学位論文要旨



No 112459
著者(漢字) 末吉,剛
著者(英字)
著者(カナ) スエヨシ,ツヨシ
標題(和) 銅単結晶低指数面上における低温での酸素およびNOの振動分光と反応性に関する研究
標題(洋) The reactivities and vibrational features of oxygen and NO adsorbed on low-index Cu single crystal surfaces at low temperatures.
報告番号 112459
報告番号 甲12459
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3239号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 田隅,三生
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 近藤,保
 東京大学 教授 小間,篤
内容要旨 〈序〉

 Cuは、酸素との強い親和性から、酸化活性の低い酸化物相を容易に形成するため、Cu metal上の本来の吸着酸素の振る舞いは明らかにされていない点が多い。近年、Cu表面上の室温以上での酸素吸着により、下地のCu原子が移動して新たな表面構造が生じる現象(表面再構成)が報告されており、再構成構造中の酸素種の研究も行われているが、Cu metal上の酸素種の性質を反映する清浄表面上での酸素種の挙動は明確にされていない。そこで本研究では、構造の規定されたCu表面を用い、酸素種の吸着状態と反応性の関連を調べた。また、環境問題との関連からNO還元に高活性なCu-ゼオライト系など、銅を含む触媒上でのNOの反応性に関心が集まっているが、NOの反応性を理解する上で、規定された表面上での挙動を明らかにすることは重要である。そこで、異種分子共存下におけるCu表面上のNOの挙動についても検討した。実験は、高分解能電子エネルギー損失分光(HREELS)、低速電子回折(LEED)、オージェ電子分光(AES)、昇温脱離(TPD)の測定が可能な超高真空槽で行った。

<Cu(110)上の低温活性酸素種によるCO-O2、CO-NO反応>

 Cu(110)表面を150-250Kの範囲で一定の温度に保ち、CO(8.8x10-6Pa)、O2(3.5x10-6Pa)の混合ガスに露出し、CO2生成の経時変化を測定した(図1)。CO2生成速度は、ガス導入後約20sで最大値をとり、この値を初速度として用いた。CO2生成量は200Kで最大値(1.5ML)をとった。圧を増加させ、CO(6.0x10-5Pa)、O2(1.5x10-5Pa)の混合ガスに露出した場合には、CO2生成量は3.3MLに達し、反応が触媒的に進行することを示している。

 反応プロファイルは表面温度に大きく依存した。180K以下では、表面がCO(a)に覆われるため50s以内に反応が停止するのに対し、200Kでは、ガス露出後20sで反応速度が最大となった後、経過時間に比例して減少し、500sにわたり反応が持続した。表面温度を200Kより上昇させると、CO2生成量と反応持続時間が減少し、250K以上では反応は観測されなかった。190Kでの反応プロファイルは、180Kと200Kのものの中間であった。200K以上での反応終了後のLEED観察では、(2x1)パターンがみられた。このLEEDパターンは、[001]方向に成長した-Cu-O-原子鎖が(1x1)格子間隔の一つおきに並んだ、(2x1)-〇再構成相の形成を示している。さらに、AESにより求めた酸素被覆率は、(2x1)-O構造の飽和被覆率である0.5MLにほぼ一致した。従って、200-230Kでは、表面全体が不活性な(2x1)-O構造に覆われるために反応が停止し、250K以上では、(2x1)-O構造の成長が速いため、反応が阻害されたといえる。

 CO-NO反応についても同様の実験を行った。表面温度200Kで、CO(9.8x10-6Pa)、15N18O(9.4x10-6Pa)の混合ガスに露出すると、CO215N218Oがそれぞれ2.1ML、1.6ML生成した。LEED、AESの結果から、表面が(2x1)-O、(2x3)-N構造に覆われることにより、反応が停止することがわかった。

 200K以上のCO酸化反応のプロファイルを、scheme1に従って解析した。step(5)は、ステップエッジから拡散するCu原子がテラス上で酸素原子を捕捉して進行するとされている、(2x1)再構成過程を表している。まず、scheme1の含むパラメータのうち、step(4)、(5)の活性化エネルギーEa、E(2x1)-Oを求めた。

 清浄表面上でのCOの脱離の活性化エネルギー(ECO)、前指数因子はそれぞれ50、6kJ/mol、1013s-1とされているため、200K以上での反応の初期段階で、step(1)、(2)は平衡に達していると考えられる。従って、step(i)の前指数因子をiとすると、CO(a)の被覆率は式(1)で表される。

 

 CO2生成速度は、Langmuir-Hinshelwood型の反応であるstep(4)より、式(2)で表される。

 

 従って、式(1)、(2)より、rCO2は式(3)で表される。

 

 反応の初期におけるOについて、200-230Kの範囲で変化は小さいと考えられるため、(14/2)Oは一定とみなすことができる。そこでCO2生成の初速度を用い、アレニウスプロットを行ったところ(図2)、見かけの活性化エネルギー(Ea-ECO)は負の値(-15.8kJ/mol)となったが、ECOを考慮すると、Eaは34.8kJ/molと求められた。(2x1)-O構造成長(step(5))の初速度は、反応初期におけるCO2生成速度の直線的な減少より見積もり、アレニウスプロットを行ったところ(図2)、E(2x1)-Oは16.8kJ/molと求められた。他のパラメータは、上記のEa、E(2x1)-Oの値を用い、scheme1に対応する微分方程式を数値的に解き、実験結果と比較することにより求めた。その結果、実験結果がよく再現され(図1中点線)、反応中のCOは0.03ML以下、Oは0.003ML以下という低被覆率であると見積もることができた。酸化活性の高い金属とされるPt、Pd上では、CO酸化反応は室温以上で進行し、低被覆率でのEaは約100kJ/molと報告されている。従ってCu(110)上では、高活性なPt、Pd上よりも低い温度、低い活性化エネルギーで、CO酸化反応が進行することがわかった。

図1.Cu(110)表面をCO(8.8×10-6Pa),O2(3.5×10-6Pa)に露出したときのCO2生成プロファイル(実線)、およびscheme 1に基づくシミュレーションの結果(点線).図2.CO2生成および(2x1)-O構造成長の初速によるアレニウスプロット.

 低温でのCO-O2及びCO-NO反応の活性種についての知見を得るため、酸素吸着表面を段階的に昇温し、HREELS、LEED、TPDにより調べた。図3に、100Kで酸素1.0Lに露出した後、200-525Kに昇温後測定したHREELSスペクトルを示す。100Kで現れた350cm-1,2080cm-1のピークは、背圧のCOの吸着による(Cu-CO),(C-O)にそれぞれ帰属される。440cm-1を中心とするブロードなピークが、酸素の解離吸着によって生じた(Cu-O)に帰属され、この表面の昇温により200-300Kでピークの形状がシャープになり、強度が約3倍に増加した。この変化はLEED観察での(2x1)サブスボットの出現と対応したため、高活性な吸着酸素原子と活性の低い(2x1)再構成表面の構造的特徴を反映していると推測される。これらの表面をCOに露出してTPDスベクトルを測定し、酸素種の活性を調べた。その結果、酸素吸着後昇温を行わなかった場合には200K以下でのCO2が0.11ML生成脱離したが、酸素吸着表面をCO露出前に予め200K以上に昇温すると、CO2の生成量は大きく減少した。それに対し、CO吸着量の変化は比較的少なかったため、昇温によって吸着酸素原子の反応性が失われたことがわかる。HREELSとLEED観察での変化が現れはじめる200Kで既に酸素原子の活性が著しく減少していいることから、短い原子鎖の成長した(2x1)-O再構成の初期の段階で活性が失われていると考えられる。従って、低温でのCO-O2及びCO-NO反応の活性種は、-Cu-O-原子鎖に取り込まれておらず表面平行方向の強いCu-O結合を持たない、清浄表面上の孤立した酸素原子であると考えられる。

図3. (左)Cu(110)裏面を100Kで酸素1.0Lに露出した後、それぞれの温度に昇温後測定したHREELSスペクトル(酸素被覆率0.42ML).(右)Cu(110)表面を100Kで酸素1.0Lに露出した後(A)及び200K(B).225K(C)、250K(D)、275K(E)、300K(F)に昇温後撮影したLEED像.
<Cu(111)、Cu(100)表面上の低温酸素種>

 100Kで酸素に露出したCu(111)、Cu(100)表面上での酸素の吸着状態を、HREELSにより調べた(図4)。Cu(111)表面上では、酸素被覆率0.10MLで(i)、610cm-1と820cm-1にピークが観測された。これらのピークはそれぞれbridge型のperoxo種(O22-)、bidentate型でatop siteに吸着したperoxo種の(O-O)に帰属され、酸素は分子状で吸着することがわかる。被覆率を増加させると(ii-iii)、atop peroxo種の(O-O)は870cm-1に高波数シフトしながら強度が増加し、bridge peroxo種より優勢となった。(ii)で観測された310cm-1のピークは(Cu-O2)に、(iii)観測された370cm-1のピークは、高被覆率で生成した原子状酸素種の(Cu-O)に帰属される。100Kでの吸着によって生じた2種類のperoxo種は、170Kへの昇温により解離した。それに対し、Cu(100)表面上では(iv)、分子状酸素種によるピークは検出されず、(Cu-O)に帰属される370cm-1のピークのみが観測された。

図4. Cu(111),Cu(100)表面を100Kで酸素に露出後測定したHREELSスペクトル.
<Cu(111)表面上のNO-NH3共吸着系>

 Cu(111)上のNO単独吸着相のTPDスペクトルでは、120-150KをピークとするN2Oの脱離のみが観測された。LEED観察では、0.44-0.52MLで現れた(3x3)パターン以外の秩序構造はみられなかった。また、NH3単独吸着の場合には、160Kを中心とする分子状脱離が観測され、LEED観察では秩序構造は観察されなかった。それに対しNO-NH3共吸着系では、露出の順序によらず、NOとNH3の相対比の広い範囲で、N2Oの脱離ピークが70K以上高温の220Kにシフトし、220Kと270Kに新たなNH3の脱離ピークが現れた。これらの表面を180Kに昇温後行ったLEED観察では、単独吸着ではみられない新たな(2x2)パターンが観察された。この(2x2)構造中のNO,NH3(ND3)の振動スペクトルを、単独吸着の場合と比較した(図5)。

 まず、NO単独吸着では(i)、1600cm-1,1440cm-1のピークはそれぞれatop site、bridge siteにbent型で吸着したNOの(N-O)に、1250cm-1のピークはthreefold hollow siteにlinear型で吸着したNOの(N-O)に帰属され、3種類の吸着状態が混在していることがわかる。NH3単独吸着の場合(ii)に観測された1070cm-1、1630cm-1、3250cm-1のピークは、それぞれs(NH3)、as(NH3)、(N-H)に帰属される。それに対し(2x2)構造中では、NH3を用いた場合(iii)とND3を用いた場合(iv)の比較より、(N-O)に帰属されるピークは1180cm-1のみで、全てのNOはthreefold hollow siteにlinear型で吸着していることがわかる。このようなNO吸着サイトの変化と(N-O)の低波数シフトは、(2x2)構造中で、NH3(a)のlone pairからNO(a)の2*軌道への下地を介した電荷移動により、NO-NH3間に引力的な相互作用が働いていることを示している。以上のHREELSの結果と、TPD、AESの結果から、図6のモデルが(2x2)構造の実空間モデルとして妥当であると考えられる。

 以上の結果より、Cu(111)上では、NO-NH3間の引力的な相互作用によって(2x2)構造が形成され、共吸着相が安定化されるために、単独吸着と比較して高温まで分子状のNOが存在し、(2x2)構造の消失と共にN2O、NH3の脱離が起きたと考えられる。

図5.Cu(111)表面を(i)100Kで15N18O1.0Lに露出後、(ii)100KでNH32.0Lに露出して150Kに昇温後、(iii)100Kで15N18O1.0L、NH32.0Lに露出して150Kに昇温後、(iii)100Kで15N18O1.0L、ND32.0Lに露出して150Kに昇温後測定したHREELSスペクトル.図6.(2x2)構造の実空間モデル.
審査要旨

 本論文は、構造の規定された銅単結晶を用いて、酸素種の吸着サイトとその反応性およびNOの反応性を振動分光法や昇温脱離法等の表面科学的手法を駆使して研究し、低温領域におけるこうした吸着種の新しい挙動を明らかにしたものである。特に、銅上の酸素については、これまで室温以上で研究がなされてきていたが、末吉氏は、さらに低温度領域の研究に発展させ、これまで見つかっていなかった新しい活性酸素種を発見した。本論文は8章からなる。

 第1章では、これまでの表面酸素種についてまとめ、さらに銅表面における酸素の挙動について言及している。特に、銅の低指数面にみられる吸着誘起再配列構造についてこれまでの実験や理論の成果をレビューし、本論文に必要な背景や目的を提供している。

 第2章では、使用した装置を説明し、電子線損失分光の原理に関して、記述するとともに、高分解能電子線損失分光法(HREELS)の表面科学で果たした役割を述べている。

 第3章では、Cu(110)上における100Kでの酸素の吸着挙動とそのCO酸化反応性に関してHREELS及びTDSで研究した成果について述べている。酸素は100Kで解離して吸着し、秩序構造は示さないが、200Kに昇温すると、(2x1)-Oの再配列秩序構造に取り込まれる。これら酸素のCO酸化活性を吸着直後のものと再配列(2x1)構造に取り込まれたものとで比べると、吸着直後のものの方が25倍近く高い活性を示すことを見いだした。また、CO-Oの共吸着系では、COの波数が60cm-1も低波数シフトすることも見いだしている。

 第4章では再配列を起こしていないCu(110)を用いて、230K以下の反応温度でCO-O2及びCO-NOの反応を起こさせ、その表面の反応特性を調べている。その結果、反応活性酸素は、第3章でみた吸着直後の酸素種であり、ラングミュア型の吸着で解析したところ、CO-O表面反応の活性化エネルギーは34.8kJ/molであると決定している。活性化エネルギーは元来活性といわれるPt,Pd,Rhに匹敵するほどの低いものであることがわかった。CO+NOの反応では200KでCO2とN2Oの生成が観測されたことを報告している。

 第5章ではCu(111)上への酸素の低温吸着をHREELSにより研究し、二つの分子状吸着種を発見している。氏はこれらの分子状酸素を架橋型パーオキソ種とアトップ型パーオキソ種に帰属し、その表面挙動を調べている。

 第6章ではCu(100)表面上のおける100Kで生成する酸素種の挙動と反応性を論じている。Cu(100)では、100Kで酸素は解離吸着し、COと反応して、125KでCO2を生成することを見いだしている。さらに高温でこの酸素種を処理すると、c(2x2)構造や112459f04.gif構造が生成し、活性が低下する。こうした秩序構造に取り込まれない酸素が活性種であると同定した。さらにこうした吸着直後の酸素は水からの水素引き抜きにも活性を示した。

 第7章では環境問題で重要なNOを取り上げている。近年CuはNO除去触媒として注目されているものであり、NOに対する触媒活性の表面科学的なアプローチとして注目される系である。特に、NOとアンモニアの共吸着系を取り上げ、Cu(111)表面では、NOとNH3との間に引力的相互作用が働き、(2x2)構造が形成され高温まで、NOが分子状に存在することを見いだしている。また、(2x2)の実空間モデルをHREELS,TPD,AESの結果を元に導き出し論じている。

 第8章では、こうした銅表面での吸着酸素の挙動と反応活性を酸素誘起再配列構造と関連させながら議論し、酸素の活性化や自己被毒といった触媒的に重要な概念を本研究で得られた表面科学的知見をもとに、再構築を試み、本論文全体を通しての結論を導き出している。

 以上、本論文は銅というこれまで、不活性金属として扱われてきた表面が低温で酸素を吸着させることでPt,Pdといった高活性触媒と同等の高い活性を示しえることを見いだし、その挙動を分子論的立場から明らかにした点、表面科学、触媒化学両面から非常に価値の高い研究である。さらに、自己被毒や活性化といった触媒化学の基礎概念を原子レベルで刷新し、再提供したことは、触媒作用の本質的理解に対し、多大な貢献をしたものと評価される。また、本論文の研究は本著者が主体となって考え実験を行ったもので、本著者の寄与は極めて大きいと認める。よって、末吉剛氏は博士(理学)の学位を受ける資格があると判定する。

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