この論文の主な目的は、古典及び量子力学の幾何学的性質に関する二つの一般理論を紹介することにある。それらを、測地線力学、相流力学と呼ぶ。この二つの理論は、共にモーメント写像によって誘導される群論的構造、リー・ポアソン構造を基礎にしている。
測地線力学 物体の運動の基本的な構造としてハミルトン構造は考えられてきた。しかし、物理的に現れる重要なハミルトニアンの形は、多くの場合、特定の形(擬二次型)をしており、擬二次型ハミルトニアンには対応するリーマン計量が存在し、運動は測地線として記述される。この方法は、良く知られているヤコビの方法とは違って計量はエネルギー面に依存せず、はるかに一般的である。そして、質点の運動、剛体の運動、圧縮性及び非圧縮性の通常・電磁流体の運動、古典的ヤン・ミルズ場の運動など多くの場合が、この方法によって測地線とみなすことができるようになった。さちに、ヤコビ方程式によって系の安定性を調べられるのみならず、エルゴード性の評価にも応用される。
まず、系Pのハミルトニアンのハミルトニアン・ベクトル場をリー群Gの無限小生成子とみなすことで、そのリー代数gの双対空間g*へのモーメント写像J:P→g*によって、運動方程式を次のようなリー・ポアソン方程式に書き直す。
ただし、xt∈Pに対してt=J(xt)である。
ここで、標準的なものとは違った二次型ラグランジアンによる変分原理によってこの方程式が導かれる条件を求める。その為には、リー部分群G*⊂Gを導入する。G*のリー代数g*の双対空間を⊂g*、さらにgの部分ベクトル空間⊂gを
を満たすように導入し、その双対空間をとする。このとき、包含写像⊥:→gと:g*→gは、射影⊥*:g*→と*:g*→を次のように誘導する。
ここで、ハミルトニアンH∈C∞(g*)が、ある関数∈C∞(×,R)に対して
と書け、次の条件を満たすとする。
このとき、片側不変ベクトル場t∈(G*)に対して、H(t)=<t,(t)>-(┴*(t),t)によって得られるTG*上のラグランジアン(⊥*(t),t)による変分原理によっても先のリーポアソン方程式が導かれることが証明される。
ハミルトニアン H∈C∞(g*,R)が次の形をとる場合、それを擬二次型ハミルトニアンと呼ぶ。
ハミルトニアンが擬二次型である場合、運動方程式は対応する(擬)リーマン計量による測地線方程式とみなすことができる。
以上から、様々な系の時間発展の安定性を、対応するヤコビ場を用いて調べることができる。
相流力学 量子化と呼ばれるものには多種多様なものがあり、必ずしも物理的な意味におけるものばかりではない。ここでは、ミクロの物理現象を説明する為に今世紀初頭に建設された量子化法に、依然として内在する構造的・概念的な問題を解消することを目的として、新しい量子化法を提出する。これは、現存する他の量子化、(1)(群論的)正準量子化(&C*量子化)、(2)幾何学的量子化、(3)変形量子化(とくに、モワイヤルによるもの)、(4)経路積分量子化(&確率過程量子化)、(5)隠れた変数の理論(とくに、ボームによるもの)、などと比較される。
まず、量子化されたハミルトン系は、対応する古典系と同じ群構造を有すると仮定する。これは、もともとの正準量子化での立場であるが、ファン・ホッブのダメ定理によって明らかにされたように、ディラクの置き換えによる対応関係は、演算子順序が問題になるようなハミルトニアンなどの物理量に対しては自明ではない。幾何学的量子化は、この困難を解決するために生まれたのだった。今回の量子化も、この困難を解決する。 一方で、経路積分量子化や確率過程量子化、モワイヤルの変形理論は、どれも一般には群構造を保持せず、演算子順序はワイル積を用いて得られる。
また、量子化されたハミルトン系は、対応する古典系と似た確率論的構造を有すると仮定する。正準量子化、幾何学的量子化は、波動関数の振幅の確率解釈が理論の付加的な要素となっていて、理論の数学的構成に中心的にかかわっていないようにみえる。これに対して、他の量子化は理論に積極的に確率概念を取り込もうとした成果ともいえる。そのなかで、この新しい量子化は、モワイヤルの変形量子化と同様な概念に基づいて構成される。従って、ウィグナー関数が主要な役割を果たす。しかし、ウィグナー関数は位相空間上での確率分布関数に非常に類似しているにもかかわらず、(実ではあるが)負の値をとりうるので、確率分布関数としては理解できない。これに対して、新しい量子化は、ウィグナー関数を確率流の一成分と解釈することを可能にする。
さらに、理論の中に、波束の収縮の原理が取り込まれる。町田と並木は、連続的超選択則をもったヒルベルト空間によって測定器が記述されれば、波束の収縮をこの拡張された量子論の範囲内で説明できることを示した。勿論、これまでのどの量子化法も、連続的超選択則を許すように拡張されうるが、今回の理論は、最初から理論の中にそのような構造を許す。
一方、測定されるのは位置のみであり、運動量などが直接測定されることはない。つまり、粒子の古典的状態として運動量を採用しなければ、明らかに古典的解釈が可能となる。今回の理論では、粒子の古典的状態は位置と位相できまるとみられる。つまり、空間(時空)M上のS1ファイバー束E(M)の上での確率流の運動を考えることになる。そして、第二量子化についても自然に拡張される。また、幾何学的量子化でもS1ファイバー束を考えたが、これは位相空間T*Mなどのシンプレクティク多様体上に構成されていた。
ここでは、非相対論的な質点の第一量子化を例にして理論を要約する。E(M)上の確率流のファイバー方向に平均した流れの方向は、E(M)の切断によってきまる。E(M)の切断の集合[E(M)]には、Diff(E(M))の部分群である半直積群S(M)=Diff(M)×C∞(M)が作用している。また、S1×R3=[E(M)]/S(M)である。ここで、群の要素=(,f)∈S(M)は、切断∈[E(M)](i=√-1)に次のように作用する。
ここで、商群の要素k∈Aut(E(M))/S(M)にたいして、S(M)のリー代数s(M)の双対空間s(M)*へのモーメント写像を次のように構成する。
さらに、写像を次で定義する。
さて、古典的ハミルトニアンをh:T*M→Rとすると、対応する量子論的ハミルトニアンは、
従って、に対して、量子系の運動方程式として、次の形式的に古典系の場合と同じ形のリー・ポアソン方程式が得られる。
これは、密度演算子とハミルトン作用素に対する良く知られた次の運動方程式に対応するものである。
この方程式が、古典ハミルトニアン
に対して、次のシュレディンガー方程式を含むことが証明できる。
この波動関数は、密度関数tが実関数であるという条件と規約な随伴表現の条件から得られるものである。密度関数のフーリエ変換は、に対して、
と書け、これは超選択則を許したウィグナー関数の和として書ける。
つまり、波動関数∈L2(M)がつぎのように導入される。
結局、量子力学を古典的に理解するというボームの夢を実現したと言える。