学位論文要旨



No 112418
著者(漢字) 綿貫,徹
著者(英字)
著者(カナ) ワタヌキ,テツ
標題(和) 金属内包フラーレン結晶の構造と磁性
標題(洋)
報告番号 112418
報告番号 甲12418
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3198号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小牧,研一郎
 東京大学 教授 井野,正三
 東京大学 助教授 加倉井,和久
 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 教授 塚田,捷
内容要旨 1。背景、及び、目的

 フラーレンとは炭素原子からなる篭状の分子であり、近年発見されたものである。最近、このフラーレンのケージの中に金属原子を入れた、金属内包フラーレンが合成、分離精製されるようになった。このような特異な形状の分子が結晶を組んだ場合、如何なる物性を示すのか非常に興味深い。しかしながら、その分子構造に関しては、金属がケージに内包されているか否かについても、未だ明らかにされていない。そこで、本研究ではこれを決定することを第一の目的とした。一方、結晶構造に関しては、金属内包フラーレンの精製の際に用いられる溶媒を結晶中に取り込んだ結晶のいくつかについては、これまでに明らかにされている。しかしながら、固体物性の観点から最も興味のある金属内包フラーレンのみで構成された結晶についてはその構造は明らかにされていない。結晶構造、及び、その温度依存性は、中空フラーレンの結晶と比較してどのような差があるのか、特に金属内包フラーレンが持つ大きな電気双極子モーメントの影響がどのように反映されるかという点に興味が持たれる。そこで、本研究では金属内包フラーレンのみからなる結晶の構造、及び、その温度依存性を明らかにすることを第二の目的とした。また、金属内包フラーレンはケージに不対電子を持つことが知られている。フラーレンのC60に電子をドープした系では、超伝導や磁気相転移を示すなど興味深い結果が得られている。この観点からは金属内包フラーレン結晶は初めからドープされた系ということになり、その電子物性、磁性には同様の興味が持たれる。そこで、金属内包フラーレン結晶についてこれらを明らかにすることを第三の目的とした。

2。実験

 本研究では金属内包フラーレンとしてLa@C82を扱った。試料は10g弱という極微量のため、構造決定のためのx線回折実験は放射光施設で行なった。また、極微量試料から高精度のデータを得ることを可能にする回折装置の開発、専用の冷凍機、及び、高温炉の設計、製作を行なった。

 一方、磁性、電子物性の研究はケージ上の電子のスピンの直接観測が可能で、しかも僅かな試料でも測定可能なESR実験によって行なった。

3。結果、結論

 x線回折実験の結果、室温においてLa@C82結晶は面心立方構造(空間群Fmm)をとり、格子定数はa0=15.78Åであることが決定された。分子の大きさと単位胞の大きさとから各格子点にLa@C82分子一つが配置されている構造であることが決定された。溶媒分子を取り込んだ結晶は低い対称性の構造をとったが、La@C82分子のみで構成された結晶は高い対称性の構造をとることが分かった。この結果は中空フラーレンの結晶と同様の結果である。この結晶構造で特徴的なことは分子配向が方位に関して何らかのランダムさを持っていることである。これは、ラグビーボール状の低対称(点群C2)な形を持つC82ケージが、格子の高い対称性を満たすように配置されなければならないからである。

 La位置の決定、及び、上述のケージの配向のランダムさを具体的に明らかにするために構造解析を行なった。構造解析は次の2つの方法を組み合わせて行なった。一つはモデル計算による方法であり、もう一つは回折強度におけるLaの異常分散効果を利用したフーリエ合成の方法である。モデル計算はC82ケージを回転楕円体殼で置き換え、Laイオンを一般位置に置いたモデルで行なった。計算結果は観測値をよく再現することができた(R=5.8%)。この結果、C82ケージはその長軸が[111]方向、或いは、その等価な方向(<111>方向)に配向しており、これらの等価な方向の選択に関して無秩序(merohedral disorder)であることが明らかになった。一方、Laイオンの位置はモデル計算においては一意的に決定できなかったが、何れの場合もC82ケージの中心から1.9Å離れたケージに内包された位置をとる3箇所の候補に絞ることができた。これら候補からLaイオン位置を一意的に決定するためにLaの吸収端近傍の波長でのx線回折実験を行なった。吸収端近傍の2箇所の波長でx線回折を行なうと、異常分散効果のためにLaの原子散乱因子は大きく変化し、その差の分だけ回折線の強度が変化する。よって、吸収端近傍の2箇所の波長でとった回折線の互いの強度を差し引くとLaイオンのみの形状因子の大きさを決めることができる。この結果とモデル計算で決定されたC82ケージの位相を用いると、Laイオンのみの形状因子の位相、及び、La@C82結晶の構造因子の位相を決めることができる。決定されたこれらの形状因子、及び、構造因子を用いてフーリエ合成を行ない、Laイオンのみの位置分布、及び、La@C82結晶の電子分布を決定することができた(図1a,b)。この結果、Laイオンの位置は図2に示したように、ケージに内包された位置であり、ケージ中心から1.9Å離れた、ケージの長軸からも短軸からもずれた位置であることが決定された。また、La位置のケージ中心に対する方位は<100>方向に強い選択性を持つことが明らかになったが、この方位は分子の持つ電気双極子モーメントによる静電エネルギーを最小とする配置であると考えられる。

 結晶構造の温度依存性に関しては以下のことが明らかになった。測定全温度領域(11K-573K)においてLa@C82結晶は室温同様に面心立方構造をとることが分かった。しかし、格子は温度上昇と共に大きく膨張する箇所が2箇所あり(100K-180K,480K-500K)、それらで隔てられた3領域は互いに分子の配向状態が異なることが構造解析から明らかになった。これらの配向状態は高温から、C82ケージ長軸が<111>方向に向いた状態(等価な向きに関してのmerohedral disoeder)、長軸が<111>方向に向くがそこからのばらつきが大きい状態、及び、分子配向が方位に関して殆どランダムな状態である。この結果は、高温ほど分子配向はランダムになるという中空のフラーレンの結果とは逆の結果である。3領域のうちの最低温領域では分子運動は凍結していると考えられる。一方、Laの位置は全温度領域で室温と殆ど変わらない位置にあることが分かった。また、線膨張係数は中空のフラーレンの場合に比べて小さい(1/2程度)ことが分かった。以上の結果は何れも金属内包フラーレンでは分子の動きが中空フラーレンに比べて抑えられていることを示している。これは、金属内包フラーレンの持つ電気双極子モーメントによる静電的な力の影響だと考えられる。

 低温ESR実験からはLa@C82結晶のスピン帯磁率、吸収線幅、及び、g値の温度依存性(7K-300K)が決定された。80K以上では、スピン帯磁率、線幅、及び、g値は何れもほぼ一定であった。(3X10-4emu/mol,40G,2.0005)一方、80K以下では、スピン帯磁率、線幅、及び、g値のシフトは何れも、温度降下に従って急激に大きくなるという変化が観測された。80K以上の常磁性成分は、それが温度にほとんど依存しないことから、伝導電子のPauli常磁性によるものと考えられる。Pauli常磁性を仮定して線幅、及び、g値のシフトから伝導電子の散乱確率を求めた結果も、その散乱確率が温度上昇に従って増大するという典型的な伝導電子の振る舞いを示しており、このことからも上の考えは支持される。よって、La@C82結晶は80K-300Kでは金属であると考えられる。スピン帯磁率から求めたフェルミ面での状態密度は9states/eV per La@C82であった。これは通常の金属に比べると大きな値であるが、C60に電子をドープした系では近い値が得られている。一方、80K以下では線幅が温度降下に従って増大することから反強磁性相関が発達している状態であると考えられる。但し、長距離秩序ができたときには常磁性共鳴におけるスピン帯磁率は小さくなるが、ここでは温度降下に従って増大しているので、長距離秩序はできていないと考えられる。この低温で異常がみられる温度領域はケージは配向が方位に関してランダムであり、運動が凍結している温度領域に一致している。このことからこの系の電子物性、磁性はケージ運動、及び、配向状態に大きく依存していると考えられる。

図1(a)Laイオンの位置分布を示す差フーリエ図(白色程密度が高い) (b)La@C82結晶の電子密度分布を示すフーリエ図(白色程密度が高い)(図2)La@C82の分子構造
審査要旨

 本論文は5章より成り、第1章は序論、第2章は実験方法、第3章は結果及び解析、第4章は考察、第5章は結論である。

 C60を初めとする、炭素原子からなるカゴ状の分子であるフラーレンは近年発見された一連の興味深い分子であり、特に、金属原子を炭素ケージの中にもつ金属内包フラーレンについては、内包していることの確認、その分子構造、結晶構造の解明とそれらの中空フラーレンとの違い、ドープされた電子に由来する物性などに興味がもたれている。本研究はLaを内包するC82(記号La@C82)についてこれらの点を明かにすることを目的としている。

 これまでの研究により以下のことが知られている。フラーレンにはC60、C70、C70、C82、…などがあり、C60の分子は高い対称性Ihをもち、その結晶は高温ではfcc構造で分子は自由回転しており、低温では分子回転が凍結したsc構造をとる。C70、C76分子はそれぞれD5h、D2の対称性をもち、結晶中での分子は高温で自由回転、低温で回転凍結、中間温度領域では一軸性の回転をしている。13C-NMR等によると、C82分子には、C2、C2V、C3Vの点群に属する3種の分子が生成比8:1:1で存在する。C2対称性の分子には3つの候補構造があるが、いずれも概略葉巻型の回転楕円体をなし、2回回転軸は長軸に垂直である。ケージ内に1原子の金属を内包するとして抽出されているものはほとんどがC82であり、大気中での安定性、EXAFS、理論計算などから金属が内包されていると考えられているが直接的な証拠は挙げられていない。

 試料は溶媒を含まない粉末結晶で、10gという極微量である。構造の決定はKEKの放射光施設でX線回折によって行われた。広い温度範囲での構造を調べるため、He冷凍機あるいは高温炉がゴニオメータに取り付けられ、回折X線の検出には2次元検出器であるイメージングプレートが用いられた。

 室温でのX線回折実験から、La@C82の結晶は一部が六方晶(a=11.11Å、c=18.35Å)で大部分は単位胞に4分子を含むfcc構造(a=15.78Å、空間群Fmm)であることが知られた。C2という低対称性分子からなる結晶が高い対称性を示すことから分子の配向が何等かの無秩序性を持っていることが結論された。

 Laの位置およびケージの配向の無秩序性を具体的に解明するため、二段階の構造解析が行われた。第一段階のモデル計算では、C82配向とLa位置のモデルを網羅的に取り上げ、計算された回折線強度と測定との比較から、C82ケージを回転楕円体で置き替えた場合、その長軸は<111>軸方向を向き、等価な配向に関して無秩序に配置されており、ケージの大きさは、長半径4.60Å、短半径3.95Åと結論された。La位置は、ケージ中心から1.9Å離れた3点が候補として残った。

 第二段階の構造解析は、測定された回折線強度から電子密度分布をフーリェ合成する方法で行われた。La原子の異常分散効果を利用して、LaのLIII吸収端近くの2つの波長での回折強度の差から全構造因子の位相が決定された。その結果、Laはケージ中心から<100>方向に1.9Å離れたケージ内の位置にあることが確認された。

 結晶構造の温度依存性に関しては、以下のことが明かにされた。測定温度範囲11K〜573Kの全域において、fcc構造をとる。膨張係数は100〜180Kと480〜500Kの2箇所でピークをなし、これらによって配向状態の異なる3つの領域に分けられ、履歴はない。分子配向は高温領域では室温と同じであり、中温領域では長軸は平均として<111>軸方向を向くがばらつきの大きい状態、低温でがほとんど無秩序な状態となっている。これは中空の場合とは逆の温度依存性である。Laの位置は室温の場合とほとんど同じである。

 電子物性測定のため、室温および低温でスピン帯磁率、吸収線幅およびg値の温度依存性がESRにより測定され、次のことが明らかにされた。80K以上では、スピン帯磁率、線幅は一定値を示し、金属状態と考えられる。80K以下では、温度降下とともにスピン帯磁率と線幅は増加し、g値は減少を示し、反強磁性的相関が強くなっていると考えられる。

 以上述べたように、本論文は、懸案になっていた金属がケージに内包されていることの明確な証拠を提示するとともに、中空フラーレンの結晶構造との類似点と相違点を見いだし、内包金属とケージの間の大きな電気双極子能率が重要な役割を果たしていることを指摘した。さらに、この物質の電子物性についても新たな知見をもたらした。よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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