審査要旨 | | 気候系は,気温や降水量等,地球の表層環境の長年の平均状態-すなわち「気候」-の形成に関わる大気・海洋・陸面・雪氷等のサブシステムからなる.気温や海水温の分布・季節変化等を含めた気候形成のメカニズムの解明は地球科学の大きな課題の一つである.気候系の主役である大気・海洋の地球規模の大循環は,各サブシステム毎には再現できるようになってきた.しかしながら,総体としての気候系の定常状態形成については,これまで物理的にきわめて単純なモデルによってしか研究されていない. 本論文は,気候の定常状態形成における海洋の役割を大気-海洋-海氷結合大循環モデルを用いた数値実験によって考察したものである.このような結合大循環モデルは,近年,温室効果気体の増加に伴う地球温暖化の評価等に盛んに用いられるようになってきた.しかし,既存のモデルのほとんどは,海陸分布等現実的な条件下で用いられており,モデルが観測された気候を模倣する際の不充分さを,物理的に根拠の薄弱なフラックス調整等の手段によって補っている.その上,このような複雑なモデルが平衡状態まで積分された例はほとんどなく,ましてそれらを用いて気候形成を正面から議論した例は皆無と言ってよい.本研究は,メカニズムを明らかにするため海陸分布,放射-雲相互作用等を大胆に理想化した設定の下で,結合大循環モデルの長期積分により定常状態形成を論じたものである. 本論文は5章および2つの付章からなり,2つの問題に焦点が当てられている.海氷および季節変動の気候の定常状態形成における役割である.まず,本論文で用いる結合モデルの構成が第2章で述べられる.モデルは,東大気候システム研究センター等で開発された大気および海洋モデルを基にしているが,その間の結合,運動も含む本格的な海氷モデルの導入,実験の目的に合わせた再定式化等はすべて論文提出者が行なったものである. 第3章および第4章が本論文の主要部分である.第3章においては,簡略化されたモデルと同様結合大循環モデルにおいても,全海洋が海氷で覆われる解及び海氷のまったく存在しない解が同一パラメータのもとで多重に存在することが示される.しかし,現実に見られるような部分的に海氷が存在する解は得られない.この理由が,海氷の存在によって誘起された海洋の熱輸送強化によることが,海洋循環をもたないモデル,および大気の熱輸送を取り除いたモデルを用いて明白に示された.従って,現実に見られる様な海氷の存在には,海底・海岸地形,南極周極流等の海氷-海洋循環の相互作用を弱める要因が必要である.海氷による海洋循環の強化は,本論文付章1に再掲された出版論文によって初めて提唱されたメカニズムである.これは,論文提出者と指導教官の共著論文であるが,第一著者である論文提出者が主体となってモデル構築,数値実験,解析を行ったものである. 第4章においては,気候系の唯一の外力である太陽放射に含まれる季節変動の役割が考察された.非線型系においてはシステムの応答が外力の周期成分の有無によって異なることを一般的に導出した後,結合モデルでは季節変動の存在が,海洋深層の温度低下,海洋循環と熱輸送の強化,海面水温南北勾配の緩和等の定常状態の差異をもたらすことが示された.さらに,これらは海洋循環が表層の混合層過程により冬季の大気条件のみを選択的に感じる為生じていることが明らかにされた.年変動周期を倍にした実験を行なうことにより,この選択性を生じさせる海洋の鉛直混合過程の特徴的な時間スケールは1年以下であることも確認された.海洋が冬季の大気条件を選択的に感じることそのものは新しい知見ではないが,季節変動が結合系の気候形成に果たす役割を明らかにしたのは本論文の成果である. 本論文は,大気,海洋及び海氷の物理,とくにそれらの運動を陽に扱った数値モデルを用いて気候の形成メカニズムに取り組んだ研究としてきわめて独自かつ先駆的なものである.これまで,気候形成の問題は,著しく簡略化されたモデルによって扱われるのが常であり,大気や海洋,まして海氷の運動まで表現するモデルを用いて定常状態形成のメカニズムに本格的に取り組んだ研究は存在しない.しかし,本論文のように大気・海洋大循環を解像することによって初めてそれらのエネルギー輸送能力の定量的評価が可能になる.もちろん,論文中にも述べられているように,本論文の結論は,あくまでも理想化した条件下での結果であり,今後より現実的な要因を取り入れた研究によって定量的な検討が加えられるべきである.しかしながら,前例のないテーマに正面から取組み,海氷と季節変動の2つのプロセスが海洋循環を通して気候形成に果たす役割を明らかにした本論文の成果は高く評価できる. よって,博士(理学)の学位を授与できると認める. |