学位論文要旨



No 112405
著者(漢字) 西山,由弘
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤマ,ヨシヒロ
標題(和) 一次元における磁気的に乱れた基底状態と隠れた秩序
標題(洋) Magnetically disordered ground states and hidden orders in one dimension
報告番号 112405
報告番号 甲12405
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3185号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高山,一
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 高橋,實
 東京大学 助教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 加倉井,和久
内容要旨

 一次元整数スピン反強磁性ハイゼンベルク模型は基底状態-即ち絶対零度-ですら何の磁気秩序も示さないとハルデンが予想した。磁気的なフラストレーションが無いにもかかわらずその様な磁性があらわれるとは驚くべきことである。この磁性は本質的に非摂動論的で、古典論からの摂動論であるスピン波理論では記述されない。従って、ハルデン予想の確認に数値計算が重要な役割を果してきたことは強調されるべきであろう。現在では、様々な模型において上の様なスピン液体基底状態があらわれることが分かっている。例えば、上の模型に更にボンド交代を導入すると複数種類のスピン液体状態が逐次的に現れる。また、偶数列梯子格子上のスピンS=1/2ハイゼンベルク模型の基底状態もスピン液体状態である。これらスピン液体相間に様々な基底状態相転移が起こる。これらは純粋に量子ゆらぎのみによってひきおこされる点で非常に興味深い。

 そこで、上のような様々なスピン液体状態について、それぞれの特徴を捉えたり基底状態相転移のユニバーサリティーを調べるたりすることに関心がもたれている。この目的で、磁気的には無秩序なスピン液体状態に隠れた秩序を見出すストリング秩序変数が提案されていた。本論文では、更に幾種類かの隠れた秩序変数を新たに定義して、スピン液体状態を見通しよく記述する。特に、それぞれの隠れた秩序とresonating valence bond(RVB)のバターンとの対応を示す。これによって、隠れた秩序の物理的意味を読み取ることができる。また、スピン液体間の基底状態相転移を数値解析する際にも、これら隠れた秩序変数が大きな威力を発揮するこを、本論文全体を通じて様々な模型に対して示す。例えばS=1ハイゼンベルク模型のスピン液体状態とS=2のそれとが定性的に区別されることを、初めて数値的に示した。また、梯子模型に現れる二種類のスピン液体相を、それぞれに対応した二種類の隠れた秩序で区別し、その間の基底状態相転移を解析した。

 まず第一章に隠れた秩序が最初に定義された経緯をまとめた。第二章に、磁気的に乱れた基底状態に関する、本研究以前の数値的および実験的な研究状況をまとめた。材料は本論文との関係のあるものに絞り、その関連性を強調した。もともと、隠れた秩序はS=1ハイゼンベルク鎖の基底状態を記述するものとして導入された。これはstring秩序とよばれ、string相関関数

 

 で捉えられる。S=1ハイゼンベルク鎖の基底状態では、この相関関数が長距離相関になる。一般スピンハイゼンベルク鎖の基底状態についても、後述の拡張されたstring秩序が提案されていたが、数値計算上の困難からシミュレーションによる裏付けがかけていた。本研究以前には、隠れた秩序の概念はS=1ハイゼンベルク鎖-あるいは、ある極限としてそれを含む模型-に関してのみ展開されてきたといえる。

 第三章から第六章に、本研究による新たな発展を詳述した。

 第三章では、二列梯子格子上S=1/2ハイゼンベルク模型

 

 を有限系数値対角化法によって調べた。鎖間相互作用J’が強い反強磁性であるとき(J’→∞)には、梯子の横木上にダイマーができたスピン液体状態が基底状態である。この状態の隠れた秩序を検出するために、我々は新たに隠れた秩序相関

 

 を定義した。この秩序を有限サイズスケーリング解析した結果を図1に示す。この解析から、我々の隠れた秩序(3)が反強磁性鎖間結合(J’>0)で長距離秩序であり、一方、強磁性鎖間結合(J’<0)では短距離秩序であることがはっきり読み取れる。また、模型は(2)はJ’→-∞でS=1ハイゼンベルク鎖に帰着する。そこでは、string相関(1)が発達することが知られている。そこで、string相関(1)の類推から相関関数

 

 が提案されていた。相関関数(3)と同様の解析から、この隠れた秩序(4)はJ’>0で短距離秩序、J’<0で長距離秩序となることが明確にわかる。更に詳しい数値解析によって、両相の間の臨界点がJ’=0にあり、相関長臨界指数=1であると結論した。この臨界現象は本研究以前には一致した見解に到達していなかった。我々の隠れた秩序(3)に対応する基底状態のRVBパターンを指摘した。即ち、J’>0ではそのRVBパターンが実現されており、一方J’<0では、string秩序(4)に対応する別のRVBパターンが実現されている。このような理解は、素励起スペクトルを解析する上でも重要である。

図1:二列梯子格子模型(2)の基底状態における。隠れた相関(3)に対応するビンダーパラメター。ビンダーパラメターは、対応する相関が長距離(短距離)秩序の時に、系の拡大とともに大きく(小さく)なる。臨界点では系の大きさに依存しない。図2:S=2半強磁性ハイゼンベルク鎖の基底状態における、一般化された隠れた秩序(i,/2)を1/iに対してプロットした。無限極限i→∞でも、有限な値にのこることが読み取れる(mは計算精度の度合)。

 第四章では、S=2ハイゼンベルク鎖に対して、数値的解析を行った。上で述べたように、一般整数スピンハイゼンベルク鎖の基底状態の隠れた秩序については、解析的な議論は展開されていたが、数値的な裏付けがなかった。この模型の基底状態での磁気相関長は数値対角化法の限界を超えているからである。そこで、実空間数値繰り込み法でこの困難に対処した。まず、string相関(1)はS=2の場合には短距離相関であることが明らかになった。(この相関はS=1ハイゼンベルク鎖では長距離相関である。)S=2鎖の場合には、むしろ一般化されたstring相関

 

 が/2で長距離相関であることが、初めて分かった((∞,)〜0.65;図2)。以上の結果は、S=2VBS状態に基づく解析的な予想と定性的に一致する。このように、S=1ハイゼンベルク鎖のスピン液体基底状態とS=2ハイゼンベルク鎖のそれとは明確に区別されることが明らかになった。

 第五章では、四列梯子模型の基底状態を実空間数値繰り込み法によって調べた。第三章と第四章の成果を総合して、この基底状態を特徴づけると思われる新たな隠れた秩序を構成し、その長距離秩序性を数値的に確かめた。第三章でなされた二列梯子に対する新しい隠れた秩序による解析が、四列梯子の場合にも有効であることがわかった。第三章と同様にJ’>0の相とJ’<0の相が明確に区別され、両者の間の相転移点はJ’=0にあることを示した。この新しい隠れた秩序の存在は、Whiteによって提案されている梯子上ハイゼンベルク模型に対するRVB描像を間接的に支持する。第三章と本章の結果を総合すると一般偶数列梯子模型の基底状態を統一的に概観する指針が示唆される。

 第六章では、スピン液体中のホールの性質を、S=1のt-J鎖を用いて調べた。最近、実験的に二列梯子上のスピン液体状態にホールを導入できるようになった。それらの実験で用いられる物質群は高温超電導銅酸化物の系統にあり、幅広い応用が期待される。スピン液体の電荷のふるまいへの影響は理論的にも実験的にも興味深い。さて、S=1のt-J鎖でホールの密度が零-つまり、スピン占有数n=1-の場合には、上述したように基底状態はスピン液体であり、string秩序(1)が存在する。そのスピン液体中を複数のホールがstring秩序を乱さずに進行する描像が、Zhang-Arovasによって提案されている。有限系数値対角化法によってこの模型の基底状態を調べた。まず、スピン自由度に関する相図を図3に示す。この相図を描く際に、隠れた秩序を用いた解析がやはり有効であることを強調したい。ある低占有数領域を除きZhang-Arovasの描像を支持する結論を得た。つまり隠れたstring秩序はホールを入れても残ることを初めて数値的に示した。一方、低密度領域ではのstring秩序が壊れ、/2の一般化されたstring秩序が発達することを初めて示した。それぞれの隠れた秩序に対応するRVB配位を描ける。結果として、ホールの擾乱にもかかわらず、相図の全領域で磁気励起ギャップが存在することが分かった。他方、電荷の自由度は朝永流体論を仮定して解析した。電荷自由度に関する相図を図4に示した。他のt-J模型と同じく、磁気相互作用がある程度以下であれば金属(朝永流体)になる。相図に示したHaldane-Schulz指数は粒子間引力の実効的な強さを示す。実は、この相図は他の磁気励起ギャップを持つt-J鎖の相図と定性的に異なっている。以前、磁気フラストレーションを導入して磁気励起ギャップを生じさせたt-J鎖が調べられた。その模型では、磁気相互作用が弱くとも(J/t1)、弱ドープ領域(n〜1)で非常に引力的な流体(>>1)が実現される。この性質は、磁気励起ギャップの存在と関係づけられてきたのである。ところが我々の模型では、磁気励起ギャップがあるにもかかわらずJ/t1の弱ドープ領域では常に斥力的な流体(〜0.5)が実現されている。磁気励起ギャップがあることだけからは粒子間の強い実効引力を説明できないことがわかる。ここでは基底状態のRVBパターンを考慮にいれて、両模型のの本質的な違いを説明した。

図3:S=1t-J模型のスピン自由度の相図。図4:S=1t-J模型の電荷自由度の相図。
審査要旨

 反強磁性相互作用が存在する一次元スピン系では、スピン演算子の量子性に起因した、古典論からは説明できない現象が現れる。その典型例が、整数スピン反強磁性ハイゼンベルグ鎖は基底状態においても何の磁気的秩序を示さないとする1983年のハルデン予想である。これまでにその妥当性が数値的研究などで検証されるとともに、スピン液体状態とよばれるこの基底状態には、二つのS=1/2スピンの一重項(resonating valenve bond(RVB)とよばれる)を単位にした、ある種の隠れた秩序(RVBパターン)のあることがわかってきた。理学修士西山由弘提出の本論文は、低次元量子スピン系に関する統計物理学の分野で最近注目されている、このような基本的な問題を主に数値解析によって追究したもので、英文で6章と四つの付章からなる。

 序論の第1章、スピン液体状態に関する本論文以前の研究を概観した第2章に続く第3章では、二列梯子格子上のS=1/2のハイゼンベルグ模型が調べられている。鎖(梯子の足)内の最近接スピン間に大きさJ>0)の反強磁性相互作用と鎖間のスピン間に相互作用J’が存在する場合、J’が十分大きな強磁性(J’<<-J)であれば系の基底状態はS=1ハイゼンベルグ鎖のスピン液体状態に帰着し、逆の反強磁性極限(J’>>J)では鎖間(横木上)に一重項ができたスピン液体状態が基底状態となる。J’を変えていったとき二つの基底状態間でどのような転移が生じるかの問題に対して、これまで系のエネルギースペクトルに関する解析がなされていたが、本論文提出者は、それぞれの基底状態に期待されるRVBパターンに対応する秩序相関に関して有限系数値対角化法による解析を行っている。その際、J’>0側のRVBパターンに対応した、拡張されたstring秩序(梯子の各対角にある二つのスピンのSzの和が、値0のものを除くと+1と-1が交互に並んだ秩序)を新たに導入し、二つの基底状態間の量子相転移がちょうどJ’=0にあることを高い数値精度で検証している。

 第4章では、S=2反強磁性ハイゼンベルグ鎖について、密度行列実空間繰り込み群法による数値解析を行っている。S=1のハイゼンベルグ鎖と同様にこの系もまた乱れた基底状態をもつが、そのRVBパターンに対応するstring秩序はS=1の場合と異なることや端の効果を含めた系のエネルギースペクトルを明らかにしている。さらに第5章では、同じ手法で、四列梯子ハイゼンベルグ模型を調べている。前2章の結果を総合して、この系の基底状態を特徴付ける新たなstring秩序を導入し、四列梯子の場合も二列梯子の場合と同様なJ’=0における基底状態間転移の存在を検証している。

 磁気的に乱れた基底状態をもつ系にホールを導入したときの物性は、高温超伝導銅酸化物の物性解明にも関連した興味深い問題である。これを調べるために、第6章では、ハードコア・ボゾン表示をしたS=1のt-J模型の数値対角化法による解析を行い、以下の結果を得ている。この系の電荷とスピンの自由度は完全に分離する。電荷圧縮率の解析から導かれる電荷自由度の性質は、磁気的相互作用が弱い(J/t1)場合、スピン占有数n(=1-ホール密度)にほぼ依らずに(特に弱ドープ領域n〜1においても)、有効粒子間相互作用が斥力的な朝永流体(金属)として記述される。一方、スピン自由度については、n-J/t相図の全域で磁気励起ギャップをもち、かつ、ホールがない場合について導入されたstring秩序(拡張されたものを含めて二つのstring秩序の存在が確認されている)の長距離相関が保たれたスピン液体状態として記述される。この結果は、スピン液体中を複数のホールがstring秩序を乱すことなく進行する描像を支持する。

 以上述べてきたように、本論文では、乱れた磁気的秩序をもつ1次元スピン系に関して、それぞれのRVBパターンに対応した’拡張されたstring秩序’を新たに導入し、詳細な数値解析によって種々のスピン液体状態を確定し、また、それらの間の基底状態間転移を高い精度で検証している(なお、付章は用いた計算手法等の解説に充てられている)。大きなSをもつハイゼンベルグ鎖や多数の足をもつ梯子模型に有力である、この’拡張されたstring秩序’による解析方法そのものと、それによって検証された基底状態間転移に関する新たな知見は高く評価される。特に、ホールを含むスピン液体状態にこの方法を適用して得られた第6章の結果は、磁気励起ギャップの存在は必ずしも粒子間の実効的引力を意味しないことを示す例として、興味深い結果である。

 このように、論文提出者による本研究で得られた多くの新たな知見は今後この分野の研究の進展に大いに貢献するものと認められ、審査員全員により、理学博士の学位論文として合格と判断された。

 なお、論文の第3章は指導教官鈴木増雄教授、羽田野直道氏と、第4章は鈴木教授、羽田野氏、戸塚圭介氏と、第5章は鈴木教授、羽田野氏と、第6章は鈴木教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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