内容要旨 | | 走査トンネル顕微鏡(Scanning tunnenling microscopy=STM)に代表される走査プローブ顕微鏡の発展は表面科学の研究において革命的な発展をもたらした.それまでは間接的にしか得られなかった原子スケールでの表面の微細構造を直接に原子スケールの像として捉えることが可能になり表面固有の興味深い特性,構造が見られるようになった.しかし,STMの像は表面電子状態を反映していることが知られており,その像の解釈は必ず表面の電子状態を基に行われなければならない.さらに,表面の原子配列構造と電子状態の関係は決して自明ではなく,その物質および表面の具体的な構造を含んだ電子状態理論が実験の解釈には欠くことができない.近年のベクトル型スーパーコンピュータ,並列計算機などの新技術に代表される電子計算機の急速な発展が,self-consistent fieldを求めるためのiterativeな解法および,より適切な擬ポテンシャルの構築法の発展を加速し,密度汎関数を基礎にした電子状態理論による計算物質科学が実験,理論に続く第三の研究手段として広く認知されるようになった.計算物質科学の方法は,この様な実験事実の解釈および性質の理解に大きく寄与出来る研究方法である.さらに計算物性科学の手法は現実に存在することが希である結晶構造や人工的な構造にも適用できるので,新物質設計の指針やその機能予測にも有用である.本論文では密度汎関数理論に基づいた第一原理擬ポテンシャル法を用い,チタン酸化物表面の電子状態を求めその性質について議論するものである. 金属酸化物表面はその触媒としての興味や強誘電性などを始めとする多くの的特性により古くから興味を持たれてきた.特にチタン酸化物,TiO2ルチルやチタン酸ストロンチウムSrTiO3は光触媒,ガスセンサー,半導体素子など広範囲に応用されているため,その表面電子構造の理解は現象の本質の解明,新材料設計への指針へとつながる.ことに,近年,上記STMなどの実験方法の発展,結晶成長,表面処理技術の向上により原子スケールでの表面構造を議論する研究報告が多数なされ,原子スケールでの表面電子状態の議論が具体的な意味を持つようになった. チタン酸化物の性質を理解する上で重要な点は,その酸素欠陥の性質である.特に,触媒もしくは基板としての性質においては,その表面酸素欠陥の性質の理解が重要である.本論文では,上で述べた通り第一原理擬ポテンシャル法を用い原子スケールの電子論的立場からチタン酸化物表面上の酸素欠陥の性質を研究する.そのためにチタン酸ストロンチウムおよびルチル表面上の酸素欠陥の性質を,これらを周期的に配列した薄膜表面模型の電子状態を数値計算により求め,それらを比較検討することにより解明する. SrTiO3においてはもっとも安定であり,実験的にも古くから研究報告のある(001)表面に関して,酸素欠陥を単位格子に対して1×1,×,×の広さで一様規則的に配置し,その酸素欠陥の密度のそれぞれに対して電子状態を求めた.まず1×1に酸素欠陥が配列している表面の表面バンド構造においては,欠陥準位のバンドが伝導帯よりバルクバンドギャップ中に降りてきて,状態密度中に伝導帯の下に欠陥準位のピークが生じた.実験的にも欠陥を作った表面の光電子分光スペクトルにこの様な欠陥準位が確認されている.また,全ての欠陥密度においてフェルミ準位のかかる伝導帯の最下部の電子は酸素欠陥中に局在し,チタン-酸素欠陥複合体を形成していることがわかった.これは,観測されているSTM像の輝点が酸素欠陥であることを示唆する結果である.また,×欠陥構造では,1×1,×の構造では消滅していた酸素2p価電子帯の表面状態が再び現れ,酸素欠陥の電子状態に及ぼす影響は×の程度であることがわかった.このことは計算された酸素欠陥の生成エネルギーの変化にも現れている. また,ルチルに関してもSrTiO3と同様にもっとも安定しており,古くから活発に研究報告のあるTiO2(110)表面において,考え得るいくつかの構造モデルに関して電子論的な計算を行った.まず,TiO2ルチル(110)表面は表面の原子配列緩和が大きいことが容易に想像できるので,この表面に関しては,電子状態だけで無く原子構造に関しても,電子状態によるHelman-Feynman力が充分小さくなるような最適構造も求めた.本論文で考慮した構造モデルは,1.清浄表面,2.1×1の酸素欠陥,3.Ti2O3 added row表面の三種類である.三番目のTi2O3 added rowはTiO2(110)表面上で観測されている1×2相のモデル,あるいは,表面ステップの簡略化したモデルとなっている.チタンイオンの配位子に関して,清浄表面には6配位と5配位,欠陥表面は4配位と5配位,added row表面は4配位のみのチタンが存在する.これらの表面それぞれに対して構造最適化を行いその電子状態を求めた.その結果,表面バンド構造はどの表面もリジットバンド的な振る舞いを見せた.つまりそれぞれの表面上の欠陥は化学量論的には清浄表面と比べて酸素が不足しチタンイオンにも電子が入る事になるが,これがバンド構造中には,SrTiO3(001)1×1の時の様に欠陥準位が生じるのではなく,単にフェルミ準位がチタン3d伝導バンド中に入りこむという形で現れた.また,これらの表面に対してSTMシミュレーションを行った結果:1.清浄表面では,表面に飛び出しているブリッジ酸素では無く,5配位のチタンイオンが見えている;2.酸素欠陥の表面では4配位のチタンが見えている;3Ti2O3 add row表面では最上部の酸素イオンが見えている;という結果が得られた.ここで述べたSTM像の結果は全てサンプルバイアスが正(Unoccupied state)の場合の結果である.この理論計算の結果は実験で観測されるSTM像の解釈を正しく行うための重要な手掛りを提供する. |