学位論文要旨



No 112423
著者(漢字) 臼田,知史
著者(英字)
著者(カナ) ウスダ,トモノリ
標題(和) 大質量星生成領域における近赤外水素分子輝線の励起機構
標題(洋) The Excitation Mechanism of Near Infrared Molecular Hydrogen Emission Lines in Massive Star Forming Regions
報告番号 112423
報告番号 甲12423
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3203号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,隆
 東京大学 助教授 山本,智
 東京大学 助教授 尾中,敬
 東京大学 助教授 田中,培生
 国立天文台 助教授 林,正彦
内容要旨

 スターバースト銀河はこれまで様々な波長で観測されているが、爆発的に星生成が起こる際にどの質量の星がどの位できるのかを表わすIMF(初期質量関数)、進化過程、起源などの重要な問題は解決されていない。IRASのサーベイ観測によれば、スターバースト現象は多くの銀河で観られ、必ずしも特殊な現象ではないことを意味し、銀河の進化を理解するための重要なキーポイントであると言える。スターバースト銀河内部の物理状態には大質量星が中心的な役割を果たしていると考えられる。それは、スターバーストによって形成される星は大質量星側に偏っていることや、その放射エネルギーや超新星爆発により周囲の星間ガスに多大な影響を与えるためである。しかし、大質量星の生成から爆発に至る進化段階においてどのような物理状態からどのような輝線が放射されるのかについては明らかになっていない。それは、系外銀河の観測ではこうした輝線を放射する個々の領域を空間分解できないためである。そこで、スターバースト銀河における基礎となる物理現象を把握するために、まず個々の天体を空間分解できる銀河系内の活動的な天体、特に大質量星生成領域について、減光の影響を受けにくい近赤外分光観測を行い、それら線スペクトルの持つ天体物理学的意味を明らかにした上で、スターバースト現象のIMFや歴史を探るための指標としてどの輝線又は吸収線が適しているのかを決定する必要がある。本論文では、その初期成果として系内のO5型星からB0型星までの中心星をもつHII領域全体について、近赤外域特有の水素分子輝線及び水素原子再結合線による分光撮像観測をおこない、こうした観測的手法の有用性について議論する。

1.オリオン大質量星生成領域における水素分子輝線の励起機構

 オリオン大星雲はトラペジウム(大質量星)によって電離されたHII領域である。この周辺には巨大分子雲や多数の原始星が存在することから、現在盛んに星生成の起こっている領域としてよく研究されている。したがってこの領域についての詳細な研究は、活発な星生成領域全体を理解するための最適なケーススタディとなる。

 水素分子輝線は星生成領域や超新星残骸などの活動性の高い領域で主に観測され、周囲の環境に大きな影響を与えるこうした領域の物理状態を知るためには重要な輝線である。水素分子を励起するための機構としては衝突励起と紫外線励起の2つが考えられ、複数の輝線強度比により区別することができると考えられていた。一方、密度が105cm-3以上の高密度ガス中での紫外線励起の場合、衝突逆励起の効果が無視できなくなり、低エネルギーレベルでは衝突励起のポピュレーションに近くなることが分かつてきた。そこで我々は、水素分子の空間2次元での励起機構を初め、天体の物理状態を空間的に研究するために、独自に開発した広視野ファブリペロ分光撮像装置を用いて、2本の水素分子輝線(H2v=1-0S(1),2-1S(1))と1本の水素原子再結合線(Br)で分光撮像観測をおこなった。

1-1.オリオンブライトバー領域(光解離領域:PDR)

 ブライトバー領域はHII領域と分子雲との相互作用の場:光解離領域である。この領域の水素分子輝線強度比(H22-1S(1)/1-0S(1)≡R2-1/1-0)の空間分布と1-0S(1)輝線の強度(≡I1-0)分布を比較するとI1-0の弱い領域では比が高く、強い領域では比が低いという、I1-0とR2-1/1-0とは反相関関係にある(図1a,2a)。一方、衝撃波領域の典型例であるオリオンKLの場合、強度比R2-1/1-0はI1-0に依らずほぼ一定となる(図2b)。つまり、この相関図により、衝撃波による励起と高密度な領域における紫外線励起を見分けることができる。また、R2-1/1-0とI1-0の結果を高密度な領域における光解離領域モデルと比較すると、ブライトバー領域は見かけの傾角82度、UV放射場105G0、平均密度104〜105cm-3の淡いガス成分中に106cm-3程度の高密度ガスクランプ成分が存在するという密度構造で非常によく説明できる。これまで、この領域で観測される低い強度比はHII領域の膨張に伴う衝撃波による衝突励起が原因であると考えられていたが、我々が発見した強度比と輝線強度の相関図を利用する方法は、衝突逆励起の効果を考慮した光解離領域のモデル計算と一致し、この領域の水素分子は紫外線により励起され、一部の高密度な領域で衝突逆励起の影響を受けている光解離領域であることを明らかにした。

1-2.オリオンKL領域

 代表的な大質量星生成領域であるオリオンKL領域で観測される水素分子輝線は、原始星IRc2からのアウトフローが周囲の高密度ガスに衝突し、衝撃波が生じることに伴う衝突励起である。水素分子輝線強度比R2-1/1-0の分布(図2a)を調べると、中心領域は双極流の方向だけでなく円盤の方向でも強度比が約0.1と一定で、ほぼ2000Kの温度であることを明らかにした。この結果は我々の過去の観測より明らかにされた「アウトフローはもともと等方的である」という結果を支持するものである。一方、中心領域に比べてその縁の部分で比が0.05、温度が約1700Kと低くなっていることや、高速分子流より外側の領域で放射状に分布する水素分子輝線も比が約2000Kでアウトフローに伴う衝撃波により励起されていることを明らかにした。

1-3.オリオンS領域

 オリオンS領域はKL領域の約2分角南側に位置する大質量分子雲コアである。この領域の水素分子輝線は数個のクランプ構造をし、その励起機構は純粋に熱的な励起である。この領域の近傍には大質量星(トラペジウム)が存在するため、水素分子の励起起源が何であるのかについては、これまで全く議論されていなかった。水素分子輝線の分布を電波域の高速分子流(COJ=2-1輝線)の分布や遠赤外点源の分布と比較すると、きれいな相関があり、水素分子輝線は少なくとも2個は存在する原始星からのアウトフローに伴う衝撃波起源であることを明らかにすることができた。

1-4.オリオン大星雲とスターバースト銀河の比較

 オリオン大星雲をグローバルに観ると、Br輝線の分布は水素分子輝線の分布に比べてコンパクトである。これは、HII領域を覆うPDRから水素分子輝線が出ていると考えるともっともな結果と言える。更に、水素分子輝線がPDRから放射される領域についてH21-0S(1)とBr輝線の強度比(H21-0S(1)/Br≡R1-0(PDR)/Br)を求めると0.17となったこの値はスターバースト銀河で観測される値(0.4〜0.9)と比べると有意に小さい。もし、スターバースト銀河で観測される水素分子輝線が全てPDRから放射されているとした場合、この値の違いの原因としては次の2つが考えられる。

 (1)スターバースト銀河の方がHII領域を覆うPDRの表面積が大きい。

 (2)オリオンの励起星はO6型星であるが、スターバースト銀河の大質量星の平均的なスペクトル型はオリオンより晩期型になっている。

 前者の場合、系内とスターバースト銀河内における星生成の環境の違いを推定でき、一方、後者の場合には、R1-0(PDR)/Brの値から、星のポピュレーション分布(質量分布)を推定することができ、いずれの場合でも上記の線強度比はスターバースト銀河の物理状態を知るために有効な観測量と言える。

2.HII領域における水素分子輝線、Br輝線、Kバンド連続光の観測2-1.HII領域におけるBr/K強度比

 スターバースト銀河から放射される近赤外域の連続光は、オールドポピュレーションと呼ばれる赤い星からの放射に加え、ホットダストや電離ガスなどの寄与が考えられる。そのためスターバースト銀河を初めとして、活動銀河を構成する星のポピュレーションを正確に知るためには近赤外域でどの程度星以外の放射成分が効いているのかを調べる必要がある。そこで我々は系内のHII領域について独自で開発した近赤外ファブリペロ分光撮像装置を用いて調査した。その結果、2つのHII領域(S158,S206)についてBr/K,強度比はS158で0.025m、S206で0.028mと求まった(図3参照)。この値は電離ガスからの寄与のみを考慮したモデル計算結果0.047mと比べて小さく、ホットダストの寄与が電離ガスと同程度存在することを示している。この方法により、直接観測の困難なホットダストの量を間接的に求めることができる。

2-2.S140における水素分子輝線の励起機構

 S140はオリオンブライトバー領域同様、電離境界面をエッジオンで観ている光解離領域である。この領域を電離している励起星はB0型星で、ブライトバーと比べて紫外線放射場が約2桁弱いため、紫外線放射場の強度により水素分子輝線の励起機構がどのように変化するのかを調べるのに適している。観測の結果、R2-1/1-0とI1-0との間には弱いながらも比の値が約0.4〜0.6で反相関を示し、UV放射場強い場合に比べて衝突逆励起の影響が小さいことが分かった。また、光解離領域モデルと比較することにより、見かけの傾角84度、UV放射場400G0、平均密度104cm-3の淡いガス成分中に105cm-3程度の高密度ガスクランプ成分が存在するという密度構造でよく説明できることも明らかにした。

3.系内HII領域における蛍光H2/Br強度比

 HII領域の周りのPDRで検出される水素分子輝線は、紫外線励起に伴うUV蛍光放射で、エネルギーが11.2〜13.6eVのLymann-Wemerバンドと呼ばれるUV光子を吸収し励起される。一方、Brはエネルギーが13.6eV以上の電離光子により励起された水素原子の再結合線である。したがって、H2(PDR)/Br強度比はUV光子のスペクトルの傾きをトレースすると示唆される。そこで我々は、中心星のスペクトル型の異なるHII領域についてH2(PDR)/Br強度比を調べた。現段階ではO5型星(S206)、O6(オリオン)、O7(S158)、B0(S140)の4天体のみの観測結果しかないが、中心星が早期型、つまり有効温度が高い星ほどH2(PDR)/Br強度比が小さい傾向を示すことを確認することができた。この相関関係が統計的に有意となれば、この線強度比はスターバースト銀河の大質量星の平均的なスペクトル型を明らかにできるパラメータであり、年齢や星生成率を仮定することでIMFに制限を与えることができると考えられる。

図1.水素分子輝線強度比(R2-1/1-0)の分布。H21-0S(1)強度のコントアを重ねて示した。図2.線強度比R2-1/1-0と1-0S(1)強度の相関図。点線は3レベルを表わす。星印はガス密度104,105cm-3の場合、三角印は密度が(104:106cm-3)=(0.95:0.05)の2つの成分の場合の理論値を示す。図3.Brg輝線とK’バンド連続光の強度相関図。実線は最小自乗フィットした結果、点線は5レベルを示す。
審査要旨

 本論文は、自ら開発した近赤外分光撮像装置を用いて、近年、銀河系内天体からスターバースト銀河に至る広範な観測的研究において、重要なプローブであると認識されつつある、水素分子輝線スペクトルの励起機構の解明において、具体的な観測例とともに新しい手法を提案するものである。

 まず第1章では、研究の動機と、その天体物理学的背景を述べている。本人の最終目標は、スターバースト銀河の進化および構造の解明にある。しかし、そのための方法として、いきなりスターバーストの観測を行うのではなく、その基本構成要素は何であるかを考え、まずは、詳細な観測が可能な銀河系内の大質量星形成の現場をテンプレートとして観測するというプロセスを選択した。本論文では、実際にスターバーストの観測には至っていないが、スターバーストでの観測量(スペクトルデータ)を分析的に扱うための基本的知識が得られた(具体的には第2章以下を参照)。星形成領域(スターバーストをも含む)のような星間減光の大きな領域をできるだけ高い空間分解能で観測するためには近赤外領域が必須であること、星形成現場の物理現象を支配する星間物質と紫外線輻射場を把握するためにはどの線スペクトルが有効であるかをサーベイしている。さらに、銀河系内の星形成領域の観測データが、スターバーストの質量関数や星形成率を知るためにどのように使うことができるのかという、本論文申請者の基本的な方法論が述べられている。

 第2章は本博士論文の中心部分である。前述したように、水素分子振動回転遷移線は、大変重要な情報を持っているが、その励起機構には大別して2種類あり、その明確な識別無しには、物理現象の解明に役立たない。その一つは衝撃波などによる電子基底状態の振動レベルへの熱的な励起であり、他の一つは非電離紫外線による電子励起状態への励起後のカスケードによる遷移(蛍光輻射)である。特に、分子密度が高い場合の蛍光放射と熱的励起との区別がつきにくい。これを、輝線の2次元(空間)データを輝線比と輝線強度との相関図を描くことにより識別が可能であることをオリオン星形成領域の各領域のデータを比較的に示すことによって明らかにした。この方法および結果は、水素分子輝線を用いた観測的研究の基礎を確かなものにするという意味において、極めて重要である。

 第3章では、感度的に有利な連続光と水素原子輝線の強度分布の比較を行うことによって、観測的にその物理的実態をつかむことが極めて困難な電離領域内に存在する星間ダストの存在を比較的容易に示す方法を提案している。これは、星間ダストを含む電離領域の研究において重要なだけでなく、他のすべての輝線スペクトルを定量的に解析する際に必要な減光量の決定においても重要である。

 第4章では、実際に、空間的に詳細に分解することが困難なスターバーストの観測において、その質量関数を推定するために有効な観測量としての水素分子/水素原子輝線比の励起星のスペクトル型(有効温度または紫外線放射量)に対する依存性を示した。まだサンプルが少ないため確定的なことはいえないが、予想通りの依存性を示しており、さらなる発展が期待される。

 以上述べたように、確かにスターバーストの研究という意味においては完結するには至っていないが、ここで提案されている方法および結果は、論文題目で示されている水素分子輝線の天体物理学的理解を明確に一歩進めたものであり、多くのこの分野の研究者にとっての一つの基盤を与える意味において、学位論文として評価に値するに十分の研究成果と優れた独創性を示すものである。

 なお、本論文第2章は共同研究であるが、論文提出者が主体となって装置開発、観測から解析までを行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 以上の理由により、審査委員会は全員一致をもって、論文提出者にたいして博士(理学)の学位を授与できると認める。

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