内容要旨 | | 数eVから数千eVのエネルギーを持つ電子線あるいは電磁波を物質に照射し,放出される電子や電磁波を分光することにより,物質の電子状態を研究する手段を高エネルギー分光法といい,物質の局所的な情報を与えてくれる,非常に有力な研究手段である. 近年,シンクロトロン放射光をはじめとする高輝度放射光が利用できるようになり,高エネルギー分光の分野も飛躍的な発展を遂げている.その高輝度放射光と従来の電子線や特性X線といった励起源との違いは,前者が高い輝度と著しい偏光特性を有することである.高輝度のおかげで,従来より分解能が高い実験を行うことが可能になっただけでなく,X線発光分光法(XES)のような二次の過程の実験も多く行われるようになってきた.しかし,高輝度放射光が持つ二つ目の特徴,偏光特性については,X線吸収分光法(XAS)では磁気円二色性(MCD)や偏光XASの実験で用いられてきたが,XESについては積極的な利用はされていなかった.高輝度放射光を用いたXESの研究は,これから一層盛んになっていくはずである.そこで,本研究では,希土類金属および化合物の高エネルギー分光スペクトル,特に二次光学過程であるXESにおける入射光および放出光の偏光,入射光と放出光の進行方向のなす角,いわゆる散乱角により,スペクトル強度,形状がどのような影響を受けるかに注目する. 第1章では,高エネルギー分光法で用いられる測定方法のいくつかについて説明を行った後で,希土類元素の特徴を概説した.そして,高エネルギー分光の分野で現在まで行われてきた実験の結果,および理論解析の結果を示し,そこから得られる情報について述べた. 第2章では,まず,希土類金属等を記述する自由イオン模型について説明した.続いて,第6章で解析をおこなった,CeO2のような4f波動関数の広がりが大きく,周りの元素の軌道との混成が重要な化合物を記述するための模型として,不純物アンダーソン模型について説明した.そして,一次光学過程であるXAS,二次光学過程であるXESの定式化を行い,スペクトル強度を計算するための表式を与えた. 第3章では,固体効果の小さい希土類酸化物を自由イオンと見なし,3d共鳴励起によるRXES(Resonant XES)の理論解析を行った.その際,入射光および放出光の偏光方向,散乱角をあらわに考慮したXESの定式化を行った. 散乱角をとし,散乱面内に直線偏光(その方向をz軸とする.)した光が入射した場合の,散乱角に依存したXESの表式は次のようになる. ここで,│g>,│m>,│f>はそれぞれ,エネルギーEg,Em,Efを持つ物質系の始状態,中間状態,終状態であり,,は入射光および放出光のエネルギーを表す.また,mは中間状態で存在する正孔の寿命幅を表す.双極子遷移を記述する演算子は,規格化された球面調和関数で表され,qが吸収,あるいは放出される光の偏光方向を指定する.Aq()が散乱角に依存する部分であり,発光の偏光成分qに応じて次のように表せる. まず,図1に,Lagardeらが実験を行った,Sm酸化物の3d-XASと発光収量法(FY)の結果,および本研究による計算結果を合わせて示す.実験結果は点で,計算結果は実線で示されており,両者はよく一致している.彼らの実験配置では散乱角=90°である.FYというのは放出光をすべて集める方法なので,計算上は(1)をについて積分する必要がある.従来,FYはXASと相似であると見なされて議論されることが多かったが,図1に示されているように,この場合は明らかに,FYとXASとは一致していない.特にFYでは,横軸の相対エネルギーで-5eV付近の構造の強度が増大していることが特徴的である.この原因は,4f→3d RXESにおける非弾性散乱の効果として説明された. Lagardeらは,Sm酸化物について,散乱角を変えたFYの実験も行っている.図2にその実験結果と本研究による計算結果とを合わせて示す.図中の数字は散乱角である.このように,散乱角に依存して大きくスペクトル強度および形状が変化するのは,(2)からわかるように,放出光に含まれる偏光成分が,散乱角に依存して変わっていくからである. 第4章では,重希土類金属および化合物を三価の自由イオンと見なし,4f→4d RXESの理論解析を行った.その際,RXESの中間状態である4d-XASの終状態は,Fanoプロファイルと呼ばれる特徴的な形状を示し,吸収端より下の微細構造領域と吸収端より上の巨大吸収領域では,4d正孔の寿命が大きく変化している.したがって,本研究ではこのFano効果をあらわに取り込んだRXESの定式化を行った.そして,得られた計算結果と,HagueらによるGd金属に対する実験結果,およびButorinらによるDyF3に対する実験結果との比較を行い,定量的にもよい一致を得た. 第5章では,自由イオン模型に基づき,強磁性Gd金属に対する2p光電子放出(XPS)に続く,3d,4d→2p XESにおけるMCDの理論解析を行った.本研究において,XESにおけるMCDの定式化を行い,入射角および放出角に依存したMCD強度の一般的な表式を与えた.それによると,入射角を変えても全体のスペクトル強度が増減するだけでスペクトル形状に変化はないが,放出角が変わると放出光に含まれる偏光成分の割合が変わり,スペクトル形状にも変化が現れることが期待される.その定式化に基づいた計算結果は,Krischらによる実験結果を非常によく再現した. 第6章では,CeF3,CeO2の4f→3d RXESの理論解析を行った.CeO2の場合は固体の混成効果が重要であるが,従来の解析では,この混成の大きさをどの配置の間でも一定に取っていた.しかし,それは正しくなく,配置に依存して混成の大きさも変わることが,第一原理計算に基づいた議論により指摘されている.内殻正孔が存在するとCe4f波動関数は収縮し,そのため混成は小さくなる.この効果をRc(=0.6)で表す.また,4f電子数が増えると4f波動関数は広がり,そのため混成は大きくなる.この効果をRv(=0.9)で表す.具体的には,図3に示したような入れ方をする.ここで,図に示した4f0,4f1等は計算に用いた基底であり,は酸素の2p価電子帯の正孔を表す.図に示したのは,4f0と4f1との間の混成の大きさを1としたときの,それぞれの配置間の混成の大きさである. 図4に,Butorinらが行った,4f→3d RXESの実験結果と本研究による計算結果とを合わせて示す.XASのA,Bの位置に入射光のエネルギーを設定した場合のRXESをその下に示してある.この4f→3d RXESでは,まず3d電子が4f軌道に励起され,その後,4f軌道から3d軌道へと電子が遷移する.したがって,終状態配置と始状態配置は同じであり,RXESは始状態配置におけるエネルギー準位を直接に表している.本研究により,RXES Aに見られる高エネルギー側のピークは始状態配置における4f0と4f1との結合状態(つまり,基底状態)への遷移,低エネルギー側のピークは反結合状態への遷移であり,RXES Bに見られる高エネルギー側のピークは同様に結合状態,低エネルギー側のピークは非結合状態への遷移であることがわかった.また,3d-XASとRXES Aで見られる二つのピーク間隔が相異なることを説明するためには,Rcを導入することが不可欠であることを示した. さらに,本研究により得られたパラメーターを用い,その他のスペクトルの計算も行った.特に,価電子帯XPSとBIS(Bremsstrahlung Isochromat Spectroscopy)からはエネルギーギャップの値が得られるが,従来の計算では実験に比べ非常に小さい値しか得られておらず,問題とされていた.しかし,本研究により新たに取り直されたパラメーターを用いた結果,実験を再現する大きなギャップの値を得ることができた.また,理論的な予想として,散乱角を変えたときの4f→3d RXESの計算も行い,配置によっては大きな角度依存性が期待されることを示した. 最後に,第7章で,本研究により得られた結果をまとめ,今後の課題について触れた. 以上のように,本研究では全章を通じて,入射光および放出光の偏光方向とその散乱角依存性をあらわに取り込んだ解析を行い,その結果は実験結果を非常によく再現した.これから高輝度放射光を用いた研究はより一層盛んになり,そこでは,本研究で示した「偏光の散乱角依存性」がさらに注目され,物質の電子状態研究の強力な武器となっていくことが期待される. 図1:Smに対する3d-XASとFYの計算結果(実線)とLagardeらによる実験結果(点).図2:Smに対する散乱角を変えたFYの計算結果(実線)とLagardeらによる実験結果(点).図中の数字は散乱角を表す.図3:CeO2の4f→3d RXESに対する混成相互作用の入れ方.図4:CeO2に対する3d-XASと4f→3d RXESの計算結果(実線)とButorinらによる実験結果(点).RXESのA,Bは,入射光のエネルギーをXASのA,Bの位置に設定した場合のスペクトルを表す. |