学位論文要旨



No 112416
著者(漢字) 山口,伸也
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,シンヤ
標題(和) ペロブスカイト型Co酸化物における電子構造転移
標題(洋) Electronic-structural transitions in perovskite-type cobalt oxides
報告番号 112416
報告番号 甲12416
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3196号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 毛利,信男
 東京大学 助教授 今田,正俊
 東京大学 助教授 吉沢,英樹
 東京大学 教授 壽榮松,宏仁
 東京大学 教授 石川,征靖
内容要旨

 本論文の研究対象であるCo酸化物(La1-xSrxCoO3(0≦x≦0.3)、RCoO3(R=Pr,Nd,Sm,Eu,Gd))はペロブスカイト型構造を持つ遷移金属酸化物からなる一連の物質群(R3+A2+M3+O3;R3+希土類、A2+アルカリ金属、M3+遷移金属)の一員である。ペロブスカイト型遷移金属酸化物は、それらにキャリアドープされた系とともに古くから多様なモット転移の舞台として研究されていたが、層状構造をもつCu系で高温超伝導が発見されたことを契機として旺盛な再研究が行われてきた。本研究の母体物質LaCoO3は、LaTiO3からLaCuO3へと遷移金属を置換していった一連の物質群のうち、ちょうど電荷移動型ギャップが潰れかけたところに位置し、少量のキャリアドープ(SrによるLaの置換)によって容易に絶縁体-金属転移(x〜0.18)を起こす。Co-O間の共有結合性が強く3d電子と2p電子が強く混成しているため、この小さな電荷ギャップはバンド幅の制御に対し極めて敏感な特性を示す。またイオン結晶には見られない遍歴的な伝導電子が、局在的なスピンとの相互作用を通して二重交換相互作用による強磁性を発現させる。さらにLaCoO3では結晶場分裂とフント結合のエネルギー差が小さいためCo3+が非磁性から磁性状態へと熱的に励起され、そのスピンギャップと電荷ギャップとのエネルギーバランスによって磁性と伝導が互いに影響しあい他の物質にない特有な伝導特性を示す。本研究はモット転移近傍の強相関電子系の中でも、小さなスピンギャップと電荷ギャップを持つCo酸化物を対象とし、物性パラメータ制御によって電子構造転移の本質を理解することを目的とする。

実験方法

 本研究では、フローティングゾーン法を用いて合成したいくつかの単結晶ドメインからなる結晶性の良い試料を用いた。これにより粒界や不純物による散乱を抑え、磁気抵抗効果や微少に導入されたキャリアの振舞いを調べる実験が可能となった。また鏡面に磨いた反射面での光学測定も可能となり、従来のセラミックス試料では得られなかった広いエネルギー範囲の実験結果が得られた。これらの試料を用いてキャリア導入率(x)、格子歪み(R=La→Gd)のパラメータを制御しつつ広い範囲の磁気、伝導、および光学特性を測定し電子構造を求めた。

結果<LaCoO3の熱励起型スピン状態転移>

 LaCoO3の帯磁率の100K付近に急激な増大を観測した。Co3+の非磁性から磁性状態への熱励起を想定した分子場近似の結果、励起状態が高スピン(S=2;)、中間スピン(S=1;)いずれの場合も230〜300Kの小さなスピンギャップを伴っており、室温ではほとんどが励起状態にあることがわかった。その転移温度範囲で光学フォノンスペクトルを測定し、100Kから異常なモードの急速な増大を観測した。その異常モードを説明できる長距離的な格子歪みは報告されておらず、何らかの局所的な歪みがCo3+の磁気的励起に対応してCo3+の周辺で発生したと考えられる。フォノンスペクトルの分散解析の結果、中間スピン状態間の軌道整列によるJahn-Teller型歪みの可能性が最も高いことが明らかとなった。

<La1-xSrxCoO3の微少ドープ領城におけるhigh-spinポーラロン>

 LaCoO3の非磁性領域(T<100K)が微少なキャリアドープ(0.002≦x≦0.010)で急速に常磁性的振舞いに変化することが観測された。その常磁性状態のスピン量子数はS=10〜16もの値となり、ドープされた不純物のまわり5〜16サイトにも及ぶ大きなhigh-spin(スピン量子数の高い)ポーラロンが形成されていることがわかった。これはドーピング誘起の磁性転移と空間的に広がった軌道を持つキャリアとの性質を反映しており、二重交換相互作用による強磁性金属転移への前駆現象と考えられる。

<La1-xSrxCoO3のin-gap状態の増大>

 La1-xSrxCoO3は二種類の絶縁体-金属転移を示す。ひとつはLaCoO3で知られていた高温(400K≦T≦600K)での緩やかな熱励起的転移、もうひとつはドーピングによる転移(x〜0.18)である。前者は熱活性化型の振舞いに類似しているが活性化エネルギーに比べ異常な低温で転移が起こっており、その原因については多くの研究にもかかわらず未だ不明である。今回その転移において伝導度の増加と同じ振舞いのキャリア密度の増大が観測された。またその転移がxの増加とともに急激に低温へ移動し、ちょうど後者の転移点付近(x〜0.15;T〜300K)まで低下することがわかった。光学伝導度スペクトルの振舞いは両者の転移で極めて類似しており、金属転移に伴い高エネルギー領域からin-gap状態への遷移強度の移動が観測された。これは高温超伝導体などと同じく電荷移動型ギャップが崩壊したときの特徴と捉えることができるが、ドーピングによる金属転移のほかに熱励起的金属転移についても同様の振る舞いがみられたことは、この転移が何らかの電子相関効果の影響を受けていることを示唆する。

<La1-xSrxCoO3の磁気抵抗効果>

 La1-xSrxCoO3の強磁性金属相(x≧0.2)における抵抗率がT2に比例することが見出された。これはLa1-xSrxMnO3の強磁性金属相で見られたものと同じく、電子-電子散乱の効果が重要な役割を演じていることを示す。さらにキュリー温度付近で大きな負の磁気抵抗効果が見いだされた。その大きさは磁化の二乗に比例し、ドーピングが増加するほど比例係数が減少した。これは磁場印可によって熱的なスピン揺らぎによる散乱が抑制されたことと、ドーピング増大によって伝導電子と局在スピンとの結合が減少したためであり、二重交換相互作用による強磁性金属発現のメカニズムでよく説明できることが判明した。

<RCoO3における絶縁体-金属転移のバンド幅による制御>

 LaCoO3の熱励起型絶縁体-金属転移を詳しく調べるため、希土類サイトの置換をとおしてバンド幅を減少させた。抵抗率は熱活性化的な振る舞いを保ったまま活性化エネルギーを急激に増大させ、絶縁体-金属転移は高温領域へ移動した。光学スペクトルにおいてもギャップの増大が観測され、光学ギャップと活性化エネルギーとがバンド幅に対し同様の変化を示したが、絶縁体-金属転移の異常なまでの低温での発現が明らかとなり、電子相関効果おそらくは熱励起によるモット転移の可能性が示唆された。

<La1-xSrxMnO3およびLa1-xSrxCoO3の磁気光学効果>

 La1-xSrxMnO3とLa1-xSrxCoO3の磁気光学(Kerr)効果の測定を行った。ドーピング増大によって、La1-xSrxMnO3の二つの光学遷移(1.3、3.0eV)およびLa1-xSrxCoO3の一つの遷移(3.1eV)付近でカー回転角、楕円率の増大が観測された。求められた誘電関数の形からLa1-xSrxMnO3の二つの遷移はいずれも電荷移動型、La1-xSrxCoO3は結晶場遷移型の光学遷移に対応することがわかった。La1-xSrxMnO3では強いフント結合によって別れた状態密度が磁場によって完全なスピン偏極を形成すること、またLa1-xSrxCoO3では分子軌道的な電子構造が形成されていることが明らかとなった。

結論

 LaCoO3では小さなスピンギャップの熱的な崩壊により、Co3+が非磁性(低スピン)状態から磁性(おそらくは中間スピン)状態へと100K付近で転移する。これにより遍歴的な伝導バンド(反結合性eg軌道)へ電子が導入され、強い電子相関によりモット絶縁体を形成する。このギャップはバンド絶縁体と異なる起源のため従来の熱活性化型半導体に比べ異常な低温で崩壊して金属転移する。またドーピングに対しても容易に崩壊するため金属転移温度が急激に低下する。LaCoO3の非磁性基底状態にドープされた不純物の周りには磁性状態のCo3+が急激に形成される。これは後に出現する強磁性金属相の母体であり二重交換相互作用の前駆現象である。これらは強く相関した電子が磁性転移と結びついた伝導特性を示した結果であり、電荷ギャップとスピンギャップの両者を併せ持つペロブスカイト型Co酸化物の特徴である。

審査要旨

 ペロブスカイト型遷移金属酸化物は層状構造をもつCu系で高温超伝導が発見されたことを契機に、モット転移点近傍の強相関電子系の電子物性の研究が最近、再び行われてきた。本論文の研究対象となっているLaCoO3は、LaTiO3からLaCuO3へと遷移金属を置換していった時に丁度電荷移動型ギャップが潰れかけたところに位置する物質で、キャリアーを注入することによって、容易に絶縁体-金属転移を生じ、また、このキャリアーと局在スピンとの二重交換相互作用によって強磁性を発現させる。さらに、LaCoO3は結晶場エネルギーとフント結合エネルギーとの差が小さいため、Co3+が非磁性から磁性状態へと熱的に容易に励起され、スピンギャップと電荷ギャップとのエネルギーバランスによってこの系に特有な伝導特性を示すことで注目されている。本提出論文においては良質単結晶を用い、キャリアー数、格子歪み量のパラメータを制御し、その磁性、伝導性、光学特性を測定することによってその電子構造を理解するうえで新しい重要な知見が与えられている。

 本論文は英文で6章からなる。第1章はペロブスカイト型遷移金属化合物の物性に関しての概略説明と本論文で取りあげているLaCoO3の従来までの研究成果について纏められている。特に、これまでの多結晶試料による実験データーでは、有限温度におけるCo3+のスピン状態や電気伝導性に関して理論と比較するには不十分であること、さらには研究者間によるデータの矛盾が指摘され、この物質の電子状態を理解するにはキャリアー制御された単結晶を用いた精密実験の必要性が述べられている。

 第2章では本実験に用いられた試料の作成方法、キャラクタリゼーション、輸送現象、磁気測定、光学測定手段について述べられている。

 第3章ではLaCoO3の熱的に励起されたスピン状態についての研究結果が述べられている。スピン状態に関連した電子状態を調査するため、光学フォノンスペクトルの測定を行い、新しいフォノンモードが温度の上昇とともに成長してくることを見いだし、それが帯磁率の温度変化に対応することから、熱的に励起された磁性イオンの周りで生じる格子歪みに起因すると結論している。フォノンスペクトルの分散解析の結果、中間スピン状態間の軌道整列によるJahn-Teller型歪みの可能性がもっとも高いことを指摘した。測定されたフォノンスペクトルは一義的な結論を引き出す解析に耐えうるものとは言いがたいが、現在の時点で考えられるモデルを比較検討するには十分で、得られた結果は今後の進展に新しい重要な示唆を与えるものとして、高く評価できる。

 さらに、微小なキャリアーを注入した試料でドープされた原子のまわりに5〜16サイトにも及ぶ大きな磁気ポーラロンが形成されていることを見いだし、強磁性金属転移への前駆現象であると考察している。

 第4章ではLaCoO3系で生じる熱励起による非金属-金属転移とSrドーピングよる非金属-金属転移、及び強磁性金属状態での磁気抵抗についての詳細な研究結果について記述されている。La1-xSrxCoO3系で0≦x≦0.3の広いSrドーピング領域で電気伝導および帯磁率の測定から電子相図を決定した。さらに、光学伝導度スペクトルの測定から金属転移にともなってその強度が高エネルギー領域からギャップ内に移動することを見いだした。この現象は酸化物高温超伝導体と共通の性質であり、ペロブスカイト型酸化物の電子構造を理解する上で貴重な知見を与えている。

 また、強磁性金属相の電気抵抗率がT2に比例することを見いだし、この領域で電子-電子散乱効果が重要な役割を果たしていることを示すと同時に、キューリー温度付近で見いだされた異常な磁気抵抗が二重交換相互作用による強磁性金属発現のメカニズムで説明できることを示した。

 第5章ではLa1-xSrxMnO3とLa1-xSrxCoO3について磁気光学効果の測定結果について記述している。その励起スペクトルの解析から、前者では電荷移勤型、後者では結晶場遷移型の光学遷移に対応していることを見いだしている。また、La1-xSrxMnO3では強いフント結合によって分離している状態密度が磁場によって完全なスピン偏極を形成すること、またLa1-xSrxCoO3では分子軌道的な電子構造が形成されていることを明らかにしている。

 最後の第6章では本研究で得られた新しい実験結果からペロブスカイト型Co酸化物の電子構造についての知見を要約している。

 以上、各章について本論文で記述されている新しい知見について解説した。本論文は実験結果及びその解析について極めて詳細に記述されており、学位論文として十分な水準にあることが審査員全員によって認められ、博士論文として合格であると判定された。尚、本論文の主な部分は既に公表されているが、それらの論文の第一著者は全て本論文提出者となっていることから、論文提出者の寄与が十分と判断された。また、共著者からは既に公表された論文の一部を学位論文とする同意書が提出されている。

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