学位論文要旨



No 112382
著者(漢字) 岡崎,彰
著者(英字)
著者(カナ) オカザキ,アキラ
標題(和) ジスルフィド結合を還元した-ラクトアルブミンをモデル標的タンパク質として用いたシャペロニンGroELの研究
標題(洋) Study of the chaperonin GroEL using disulfide-reduced -lactalbumin as a model target protein
報告番号 112382
報告番号 甲12382
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3162号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀田,凱樹
 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 永山,國昭
 東京大学 助教授 陶山,明
内容要旨 序論及び結果

 タンパク質は、種々のアミノ酸がペプチド結合を介して順次つながって出来る、ポリペプチド鎖である。個々のタンパク質はそのタンパク質に特有の構造を形成する。タンパク質が機能を発揮するためには、まずそのタンパク質固有の構造、すなわち天然構造、を形成しなければならない。従って、タンパク質が生体の主要な構成成分であることを考えれば、タンパク質の天然構造の形成はすべての生物にとって非常に重要なプロセスであるといえる。ここ10年くらいの間に、細胞内では分子シャペロンと呼ばれる一連のタンパク質が多くのタンパク質の天然構造の形成を助けていることがわかってきた。細菌から脊椎動物にいたるまで、この分子シャペロンは広く存在し、重要な役割を果たしている。いままでで最もよく研究されている分子シャペロンは、大腸菌のシャペロニンGroELである。GroELは分子量57000のプロトマーが14個集まって出来る巨大なタンパク質である。それぞれのプロトマーには、ATPを結合する部位が一つある。GroELはGroESと呼ばれる、分子量10000のプロトマー7個から成るタンパク質と結合する。GroELは、GroESと協力しATPの加水分解のエネルギーを用いて、タンパク質の天然構造の形成を助けていることが、多くの細胞内のまたは試験管内の実験によってわかっている。GroELは非天然構造のタンパク質を認識して結合し、複合体を形成する。この複合体の形成はGroELがその機能を発揮する際の最初の重要なプロセスである。従って、GroELの働きを知るうえで、どのようなタンパク質の構造の特徴をGroELは認識して結合するのかを知ることが肝要である。この点については、いくつかの説がある。例えば、タンパク質とGroELの結合には、タンパク質の表面に露出した疎水的な領域が重要な役割を担っているという説がある。また、タンパク質のヘリックスがGroELに結合するという説もある。また、GroELによって認識されるタンパク質の構造はモルテン・グロビュール構造であるという人もいる。しかし、GroELがどのようなタンパク質の構造の特徴を認識し結合するのかについては多くの研究があるにもかかわらず、まだ不明の点が多い。

 そこで、私達は牛の-ラクトアルブミンを用いて、GroELがどのようなタンパク質の構造の特徴を認識し結合するのかを調べて行くことにした。-ラクトアルブミンはカルシウム・イオンを一個結合しているタンパク質で、4つのジスルフィド結合を持ち、123個のアミノ酸から成り、分子量は14200である。カルシウム・イオンを取り除いた-ラクトアルブミン(アポ--ラクトアルブミン)は、イオン強度が低いとき、中性pHでモルテン・グロビュール構造と呼ばれる構造になる。このモルテン・グロビュール構造のアポ--ラクトアルブミンとGroELの相互作用は弱く、分子ふるいクロマトグラフィーではこれらのタンパク質の複合体は分離することができないことは、既にわかっていた。そこで、私達は、-ラクトアルブミンの中にある4つのジスルフィド結合をすべて還元し切断した還元--ラクトアルブミン(RLA)ならばGroELと複合体を形成するのではないかと考え、同じく分子ふるいクロマトグラフィーを用いて実験をしてみた。その結果、RLAは50mMのKClがあるとGroELに強く結合し、RLAとGroELの複合体を分子ふるいクロマトグラフィーで分離できることがわかった。ところが50mMのKClがないとRLAとGroELの相互作用は弱く、分子ふるいクロマトグラフィーではRLAとGroELの複合体は分離できなかった。私達は、KClのかわりにNaClがあるときのRLAとGroELの相互作用も調べてみたが、NaClがある場合でもRLAとGroELの複合体は分子ふるいクロマトグラフィーで分離することができた。これらの実験結果から、溶液中の塩の濃度が高くなったためにRLAとGroELの間の相互作用になんらかの変化が起こり、その結果、RLAとGroELが強く結合するようになったのだと推し量ることができる。私達は念のため50mMのKClがあるときの、モルテン・グロビュール構造のアポ--ラクトアルブミンとGroELとの相互作用を調べてみたが、50mMのKClがある場合でもやはりこれらのタンパク質の間の相互作用は弱く、これらのタンパク質の複合体は分子ふるいクロマトグラフィーでは分離することはできなかった。50mMのKClがあるときのGroELとRLAの結合定数は、約107M-1であり、この結合定数の値は、別の実験で求めることのできたGroELと-ラクトアルブミンのモルテン・グロビュール構造との結合定数より、約100倍くらい大きいことがわかった。それ故に、RLAとGroELの複合体は分子ふるいクロマトグラフィーで分離できるのに、モルテン・グロビュール構造のアポ--ラクトアルブミンとGroELの複合体は分離できなかったのである。

 RLAが50mMのKClがある時にGroELに強く結合することがわかったので、私達は次に、RLAを用いて、GroELによって認識されるタンパク質の構造の特徴をさらに詳しく調べていくことにした。4つのジスルフィド結合が切断されているために、RLAは、-ラクトアルブミンの天然構造やモルテン・グロビュール構造よりも、より崩れた構造をとっている。私達は、RLAの構造はどのくらい崩れているのかを見積もるために、RLAのCDスペクトルをChen等の方法を用いて解析した。その結果、RLAの中に残っている二次構造の量は、ヘリックスが24%、シートが14%であった。一方、天然構造の-ラクトアルブミンは、ヘリックスを37%、シートを11%含んでいるという結果が出た。このようにRLAは、天然構造に比べて構造が崩れているといえども、まだかなりの量の二次構造を持っている。そこで、RLAの二次構造が、RLAとGroELの結合にどのようにかかわっているのかを調べるために、水素交換実験を行った。私達の行なった水素交換の実験では、まずRLAの主鎖のペプチド結合部分にあるアミド・プロトンを、すべて、トリチウムに置き換える。そして、RLAの中のトリチウムが溶媒の水分子の中にあるプロトンと入れ換わっていく様子を見る。この実験の結果、RLAのアミド・プロトンの水素交換の挙動は、RLAがGroELに結合していようといまいと、同じであることがわかった。アミド・プロトンはタンパク質の二次構造の中で水素結合を形成しているので、アミド・プロトンが溶媒の水分子中のプロトンと入れ換わる速さは、二次構造の中でどのくらい強い水素結合が形成されているか、つまり二次構造の安定性、に非常に敏感に影響を受ける。それ故に、もしRLAの中の二次構造がGroELと相互作用するならば、その相互作用によりRLAの二次構造の安定性が変り、RLAのアミド・プロトンの水素交換の速さはRLAがGroELに結合している時と結合していない時では大きく違うはずである。ところが実験の結果は、RLAのアミド・プロトンの水素交換の挙動はRLAがGroELに結合していようといまいと同じである、ということであった。従って、私達の水素交換の実験の結果は、RLAの中にある二次構造は、RLAとGroELとの結合にかかわってはいないことを示している。

 私達は次に、GroELとRLAが結合する際の熱の出入りを、等温滴定型熱量計で調べてみた。その結果、RLAとGroELの結合は、低温において、吸熱反応であることがわかった。この結果は、RLAとGroELの結合の際のエントロピーの増加が、これらのタンパク質の結合を促していることを意味し、疎水性相互作用がRLAとGroELの結合にとって重要であることを示している。

議論

 GroELによって認識されるタンパク質の構造はモルテン・グロビュール構造であるという説がある。しかし、私達の実験の結果は、GroELとRLAの結合定数はGroELと-ラクトアルブミンのモルテン・グロビュール構造との結合定数より約100倍大きいことを示している。従って、GroELによって認識されるタンパク質の構造はモルテン・グロビュール構造であるという表現は正確ではなく、むしろ、モルテン・グロビュール構造も含めたタンパク質の様々な非天然構造がGroELに異なる強さで結合するというのが適切だろう。

 50mMのKClがあるときにはRLAはGroELに強く結合するが、KClがないと結合しないことがわかった。また、NaClもKClと同様の効果を持つ。これらの実験結果はイオンによるクーロン・ポテンシャルの遮蔽を考えると説明できる。RLAは一分子あたり-7の電荷を、GroELはプロトマーあたり-18の電荷を持っている。従って、RLAとGroELの間には負の電荷どうしの間に生じる反発力がある。私達の実験結果は、溶液中の塩濃度が増加するとイオン雰囲気によるクーロン・ポテンシャルの遮蔽の効果が大きくなり、その結果RLAとGroELの負の電荷どうしの間に生じる反発力が小さくなり、RLAとGroELは強く結合するようになることを示している。

 タンパク質の中のヘリックスがGroELに結合するという説があるが、私達の水素交換の実験はRLAの中にあるヘリックスはGroELに結合しないことを示している。RLAの場合は、二次構造を形成していないもっと構造の崩れた部分がGroELに結合するのである。等温滴定型熱量計を用いた実験の結果は、RLAとGroELの結合を促す主な力は、他の多くのタンパク質とGroELの結合が疎水性相互作用によって起こるように、疎水的な引力であることを示している。以上の実験の結果をまとめると、GroELはRLA分子の中の、疎水的なアミノ酸残基が多く集まっていてかつ2次構造を形成していない構造の崩れた部分を、認識して結合をするということになる。

 私達は最後に、RLAの一次構造上のどの部分がGroELと結合するのかを推測してみた。種々の実験の結果によれば、-ラクトアルブミンのモルテン・グロビュール構造の中で二次構造を形成していない、構造の崩れた部分は残基40と残基100の間である。モルテン・グロビュール構造の中で二次構造を形成していない、構造の崩れた部分は、RLAの中でも構造が崩れていると思われるので、GroELに結合する部分は残基40と残基100の間であると推し量ることができる。また私達は-ラクトアルブミンのhydropathy plotを行い、その結果、残基70と残基80の間や残基90と残基100の間の部分の疎水性が高いことがわかった。従って、GroELはRLAの中の残基70と残基80の間や残基90と残基100の間の部分を強く認識し結合していると推測される。

審査要旨

 本論文では、シャペロニンGroELが認識して結合するタンパク質の構造の特徴について述べられている。論文提出者は、牛の-ラクトアルブミンをモデル標的タンパク質として用いてGroELが認識し結合するタンパク質の構造の特徴を調べた。-ラクトアルブミンはカルシウム・イオンを一個結合しているタンパク質で、4つのジスルフィド結合を持ち、123個のアミノ酸から成り、分子量は14200である。論文提出者は、-ラクトアルブミンの中にある4つのジスルフィド結合をすべて還元切断した還元--ラクトアルブミン(RLA)はGroELに強く結合し、これらのタンパク質の複合体が分子ふるいクロマトグラフィーで分離できることをまず示した。

 論文提出者は次に、RLAを用いて、GroELによって認識されるタンパク質の構造の特徴を詳しく調べている。4つのジスルフィド結合が切断されているために、RLAは、-ラクトアルブミンの天然構造やモルテン・グロビュール構造よりも、より崩れた構造をとっている。論文提出者は、RLAの構造はどのくらい崩れているのかを見積もるために、RLAのCDスペクトルをChen等の方法を用いて解析した。その結果、RLAの中に残っている二次構造の量は、ヘリックスが24%、シートが14%であった。一方、天然構造の-ラクトアルブミンは、ヘリックスを37%、シートを11%含んでいるという結果を得た。このようにRLAは、天然構造に比べて構造が崩れているとはいえ、まだかなりの量の二次構造を持っている。そこで、RLAの二次構造が、RLAとGroELの結合にどのようにかかわっているのかを調べるために、論文提出者は水素交換実験を行った。水素交換の実験では、まずRLAの主鎖のペプチド結合部分にあるアミド・プロトンを、すべて、トリチウムに置き換える。そして、RLAの中のトリチウムが溶媒の水分子の中にあるプロトンと入れ換わっていく時間経過を測定した。この実験の結果、RLAのアミド・プロトンの水素交換の挙動は、RLAがGroELに結合している時でも、結合していない時と同じであることがわかった。アミド・プロトンはタンパク質の二次構造の中で水素結合を形成しているので、アミド・プロトンが溶媒の水分子中のプロトンと入れ換わる速さは、二次構造の中でどのくらい強い水素結合が形成されているか、つまり二次構造の安定性、に非常に敏感に影響を受ける。したがって、もしRLAの中の二次構造がGroELと相互作用するならば、その相互作用によりRLAの二次構造の安定性が変り、RLAのアミド・プロトンの水素交換の速さはRLAがGroELに結合している時と結合していない時では大きく異なるはずである。ところが実験の結果は、RLAのアミド・プロトンの水素交換の挙動はRLAがGroELに結合しているいないに関わらず同じであった。従って、論文提出者の水素交換の実験の結果は、RLAの中にある二次構造は、RLAとGroELとの結合にかかわってはいないであろうことを示している。

 論文提出者は次に、GroELとRLAが結合する際の熱の出入りを、等温滴定型熱量計で調べ、RLAとGroELの結合は、低温において、吸熱反応であることを示した。この結果は、RLAとGroELの結合の際のエントロピーの増加が、これらのタンパク質の結合を促していることを意味し、疎水性相互作用がRLAとGroELの結合にとって重要であることを示している。

 以上に述べたように、本論文は還元--ラクトアルブミン(RLA)をモデル標的タンパク質として用いて、シャペロニンGroELが認識して結合するタンパク質の構造の特徴について詳細に調べたものである。GroELの分子量は-ラクトアルブミンの分子量の約50倍である。従って、分光学的な方法でGroELに結合したタンパク質の構造の詳細を調べるのは、GroELのシグナルが大きいために難しい。論文提出者は、水素交換という手法を用いて、RLAがGroELに結合したときのRLAの構造について調べた。そして、フリーのRLAとGroELに結合したRLAの水素交換の挙動を比較し、RLAの二次構造はGroELによって認識されないことを明らかにしたものである。この水素交換実験の結果を含めた本論文中に述べられている結果は、GroELと標的タンパク質の結合のメカニズムに対して新しい知見を与えるものである。よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

 なお以上の研究は、勝又来未子氏、二階堂清和氏、伊倉貞吉氏、桑島邦博助教授との共同研究であるが、本論文で述べられているすべての結果は、論文提出者が主体となって実験と分析を行い得られたものであることを確認した。

UTokyo Repositoryリンク