学位論文要旨



No 112381
著者(漢字) 宇治野,秀晃
著者(英字) Ujino,Hideaki
著者(カナ) ウジノ,ヒデアキ
標題(和) 量子カロゲロ模型の代数的な研究
標題(洋) Algebraic Study on the Quantum Calogero Model
報告番号 112381
報告番号 甲12381
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3161号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 高橋,實
 東京大学 教授 長澤,信方
 東京大学 教授 藤川,和男
 東京大学 助教授 加藤,晃史
内容要旨

 厳密な取り扱いが一般には難しい物理学に現れる様々な模型の中で、それが可能な模型は特別な存在である。例えば、量子力学に対する信用を確固たるものにする上で決定的な役割を果たした水素原子の問題は、変数分離法によって固有値問題を厳密に解くことができる量子系の典型例である。この系は、ハミルトニアンに加えて全角運動量と角運動量の一成分の都合3つ、すなわち自由度と同数の、互いに可換で同時対角化可能な保存演算子を持つ。これらの保存演算子の同時対角化基底が、水素原子の直交基底を与えるわけである。水素原子の様に、自由度と同数の互いに交換する独立な保存演算子を持つ量子系を一般に量子可積分系と呼ぶ。量子可積分系に関する問題として、互いに可換な保存演算子の構成による量子可積分性の証明、背後の対称性の解明、固有値問題の厳密解、特に全ての保存量の同時固有関数の構成などが、重要な課題である。この学位論文では、逆二乗型長距離相互作用を持つ一次元量子系の代表的な模型の一つである量子カロゲロ模型について、量子可積分系としての観点から研究した成果を発表する。

 第1章では、量子可積分系に注目するきっかけとなった古典力学における完全可積分系の理論を概観し、量子化に付随して生ずる困難について述べつつ、この学位論文の問題意識を明確にする。自由度と同数の互いにポアソン括弧について交換する独立な保存量を持つ古典系を完全可積分系と呼び、その初期値問題を原理的に厳密に解くことが可能であることをリウヴィルの定理が保証する。量子可積分系の定義は、完全可積分系の定義の対応原理による読み替えなのである。量子可積分系であることは、その固有値問題について保存演算子を全て対角化することで原理的に量子数を全て求められることを意味する。さて、実際に保存量を構成し厳密に初期値問題を解くことは、完全可積分系とは言えども決して自明ではない。しかし幸い様々な完全可積分系について、これらの問題を取り扱う有力な手法である、ラックス形式や逆散乱法といった定式化が開発されてきた。古典カロゲロ模型についてもラックス形式を用いた、互いにポアソン括弧について可換な保存量の構成法と初期値問題の解法が知られている。しかしながら、一般に古典系に対して有効なラックス形式も、量子化後は正準共役な変数の間の非可換性が障害となって、保存演算子の構成ができなくなってしまうことが知られている。量子カロゲロ模型について、この困難に対する解答を与え、保存量の構成や背後にある対称性の解明、固有値問題の厳密解、特に全ての保存量の同時固有関数を明らかにするのが、この学位論文の目的、内容である。

 第2章では、古典系におけるラックス形式に相当する新しい定式化を量子カロゲロ模型に対して提出し、その量子可積分性と対称性について明らかにする。古典系におけるラックス方程式を対応原理を用いて素直に量子化し、更に非可換な積を対称化したものが、結合定数に量子補正を含まないカロゲロ模型のハミルトニアンに関して演算子間の等式となることは、カロゲロやオルシャネツキーらによって指摘されており、これが量子カロゲロ模型の互いに可換な保存演算子が古典系の保存量を対応原理で読み替えたものと一致するであろうという量子可積分性に関する従来の予想の根拠となっていた。一方、非可換な積を対称化せずに古典系のラックス方程式を素直に対応原理で量子化したものは、結合定数に量子補正を含む正しい量子カロゲロ模型のハミルトニアンに関する等式を与える。しかしこの量子ラックス方程式を用いて保存量を実際に構成する方法は知られておらず、まして保存量同士の可換性については全く検討されなかった。ここで注目すべき性質は、量子カロゲロ模型のラックス方程式のM行列が、片方の足について和を取るとゼロになるという性質である。この性質を用いて、古典系においてラックス形式からの保存量の構成法を与えたトレースの代りに、行列の全成分を足し合わせることで、量子カロゲロ模型の保存量を構成できることを示した。さらに、量子カロゲロ模型のラックス行列から構成され、保存量を含むより一般の複雑な演算子の族に対し、帰納的に一般化されたラックス方程式を構成し、量子カロゲロ模型の保存量の背後にW対称性のあることを示した。量子可積分系であることを示すには、互いに交換する独立な保存演算子を自由度と同数だけ構成する必要がある。そのような保存演算子の量子ラックス形式を用いた構成法を与えた。ポリクロナコスによって導入されたドゥンクル演算子を用いた定式化も量子カロゲロ模型の可積分性を考察する上で有用な方法である。量子ラックス形式とドゥンクル演算子の理論の関係を考察し、相互の対応関係を明らかにした。

 量子カロゲロ模型のエネルギー固有値問題は、カロゲロによって既に解かれている。カロゲロの用いた方法は変数分離によってエネルギー固有値に効く常微分方程式を導き、これを解くというものであった。一方ペレロモフは、カロゲロ模型のエネルギー固有値がN個の調和振動子のエネルギー固有値と酷似していることに注目し、生成演算子に似た演算子をカロゲロ模型のハミルトニアンに対して構成できると予想した。N体カロゲロ模型において代数的に全ての固有関数を構成するには、縮退度の議論から独立なN個の生成演算子を構成しなければならないことがわかる。ペレロモフはその中の簡単な3個しか構成することができなかった。第3章の第一目的は、このペレロモフの予想に対する完全な答えを与えることである。第2章で導入した量子ラックス形式を利用することで、ペレロモフが構成しようとした生成演算子をN個すべて構成する事ができ、なおかつそれらの生成演算子が互いに可換であることを示すことができた。このN個の生成演算子を実ラフリン波動関数である基底状態に作用することで、すべての励起状態を構成することができた。第3章の第二の目的は、第2章で構成した量子カロゲロ模型の同時対角化可能な保存演算子の同時固有関数を実際にいくつか構成することで、その特徴を掴むことである。まず、第2章で求めた一般化されたラックス方程式を用いることで、第3章で構成したエネルギー固有関数上での第2保存量の行列表示を得る。この行列を対角化しその固有ベクトルを求めることで、第1、第2保存量の同時固有関数を得ることができる。この手順で、第2保存量の固有値の予想と、同時固有関数のうち最初の7個の表式を得た。この7個の同時固有関数については、第1、第2保存量の固有値だけで縮退が完全に解けている。これはこれらの7個の関数が全ての保存量の同時固有関数となっていて、しかも互いに直交することを意味する。さらに、対称化された単項式による展開形が、ジャック多項式と同様の三角性を示すことが分かった。この結果は、量子カロゲロ模型の保存量の同時固有関数とジャック多項式の間の何らかの関係の存在を強く示唆しており、第4章で導入する裏ジャック多項式の定義の重要なヒントとなった。

 以上のような第3章の結果に基づき、第4章では、裏ジャック多項式を定義し、これが実際にカロゲロ模型の全ての保存量の同時固有関数となることを証明する。まず、量子ラックス形式及びドゥンクル演算子でカロゲロ模型と、ジャック多項式を固有関数に持つサザランド模型の代数的な構造が全く同じであることを示した。カロゲロ模型を記述するラックス形式及びドゥンクル演算子が、サザランド模型を記述するラックス形式及びドゥンクル演算子それぞれの1パラメータ変形となっていることも示し、求めるべき同時固有関数が、ジャック多項式の1パラメータ変形となることを示した。次に、第3章の結果と、カロゲロ模型とサザランド模型の対応をヒントに、裏ジャック多項式を定義した。裏ジャック多項式は、カロゲロ模型の第1、第2保存量の同時固有関数となる非斉次対称多項式で、対称化された単項式による展開形が三角性を持つ、適当に規格化されたものとして一意的に定義できることを示した。さらに、ラポアンテとビネの方法に倣い、裏ジャック多項式のロドリーグ公式をドゥンクル演算子を用いて導入し、これを用いて裏ジャック多項式の展開係数の整数性、すべての保存量を同時対角化する同時固有関数であること、およびカロゲロ模型の基底状態のノルムの2乗を重み関数に取った内積に関する直交対称多項式であることを証明し、裏ジャック多項式が、エルミート多項式の多変数拡張の一つとなることを示した。こうして裏ジャック多項式は、ラッセルやマクドナルドによって、結合パラメータの特殊値の場合として既に知られていた直交対称多項式の変形という形で既に導入されていた多変数拡張版エルミート多項式であることが判明したのだが、カロゲロ模型の保存量の同時固有関数という観点から定義し、実際にドゥンクル演算子を用いた代数的な構成法を与えたのはこの論文が初めてのことである。

 以上のように、量子カロゲロ模型について量子可積分系の観点から研究を進めた。その主な成果を列挙すると、古典ラックス形式の量子化の困難を克服する量子ラックス形式の導入、量子カロゲロ模型の同時対角化可能な保存量の構成法と量子可積分性の証明、背後にあるW対称性の導出、エネルギー固有関数の代数的な構成法の完成、全ての保存量の同時固有関数である裏ジャック多項式の導入とその代数的な構成法、及び直交性はじめとするいくつかの性質の解明、となる。これらがこの学位論文の成果である。

審査要旨

 近年、物性理論において、厳密に解ける1次元系への興味が高まっている。これは、様々な背景から興ってきたが、(1)ベーテ仮説解に発する、多体系の厳密解、という数学的な興味、(2)高温超伝導体や分数量子ホール系など、1980年代に勃発した多体系に対する模型と関連する可能性、などの観点を含んでいる。

 本学位論文は、第一の数学的観点から出発するものである。一般に、自由度と同数の互いに交換する独立な保存演算子を持つ量子系を量子可積分系と呼ぶ。本論文は、このような可解模型の例の一つとして、量子Calogero模型(逆二乗型長距離相互作用を持つ一次元量子系)を取り上げ、互いに可換な保存演算子の構成による量子可積分性の証明、背後にある対称性の解明、全ての保存量の同時固有関数の構成を行ったものである。Calogero模型では、逆自乗相互作用のために或る種のスケール不変性が初めから存在し、漸近的ベーテ仮説解という厳密解も得られている模型である。

 第1章では、古典力学における完全可積分系の理論を概観した。即ち、自由度と同数の互いにポアソン括弧について交換する独立な保存量を持つ古典系を完全可積分系と呼び、原理的に厳密に解くことが可能であることをリウヴィルの定理が保証する。古典Calogero模型のような古典完全可積分系に対しては、ラックス形式を用いた、互いにポアソン括弧について可換な保存量の構成法が知られている。一方、量子力学に移ると、量子可積分系であるとは、その固有値問題について保存演算子を全て対角化することで原理的に量子数を全て求められることを意味する。しかし、量子化後は正準共役な変数の間の非可換性が障害となって、ラックス形式では保存演算子の構成ができなくなることが知られている。

 第2章では、量子ラックス形式を量子Calogero模型に対して提出し、その量子可積分性と対称性について明らかにした。従来、古典系のラックス方程式を素直に対応原理で量子化したものは、結合定数に量子補正を含む正しい量子Calogero模型のハミルトニアンに関する等式を与えることは知られていたが、この量子ラックス方程式を用いて保存量を実際に構成する方法は知られていなかった。ここで、量子Calogero模型のラックス方程式のM行列が、片方の足について和を取るとゼロになるという性質に注目すると、行列の全成分を足し合わせることで量子Calogero模型の保存量を構成できることが本論文で示された。さらに、量子Calogero模型にはW対称性(Virasolo代数の拡張)があることは川上、倉本などにより示されていたが、これが保存量演算子の間の帰納的な構成によっても示された。量子可積分であることを示すには、互いに交換する独立な保存演算子を自由度と同数だけ構成しても良く、これはポリクロナコスによってドゥンクル演算子を導入することにより示された。これと上記の方法との対応関係も明らかにした。

 第3章では量子Calogero模型の固有値と固有関数を考察する。エネルギー固有値は、Calogeroによって既に解かれている。一方ペレロモフは、エネルギー固有値がN個の調和振動子系のものと酷似していることに注目し、生成演算子に似た演算子をCalogero模型のハミルトニアンに対して構成できると予想した。N体Calogero模型においては、縮退度から独立なN個の生成演算子を構成しなければならないことがわかるが、ペレロモフはその中の3個を構成してみせた。この章では、第2章で導入した量子ラックス形式を利用することで、生成演算子をN個すべて構成した。このN個の生成演算子を実ラフリン波動関数である基底状態に作用することで、励起状態も構成される。第3章の第二の目的は、第2章で構成した量子Calogero模型の同時対角化可能な保存演算子の同時固有関数を実際にいくつか構成することである。まず、一般化されたラックス方程式を用いることで、第3章で構成したエネルギー固有関数上での第2保存量の行列表示を得る。この行列を対角化しその固有ベクトルを求めることで、第1、第2保存量の同時固有関数を得ることができる。この手順で、第2保存量の固有値の予想と、同時固有関数のうち最初の7個の表式を得た。さらに、対称化された単項式による展開形が、ジャック多項式と同様の三角性を示すことが分かった。この結果は、量子Calogero模型の保存量の同時固有関数とジャック多項式の間の関連を示唆する。

 第4章では、裏ジャック多項式を定義し、これが実際にCalogero模型の全ての保存量の同時固有関数となることを証明した。このヒントとなったのは、量子ラックス形式及びドゥンクル演算子形式において、Calogero模型と、ジャック多項式を固有関数に持つサザランド模型の代数的な構造が全く同じであることである。これからCalogero模型が、サザランド模型の1パラメータ変形となっていることを示し、求めるべき同時固有関数が、ジャック多項式の1パラメータ変形となることを示した。これから、Calogero模型の第1、第2保存量の同時固有関数となる裏ジャック多項式を定義した。これは非斉次対称多項式で、対称化された単項式による展開形が三角性を持つことを要請すると一意的に定義できる。さらに、ラポアンテとビネの方法に倣い、裏ジャック多項式のロドリーグ公式をドゥンクル演算子を用いて導入し、これを用いて裏ジャック多項式の展開係数の整数性、すべての保存量を同時対角化する同時固有関数であること、および直交対称多項式であることを証明し、裏ジャック多項式がエルミート多項式の多変数拡張の一つとなることを示した。このように裏ジャック多項式は、ラッセルやマクドナルドによって、結合パラメータの特殊値の場合として知られていた直交対称多項式の変形という形で既に導入されていた多変数拡張版エルミート多項式であるといえるが、Calogero模型の保存量の同時固有関数という観点から定義し、実際にドゥンクル演算子を用いた代数的な構成法を与えたのはこの論文が初めてである。

 以上のように、量子可積分系の一例としての量子Calogero模型について、量子ラックス形式の導入、量子Calogero模型の同時対角化可能な保存量の構成法と量子可積分性の証明、エネルギー固有関数の代数的な構成法、全ての保存量の同時固有関数である裏ジャック多項式の代数的な構成などがこの学位論文の独創性である。本学位申請者により出版されている論文は和達三樹教授との共著論文であるが、申請者の寄与が大きいと判断される。よって、審査員一同、博士の学位にふさわしい論文と判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54556