審査要旨 | | リング状の系の中空部分を磁束が貫いている場合,磁束によるベクトルポテンシャルのために系の時間反転の対称性が破れ,その基底状態は電流が流れている状態となる.このように熱平衡状態で流れる電流を永久電流と言う.この学位論文では,有限幅のリングでの数値計算により,永久電流に対する電子間多体効果の影響を理論的に研究した. 一般に,磁場を生じないベクトルポテンシャルは,ゲージ変換によりシュレーディンガー方程式から消すことができ,その影響はリングを一周したときの境界条件を,周期境界条件から,一周したときに位相の変化をゆるす一般化された境界条件に変えることに押し込められる.巨視的な系では物理量が境界条件にはよらないので,熱力学的な極限ではこの永久電流は存在しない.しかし,系の大きさが小さく十分低温では,位相コヒーレンズ長が系の大きさと同程度になり,このような永久電流が存在し得る. この永久電流は,理想的な1次元リングの場合I0=evF/Lの程度であることが簡単な計算から示されている.ここで,Lはリングの周長,またvFはフェルミ速度である.通常,金属で作られたリングの場合,その周長や幅は電子の平均自由行程に比べれば十分大きく,いわゆる拡散領域にある.この拡散領域での永久電流に関しては,普遍的コンダクタンスゆらぎの場合と同様の方法で理論的な計算が行われ,永久電流の平均がI0/M,典型的な値がI0(le/L)となることが示されている.ここで,Mはリングのチャネル数,leは平均自由行程である. これに対して,いくつかの実験が報告された.ほぼ理想的な1次元リングに近い半導体の量子細線リングでは,理論的な予言に非常に近い永久電流が観測されている.一方,金属リングの場合,理論的な値に比べて非常に大きな(2桁程度)永久電流が報告された.以来,この永久電流は大きな理論的問題として浮上し,多くの論文が発表され,非常に混乱しているのが現状である.現在,不一致の一つの原因として考えられているのが電子間多体効果であるが,その初期の研究が不完全であったことも混乱に拍車をかけた一因である.この学位論文では,このような混乱に終止符をうつ目的で,永久電流に対する電子間相互作用の効果を,有限系に対する数値計算の手法で明確化することを試みた. この論文は5章よりなる.第1章では,永久電流に対するこれまでの理論的な研究と実験結果についてまとめている.第2章はこの論文の目的を述べている.第3章では,具体的に理論的に取り扱う模型(1次元リング,3次元リング,電子がスピンを持たない場合と持つ場合など)の説明と,計算方法(厳密対角化とハートレー-フォック近似)について議論する.第4章は計算結果について述べ,第5章はまとめである.以下では,この論文の主たる成果である第4章の計算結果について簡単にまとめる. [1]厳密対角化とハートレー-フォック近似 具体的に考察した模型は,強束縛バンドで同じ格子点での斥力だけを取り入れたいわゆるハバード模型と,異なる格子点の間で距離に反比例する斥力ポテンシャルを取り入れた模型の2種類である.格子点の局所的なエネルギーのゆらぎとして,系の不規則性を導入する. 少数電子系に対しては厳密対角化の方法で永久電流を近似なしに求めることができる.その結果と平均場近似であるハートレー-フォック近似による計算結果を比較し,相互作用の強さが極端に大きくない限り,後者でも定性的に正しい結果を与えることがわかった.これにより,より電子数の大きな系をハートレー-フォック近似で取り扱うことを,間接的にではあるが正当化できた. [2]永久電流に対する電子間相互作用の効果 同じ格子点の電子の間に働く斥力と異なる格子点の電子間に働く斥力は永久電流に対して違った効果を及ぼす.すなわち,前者が大きいと概して永久電流が増加し,逆に後者が大きいと永久電流が減少してしまう.ただし,電子間相互作用による永久電流の変化はそれ程大きいものではなく,高々数割の程度である. [3]有効ポテンシャルゆらぎによる解析 もともと系に存在するポテンシャルゆらぎのために,電子密度にゆらぎが生じる.密度ゆらぎは電子間相互作用を通して局所的なポテンシャルのゆらぎを引き起こす.そこで,上記の数値計算で得られた結果を直感的に理解し,またさらに大きな現実的な系での振る舞いを予想するために,局所ポテンシャルの空間的ゆらぎを計算し,永久電流の増減との相関を調べた.その結果,局所ポテンシャルの空間的ゆらぎが増加すると永久電流が減少し,逆にゆらぎが減少すると永久電流が増加することがわかった.特に,同じ格子点の電子間に働く相互作用はポテンシャルゆらぎを減少させる.これは電子間相互作用がポテンシャルゆらぎを遮蔽するためであると考えられる. 一方,異なる格子点の電子間の相互作用はポテンシャルゆらぎを増加し,永久電流を減少させる傾向がある.これは,もともともポテンシャルゆらぎが格子点に局在した非常に局所的であるためと考えられる.実際,空間的により緩やかに変化するポテンシャルゆらぎの場合には,局所ポテンシャルのゆらぎが長距離相互作用によっても減少し永久電流が増加する傾向があることを示した. このようなことから,電子間相互作用は永久電流を増やす可能性はあるが,実験結果のように2桁も大きな値に増大させる効果とはなり得ないと結論する.電子間相互作用があると遮蔽効果によりポテンシャルゆらぎが減少するが,永久電流に対する効果は本質的にはこの遮蔽効果と同程度であるの結論である.すなわち,実際に実験と比較する場合には,平均自由行程には遮蔽効果がすでに繰り込まれているために,電子間相互作用は永久電流にほとんど影響しないと言える. これらの結果は,計算時間の制約のため,数個という比較的少数の系に対する数値計算から得られたものであり,系によるゆらぎもかなり大きく,まだ完全に一般的な結論とは言えない可能性もある.さらに多くの系に対する計算によって,結論をより確かなものとする必要があろう.ただし,現在の計算機の能力では,それにはさらに非常に長い計算時間が必要であることも事実である.もちろん,このような不確定要素が残るとは言え,永久電流に対する電子間相互作用の効果について,具体的でより明確な結論を与えることができたことの意義は大きい.このように,本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして,審査員全員が合格と判定した. なお,本論文の主たる業績は,吉岡大二郎教授らとの共著の形ですでに公表され,また公表予定であるが,実際の実験の遂行や解析などにおいて学位申請者の重要な寄与が認められた. |