学位論文要旨



No 112407
著者(漢字) 平野,真司
著者(英字)
著者(カナ) ヒラノ,シンジ
標題(和) ディリクレ粒子の量子ダイナミクス
標題(洋) Quantum Dynamics of Dirichlet-Particles
報告番号 112407
報告番号 甲12407
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3187号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,光裕
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 助教授 筒井,泉
 東京大学 教授 江口,徹
 東京大学 助教授 加藤,晃史
内容要旨 前期量子論と弦理論

 前世紀終り頃、プランクにより量子論の基礎が築かれた。プランクは黒体輻射の研究過程において、自然定数の一つであるプランク定数の発見とともに「量子」という概念を見出した。そして今世紀の初め頃、「量子」という概念はアインシュタインにより光電効果の研究をとおして確立された。この時期がいわゆる前期量子論と呼ばれる時期である。その後まもなくド・ブロイはあらゆる物質が光同様、粒子と波動の二重性を持つという考えを提唱した。量子力学の確立という物理学における革命はこの時期に一応の終結を迎える。驚くべきことに、僅か十年の間に物理学の新しいパラダイムが構築されたのである。そしてその中でハイゼンベルグにより不確定性原理という非常に際だった原理が生み出された。

 ここで最近の弦理論の発展に目を向けると、現在を前期量子論の時期となぞらえることができるかもしれない。弦理論は摂動論として生まれ、非摂動的な定式化が存在しない。弦理論における双対性に対する理解が深まったことにより、弦理論の非摂動的な効果を扱えるようになってきたとはいえ、弦理論の非摂動的定式化あるいはそれを越えた理論を構築するという意味では、我々はまだ最終段階に到達しているとはいえない。ところで弦理論においては最小の長さというものが存在すると信じられてきた。これは、弦は自分自身より小さな距離を測れないことを考えれば、非常に自然な帰結である。しかしながら現在の非摂動的弦理論の理解では、ディリクレ粒子と呼ばれる摂動的な弦理論では知られていなかった新しい点粒子的物体が存在する。実際ディリクレ粒子は,弦の結合定数が小さな時には弦の長さlSよりずっと小さな11次元プランク長を測れることがわかっている。この意味において、ディリクレ粒子は弦よりも基本的な自由度をなしているのかもしれない。一方摂動的弦理論において空間-時間の不確定性関係が存在することが知られている。このことは次のように理解できる。エネルギースケールEにおいては、時間の不確定性はT〜1/E程度であり、弦の拡がりはX〜程度である。したがって空間-時間の不確定性はで与えられる。この不確定性はディリクレ粒子が存在する非摂動的な弦理論においても成り立つことがわかっている。ここで我々が主張したいのは、量子力学におけるハイゼンベルグの不確定性関係が位置と運動量の非可換性を意味していたように、空間-時間の不確定性は空間と時間の非可換性を表しているように思えるという点である。注目すべきことに、この考察はディリクレ粒子の座標が実際に非可換であるという事実と一致している。これらのことを考えあわせると、ハイゼンベルグの不確定性関係が量子力学の本質を捉えていたように、時空の非可換性が弦理論の非摂動的定式化さらにはそれを越えた理論を構成する上で基本的な役割を果たすのかもしれない。

 以上をまとめると、弦の長さよりずっと小さなスケールにおいては時空の非可換性のような新しい物理があるはずである。我々は現在、量子力学前夜の前期量子論の時代のように、新しい物理を確立すべく第一歩を踏み出し始めている。弦理論を越えた新しい物理の成立は来世紀の初めになされるかもしれない。

String Dualities(弦の双対性)

 場の量子論における非摂動的な側面の一つとして、ソリトンの存在は、特に超対称な量子色力学の最近の強弱結合双対性の議論において、極めて重要な位置を占めている。弦理論においても、まず点粒子極限の低エネルギー有効理論において様々なソリトンが発見された。その後しばらくして、様々な超弦理論の間の双対性に関する予想が活発に議論された。弦の双対性の議論においては、BPSソリトンと呼ばれる特別なソリトンが重要な役割を演じてきた。そしてD-braneと呼ばれる、弦理論におけるソリトンを極めて単純に記述する方法が発見され、弦の双対性に関する予想は、低エネルギー有効理論を越えた弦の拡がりを含めたより根本的なレベルに引き上げられ、そして様々な超弦理論における強弱結合双対性に関してさらなる最もらしい証拠を与えた。弦の双対性の中でも、特にM理論と呼ばれる11次元理論の出現は非常に弦理論研究者の心を沸き立たせた。様々な超弦理論の双対性はかなり統一的にM理論の立場から理解される。M理論はタイプIIA超弦理論の強結合極限であり、その低エネルギー有効理論は11次元超重力理論で与えられる。実際、11次元方向を半径R11の円にコンパクト化すると、11次元超重力理論は10次元タイプIIA超重力理論になり、半径R11はR11を通じて弦の結合定数g3と関係している。このことから、強結合においては、11次元方向が実際に存在することがわかる。またコンパクト化により11次元計量から一形式が生ずるが、これに付随した電荷が11次元方向のカルーツァ・クライン運動量n/R11として現われる。タイプIIA超弦理論の観点から見ると、一形式はRamond-Ramondゲージ場であり、このゲージ場に結合する摂動的な弦の状態は存在しない。それ故に、カルーツァ・クライン運動量n/R11を持つ状態はタイプIIA超弦理論におけるソリトンとして存在しなければならない。そしてそれらの状態は一形式に結合しているために、1次元的に拡がった物体、つまり0-braneまたは粒子であり、ディリクレ0-braneまたはディリクレ粒子として記述される。これらの考察から、ディリクレ粒子はM理論の11次元構造と深く関わりを持つことがわかる。実際ディリクレ粒子のダイナミクスという観点から11次元構造が見えて来ている。ディリクレ粒子の散乱により11次元プランク長と11次元方向のコンパクト化半径R11を測れることが示された。さらにごく最近、無限運動量極限におけるM理論が、ディリクレ粒子のダイナミクスという観点からある種の行列理論としてミクロに記述されることが予想された。いずれにせよディリクレ粒子のダイナミクスの重要性は今や疑う余地がない。我々はディリクレ粒子のダイナミクスを調べるために、まず第一歩として、ボゾン弦理論において、量子化されたディリクレ粒子と閉弦の散乱振幅を計算する方法について議論した。

 ここで現在までのディリクレ粒子の散乱、あるいはより一般的なD-brane散乱の計算法について簡単にまとめてみる。これは二つのカテゴリーに分類される。まず最初のカテゴリーに属するのは、境界のあるリーマン面上での散乱振幅を計算する方法である。シリンダー振幅の計算により、二つのD-brane間の相互作用のD-brane速度依存性が明らかにされた。またディスク振幅の計算により、D-braneに衝突する閉弦はいわゆる「stringy halo」、つまりD-braneに貼り付いた開弦を感じ、したがってそのことによりD-braneは、D(-1)-brane、つまりD-インスタントンを除いては、弦のサイズlSを持つように見えた。これらの計算においては、古典的な、つまり固定されたD-braneしか考えられていなかったが、我々はディリクレ粒子を完全に量子化し、ディリクレ粒子の散乱による反跳を自動的に取り入れることができた。反跳を取り入れた効果として、閉弦とディリクレ粒子の散乱振幅に現われるs-チャネルの極に、今までは知られていなかった弦とディリクレ粒子の中間のスケールを持った、またの間隔を持つものが現われた。これはディリクレ粒子の励起を表していると思われる。またディリクレ粒子が通常の粒子とは本質的に異なるものであることを表していると考えられる。

 次に第二のカテゴリーに属するのは、D-braneの低エネルギー有効理論を用いてD-brane散乱を計算する方法である。D-braneの低エネルギー有効理論は10次元の超対称Yang-Mills理論をD-brane世界面上にコンパクト化した理論で記述される。この計算は遅い速度のD-brane、特にディリクレ粒子、に限られており、つまり非相対論的な取扱いである。我々の定式化においては、ディリクレ粒子の速度に対する制限はなく、完全にディリクレ粒子のダイナミクスを相対論的に扱っている。ただし我々の計算においてはディリクレ粒子の加速度は小さな場合に限られている。

 以上二つのカテゴリー以外にD-braneダイナミクスに対するアプローチとして我々はもう一つのカテゴリーを加えたい。しかしこれはD-braneの散乱を直接扱っているわけではない。これはD-braneを境界状態として表し、取扱う方法である。今まで構成された境界状態は、石橋によるものを除いて、古典的なD-braneに相当する。我々は量子化されたディリクレ粒子を記述する境界状態を構成したという点を強調したい。

 本論文の構成は以下のようである。第2章において、D-braneの基本的な概念及び、三つのカテゴリーに先に分類したD-braneダイナミクスに対する方法について簡単にレヴューする。第3章において我々は量子化されたディリクレ粒子と閉弦の散乱振幅を計算する。我々の計算ではディリクレ粒子の加速度が小さいという近似を用いた。ディリクレ粒子の量子化はディリクレ粒子の集団座標を経路積分することにより行った。特に閉弦としてタキオン状態及び重力子状態について詳細に調べた。また我々の扱っている理論の自己無矛盾性について特に力点をおいて議論した。これは第5章において構成される境界状態のBRST不変性として理解される。その際の条件としてディリクレ粒子の初期状態及び終状態が質量殻上にあればよいことがわかった。第4章、前章で計算した散乱振幅からディリクレ粒子-ディリクレ粒子-閉弦頂点関数を表す境界状態を構成した。これは最近石橋により提案されたものと一致している。第5章は議論及び結論にあてた。我々の定式化の様々な拡張及び展望、またディリクレ粒子の反跳について議論した。最後に我々のモデルを異なる共形場理論の間のダイナミカルな遷移を実現している例として解釈できるという観点について論じた。

審査要旨

 双対性を発端としたこの数年における超弦理論の新展開は、重力を含む無矛盾な統一理論の唯一の候補としての超弦理論に全く新しい視点と定式化を迫り、単に拡がりを持つ対象を従来の量子力学的方法によって取り扱うことを越えて、量子論の発見以来の新しいパラダイムへの移行を予感させている。これらの研究において(少なくとも現時点の定式化において)重要な役割を果しているのが、D(-irichlet)-braneである。

 D-braneは、一般に拡がりを持つ力学的オブジェクトで、stringと結合することができる。特にclosed stringのRamond-Ramondゲージ場と結合することが重要な意味を持ち、BPS状態とよばれる量子的補正を受けない安定なソリトンとしての性質をもっている。弦理論の枠組みの中では、stringの端点が束縛される超平面として記述される。弦理論の非摂動的なふるまいを解明するためには、当然D-braneそのものも量子化して取り扱う必要がある。しかしながら、これ迄の解析では、バックグラウンドとしてのD-braneからの小さな揺らぎ、あるいはD-braneが小さな速度で動く近似のもとでしか扱えていなかった。

 本論文では、D-braneのうち点粒子的な構造を持つD-particleについてきちんと量子効果を取り入れていく方法を提起し、さらに例としてD-particleの軌跡の曲率が小さい近似のもとでD-particleとclosed string stateとの散乱振幅に応用した。

 論文の構成としては、第1章では研究の背景と動機付けを、第2章ではD-braneの定義と基本的性質およびいくつかのこれ迄の定式化についてまとめている。第3・4章が本論で、第5章が議論とまとめである。

 基本的な定式化と計算は第3章において実行される。まず任意の軌跡のD-particleのもとでのbosonics tringのdisk amplitudeを、軌跡の曲率の小さい側からの展開を基準座標展開を用いることによりあたえる。その際現れる発散によりD-particleの軌跡を表す関数が繰り込みを受けることを指摘している。次にそれをD-particleのBorn-Infeld作用による重みで経路積分する。これによってD-particleの量子化が実行される。さらに具体的例としてD-particleとclosed bosonic stringのtachyon stateとの2体散乱振幅を計算し、その結果これ迄知られていなかったs-channelのpole構造を見出した。この新しいpole構造はD-particleの量子的励起を解明する上で今後重要な手掛かりとなると思われる。

 第4章では前章の結果を用いてclosed stringのoperator形式におけるD-particleとの散乱を記述する境界状態を構成し、BRS不変性との関係を論じている。この結果は既に知られていた近似的結果と整合している。

 このように本研究は、D-braneの量子化にむけての第一歩とも言える研究であり、定式化と物理的結果の両面において新しい知見を与えており、今後の発展が期待される重要な仕事であると言える。

 なお、第3・4章の内容は風間洋一氏との共同研究に基づくものであるが、計算及び解析において論文提出者の寄与が十分であると判断できる。

 よって審査員一同は、本論文が博士論文として合格の評価をされるべき業績と判定した。

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