量子スピン系は、統計力学の模型として理論的観点から長く調べられてきた。また、特に、その中のハイゼンベルク模型は実験的に測定される磁性体を良く記述しており、その観点からもたいへん重要である。一般に量子スピン系は、典型的な多体問題で、かつ、著しく量子効果が現れるため、多様な性質を示すことが知られているが、完全な理解に至っているとは言えず、今なお、固体物理の中で主要な課題の一つである。 量子スピン系の相互作用は、スピン間距離に依存し、距離が長くなると相互作用の強さは小さくなっていくと考えられていて、これまで行なわれてきた研究の多くは、これに基づいて、スピン間相互作用として最近接間のみを残した模型を取り扱っている。しかしながら、最近になって、CuGeO3などの化合物が次近接相互作用を持つのではないか、と指摘されている。このことは、最近接よりも長距離の相互作用が、現実の物質で見られる可能性があることを意味する。従って、最近接よりも長距離の相互作用を持つハミルトニアンの性質を、実験に先だって、理論的に調べておくことは、重要である。 そこで、本研究では、最近接よりも長距離の相互作用を持つ模型の中で、これまでに知られている2つのケースに着目する。一つは、Haldane-Shastry(HS)模型と呼ばれる、スピン間距離の逆自乗で減衰する1/r2型の相互作用を持つS=1/2のハイゼンベルク模型で、もう一つは、Majumdar-Ghosh(MG)模型と呼ばれる、次近接が最近接の1/2であるような、S=1/2のハイゼンベルク反強磁性鎖である。前者は近年精力的に調べられている可解模型であるが、最近接相互作用だけの模型とは、異なる性質を持つことが知られている。残念ながら、そこで用いられる方法は、1/r2型特有で、一般の1/rp型の相互作用の場合には適用できない。そこで、ここでは、修正スピン波理論とグリーン関数法の2種類の異なる近似を、1次元および2次元格子上の、スピン間距離の冪pで減衰する1/rp型の強磁性相互作用を持つ量子ハイゼンベルク模型に適用し、p=2のHS模型の性質及びp→∞の最近接相互作用だけの模型の性質が見られるpの領域、そしてその領域外での性質を調べる。もう一つの、MG模型については、最近接スピンのシングレットペアの直積で書き下されるダイマー状態が厳密な基底状態であることが良く知られている。また、MG模型のS=1スピン鎖版とも言えるダイマー基底状態を持つS=1模型も報告されている。これらS=1/2とS=1のダイマー状態は、交替ボンドを持つ量子ハイゼンベルク鎖の基底状態相転移に定性的な理解を与える、valence-bond-solid(VBS)状態に含まれる。このVBS状態には、ダイマー状態とともに、S=1の場合、Haldaneギャップの研究に重要な役割を果たしたAffleck-Kennedy-Lieb-Tasaki(AKLT)模型の基底状態も知られている。そこで、これらの厳密に書き下せる状態を基底状態とする、長距離相互作用を持つ等方的なS=1/2及びS=1のスピン鎖への拡張を議論し、それがどういう場合に有効なのか検討する。 前者の、1次元および2次元(d=1,2)格子上の、スピン間距離の冪pで減衰する1/rP型の強磁性相互作用を持つ量子ハイゼンベルク模型のハミルトニアンは、 で与えられる。ここで、相互作用J(m)は、無限系の熱力学極限で定義され、m=0のときは0、それ以外では、J0|m|-P(J0は最近接相互作用)である。磁場Hは、修正スピン波理論では0、グリーン関数法では非零とする。パラメータpは、基底状態エネルギーが発散しないp>dの範囲で考える。適用する近似のうち、修正スピン波理論は、低次元で生じる磁化の赤外発散を化学ポテンシャルの導入で回避し、転移点付近の無秩序相での物理量を求める方法で、最近接相互作用だけのときには、ベーテ仮設の方法からの厳密な結果に低温で良く一致することが知られている。また、もう一つのグリーン関数法では、グリーン関数内の演算子SZをその平均値に置き換えてグリーン関数の解くべき運動方程式を得るTyablikovの切断を採用する。この方法で、秩序相側から転移点付近の磁気的性質を調べることが出来る。この方法の開発自体はそれほど新しいものではないが、その頃は3次元系が主な研究対象で、低次元でも有意な情報が得られることが分かったのは近年になってからである。 異なる2種類の近似により、ハミルトニアン(1)は、p2dで有限温度相転移はなく(Tc=0)、d<p<2dで零でないTcが評価された。そして、後者の領域では、pが小さくなるにしたがって、Tcは大きくなっていくことがわかった。また、p=2で連続につながっている1次元に比べて、2次元ではp=4でTcに飛びがあることも分かった。2種類の近似によるTcの評価には、定量的な違いはあるものの上記の定性的な点については、近似によらない本質的な性質と考えることが出来る。次に、有限温度相転移がない場合の帯磁率は、低温で発散するが、その発散の強さは、HS模型が指数関数的な強いものであるのに対して、ベーテ仮設からの1次元最近接模型のそれは、1/T2に比例した形を持つ。2種類の近似はともに、1次元の場合、p=2で指数関数的発散を再現し、p>3では、1/T2の発散が見られ、2<p<3で、∝T(1-P)/(P-2)のように、pに依存した冪になっていることが分かった。そして、2次元の帯磁率は、p>4で指数関数的に発散した。また、修正スピン波近似では、比熱の低温での温度依存性を調べることが出来、p>d+2では、最近接模型と定性的に同じ振舞いで、1次元の2<p<3では、定性的に異なる振舞いが得られた。グリーン関数法では、有限温度相転移が起こる場合に転移点付近の帯磁率や自発磁化の温度依存性も調べることが出来た。これらにより、長距離相互作用が入っても実質的には最近接だけの場合の性質と定性的にはかわらないpの領域と、長距離相互作用により性質が最近接だけのときと異なるpの領域とにp=d+2を境として分けられること、そして、その後者の領域では、長距離相互作用によって、非自明な性質が生じることが示された。 次に、VBS状態を基底状態とする、長距離相互作用を持つ等方的なS=1/2及びS=1のスピン鎖への拡張については、 で記述される、周期的境界条件下の並進対称なNスピンハミルトニアンから出発する。この中で、S=1/2のダイマー基底状態を持つような模型として報告されている場合では、全ての相互作用が反強磁性相互作用の場合に限られており、強磁性相互作用をも含む場合は検討されていない。また、S=1のダイマー基底状態を持つ模型は、わずか1例しか知られていない。S=1のAKLT基底状態を持つ模型では、次近接までしか考慮されておらず、それより長距離の相互作用の影響は調べられていない。 S=1/2の場合に、ハミルトニアン(1/2)がS=1/2のダイマー状態を固有状態として持つときには、相互作用間に(J2m-1+J2m+1)/2=J2mの関係が成り立つことを演繹的に導いた。この条件の表式は既に知られた形であるが、これにより、ハミルトニアン(2)の中でこの条件を満たさないものは全て、ダイマー状態がもはや安定ではないことが分かった。同様に、S=1の場合には、ダイマー状態がハミルトニアン(1)の固有状態であるための必要十分条件として、 を導いた。既に報告されているS=1のダイマー基底状態を持つ模型の1例を含む上記の表式が導出されたのは初めてである。 上記の条件を満たすハミルトニアンの中から、J1及びJ2を任意に変えられるパラメータとして残し、それ以外の相互作用で零でないものが出来るだけ少なくなるようなハミルトニアンを取り出して、詳しい基底状態の様子を次に調べた。そのとき、S=1/2の場合には、J3=2J2-J1、J4=J2-J1/2、J5=J6=…=0となるが、(3/8)J1J2(3/4)J1の領域でダイマー状態が基底状態であることを、部分ハミルトニアンの半正定値性の議論により厳密に求めた。この領域は、既知のものよりも広く、J3やJ4が強磁性的な場合を含んでいる。また、J1-J2平面上でそれ以外の領域の性質を見るために、強磁性状態が厳密な基底状態である領域も、系が反強磁性相互作用も含む形で解析的に求めた。さらに厳密対角化の数値計算からは、この二つの領域よりもさらに広い領域のダイマー相あるいは強磁性相になっていることを示唆する結果が得られた。また、ダイマー相でも強磁性相でもない領域には、ダイマーではないがシングレットの相や、弱く磁化した相も数値的に見られた。S=1の場合に、取り出されるハミルトニアンは次近接までで、K1=J1-2J2、K2=J2-J1/2となるが、厳密なダイマー相として-8J2J1(4/3)J2を、及び、強磁性相としてJ1-8J2かつJ10を求めた。両者は互いに接しておりダイマー相の相境界の一つが厳密に求められたことになる。残りの領域では、数値計算によって、ダイマー相がもう少し広がっていること、さらに残りは、ダイマー状態ではなくかつ磁化していない基底状態の領域であることが分かった。 次に、S=1の場合、ハミルトニアン(1)がAKLT状態を固有状態として持つためには、任意に可変なパラメータは3個だけで、それらをJ1,J2,J3とすると相互作用間に の関係が成り立たなければならないことを導いた。この条件によると、次近接までのハミルトニアンが非自明な形を持ち、それより長距離の相互作用には、強い制限が加わることが分かった。S=1のハイゼンベルク反強磁性鎖の基底状態と類似していると考えられているAKLT状態が長距離相互作用に不安定であることから、S=1のハイゼンベルク反強磁性鎖の性質が、長距離相互作用に強く影響を受ける可能性が示唆される。次近接までのハミルトニアンの形は、Lange-Klumper-Zittartzによって、既に報告されていて、その中に任意に変えられるパラメータが一つ残っている。そのパラメータとして次近接のbilinear項の係数をpと書くことにすると、-1/4p1/4の領域でAKLT状態が基底状態であることが厳密に証明されているが、厳密対角化による数値計算によると、もう少し広い-0.34p0.32の領域まで、その性質が保たれていることが分かった。また、励起状態として厳密に書き下せるものあることが、p=0のAKLT模型には知られているが、新しい類似の状態が、p=1/4の異なる場合にも厳密な励起状態であることが分かった。 以上、1/rp型の強磁性相互作用を持つ量子ハイゼンベルク模型と、厳密に書き下せるVBS状態を基底状態として持つような量子スピン鎖の二つの場合に着目して、最近接よりも長距離の相互作用によって生じる模型の性質を調べ、いくつかの新しい結果を示した。長距離相互作用が多様な性質をもたらす例となるこれらの結果をもとに、今後、長距離相互作用の研究がさらに進展し、量子スピン系の理解が深まっていくことが期待される。 |