【序文】 表面は固体の性質を備えているとともに、表面固有の原子配置や電子状態を持つので、固体内部と異なる反応が起こる。特に半導体の表面状態は真空に向かって生えているダングリングボンドで特徴づけられる。ダングリングボンドは表面の構造をに大きく影響するばかりでなく、吸着物との反応性も高い。塩素や水素を吸着すると、このダングリングボンドの状態が変化する。そのような吸着子の結合に伴う電荷の移動によってどの様な表面反応が生じるかを、主に表面原子配置の構造を調べることによって明らかにした。 表面反応の中でも光反応は、特定の状態の電子が直接遷移して開始する。従って反応に関係する電子状態を選び出すことが出来て、反応の機構を解明するためには都合がよい。また、光励起は電子が特定の準位に励起されるので、熱平衡ではない分布で励起状態を作り出すことが出来る。この性質から、熱処理では得られなかった表面を作る為の比較的新しい方法として着目されている。 実験は全て10-10Torrより高い真空度の中で行った。試料にはシリコンの(111)面を用いた。真空中で通電加熱によって清浄表面を得た。この表面のFig.1に示したような下地結晶の7×7倍の長周期を持つDAS模型と呼ばれる構造をしている。特にアドアトム、レストアトムと呼ばれる表面第一、第二層目の原子の配置に着目することが重要である。光の照射の光源にはNd:YAGパルスレーザーをおよそパルスあたり10mJ/cm2の強度で用いた。また、水素の被曝量は1L=1×10-6Torr・secで示す。 この清浄表面のDAS構造を走査トンネル電子顕微鏡(STM)で観察したのがFig.2である。尖端を持つタングステンの探針で表面の電子軌道の状態密度を原子解像度で走査し、濃淡として実空間上で表した像である。丁度アドアトムの位置で明るくなっているのは、その原子のダングリングボンドを反映している。 【塩素吸着表面】 塩素の吸着は被曝量を増すにつれてアドアトムがSiCl,SiCl2,SiCl3となることがXPSの実験などから知られている。十分な塩素を付けてから500度程度まで加熱するとアドアトムがSiClxとして脱離し、DASの第二層目の構造からなるレスト面が塩素終端された状態で現れ、その上にクラスターが残っていることが既に明らかにされている。 清浄表面にわずかな塩素を吸着した時に得られるSTM像はFig.3で、一部の原子が暗くなっていることが分かる。バイアスを上げて行くとこの明暗の差が減少する。この表面では塩素がアドアトムと結合してモノクロライドを作っている。像が暗く見えるのは、塩素によるダングリングボンドの終端で状態密度が減少した為である。この初期吸着表面に4.7eVの紫外光照射を行ってもSTM像は変化しない。その結果から、モノクロライドはこの光照射では脱離しなかったといえる。 塩素を飽和吸着させて、1.1,2.3,3.5,4.7eVの紫外光照射を行うと全ての波長でFig.4にあるようなレスト面が現れた。このレスト面には熱処理面に比べると欠陥が多くクラスターが見られない。従ってこの面の形成過程は、全ての励起が格子振動と平衡な昇温脱離とは異なる。塩素の吸着でSi-Siバックボンドが弱くなって、弱いエネルギーの光照射でも脱離したと結論出来る。初期吸着から飽和に渡る範囲までの塩素吸着を行った表面のそれぞれに光照射を行ってから表面を観察すると、レスト面の領域が見られ、塩素の量が増えるにつれてその領域が広がる傾向にあった。これはポリクロライドが増えて、これが光脱離した結果だと考えられる。 光照射の脱離種の質量を調べると、アドアトムはSiCl2の形で脱離してしいることが分かった。脱離収量の波長依存を測った結果がFig.5である。図はある一定脱離収量を得るのに必要な光の強度(フルーエンス)を示したもので、赤外光照射でも脱離するが、下地の吸収の少ない長波長側で強度を上げなくてはならない。これは、脱離の励起源となる光吸収が下地結晶で吸収された事を示唆している。 【水素吸着表面】 昇温脱離や電子線エネルギー損失分光から、Si(111)清浄表面に原子状水素を被曝すると、初めにモノハイドライドSiHが出来て、吸着量が増えるに従ってポリハイドライドSiHx(x=2.3)が出来ることが知られている。既に他の研究者の手によって、飽和吸着では一様に水素終端されたレスト面が出現し、ポリハイドライドからなるクラスターがその上に出来るというSTM観察の報告がなされている。この表面の形成機構として、被曝量を増やしてポリハイドライドが出来ると表面でSiHxが動いてクラスターになるという描像が作れる。 吸着初期に数L程度被曝した後では、アドアトムのダングリングボンド終端で形成されるモノハイドライドが、塩素と同じ様にSTMでは明暗のある原子像として観察される。紫外線照射(4.7eV)では暗い原子の数は減少する事はなかった。この波長の光照射ではモノハイドライドのシリコンも水素も脱離しないと結論される。被曝量600Lの水素飽和吸着表面に4.7eVの光を当てても均一な明るさのレスト面の上にクラスターが観察された。これは光照射前と同様の構造であり、レスト面のモノハイドライドも光照射で変化しなかったといえる。 水素被曝量を数十から数百Lの間で変化させて水素吸着させた面ではFig6にあるような雲状のなSTM像得た。これを見ると細かいクラスター多数が均一に分布している事が分かる。即ちポリハイドライドが少なくてクラスターが成長していない状態の像だと判断できる。 水素の被曝と同時に紫外光照射(4.7eV)を行うと、雲の様な表面の像を得た。これはクラスターを作る途上の表面とよく似ており、ポリハイドライドが未だ不十分な状態といえる。クラスターになる前にポリクロライドが水素を放出して解離したと解釈できる。清浄面に可視光照射(2.3eV)と同時に水素被曝を行うとレスト面が現れた。長い波長では光解離の効果はない。 モノハイドライド表面に於けるSi-H間の結合状態と反結合状態の表面準位間隔は半経験的数値計算の結果によると4.7eVよりも広く、ポリハイドライドでは更に広がる。従ってこの実験で用いた光ではSi-H結合が直接励起したとは考えられない。つまり下地結晶の励起電子が結合の切断に関与している。この電子が反結合状態に入る過程がこの機構の第一の候補である。一方Si-Hでは振動の寿命がかなり長いことから、下地電子の緩和に際してこの振動が多重励起されて脱離につながった可能性もある。 【塩素と水素の共吸着表面】 塩素と水素を両方とも表面に被曝したときにどの様に共吸着するかを調べた。 塩素だけを吸着した表面は450度まで加熱すると、欠陥の少ないレスト面が現れ、時間と共にその上に載っているクラスターは少なくなって行く。一方、水素だけを吸着した表面は450度まで加熱するとDAS構造が回復する。この時アドアトムには水素が結合しているが、時間と共に水素が脱離する。 塩素を飽和吸着した表面に水素を被曝した。この試料を450度でおよそ70分間程度加熱すると局所的にDAS構造に戻りつつある事が分かった。この加熱条件での水素吸着のみ或いは塩素吸着のみの面との比較をすると、アドアトムと結合しているかなりの塩素は水素の被曝に水素で置き換わったと解釈してよい。しかしDASに戻るには水素だけよりも長い時間を要するのは、恥部の塩素が加熱時にも残ってアドアトムのダングリングボンドと結合しているからだと考えられる。 塩素吸着後に加熱して得られたレスト面について、600Lの水素被曝前後で比較を行うと、欠陥が増えていた。欠陥はコーナーホールの周りに多く形成され、その近くではDAS構造の配置からずれているものが観察された。また、ダイマーの溝が深く、アドアトムの像の明るさが不均一に見えた。この試料に対して更に460度で10分加熱すると、下地は基本的にレスト面から構成されて居るのがはっきりと、その上にアドアトムが回復していた。塩素吸着表面に光を照射して得たレスト面に対しても、水素を600L被曝してから450度で10分加熱した表面をSTMで観察したところ、加熱して得られたレスト面に対して行った結果と同じであった。 これらの結果からm塩素終端されているレスト面は水素被曝によって水素終端になったと断定される。アドアトムがDASの構造に戻ろうとしても、一部のSiClx脱離は起きた為にレスト面のダイマーの溝がはっきりと見えたと考えられる。 最後には被曝の順序を逆にして、水素吸着に続けて塩素吸着を行った面に対しやや高い温度(550℃)で加熱を行うと、DAS構造がかなり回復し、ステップで囲まれた穴が何段も形成されている事が分かった。この表面に見えるアドアトムの幾つかは他のアドアトムよりも暗い。この明るさの差異は、バイアス電圧を高くしてゆくと明暗差は減少した。穴の形成は、一部のシリコン原子は塩素と結合したままで加熱時に脱離したて、水素と結合した残りのシリコンはDASに戻ったためと推測される。水素のみの表面と比較すると、一部の暗く見えた原子だけが塩素で置換されて加熱後にも残ったと判断してよい。 いじょうをまとめると、塩素と水素の共吸着ではどちらを先に吸着しても最後には殆ど水素がダングリングボンドを終端し、水素と結合しているアドアトムは基本的にDAS位置に戻る。但し一部は塩素と結合しており、それが加熱後の表面の微妙な差の原因となっている。 Fig.1Si(111)-7×7表面DAS模型Fig.2清浄表面STM像Fig.3塩素初期吸着表面STM像Fig.4レスト面(塩素飽和面に紫外線を照射)のSTM像Fig.7塩素吸着表面の脱離閾値の波長依存性Fig.6微少なポリハイドライド覆われた表面。 |