はじめに 強相関電子系は今日の固体物理の中心的課題の一つである。3d遷移金属化合物では電気的磁気的性質に3d電子が大きな役割を担っており、これらの電子では電子相関が無視できるほど小さくはない。3d遷移金属化合物は強磁性、反強磁性、金属絶縁体転移、最近発見された高温超伝導などのように広範な性質を示す。3d遷移金属化合物において電子相関が無視できない有名な例として-電子的なバンド計算がNiOのバンドギャップを導けないことが挙げられる。本論文では3d遷移金属硫化物のうち金属絶縁体転移を示す物質とその関連物質の中からパイライト型化合物であるFeS2,CoS2-xSex,NiS2-xSexとNiAs型Ni1-xVxSおよび二次元的な結晶構造を持つBaNiS2をとりあげる。パイライト型化合物のFeS2,CoS2-xSex,NiS2-xSexは同一の結晶構造を持ちながらさまざまな電気的磁気的性質を示す物質群でその多様性が単一の3d egバンドの電子によっていることから60年台から70年台に掛けて精力的に研究が行なわれた。しかしながら、NiS2-xSexの金属非金属転移のメカニズムなどいくつかの問題は今日においても活発な研究の対象として残っている。NiAs型NiSは金属非金属転移を起こす物質で、非金属相のキャリアは軽い遷移金属やNi空孔のドーピングによって制御できる。本論文ではドープしていないp型のNiSとVをドープしてn型にしたNiSの比較を行なっている。我々は上記の物質群に対して光電子・逆光電子分光実験を行ない、その電子構造を研究した。また、BaNiS2については、X線吸収スペクトルの測定から、Niイオン上の3d電子の配置について研究を行なった。 実験方法 試料として、パイライト型化合物のFeS2,CoS2,CoS1.72Se0.28,NiS2,NiS1.55Se0.45,NiS1.34Se0.66とVをドープしたNiAs型NiSのNi0.97V0.03S,Ni0.94V0.06、そして、BaNiS2を用意した。FeS2,CoS2,CoS1.72Se0.28,NiS2,1.34Se0.66についてはHe放電管を光源とした紫外線光電子分光とMgの特性X線であるMg線を光源とした線光電子分光、さらにX線逆光電子分光実験を行なった。試料のうちFeS2,CoS2,NiS2については遷移金属の3p-3d共鳴を用いた共鳴光電子分光実験を行なった。さらに、NiS2,NiS1.55Se0.45,NiS1.34Se0.66についてはHe放電管を光源とした高エネルギー分解能光電子分光実験も行なった。Ni0.97V0.03S,Ni0.94V0.06SについてはHe放電管を光源とした高エネルギー分解能光電子分光実験を行なった。BaNiS2についてはNi L2,3 X線吸収の計測を行なった。 パイライト型遷移金属カルコゲナイド 価電子体の紫外線光電子分光、X線光電子分光スペクトルはFeS2,CoS2,NiS2の互いについてよく似ていて、1〜2eVに遷移金属の狭い3dバンドがあり、それより深い側で約10eV位までの範囲に比較的広いS3pバンドが広がっている。FeS2の3d主ピークがきれいな単一ピークなのに対してCoS2,NiS2では、3d電子が増えるのに伴って遷移金属の3degバンドを電子がそれぞれ1個2個占有するため主ピークの浅い側に肩構造が認められる。紫外線共鳴光電子分光実験ではFeS2,CoS2,NiS2のすべてにおいて、6〜7eV辺りに共鳴増大するサテライト構造がみられ、これらの物質では電子相関が強いことが分かっった。 NiS2の光電子スペクトルをクラスターモデルを用いて解析した結果、NiS2は3d-3dクーロン相互作用Uより3p-3d電荷移動エネルギー△の方が小さい電荷移動型絶縁体であることが分かった。この解析で得られたパラメータからFeS2のパラメータを演繹しFeS2の低スピンの安定性の起源を調べた結果、短いFe-S間距離による大きな移動積分(pd)がFeS2の低スピン電子配置を安定化させていることが分かった。 強磁性相のCoS2と常磁性相のCoS2およびCoS1.34Se0.66の紫外線光電子分光スペクトルを比較すると実験の精度以内で変化が見られないが、局所スピン密度汎関数法からスペクトルを予測すると本実験の分解能で観測可能な変化が認められるはずであった。現実のCoS2はわずかなバンド構造の変化しか伴わずに強磁性転移を起こしていることが分る。 高分解能紫外線光電子分光実験によってNiS1.55Se0.45の金属絶縁体転移にともなう電子状態の変化が観測できた。低温の金属相では100meV付近の強度に増大が見られる一方、200〜500meVにおいては強度の減少が見られた。高温の絶縁体相でもスペクトルの形状は金属的でギャップは観測されなかった。我々は、金属相と絶縁体相のスペクトルの変化を半金属的なバンドの重なりが起こったからであると解釈した。絶縁体のNiS2でも光電子スペクトルは金属的でフェルミエネルギー直下でも大きな光電子放出強度を示し、室温では熱的に大量のホールが励起されていると考えられる。大量のキャリアがあるにも関わらず絶縁体であるためにはキャリアの移動度が非常に小さくなければならない。 VドープしたNiS ドープをしていないp型のNiSでは高分解能紫外線光電子分光実験の結果、低温の非金属相で約10meVのギャップが開くことが確認されているが、光学的なギャップ(140meV)より小さい。これはp型の半導体ではフェルミエネルギーが価電子帯の直上にあり、ギャップの大半がフェルミエネルギーより上にあるということで説明されていた。一方Vをドープしてn型にしたNiSの光電子分光スペクトルを観測すれば、この大きなギャップが観測されることになるが、実際のスペクトルでは大きなギャップは開かず、かえってp型のNiSで開いていた小さな10meVのギャップも閉じていた。n型のNiSでギャップがなくなることは半金属的なバンド構造を考えることによって説明できる。NiSにおける金属非金属転移は大きなフェルミ面を持つ通常の金属から小さなフェルミ面を持つ半金属への転移と考えられる。 BaNiS2 2次元的な結晶構造を持つBaNiS2ではNiが五つのS原子によってピラミッド型に配位されており、Ni3d電子は対称性の低い結晶場中に存在している。立方対称場などの高い対称性の結晶場中のNi+2価イオンは高スピン電子配置をとるが、低い対称性の結晶場中では、フントカップリングと結晶場分裂の大小で高スピン電子配置をとるか、低スピン電子配置をとるかが決まる。BaNiS2のNiL2,3X線吸収スペクトルを、ピラミッド型NiS58-クラスターモデルによる計算で解析した結果、BaNiS2が高スピン電子配置をとることが分かった。 |