学位論文要旨



No 112457
著者(漢字) 加藤,隆志
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,タカシ
標題(和) ポリメチン色素会合体における分子配列がその性質に及ぼす影響 : 合成的アプローチ
標題(洋) Influence of Molecular Arrangements on the Properties of Polymethine Dye Aggregates : A Synthetic Approach
報告番号 112457
報告番号 甲12457
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3237号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡崎,廉治
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 助教授 古川,行夫
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
内容要旨 第1章

 多くのポリメチン色素は溶液中において会合体を形成し大きな吸収スペクトルの変化を示す。しかしながら、ポリメチン色素会合体における発色団の配列とその性質の関係は依然不明確な部分が多く残されている。これは発色団の配列が明確で、かつ固定されている色素会合体を取り出してその性質を調べることが実験的に困難であるためと考えられる。筆者は本論文において複数のポリメチン色素を共有結合で連結し、特定の発色団配列に固定したポリメチン色素会合体のモデル化合物を合成して、その発色団の配列と吸収スペクトル及びエネルギー準位の関係を定量的に評価することにした。

 従来、このポリメチン色素会合体の吸収スペクトルと色素分子の配列との関係は遷移双極子間相互作用に基づく励起状態の分裂により説明されている。即ち、色素同士が互いにサンドイッチ状に重なった場合(H-会合体)には、分裂した励起状態のうち上の準位への遷移が許容となるため会合体の吸収スペクトルはモノマーよりも短波長シフトし、一方、色素同士がずれて重なった場合(J-会合体)には、下の準位への遷移が許容となるため会合体の吸収スペクトルは長波長シフトすることが予想される。また、ポリメチン色素会合体は色素平面同士がたがいに重なったレンガ状あるいはやはず状構造であることが推定されている。

 そこで、筆者はポリメチン色素会合体のモデルとして、発色団が直線的な配列、サンドイッチ状に重なった配列、色素平面がずれて重なった配列、さらには直交した配列を持つモデル化合物を合成することにした。

第2章ストレプトシアニン色素オリゴマーの合成とその性質

 直線的モデルとしてペンタメチンストレプトシアニン色素の窒素原子同士をピペラジン骨格の一部として連結したダイマー(1)及びトリマー(2)を、サンドイッチ状に重なったモデルとしてビスピジン骨格で連結したダイマー(3)を合成した。また、直交モデルとしてメチン鎖の中央同士を連結したダイマー(4)を合成した。1及び2は各々モノマー(5)よりも長波長シフトした吸収を、3は短波長シフトした吸収を与えた。1及び2における長波長シフトの程度(E)は遷移双極子間相互作用に基づく関係式(E∝2cos[/(n+1)])(n;重合数、1(n=2),2(n=3))を満足した。直交モデル(4)では遷移双極子間相互作用が存在しないためモノマーと同様の吸収帯を示すと予想されたが、実際には溶液中において可視吸収帯の分裂を示した。この分裂は各ポリメチン部分のHOMO同士の相互作用(spiro-conjugation)によりHOMOの縮退が解消し、励起状態が分裂するためであることが分子軌道計算より示唆された。

 1及び2の酸化還元電位は隣接するカチオンとのクーロン相互作用によりモノマーと比較して正の方向にシフトしたが、3及び4についてはクーロン相互作用と軌道間相互作用により酸化電位は負の方向に、還元電位は正の方向にシフトした。

 

第3章1,8-ナフチレンビスシアニン色素の合成とその性質

 ナフタレン1、8-位にピリジンチアシアニン色素を連結したビス型色素(6)を合成した。メトキシ基を有する6aは対応するモノ型色素(7a)よりも短波長シフトした吸収を与え、一方、スルホナト基を有する6bは7bよりも長波長シフトした吸収を与えた。このシフトの違いは2つのシアニン色素部位の相対配置の違い(6aはsyn体、6bはanti体で存在、図1)に基づくことがX線結晶構造解析及びNMR測定よりわかった。6aの蛍光スペクトルのストークスシフトは6bよりも大きいことから遷移双極子間相互作用に基づく励起状態の分裂が示唆された。以上の結果からsyn体はポリメチン色素のH-会合体、anti体はJ-会合体のモデルとして適切であることがわかった。6a及び6bの還元電位は各々7a及び7bと比較して正の方向にシフトし、これは発色団間のクーロン相互作用及び軌道間相互作用に基づくものと解釈された。

(図1)回転異性体の構造
第4章4,5-キサンテニレンビスシアニン色素の合成とその性質

 色素間の連結距離を大きくした場合の発色団の配列とその性質の関係を明らかにするため4,5-キサンテニレンビスシアニン色素(8a)を合成したところ、8aは発色団間のずれ角が約58°の発色団配列を有していることが明らかとなった。8aの還元電位は6aよりも負の方向にシフトしており、これは8aのほうが色素間距離が大きくクーロン相互作用が6aよりも小さいためと解釈された。

第5章1,8-ナフチレンビスメロシアニン色素の合成とその性質

 形式的に電荷を持っていない発色団であるメロシアニン色素会合体の性質を明らかにする目的で、1,8-ナフチレンビスメロシアニン色素(6c)を合成した。6cは、極性溶媒(CH3CN)中ではsyn体の、非極性溶媒(CH2Cl2)中ではanti体の存在比率が高くなり、syn体及びanti体は各々対応するモノ型色素7cよりも短波長及び長波長シフトした吸収を与えた。このことは溶媒極性の違いに応じた発色団配列の変化に基づくソルバトクロミズムの存在を示している(表1)。6cの還元電位は7cよりも正の方向にシフトしたが、酸化電位は負の方向にシフトした。また、そのシフトの程度はCH3CN中のほうCH2Cl2中よりも大きく、これはsyn体における発色団間の軌道間相互作用のほうがanti体よりも大きいためと解釈された。

(表1)ビスメロシアニン色素(6c)の異性体比率、吸収波長及び酸化還元電位
第6章ポリメチン色素会合体における分子間相互作用の性質

 以上述べてきた連結型ポリメチン色素に関する実験結果及び仮想的色素会合体の分子軌道計算に基づき、ポリメチン色素会合体における分子間相互作用を電荷に基づくクーロン相互作用、発色団同士の軌道間相互作用及び遷移双極子間相互作用の3種類に分類した。

 色素会合体の軌道のエネルギー準位は、主にクーロン相互作用による安定化及び軌道間相互作用(LUMOは安定化、HOMOは不安定化)の効果を受けると考えられ、各々の連結型色素におけるクーロン相互作用及び軌道間相互作用の大きさを定量的に見積った。また、分子軌道計算より軌道間相互作用は発色団の軌道の重なり方に依存し色素同士のずれの距離dに対して周期的に変動することが予想された。

 色素会合体の吸収波長は主に遷移双極子間相互作用に基づきシフトすることが波長シフトと会合数nの関係、蛍光のストークスシフト及び分子軌道計算よりわかった。また色素会合体の波長シフトは色素同士のずれの距離dに対して連続的に変化することが予想された。即ち、色素同士のずれの距離dの変化に対しては軌道のエネルギー準位のほうが吸収スペクトルよりも敏感であると言える。一方、遷移双極子間相互作用の存在しないと考えられる直交モデル(4)における吸収帯の分裂は、軌道間相互作用も会合体の吸収波長を支配する因子となりうることを示す。

 以上、ポリメチン色素会合体における分子間相互作用が軌道のエネルギー準位及び吸収スペクトルに及ぼす影響を定量的に見積り、その相互作用は発色団の相対的な配列と関係づけて理解できることを明らかにした。

審査要旨

 本論文は6章からなっている。第1章は序論で、第2-6章において、いくつかの特定の発色団配列に固定したポリメチン色素の合成、吸収スペクトル、エネルギー準位について研究した結果について述べている。

 第1章では、従来のポリメチン色素会合体に」関する研究を総括し、本研究の位置づけを適切に行っている。

 第2章では、ストレプトシアニン色素オリゴマーの合成とその性質について検討している。直線的モデルとして1及びトリマー2を、サンドイッチ状に重なったモデルとして3を、また、直交モデルとして4を合成した。1及び2は各々モノマー(5)よりも長波長シフトした吸収を、3は短波長シフトした吸収を与えた。直交モデル(4)では遷移双極子間相互作用が存在しないためモノマーと同様の吸収帯を示すと予想されたが、実際には溶液中において可視吸収帯の分裂を示した。この分裂は各ポリメチン部分のHOMO同士の相互作用(spiro-conjugation)によりHOMOの縮退が解消し、励起状態が分裂するためであることが分子軌道計算より示唆された。

 1及び2の酸化還元電位は隣接するカチオンとのクーロン相互作用によりモノマーと比較して正の方向にシフトしたが、3及び4についてはクーロン相互作用と軌道間相互作用により酸化電位は負の方向に、還元電位は正の方向にシフトした。

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 第3章では、1,8-ナフチレンビスシアニン色素の合成とその性質について検討している。ナフタレン1、8-位にピリジンチアシアニン色素を連結したビス型色素(6)を合成した。メトキシ基を有する6aは対応するモノ型色素(7a)よりも短波長シフトした吸収を与え、一方、スルホナト基を有する6bは7bよりも長波長シフトした吸収を与えた。このシフトの違いは2つのシアニン色素部位の相対配置の違い(6aはsyn体、6bはanti体で存在、図1)に基づくことがX線結晶構造解析及びNMR測定よりわかった。6aの蛍光スペクトルのストークスシフトは6bよりも大きいことから遷移双極子間相互作用に基づく励起状態の分裂が示唆された。以上の結果からsyn体はポリメチン色素のH-会合体、anti体はJ-会合体のモデルとして適切であることがわかった。6a及び6bの還元電位は各々7a及び7bと比較して正の方向にシフトし、これは発色団間のクーロン相互作用及び軌道間相互作用に基づくものと解釈された。

(図1)回転異性体の構造

 第4章では、色素間の連結距離を大きくした場合の発色団の配列とその性質の関係を明らかにするため4,5-キサンテニレンビスシアニン色素(8a)を合成し、還元電位の測定によりその性質を明らかにした。

 第5章では、形式的に電荷を持っていない発色団であるメロシアニン色素会合体の性質を明らかにする目的で、1,8-ナフチレンビスメロシアニン色素(6c)を合成し、その性質を検討した。6cは溶媒極性の違いに応じた発色団配列の変化に基づくソルバトクロミズムを示した。6cの還元電位は7cよりも正の方向にシフトしたが、酸化電位は負の方向にシフトした。また、そのシフトの程度はCH3CN中のほうCH2Cl2中よりも大きく、これはsyn体における発色団間の軌道間相互作用のほうがanti体よりも大きいためと解釈された。

 第6章では、第2-5章で検討した結果に基づき、ポリメチン色素会合体における分子間相互作用の性質について、総括的に議論した。本研究における連結型ポリメチン色素に関する実験結果及び仮想的色素会合体の分子軌道計算に基づき、ポリメチン色素会合体における分子間相互作用を電荷に基づくクーロン相互作用、発色団同士の軌道間相互作用及び遷移双極子間相互作用の3種類に分類した。それらを総合的に考察することにより、ポリメチン色素会合体における分子間相互作用が軌道のエネルギー準位及び吸収スペクトルに及ぼす影響を定量的に見積り、その相互作用は発色団の相対的な配列と関係づけことができることを明らかにした。

 なお、本論文の第2-6章は、稲垣由夫氏、小川恵三氏、岡崎廉治氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって合成、構造解析、理論計算、反応性の検討を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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