成されるかを決定するパラメターとしてハッブル定数、密度定数、宇宙項が重要であること、それらを観測で決める際、非線形効果が問題になり、それを正しく評価するためには流体力学的なシミュレーションが必要になることが述べられている。

 第2章では本論分で行う数値シミュレーションの解説が述べられている。シュミレーションはSmoothed Particle Hydrodynamics(SPH)と呼ばれる計算方法と輻射輸送を取り入れた流体計算の2通りで行い、それぞれについて具体的な計算コードの作り方の解説がなされている。

 第3章からが論文提出者のオリジナルな研究に基づいた結果が述べられている。まず3章では、銀河団に対するSunyaev-Zeldovich効果とX線観測を組み合わせて推定したハッブル定数が他の光学的な経験式を用いた方法に比べると系統的に小さな値になっていることに注目し、銀河団の観測から推定されるハッブル定数の信頼性を調べるために数値シミュレーションを行った。その結果、系統的にハッブル定数の値が小さくなる原因として最大のものは温度分布と銀河団自身の速度分散であることが明らかになった。特に、Sunyaev-Zeldovich効果を使ったハッブル定数の値と他の方法で求めたハッブル定数の値との違いを説明するためには大きな速度分散が必要で、それは密度定数が大きな(すなわち密度の高い)宇宙で期待されるもので、つまり、ハッブル定数の観測の立場からみると、大きな密度定数が好ましいという結論が得られる。

 第4章では銀河形成と銀河形成時に一様に分布しているガスとの関係が宇宙論的パラメターとの関わりにおいて調べられている。特に、最近QSOのスペクトルに発見されたヘリウムIIの吸収線に着目し、銀河間にヘリウムIIが存在するためにはヘリウムIIの電離エネルギーに相当する波長でUV景輻射が小さくなってなければならないことから、銀河を作りつつあるobjectからのUV射を考えた。UV射に寄与するものとしてヘリウムIIのライン冷却の際に放出されるUVが重要で、これは水素は電離できるがヘリウムIIは電離できないという好ましい特徴を持っている。このように銀河からのUV放射は従来UV源として考えられていたQSOにはない特徴を持ち、より観測に合うことが示された。また、銀河からのUV放射が大きな寄与をするためには大きな密度定数を持った宇宙であることが必要なことも明らかにされた。

 第5章はそれ以前の章の結論がまとめられ、本論分で調べられた2つの場合(銀河団観測によるハッブル定数の決定、銀河からのUV射)ともに、宇宙の密度パラメターが大きいことを示唆しているという結論、今後の課題が議論されている。

 以上、本論文は、観測的宇宙論のもっとも重要な問題である宇宙論的パラメターの決定の問題に関して、流体力学的シミュレーションを用いて、新しい成果をあげたものであり、博士論文として評価できるものである。なお、本論文第3章は杉原立史氏、須藤靖氏との共同研究、第4章は佐々木伸氏との共同研究に基づくものであるが、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、この論文で示された幾つかの具体例を通じて論文提出者の研究に関する資質は十分であるものと判断し、(博士)理学の学位を受けるに値するものと考える。

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