海面水位はさまざまな原因によって変化するが、その中でも、月と太陽の引力に起因する海洋潮汐は、周期的な海面水位の変化を引き起こす特徴的な現象である。その原因は、既に、17世紀にニュートンが議論しており、それ以後、海洋潮汐に関する多くの研究がある。特に、18世紀の末、ラプラスは潮汐方程式を導出して、起潮力を与えたときの海洋の応答を定式化している。 しかし、理論的枠組みが確立しても、実際の水位変動が予測できるわけではない。海底摩擦が正しく評価できないために、起潮力が分かっただけでは、実際の潮位の分布を正しく計算することはできない。その結果、検潮儀による潮位の観測が行われている場所では、年間を通して潮位を正しく予測できるが、それ以外の場所では潮位が求められない時代が長く続いた。 ところが、1970年代になると、人工衛星に搭載したマイクロ波高度計によって海面の高度分布を観測することが可能になった。外洋であっても、水位の情報が得られるようになったわけである。一方、このような技術開発と平行して、人工衛星を使ったレーザー測距、GPS測位、電波星を使ったVLBI (超長基電波干渉測位)、あるいは超伝導重力測定などの測地技術が進歩し、それに関連して、海面高度を高精度で求めることが必要になった。そのためには、水位の観測データから海洋潮汐を取り除くことが必要であり、地球全海域に対する精度のよい海洋潮汐の予測モデルが望まれる時代になった。 本論文の著者はこのような要請に答えて、現在、最も精度のよい高度計を搭載しているTOPEX/POSEIDON衛星の高度計データと潮汐方程式を組み合わせて、地球上のほとんど全海域をカバーする高精度の海洋潮汐予測モデルを開発した。さらに、その結果を利用して、潮汐周期帯における固体地球のエネルギー消散率の推測を行った。本論文は、全体で7章から構成されるが、内容的には、5章までが潮汐モデルの構築に関する内容であり、6章で固体地球のエネルギー消散が議論される。但し、1章は序章、7章は全体の結論である。 2章では研究に用いた衛星データの種類、3章ではデータの処理方法が述べられている。使用したのは、3年分のTOPEXの高度計データで、観測範囲のカバーする全域を0.5度の格子間隔に分割し、衛星軌道が通るグリッド上での海洋潮汐成分を抽出した。その際に、起潮力ポテンシャルを入力として使用したが、日周潮の精度を上げるため、流体核の効果を考慮した。また、浅海で潮汐波の波長が短くなることを考慮して、木目の細かいデータのフィルタリングを行っている。 4章では、ラプラス潮汐方程式の定式化を行う。特に、論文の著者が工夫した点は、海洋潮汐による海水の質量の再配分によって、1)固体地球の変形、2)2次的な起潮力の発生が行われることを考慮したことである。これらの効果は、従来のモデルより、詳しく扱われている。この方程式を球面上で0.5度の格子間隔で差分化し、衛星軌道と重なる格子点で計算結果を衛星高度計のデータに同化させることによって、主要な8分潮(M2,S2,N2,K2,K1,O1,P1,Q1)に対するグローバルな潮位を求めた。 5章では結果の検証を行う。論文の著者は、本研究で開発したモデルをORI.96(Ocean Research Institute Model 1996)と名付け、最近、米国とフランスでそれぞれ開発されたCSR3.0モデル、FES.95.2モデルと比較している。それぞれのモデルによる結果を外洋及び日本周辺の検潮儀による観測データと比較したところ、外洋の潮汐に関しては、3つのモデルとも、よい精度で潮位を予測していることがわかった。しかし、沿岸域では、どのモデルも観測値との差が大きい。本モデルは、全分潮の平均で4.57cmの差が見られたが、他のモデルでは、その倍以上の差があることが分かった。このことは、本研究によって、浅海域の潮位予測の精度が大きく改善されたことを示している。 著者は、さらに、衛星軌道の昇軌道と降軌道の交差点で、予測結果と衛星データとの潮位差を比較している。この比較でも、本モデルが3つのモデルの中で、もっともよい精度があることが示された。 6章は、本モデルを固体地球物理学の問題に応用する。茨城県柿岡と長野県松代で得られた重力の測定値から、本モデルを利用して、海洋潮汐に起因する重力の変化を取り除き、起潮力ポテンシャルに対する固体地球潮汐の位相遅れとそれに対応するQ値(固体地球のエネルギー消散の大きさを表す)を求めた。柿岡の結果では、位相遅れが0.16度、Q値が350で、他の方法(衛星軌道の変化から求める方法)で得られた位相遅れ0.17度、Q値340に近い値が得られた。位相差が小さいため、従来、重力観測から位相差を求めることが困難であったが、本研究の結果、潮汐成分を従来より高い精度で取り除くことが出来たために、よい結果が得られたと考えられる。 著者は、衛星高度計のデータと潮汐方程式を巧みに同化させることによって、特に浅海域で従来のモデルより、よい精度を与える海洋潮汐モデルを開発することに成功した。本研究は、海洋物理学のみならず、測地学、固体地球物理学の発展に寄与するところが大きい。本研究の内容は、既に、国際的な学術雑誌に、大江昌嗣、佐藤忠弘、瀬川爾朗との共著論文(論文提出者が第1著者)として発表されているが、共著者の指導を受けて論文提出者が研究を行ったもので、本論文に対する寄与は十分であると判断する。 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |