本論文は、自ら開発した近赤外分光撮像装置を用いて、近年、銀河系内天体からスターバースト銀河に至る広範な観測的研究において、重要なプローブであると認識されつつある、水素分子輝線スペクトルの励起機構の解明において、具体的な観測例とともに新しい手法を提案するものである。 まず第1章では、研究の動機と、その天体物理学的背景を述べている。本人の最終目標は、スターバースト銀河の進化および構造の解明にある。しかし、そのための方法として、いきなりスターバーストの観測を行うのではなく、その基本構成要素は何であるかを考え、まずは、詳細な観測が可能な銀河系内の大質量星形成の現場をテンプレートとして観測するというプロセスを選択した。本論文では、実際にスターバーストの観測には至っていないが、スターバーストでの観測量(スペクトルデータ)を分析的に扱うための基本的知識が得られた(具体的には第2章以下を参照)。星形成領域(スターバーストをも含む)のような星間減光の大きな領域をできるだけ高い空間分解能で観測するためには近赤外領域が必須であること、星形成現場の物理現象を支配する星間物質と紫外線輻射場を把握するためにはどの線スペクトルが有効であるかをサーベイしている。さらに、銀河系内の星形成領域の観測データが、スターバーストの質量関数や星形成率を知るためにどのように使うことができるのかという、本論文申請者の基本的な方法論が述べられている。 第2章は本博士論文の中心部分である。前述したように、水素分子振動回転遷移線は、大変重要な情報を持っているが、その励起機構には大別して2種類あり、その明確な識別無しには、物理現象の解明に役立たない。その一つは衝撃波などによる電子基底状態の振動レベルへの熱的な励起であり、他の一つは非電離紫外線による電子励起状態への励起後のカスケードによる遷移(蛍光輻射)である。特に、分子密度が高い場合の蛍光放射と熱的励起との区別がつきにくい。これを、輝線の2次元(空間)データを輝線比と輝線強度との相関図を描くことにより識別が可能であることをオリオン星形成領域の各領域のデータを比較的に示すことによって明らかにした。この方法および結果は、水素分子輝線を用いた観測的研究の基礎を確かなものにするという意味において、極めて重要である。 第3章では、感度的に有利な連続光と水素原子輝線の強度分布の比較を行うことによって、観測的にその物理的実態をつかむことが極めて困難な電離領域内に存在する星間ダストの存在を比較的容易に示す方法を提案している。これは、星間ダストを含む電離領域の研究において重要なだけでなく、他のすべての輝線スペクトルを定量的に解析する際に必要な減光量の決定においても重要である。 第4章では、実際に、空間的に詳細に分解することが困難なスターバーストの観測において、その質量関数を推定するために有効な観測量としての水素分子/水素原子輝線比の励起星のスペクトル型(有効温度または紫外線放射量)に対する依存性を示した。まだサンプルが少ないため確定的なことはいえないが、予想通りの依存性を示しており、さらなる発展が期待される。 以上述べたように、確かにスターバーストの研究という意味においては完結するには至っていないが、ここで提案されている方法および結果は、論文題目で示されている水素分子輝線の天体物理学的理解を明確に一歩進めたものであり、多くのこの分野の研究者にとっての一つの基盤を与える意味において、学位論文として評価に値するに十分の研究成果と優れた独創性を示すものである。 なお、本論文第2章は共同研究であるが、論文提出者が主体となって装置開発、観測から解析までを行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 以上の理由により、審査委員会は全員一致をもって、論文提出者にたいして博士(理学)の学位を授与できると認める。 |