学位論文要旨



No 112400
著者(漢字) 鈴木,勝博
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,カツヒロ
標題(和) 渦線運動のリーマン幾何学的定式化およびヤコビ場による不安定性解析
標題(洋) Riemannian geometrical formulation of the motion of thin vortex filament and instability analysis in terms of the Jacobi field
報告番号 112400
報告番号 甲12400
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3180号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉澤,徴
 東京大学 教授 若林,健之
 東京大学 教授 藤川,和男
 東京大学 教授 薩摩,順吉
 東京大学 教授 山田,道夫
内容要旨

 近年、リーに基づく力学系のハミルトン系としての定式化およびそれに基づく解析法が発展してきており、剛体、弾性体、プラズマ、量子論等、多くの物理系に表れる方程式が調べられている。流体力学に関しては、アーノルドにより、非圧縮完全流体の支配方程式(オイラー方程式)が定式化されており、リー群としては体積を保存する微分同相写像群が用いられている。

 アーノルドはさらに、この群に自然なリーマン計量を導入してオイラー方程式を測地線方程式としても定式化し、断面曲率の計算から不安定性の解析を行った。ここでの不安定性解析とは、リーマン多様体上の測地線に変分ベクトル場(ヤコビ場)による摂動をあたえたとき、摂動を受けた測地線が非摂動測地線に再び近づくのかそれとも離れてゆくのかを、リーマン計量から決まる距離に関して調べることである。したがって、系の定式化の際に導入するリー群とリーマン計量の物理的な意味が重要になる。

 本論文ではこの解析法を、完全流体中の孤立した細い糸状の渦(渦糸)の運動を記述する局所誘導方程式(LIE)に適用する。そして渦糸の接ベクトルが局所的な剛体回転運動をおこなっていることに着目し、リーマン幾何の立場から渦糸の運動の不安定性を調べる。後に示すように、この論文で導入する計量は渦糸の形の変化を調べるのに適当なものになっていろ。

 本論文ではLIEの解析の準備として、LIEの歴史的背景と導出方法、リー群に基づくハミルトン系の構成法、およびそれに基づくリーマン幾何学的定式化の基礎を簡潔に紹介する。

 続いてこれらの基礎に基づき、LIE解析のベースとなってる自由な剛体の運動の定式化及びその解析を行う。自由な剛体の運動の支配方程式は、

 

 である。ここでは剛体の物体座標での角運動量、は剛体の物体座標での角速度であり、両者は慣性テンソルIによって、=Iという関係により結びつけられている。方程式(1)のハミルトン系としての定式化は古くから知られ、使われるリー群はSO(3)(3次元ユークリッド空間の回転群)である。しかしリーマン幾何に基づく測地線方程式としての定式化、およびヤコビ場による解析はなされておらず、また、後に続くLIEの定式化へのイントロダクションとしても適当であるため、この解析を行った。式(1)による剛体の自由な回転では、3つの主軸のうち、最長及び最短の軸のまわりの回転が安定である一方、残りの軸に関する回転は不安定であることが知られている。ヤコビ場の支配方程式の直接の解析により同様の安定性が示される一方、断面曲率の計算ではその符号はほぼ上記の結果を再現するが、安定軸に対してはわずかに負となりうる方向があることが示された。この結果は、断面曲率の符号は安定性を示唆するがそれだけでは不十分であり、ヤコビ場の情報が必要であることを示している。

 次に、渦糸の局所誘導方程式(LIE)、

 

 の解析を行う。ここで、tは時間、sは渦糸の弧長、R(t,s)は渦糸の位置ベクトルをあらわし、∂xは変数Xに関する偏微分である。この方程式の両辺をさらにsで偏微分すると,物理空間における渦糸の接ベクトルt(t,s)=∂sR(t,s)の支配方程式が導かれる。すなわち、

 

 である。式(1)と式(2)を比べると、tが剛体の角運動量運動に、∂s2tが剛体の角速度に対応していることが分かる。この対応に基づき、G=C(L,SO(3))という無限次元リー群を導入する。ここで、Lは弧長sの空間を表し、 C(A,B)は空間Aから空間Bへの無限階微分可能な写像の全体をあらわす。言い換えれば群Gは、渦糸の各点に回転群SO(3)の元を対応させたものである。ハミルトニアン、

 

 (ここで、(s)は物理空間での渦糸の点sにおける曲率)を導入し、標準的手法によってリー括弧からポアソン括弧を構築することにより、ハミルトン方程式dF/dt={F,H}が式(2)に一致することが示される。さて、このハミルトニアンからリーマン計量が自然が自然に決められるが、リー群G=C(L,SO(3))の接ベクトルu,vに対し、内積は,

 

 である。ここで、は変数sに関するf(s)の不定積分(積分定数はゼロとおく)である。式(3)からリーマン接続による共変微分が求められ、測地線方程式▽uu=0がの支配方程式になることが示される。したがってがリー代数の元に対応し、そのノルムは∫(s)2ds、すなわち渦糸の曲率(s)の二乗を、渦糸全体に渡って積分したものとなる。したがってこの計量による不安定性解析は、渦糸の形の変化を調べるのに適当なものであるといえる。

 測地線の不安定性解析の前に、この定式化の表現論について言及する。リー代数の表現を変えることにより、任意の整数nに対しての支配方程式をハミルトン方程式として、の支配方程式を測地線方程式として得ることができることを示す。特にn=2の場合には、式(2)を直接測地線方程式として得ることができる。また、曲率等のスカラー量は表現によらない。

 最後に、渦糸の安定性に関連する断面曲率の計算を行う。渦輪や螺旋渦の解析の結果、曲率の符号が通常の線形安定性による結果と同様の傾向をもつことが示される。すなわち、渦糸の持つ典型的な波長より短い波長の摂動に対しては断面曲率は正になり、長い波長をもつ摂動に対しては負になるのである。この結果は我々の定式化の妥当性を示すものであるといえる。また、螺旋渦に関しては、測地線の大域的性質と深い関連がある共役点の存在を示す。共役点の存在、および曲率が正になる方向が多い、という2つの事実は、非線形性安定性を示唆するが故に重要であり、今後の応用が期待される。

審査要旨

 流体、プラズマ物理現象に現れるある種の方程式は、ハミルトン系の力学系として定式化し、これをもとにその性質が調べることができる。近年、これをリー群にもとづく力学系として再構築する解析法が発展しつつある。流体力学方程式に関しては、アーノルドが微分同相写像群を用いて、非圧縮非粘性流体に対するオイラー方程式を測地線方程式として表すリーマン幾何学的研究を行った。この定式化のもつ利点の一つとして、断面曲率の解析から流体運動の大域的な安定性を議論し得ることが挙げられる。

 論文提出者は、流体力学におけるリーマン幾何学的定式化の有効性を検証するために、完全流体中の渦線運動を主題として、以下の研究を行った:

 (1)渦線の自励的運動を記述する局所誘導方程式と同形で、その性質が既に詳細に解析されている自由剛体運動のリーマン幾何学的定式化を行う。得られた測地線に変分ベクトル場(ヤコビ場)による摂動を与え、変形した測地線の断面曲率からその安定性を議論する。

 (2)渦線の接ベクトルが局所的に剛体回転運動を行っていることに注目し、(1)の方法を用いてその定式化を行い、リーマン多様体上での測地線方程式を導出する。

 (3)得られた測地線の安定性を(1)と同様の方法で議論する。

 第一課題では、3次元ユークリッド空間の回転群をもとに定式化が行われた。自由剛体運動では、3つの慣性主軸のうち最長および最短の軸の周りの回転が安定であり、残りの軸に関する回転は不安定であることが古典力学的解析から既に知られている。測地線に摂動を与えて得られるヤコビ場の解析から断面曲率を解析し、安定軸の方向では断面曲率がほぼ正となり、断面曲率の符号と古典的結果とが一致する傾向にあることが確認された。しかし、安定軸の方向に僅かであるが断面曲率が負となる領域がが存在することが分かり、「断面曲率の正負は安定性の絶対的指針とはならない」ことが示された。

 第二課題では、接ベクトルの渦線方向の2回微分量をリー代数の元に対応させることによって、その運動は無限回微分可能な写像として定式化できることが示された。また、渦線曲率の二乗を渦線に沿って積分した量がハミルトニアンに比例することから、渦線の不安定解析を行う際の計量として、このハミルトニアンが物理的に妥当な量であることが示された。

 第三課題では、第一課題の研究から得られた「断面曲率の正負は運動の安定性と必ずしも一対一対応するものではない」という結果を念頭に置き、渦輪および螺旋渦の安定性を調べた。その結果、渦線の形を特徴づける波長より短い波長の摂動に関しては、断面曲率は正となり、また長い波長に対しては負となることが示された。断面曲率の視点から後者の場合渦線は不安定となるが、この結論は局所誘導方程式自体の古典的線型解析結果と一致する。摂動を受けた測地線が本来の測地線と再び交差する点は一般に共役点と呼ばれるが、螺旋渦においてその存在が示された。共役点の存在は、線型解析では不安定となる測地線が再度本来の測地線に再接近することを意味するため、渦線の非線型安定性と関連することになる。この方向の更なる進展は、リーマン幾何学的定式化の価値を高めるものと予想される。

 以上に見るように、論文提出者は渦線の局所誘導方程式を用いて流体力学のリーマン幾何学的定式化の研究を行い、さらに断面曲率と共役点の解析から渦線の安定性を調べた。特に、共役点と非線型安定性との関連は、リーマン幾何学的定式化の興味深い一面を示唆したものといえる。なお、本研究は、小野俊彦、神部勉両氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって定式化およびパラメーター解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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