学位論文要旨



No 112385
著者(漢字) 加藤,弘詔
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヒロアキ
標題(和) メゾスコピック系における永久電流
標題(洋) Persistent Current in Mesoscopic Rings
報告番号 112385
報告番号 甲12385
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3165号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,恒也
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 教授 小林,俊一
 東京大学 教授 壽榮松,宏仁
 東京大学 助教授 勝本,信吾
内容要旨

 近年の微細加工技術の発展にともなって、mオーダーの大きさ、もしくは、それ以下の大きさを持つ電子デバイスの製作が可能となった。そのように小さな系では、電子の量子力学的な性質、つまり、波動性が顕著に効いて来るために、通常のマクロ(巨視的)な系とは異なった電気伝導の様子が観測される。このような系は、多くの電子を含む多体系ではあるが、マクロな系とも違っているということから、メゾスコピック(中微視的)系と呼ばれる。メゾスコピック系を研究することは、これからの電子デバイスの発展に寄与するという実用的な目的のみならず、今まで、純粋に理論的興味から調べられて来た問題、実験が不可能だった非常に基礎的な問題を、実際に検証可能な問題として考え直し、新しい現象を発見することにもつながる。そのような立場から調べられたのが、本論文の題目である永久電流である。

 永久電流とは、熱平衡状態で定常的に流れている電流のことである。リング状の系の中空部分を時間的に変化しない磁束が貫いているとする。ただし磁場は、中空部分にのみ存在し、系の中に存在する電子は、磁場を感じないとする。古典的に考えれば、この磁束は、系の中の電子に影響を及ぼさない。しかし、量子力学では、磁場ではなくて、ベクトルポテンシャルが重要であり、磁場がなくてもベクトルポテシャルが、系に存在している。そのために、系の時間反転対称性が破られ、その基底状態は、電流の流れている状態となり、それに伴って、平衡状態でも電流が存在するようになる。

 磁場を生じないベクトルポテンシャルは、特異的なゲージ変換によって、シュレーディンガー方程式から消すことができ、その影響は、境界条件の方に押し込めることができる。一般に巨視的な系における物理量は、境界条件によらないと考えられているので、この効果は体積が十分に大きい極限をとる熱力学極限では存在しないものである。そのような、電流の存在する基底状態があることは、量子力学が確立し、物性物理に応用され始めた頃には既に知られていて、Byers-Yangの定理からも導かれるように、いくつかの性質も分かってはいたが、巨視的な系では存在しないのだから、実際には観測されないものとしてあまり注目されなかった。しかし、1980年頃からメゾスコピック系での実験が、多く行われるようになったことで、この永久電流が観測可能なのではないかと提言されはじめた。そして、1990年には実際に実験され、その存在が確認された。

 理論的には、永久電流は物質中での電子波の効果として考えられ、不純物ポテンシャルの中を運動する電子を考えれば良い。そのような計算は1980年代に大きく進展した、弱局在の理論における計算法を用いてなされた。しかし、その結果は、実験で得られた値より100倍程小さいものしか与えない。数値計算による解析でも、やはり、小さな値しか得られなかった。そこで、1990年以降、永久電流の大きさの理論値と実験値の不一致を巡って、多くの議論がなされた。この、不一致の原因と考えられているもっとも有力なものは、従来の理論計算が無視して来た電子間相互作用の効果である。よって、永久電流に対する電子間相互作用の効果が、永久電流を確かに増やすのかどうかを明確にする、というのが本論文の研究動機である。しかし、不純物のある系での電子間相互作用の効果を理論的に調べるのはかなり難しく、一般的には、解析や計算がかなり複雑なものになる。現在でも様々な方法が試されているが、決定的な結果を出すに至っていない。そこで、本論文では、永久電流に対する電子間相互作用の効果を調べる一つの方法を先ず提案し、それを用いて計算した結果を述べる。

 以下に、本論文の構成と各章の概括をする。まず、第一章では、今までに行われた、永久電流の研究における理論、及び実験の紹介をし、その結果をまとめる。そして、解明された部分とされてない部分を明確にする。第二章で、本研究の動機を記す。第三章で、計算に用いた方法を、第四章ではその結果を述べ、その物理的な意味、及び実験との比較などを議論する。そして、第五章はまとめである。

 以下に、方法及び結果の概要を簡単に記す。先ず、我々の採用した方法であるが、サイトモデルでハミルトニアンを表し、運動エネルギーの部分はタイトバインディング近似、不純物ポテンシャルの部分は、ランダムサイトエネルギーを採用し、相互作用部分は、長距離のクーロン相互作用で記述する。このハミルトニアンを数値的に対角化することにより、系のエネルギーが得られるので、磁束に関して微分をとってやることで、永久電流を求めることができる。しかし、電子間の相互作用をまともに扱うと非常に小さな系しか取扱えなくなる。そこで、相互作用部分をハートリー・フォック近似することによってセルフコンシステントな一体ポテンシャルとして求める。こうすると一体問題に帰着するので、比較的大きな系までの計算が可能になり、また、不純物の効果を摂動的にではなく、全て含むことができる。これが、我々の採用した方法である。また、電流だけでなく、電子の密度分布やサイトエネルギーの分布なども計算した。その結果を以下にまとめる。

1.スピン自由度を無視したモデル(スピンレスフェルミオン)

 ・小さいサイトにおける厳密対角化と、ハートリー・フォックの比較から、双方とも、定性的に同じ結果をあたえることがわかった。

 ・不純物ポテンシャルがそれほど強くない領域(だいたい拡散領域に対応)では、電子間相互作用を強くすると、1次元のリングでは常に永久電流は減る。しかし、3次元のリング(厚みを持ったリング)では、チャンネル数が多くなるにつれ、減りかたは少なくなり、ふえるものもでて来ることがわかった。

 ・永久電流を、一体演算子部分、ハートリーポテンシャル部分、フォックポテンシャル部分からの寄与に分けると、1次元では、全て同程度の大きさだが、チャンネル数が大きくなり、3次元性が強くなってくると、フォック部分からの寄与が小さくなることがわかった。

2.スピン自由度を考慮したモデル(電子)

 ・この場合も、厳密対角化とハートリー・フォック近似における永久電流の相互作用に関する振舞は、定性的に同じ結果を与えることが分かった。

 ・スピン自由度を考慮すると、電子間相互作用の部分には、異なるスピン間で働くオンサイトの相互作用と、相手を選ばないサイト間の相互作用がでる。永久電流の振舞は、おおよそ、オンサイトの相互作用を増やすと、電流は増え、サイト間の相互作用を増やすと、電流は減るという傾向にある。しかし、これは、チャンネル数が少ないときで、チャンネル数が多くなると、サイト間相互作用を増やしても、永久電流は増える場合がでて来るが、その増える割合はそれほど大きくはない。

 ・オンサイト相互作用は、電子密度の空間揺らぎを減らす方向に働き、サイト間相互作用は、それを増やす方向に働くことが分かった。また、もとのサイトエネルギーにハートリーポテンシャルを加えた、有効サイトエネルギーの空間揺らぎも、オンサイト相互作用を増すと減り、サイト間相互作用を増すと増えることがわかった。これから、永久電流の増減は、サイトポテンシャルの揺らぎの増減に密接に関係していることがわかった。

3.幅のある不純物ポテンシャルの場合

 上記の結果は、ランダムサイトエネルギーのモデルをとったときのものであったが、ある幅を持った不純物ポテンシャルを、適当にサイトを選んで配置した場合の結果は以下の通り。

 ・この場合、不純物ポテンシャルの幅が、数サイトにわたる程大きくなると、1次元でスピン自由度を無視したモデルでも、電流は相互作用とともに増える。不純物ポテンシャルの幅が、1サイト程度で狭いときは、ランダムサイトエネルギーのモデルでの結果と同様に、1次元でスピン自由度を無視したモデルでは、電流は相互作用によって減ってしまう。

 ・永久電流が増える時は、電子密度、サイトエネルギーの揺らぎは減っていて、電流が減る時は、それらは、増えていることがわかった。

 以上が、結果の概括である。電子間相互作用は、確かに永久電流を増やす可能性はあるが、計算から見積もられた増加量は、実験値を説明するには至っていない。詳細は、第四章で議論する。

審査要旨

 リング状の系の中空部分を磁束が貫いている場合,磁束によるベクトルポテンシャルのために系の時間反転の対称性が破れ,その基底状態は電流が流れている状態となる.このように熱平衡状態で流れる電流を永久電流と言う.この学位論文では,有限幅のリングでの数値計算により,永久電流に対する電子間多体効果の影響を理論的に研究した.

 一般に,磁場を生じないベクトルポテンシャルは,ゲージ変換によりシュレーディンガー方程式から消すことができ,その影響はリングを一周したときの境界条件を,周期境界条件から,一周したときに位相の変化をゆるす一般化された境界条件に変えることに押し込められる.巨視的な系では物理量が境界条件にはよらないので,熱力学的な極限ではこの永久電流は存在しない.しかし,系の大きさが小さく十分低温では,位相コヒーレンズ長が系の大きさと同程度になり,このような永久電流が存在し得る.

 この永久電流は,理想的な1次元リングの場合I0=evF/Lの程度であることが簡単な計算から示されている.ここで,Lはリングの周長,またvFはフェルミ速度である.通常,金属で作られたリングの場合,その周長や幅は電子の平均自由行程に比べれば十分大きく,いわゆる拡散領域にある.この拡散領域での永久電流に関しては,普遍的コンダクタンスゆらぎの場合と同様の方法で理論的な計算が行われ,永久電流の平均がI0/M,典型的な値がI0(le/L)となることが示されている.ここで,Mはリングのチャネル数,leは平均自由行程である.

 これに対して,いくつかの実験が報告された.ほぼ理想的な1次元リングに近い半導体の量子細線リングでは,理論的な予言に非常に近い永久電流が観測されている.一方,金属リングの場合,理論的な値に比べて非常に大きな(2桁程度)永久電流が報告された.以来,この永久電流は大きな理論的問題として浮上し,多くの論文が発表され,非常に混乱しているのが現状である.現在,不一致の一つの原因として考えられているのが電子間多体効果であるが,その初期の研究が不完全であったことも混乱に拍車をかけた一因である.この学位論文では,このような混乱に終止符をうつ目的で,永久電流に対する電子間相互作用の効果を,有限系に対する数値計算の手法で明確化することを試みた.

 この論文は5章よりなる.第1章では,永久電流に対するこれまでの理論的な研究と実験結果についてまとめている.第2章はこの論文の目的を述べている.第3章では,具体的に理論的に取り扱う模型(1次元リング,3次元リング,電子がスピンを持たない場合と持つ場合など)の説明と,計算方法(厳密対角化とハートレー-フォック近似)について議論する.第4章は計算結果について述べ,第5章はまとめである.以下では,この論文の主たる成果である第4章の計算結果について簡単にまとめる.

[1]厳密対角化とハートレー-フォック近似

 具体的に考察した模型は,強束縛バンドで同じ格子点での斥力だけを取り入れたいわゆるハバード模型と,異なる格子点の間で距離に反比例する斥力ポテンシャルを取り入れた模型の2種類である.格子点の局所的なエネルギーのゆらぎとして,系の不規則性を導入する.

 少数電子系に対しては厳密対角化の方法で永久電流を近似なしに求めることができる.その結果と平均場近似であるハートレー-フォック近似による計算結果を比較し,相互作用の強さが極端に大きくない限り,後者でも定性的に正しい結果を与えることがわかった.これにより,より電子数の大きな系をハートレー-フォック近似で取り扱うことを,間接的にではあるが正当化できた.

[2]永久電流に対する電子間相互作用の効果

 同じ格子点の電子の間に働く斥力と異なる格子点の電子間に働く斥力は永久電流に対して違った効果を及ぼす.すなわち,前者が大きいと概して永久電流が増加し,逆に後者が大きいと永久電流が減少してしまう.ただし,電子間相互作用による永久電流の変化はそれ程大きいものではなく,高々数割の程度である.

[3]有効ポテンシャルゆらぎによる解析

 もともと系に存在するポテンシャルゆらぎのために,電子密度にゆらぎが生じる.密度ゆらぎは電子間相互作用を通して局所的なポテンシャルのゆらぎを引き起こす.そこで,上記の数値計算で得られた結果を直感的に理解し,またさらに大きな現実的な系での振る舞いを予想するために,局所ポテンシャルの空間的ゆらぎを計算し,永久電流の増減との相関を調べた.その結果,局所ポテンシャルの空間的ゆらぎが増加すると永久電流が減少し,逆にゆらぎが減少すると永久電流が増加することがわかった.特に,同じ格子点の電子間に働く相互作用はポテンシャルゆらぎを減少させる.これは電子間相互作用がポテンシャルゆらぎを遮蔽するためであると考えられる.

 一方,異なる格子点の電子間の相互作用はポテンシャルゆらぎを増加し,永久電流を減少させる傾向がある.これは,もともともポテンシャルゆらぎが格子点に局在した非常に局所的であるためと考えられる.実際,空間的により緩やかに変化するポテンシャルゆらぎの場合には,局所ポテンシャルのゆらぎが長距離相互作用によっても減少し永久電流が増加する傾向があることを示した.

 このようなことから,電子間相互作用は永久電流を増やす可能性はあるが,実験結果のように2桁も大きな値に増大させる効果とはなり得ないと結論する.電子間相互作用があると遮蔽効果によりポテンシャルゆらぎが減少するが,永久電流に対する効果は本質的にはこの遮蔽効果と同程度であるの結論である.すなわち,実際に実験と比較する場合には,平均自由行程には遮蔽効果がすでに繰り込まれているために,電子間相互作用は永久電流にほとんど影響しないと言える.

 これらの結果は,計算時間の制約のため,数個という比較的少数の系に対する数値計算から得られたものであり,系によるゆらぎもかなり大きく,まだ完全に一般的な結論とは言えない可能性もある.さらに多くの系に対する計算によって,結論をより確かなものとする必要があろう.ただし,現在の計算機の能力では,それにはさらに非常に長い計算時間が必要であることも事実である.もちろん,このような不確定要素が残るとは言え,永久電流に対する電子間相互作用の効果について,具体的でより明確な結論を与えることができたことの意義は大きい.このように,本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして,審査員全員が合格と判定した.

 なお,本論文の主たる業績は,吉岡大二郎教授らとの共著の形ですでに公表され,また公表予定であるが,実際の実験の遂行や解析などにおいて学位申請者の重要な寄与が認められた.

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