学位論文要旨



No 112388
著者(漢字) 木村,栄伸
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,シゲノブ
標題(和) 第一原理計算によるチタン酸化物表面の電子状態および表面構造の研究
標題(洋) Study of Electronic States and Atomic Structures of Titanium Oxide Surfaces by a First-Principles Calculation
報告番号 112388
報告番号 甲12388
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3168号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤森,淳
 東京大学 教授 田中,虔一
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 教授 岩澤,康裕
内容要旨

 走査トンネル顕微鏡(Scanning tunnenling microscopy=STM)に代表される走査プローブ顕微鏡の発展は表面科学の研究において革命的な発展をもたらした.それまでは間接的にしか得られなかった原子スケールでの表面の微細構造を直接に原子スケールの像として捉えることが可能になり表面固有の興味深い特性,構造が見られるようになった.しかし,STMの像は表面電子状態を反映していることが知られており,その像の解釈は必ず表面の電子状態を基に行われなければならない.さらに,表面の原子配列構造と電子状態の関係は決して自明ではなく,その物質および表面の具体的な構造を含んだ電子状態理論が実験の解釈には欠くことができない.近年のベクトル型スーパーコンピュータ,並列計算機などの新技術に代表される電子計算機の急速な発展が,self-consistent fieldを求めるためのiterativeな解法および,より適切な擬ポテンシャルの構築法の発展を加速し,密度汎関数を基礎にした電子状態理論による計算物質科学が実験,理論に続く第三の研究手段として広く認知されるようになった.計算物質科学の方法は,この様な実験事実の解釈および性質の理解に大きく寄与出来る研究方法である.さらに計算物性科学の手法は現実に存在することが希である結晶構造や人工的な構造にも適用できるので,新物質設計の指針やその機能予測にも有用である.本論文では密度汎関数理論に基づいた第一原理擬ポテンシャル法を用い,チタン酸化物表面の電子状態を求めその性質について議論するものである.

 金属酸化物表面はその触媒としての興味や強誘電性などを始めとする多くの的特性により古くから興味を持たれてきた.特にチタン酸化物,TiO2ルチルやチタン酸ストロンチウムSrTiO3は光触媒,ガスセンサー,半導体素子など広範囲に応用されているため,その表面電子構造の理解は現象の本質の解明,新材料設計への指針へとつながる.ことに,近年,上記STMなどの実験方法の発展,結晶成長,表面処理技術の向上により原子スケールでの表面構造を議論する研究報告が多数なされ,原子スケールでの表面電子状態の議論が具体的な意味を持つようになった.

 チタン酸化物の性質を理解する上で重要な点は,その酸素欠陥の性質である.特に,触媒もしくは基板としての性質においては,その表面酸素欠陥の性質の理解が重要である.本論文では,上で述べた通り第一原理擬ポテンシャル法を用い原子スケールの電子論的立場からチタン酸化物表面上の酸素欠陥の性質を研究する.そのためにチタン酸ストロンチウムおよびルチル表面上の酸素欠陥の性質を,これらを周期的に配列した薄膜表面模型の電子状態を数値計算により求め,それらを比較検討することにより解明する.

 SrTiO3においてはもっとも安定であり,実験的にも古くから研究報告のある(001)表面に関して,酸素欠陥を単位格子に対して1×1,×,×の広さで一様規則的に配置し,その酸素欠陥の密度のそれぞれに対して電子状態を求めた.まず1×1に酸素欠陥が配列している表面の表面バンド構造においては,欠陥準位のバンドが伝導帯よりバルクバンドギャップ中に降りてきて,状態密度中に伝導帯の下に欠陥準位のピークが生じた.実験的にも欠陥を作った表面の光電子分光スペクトルにこの様な欠陥準位が確認されている.また,全ての欠陥密度においてフェルミ準位のかかる伝導帯の最下部の電子は酸素欠陥中に局在し,チタン-酸素欠陥複合体を形成していることがわかった.これは,観測されているSTM像の輝点が酸素欠陥であることを示唆する結果である.また,×欠陥構造では,1×1,×の構造では消滅していた酸素2p価電子帯の表面状態が再び現れ,酸素欠陥の電子状態に及ぼす影響は×の程度であることがわかった.このことは計算された酸素欠陥の生成エネルギーの変化にも現れている.

 また,ルチルに関してもSrTiO3と同様にもっとも安定しており,古くから活発に研究報告のあるTiO2(110)表面において,考え得るいくつかの構造モデルに関して電子論的な計算を行った.まず,TiO2ルチル(110)表面は表面の原子配列緩和が大きいことが容易に想像できるので,この表面に関しては,電子状態だけで無く原子構造に関しても,電子状態によるHelman-Feynman力が充分小さくなるような最適構造も求めた.本論文で考慮した構造モデルは,1.清浄表面,2.1×1の酸素欠陥,3.Ti2O3 added row表面の三種類である.三番目のTi2O3 added rowはTiO2(110)表面上で観測されている1×2相のモデル,あるいは,表面ステップの簡略化したモデルとなっている.チタンイオンの配位子に関して,清浄表面には6配位と5配位,欠陥表面は4配位と5配位,added row表面は4配位のみのチタンが存在する.これらの表面それぞれに対して構造最適化を行いその電子状態を求めた.その結果,表面バンド構造はどの表面もリジットバンド的な振る舞いを見せた.つまりそれぞれの表面上の欠陥は化学量論的には清浄表面と比べて酸素が不足しチタンイオンにも電子が入る事になるが,これがバンド構造中には,SrTiO3(001)1×1の時の様に欠陥準位が生じるのではなく,単にフェルミ準位がチタン3d伝導バンド中に入りこむという形で現れた.また,これらの表面に対してSTMシミュレーションを行った結果:1.清浄表面では,表面に飛び出しているブリッジ酸素では無く,5配位のチタンイオンが見えている;2.酸素欠陥の表面では4配位のチタンが見えている;3Ti2O3 add row表面では最上部の酸素イオンが見えている;という結果が得られた.ここで述べたSTM像の結果は全てサンプルバイアスが正(Unoccupied state)の場合の結果である.この理論計算の結果は実験で観測されるSTM像の解釈を正しく行うための重要な手掛りを提供する.

審査要旨

 本論文は、近年の電子計算機の発展に裏付けられた計算物質科学の手法を用いてチタン酸化物表面の電子状態を調べ、最近の表面科学の分野での革命的な発展をもたらした走査型トンネル顕微鏡(scanning tunneling microscopy:STM)を用いた実験結果を解釈しようと試みたものである。本論文は次の6章からなる。

 第1章では研究の背景として、STMをはじめとする新しい実験手法の発展と、電子状態計算の手法、特に擬ポテンシャル法の最近の発展を紹介し、本研究の導入としている。本論文で対象として取り上げたSrTiO3(001)およびTiO2(110)表面の電子状態の実験的研究の現状について簡単に述べ、本研究でこれらの系を取り上げた動機が記述されている。

 密度汎関数法に基づいた第一原理電子状態計算の理論的基礎および擬ポテンシャル法による計算手法の詳細が、第2章に述べられている。本論文では、ノルム非保存の擬ポテンシャル法を用いて電子状態の計算を行っている。交換-相関ポテンシャルを作るに際して、一般に用いられている局所密度近似に"一般化された勾配法"(generalized gradient approximation:GGA)で非局所場効果の補正を加え、さらに部分内殻補正(partial core correction:PPC)を行なっているので、これらについての詳細な記述がある。また、TiO2表面について行われた構造最適化には、Helmann-Feynman力を用いている。GGA+PPC法の有効性を確認するために、酸化物について計算を行うに先立っていくつかの単元素金属について、安定格子定数、弾性率の計算を行い、実験と比較している。

 第3章では、SrTiO3およびTiO2のバルク結晶構造、SrTiO3(001)表面、TiO2(110)表面についての光電子分光、STM像などの実験結果を紹介し、次の章から表面の電子状態を議論する準備として、バルクの電子構造の計算結果を与えている。

 第4章では、TiO2面が露出したSrTiO3(001)の理想表面、およびその表面において規則的に酸素原子の欠陥が存在する欠陥表面の電子状態を、欠陥の配列周期として1×1、××の3種類を仮定して計算を行っている。その結果、酸素欠陥によりバンド・ギャップ中に、主にTi3d軌道からなる新しい状態が出現し電子に占有されることを見い出し、また、真空側の表面より一定の距離だけ離れた点での局所状態密度の計算よりSTM像のシミュレーションを行い実験と比較している。ギャップ中の状態の出現については、光電子スペクトルとも比較し、実験が1×1表面に対する計算結果と比較的よい一致を示すと結論している。欠陥準位や欠陥生成エネルギーが××の間で大きく変化することから、酸素欠陥の間の相互作用が及ぶ範囲を×程度と結論している。

 続く第5章で、TiO2(110)理想表面、その最表面層より酸素を取り除いた面、表面の上にTi2O3を列状に付加した面の3種類について、Helmann-Feynman力を用い構造最適化を行った後に、電子状態の計算を行っている。Ti2O3付加面の表面準位が主にTi3d軌道からなるにも関わらず、酸素位置の明るいSTM像が見えるという計算結果が得られた。これらの結果は、STM像を正しく解釈するのに重要な情報を与えるとしている。そして、最後の第6章で本論文のまとめと将来の展望を述べている。

 以上のように本論文では、チタン酸化物表面という物質科学的、表面科学的に重要であり注目されている系について、高精度かつ大規模な計算を行い、計算で得られた電子状態と実験結果を比較・検討することによって、表面状態に関する重要な知見を得た。この点で本論文は高く評価された。なお、本論文は塚田捷、山内淳、渡部聡の各氏との共同研究であるが、主要プログラムの開発、数値計算、および計算結果の解析・検討等すべてにわたって論文提出者が主体的に行なったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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