学位論文要旨



No 112444
著者(漢字) 羽角,博康
著者(英字)
著者(カナ) ハスミ,ヒロヤス
標題(和) 気候の定常状態形成における海洋の重要性
標題(洋) Ocean’s role in Forming the steady state of the climate
報告番号 112444
報告番号 甲12444
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3224号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 木本,昌秀
 東京大学 教授 平,啓介
 東京大学 助教授 和方,吉信
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 教授 杉ノ原,伸夫
内容要旨 1.はじめに

 気候系としてここでは大気・海洋・陸面・雪氷からなる系を考える。大陸氷床の変動など、一万年を越えるようなタイムスケールの現象を取り扱わない限り、この系は太陽放射を唯一の外力とする閉じた系とみなすことができる。気候の定常状態とは、外力に対する応答としてその閉じた系において形成される定常状態のことを指す。

 気候系の外力に対する応答としてまず重要なのは、太陽放射のうちのどれだけが実際に気候系に吸収されるかである。これは高いアルベドをもつ雪氷の分布に大きく依存する。雪氷の存在領域に関してはアイス-アルベドフィードバックと呼ばれる正のフィードバックが存在することが知られており、それと関係して雪氷の存在の安定性や存在条件という問題が気候学上重要な問題となっている。

 一方、気候系の外力には季節変動が存在し、それに対する応答として気候にも季節変動が存在する。その一方で、年平均としての気候は、少なくとも千年程度のタイムスケールにおいては定常な状態にあるとみなすことができる。非線型プロセスを多く含む気候系においては、季節変動といった外力の変動が定常状態の形成において重要な役割を果たすものと考えられる。

 本研究においては、気候の定常状態形成における海洋の役割について、海氷の存在条件および季節変動の影響という面から考察する。いずれにおいても大気-海洋結合大循環モデルによる実験を行なう。

2.結合大循環モデルの概略

 モデルは大きく分けて、大気・陸面を扱う大気大循環モデル、海洋を扱う海洋大循環モデル、大気-海洋間のインターフェイスとしての海氷モデルからなる。大気大循環モデルおよび海洋大循環モデルは、気候システム研究センターにおいて開発されたものに基づいている。海氷モデルはHasumi and Suginohara[1995,JGR]の用いた力学-熱力学海氷モデルである。

 本研究の目的に対しては大気-海洋結合大循環モデルによる長時間積分が必要とされるが、そこには計算コストの面からの制約が大きく存在する。ここでは大気大循環モデルにおける雲および放射のスキームとして比較的簡略なものを用いることで、計算コストの削減を図っている。そのためこのモデルにおいては雲のアルベド効果を全球一様・一定値のパラメータCによって表現しており、これがこのモデルのチューニングパラメータとなっている。

3.海氷の存在条件に関して

 雪氷の存在に関して、過去の簡単なモデルを用いた研究からは次のような結果が得られている。

 ・かなり広いパラメータ領域にわたって、全地表面が雪氷に覆われる場合と雪氷が全く存在しない場合との多重解が存在する

 ・現実の気候に対応すると考えられる「部分的に雪氷が存在する状態」があるパラメータ領域において存在し、その安定性は南北熱輸送の強さに依存する

 この2番目の問題に関しては具体的な熱輸送の形態が問題になるが、海洋の熱輸送が具体的に考えられることはこれまでにほとんどなかった。そのためここでは大気-海洋結合大循環モデルによる実験をまず行なう。このような試みは過去にほぼ例がないため、ここではまず理想化された設定における実験を行なうことにする。

 モデルの領域は東西幅120°で南極から北極までとする。大気は東西方向に周期的である。海洋はそのうち経度幅で半分の領域を占め、深さは4000mで一定とする。モデルの外力は大気上端における下向き短波放射のみであり、これには季節変動を考慮する。実験は雪氷の存在しない適当な初期状態から開始し、Cをチューニングすることで「高緯度海洋に適度に海氷が存在する状態」を得ることを試みるという方針で行なう。その際、

 ・全海面が海氷に覆われる

 ・海氷が生成されず、海洋が温められていく

 あるいはいったん海氷が生成されてもしばらくの積分の後に消滅し、海洋がなお温められていくというそれぞれの場合には「高緯度海洋に適度に海氷が存在する状態」は得られないとみなす。

 Cの値や初期状態を変えた数十ケースの実験の結果、「高緯度海洋に適度に海氷が存在する状態」は得られなかった。ある初期状態に対してCのチューニングを非常に細かい間隔で行なったが、得られた状態は全海面が海氷に覆われる状態もしくは海氷が全く存在しない状態であった。また、同じCに対しても初期状態の違いによって得られる状態に違いが生じた。この結果からこの系においては部分的に海氷が存在する状態は得られにくいということが言える。過去に行なわれた簡単なモデルを用いた研究と対比すると、この結果には南北熱輸送の強さが深く関わっていると考えられる。熱輸送には大気によるものと海洋によるものが存在する。そのそれぞれの影響を調べるため、次に

 ・海洋の熱輸送を取り除いた結合大循環モデルによる実験

 ・大気の熱輸送を取り除いた、東西平均2次元海氷-海洋結合モデルによる実験を行なった。

 海洋の熱輸送を取り除いた実験では、現実的な低緯度の海面温度を持ちつつ高緯度海洋に部分的に海氷が存在する状態を容易に得ることができた。大気-海洋結合大循環モデルの結果には海洋の熱輸送が大きく影響しているものと考えられる。

 海洋大循環モデルと同じ海洋のパラメータを用いて行なった東西平均2次元海氷-海洋結合モデルによる実験においては、高緯度に海氷を存在させるためにはCに対応するパラメータを、低緯度の海面温度が20℃以下になるように調節しなければならなかった。一方、強い塩分の効果を導入し、海洋の循環が高緯度において分割されるような状態を作ると、低緯度の海面温度を現実的に高温に保ったまま高緯度海洋に海氷を存在させることが可能であった。すなわち、大気-海洋結合大循環モデルによる結果は、海洋の熱輸送が大きいために海氷が存在しにくい状態にあったものと結論づけることができる。そして、低緯度の海面温度を現実的に高温に保ちつつ高緯度海洋に海氷を存在させるためには、海洋の熱輸送を阻害するような何らかの要因が必要であることが理解された。

 現実の気候における海氷の存在領域は、すべて陸岸地形もしくは海底地形によって熱塩循環による熱輸送が阻害されている領域である。その意味において、ここで実験を行なった理想化された地形設定は海氷の最も存在しにくいものであったということができ、海氷の存在に対する地形の重要性を示すものと言うことができる。

4.季節変動が及ぼす影響に関して

 季節変動の存在下での気候の定常状態形成に関する過去の研究においては、海洋深層の働きが陽に取り扱われることはほとんどなかった。しかしながら、鉛直対流という非線型プロセスは海洋深層の温度について季節変動に対する依存性を生じさせる。海洋深層の温度の決まり方は海洋の温度・循環構造や熱輸送を決める上で重要な要因である。また海洋の熱輸送は海面温度への影響を通して大気の状態にも影響を及ぼす。このような季節変動に対する海洋深層の応答が気候の定常状態形成において果たす役割について考えるため、大気-海洋結合大循環モデルを用いて理想化された設定のもとで数値実験を行なった。

 モデルの領域は東西幅120°で南極から北極までとする。陸地は高緯度のわずかな部分だけに存在するとし、ほぼ全ての領域を海洋とした。ただし大気は東西方向に周期的であるが、海洋の東西は周期的につながってはいない。海洋の深さは4000mで一定とする。モデルの外力は大気上端における下向き短波放射のみである。季節変動の影響を端的に示すため、外力に季節変動が存在する場合と存在しない場合の実験を行ない、それらの結果を比較した。その際、海洋深層の応答の影響を見るため、モデルから海洋深層の影響を取り除いた場合の実験も行なった。また、季節変動の周期を通常の2倍にした実験も行ない、変動周期に対する定常状態の依存性も調べた。

 海洋深層の影響を取り除いた場合、外力を年平均で与えた場合の結果と季節変動が存在する場合の結果の年平均との間には有意な差が認められなかった。このことは海洋深層の応答に含まれる非線型プロセスが存在しなければ、外力の季節変動は年平均の定常状態に影響を及ぼさないということを意味している。

 海洋深層の影響までを考慮した場合、季節変動が存在する場合と存在しない場合を比較すると、季節変動の存在は以下の影響をもたらすことがわかった。

 ・海洋深層を低温化し、海洋の循環および熱輸送を強める

 ・年平均の海面水温の南北勾配を弱める

 ・大気の熱輸送を弱める

 季節変動が存在する場合には、温度躍層以深の海洋の状態は冬季の海面水温分布によって支配される。季節変動が存在する場合の冬季の海面水温の南北勾配は季節変動が存在しない場合のものよりも大きく、このことがより強い海洋の循環を維持する原因となっている。

 一方、通常の季節変動を与えた場合と季節変動の周期を2倍にした場合の間には、海洋深層の温度の点では季節変動あり・なしの場合の間と同じ程度の違いが現れたが、海洋の循環や上層と深層の間の温度差にはそれほど顕著な違いが現れなかった。このため、海洋の熱輸送や年平均海面温度は両者でほとんど同じであり、年平均の大気の状態にもほとんど違いは現れなかった。

5.おわりに

 本研究においては理想化された設定のもとで大気-海洋結合大循環モデルによる実験を行ない、海氷の存在条件に関してと季節変動の存在のもとでの気候の定常状態形成に関しての議論を行なった。いずれの問題においても、海洋の影響が重要な要素であることが示された。これらの結果を踏まえ、現実の気候系においてここで示されたような海洋の影響がどのような形で及んでいるのかを明らかにしていくことが今後の課題である。

審査要旨

 気候系は,気温や降水量等,地球の表層環境の長年の平均状態-すなわち「気候」-の形成に関わる大気・海洋・陸面・雪氷等のサブシステムからなる.気温や海水温の分布・季節変化等を含めた気候形成のメカニズムの解明は地球科学の大きな課題の一つである.気候系の主役である大気・海洋の地球規模の大循環は,各サブシステム毎には再現できるようになってきた.しかしながら,総体としての気候系の定常状態形成については,これまで物理的にきわめて単純なモデルによってしか研究されていない.

 本論文は,気候の定常状態形成における海洋の役割を大気-海洋-海氷結合大循環モデルを用いた数値実験によって考察したものである.このような結合大循環モデルは,近年,温室効果気体の増加に伴う地球温暖化の評価等に盛んに用いられるようになってきた.しかし,既存のモデルのほとんどは,海陸分布等現実的な条件下で用いられており,モデルが観測された気候を模倣する際の不充分さを,物理的に根拠の薄弱なフラックス調整等の手段によって補っている.その上,このような複雑なモデルが平衡状態まで積分された例はほとんどなく,ましてそれらを用いて気候形成を正面から議論した例は皆無と言ってよい.本研究は,メカニズムを明らかにするため海陸分布,放射-雲相互作用等を大胆に理想化した設定の下で,結合大循環モデルの長期積分により定常状態形成を論じたものである.

 本論文は5章および2つの付章からなり,2つの問題に焦点が当てられている.海氷および季節変動の気候の定常状態形成における役割である.まず,本論文で用いる結合モデルの構成が第2章で述べられる.モデルは,東大気候システム研究センター等で開発された大気および海洋モデルを基にしているが,その間の結合,運動も含む本格的な海氷モデルの導入,実験の目的に合わせた再定式化等はすべて論文提出者が行なったものである.

 第3章および第4章が本論文の主要部分である.第3章においては,簡略化されたモデルと同様結合大循環モデルにおいても,全海洋が海氷で覆われる解及び海氷のまったく存在しない解が同一パラメータのもとで多重に存在することが示される.しかし,現実に見られるような部分的に海氷が存在する解は得られない.この理由が,海氷の存在によって誘起された海洋の熱輸送強化によることが,海洋循環をもたないモデル,および大気の熱輸送を取り除いたモデルを用いて明白に示された.従って,現実に見られる様な海氷の存在には,海底・海岸地形,南極周極流等の海氷-海洋循環の相互作用を弱める要因が必要である.海氷による海洋循環の強化は,本論文付章1に再掲された出版論文によって初めて提唱されたメカニズムである.これは,論文提出者と指導教官の共著論文であるが,第一著者である論文提出者が主体となってモデル構築,数値実験,解析を行ったものである.

 第4章においては,気候系の唯一の外力である太陽放射に含まれる季節変動の役割が考察された.非線型系においてはシステムの応答が外力の周期成分の有無によって異なることを一般的に導出した後,結合モデルでは季節変動の存在が,海洋深層の温度低下,海洋循環と熱輸送の強化,海面水温南北勾配の緩和等の定常状態の差異をもたらすことが示された.さらに,これらは海洋循環が表層の混合層過程により冬季の大気条件のみを選択的に感じる為生じていることが明らかにされた.年変動周期を倍にした実験を行なうことにより,この選択性を生じさせる海洋の鉛直混合過程の特徴的な時間スケールは1年以下であることも確認された.海洋が冬季の大気条件を選択的に感じることそのものは新しい知見ではないが,季節変動が結合系の気候形成に果たす役割を明らかにしたのは本論文の成果である.

 本論文は,大気,海洋及び海氷の物理,とくにそれらの運動を陽に扱った数値モデルを用いて気候の形成メカニズムに取り組んだ研究としてきわめて独自かつ先駆的なものである.これまで,気候形成の問題は,著しく簡略化されたモデルによって扱われるのが常であり,大気や海洋,まして海氷の運動まで表現するモデルを用いて定常状態形成のメカニズムに本格的に取り組んだ研究は存在しない.しかし,本論文のように大気・海洋大循環を解像することによって初めてそれらのエネルギー輸送能力の定量的評価が可能になる.もちろん,論文中にも述べられているように,本論文の結論は,あくまでも理想化した条件下での結果であり,今後より現実的な要因を取り入れた研究によって定量的な検討が加えられるべきである.しかしながら,前例のないテーマに正面から取組み,海氷と季節変動の2つのプロセスが海洋循環を通して気候形成に果たす役割を明らかにした本論文の成果は高く評価できる.

 よって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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