学位論文要旨



No 112473
著者(漢字) 佐藤,ちひろ
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,チヒロ
標題(和) 動物細胞におけるオリゴ・ポリシアル酸構造の多様性と存在分布
標題(洋) Structural diversity and occurrence of 2→8-linked oligo/polysialic acid chains in glycoproteins of animal cells
報告番号 112473
報告番号 甲12473
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3253号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 助教授 岩森,正男
 東京大学 講師 武藤,裕
 東京都老人総合研究所 室長 古川,清
内容要旨 【序】

 2→8結合オリゴ・ポリシアル酸(oligo/polySia)構造はシアル酸[N-アセチルノイラミン酸(Neu5Ac)、N-グリコリルノイラミン酸(Neu5Gc)、デアミノノイラミン酸(KDN)]が2→8結合で2〜200残基連なった縮重合体の総称である(Fig.1)。oligo/polySia構造は動物起源としては初めて、1978年に井上と岩崎らにより、ニジマス未受精卵中のポリシアロ糖タンパク質(PSGP)中にpolyNeu5Gc基として見出された(1)。以来、昆虫からヒトに至る神経細胞接着分子(N-CAM)、ヒト悪性腫瘍細胞、形質転換した腎細胞、再生中の筋繊維、Na+チャンネルなどにoligo/polyNeu5Ac基の存在が認められている。oligo/polySia構造はポリアニオンとしての物理化学的性質をもつこと、またその発現が発生過程で時間的・空間的に限定されていることから、発生や分化の特定の過程で細胞接着や細胞移動に関与する重要な分子であると考えられている。

Fig.1.2→8結合オリゴ・ポリシアル酸(oligo/polySia)構造

 oligo/polySiaは構成シアル酸とシアル酸の重合度によりその構造と性質が変化し得ることからpolySia構造を詳細に解析していくことは、polySia構造の機能を解明していく上で重要である。本研究ではまずサケ科8魚種のPSGPのpolySia構造を化学的、酵素学的、免疫化学的手法を用いて解析し、その多様性を明らかにした(2)。さらに、polySia構造の検索、同定、解析に不可欠であり、現在広く用いられている抗oligo/polySia抗体の特異性の詳細な解析を、オリゴ・ポリシアル酸を脂質に結合させたネオオリゴ・ポリシアロ糖脂質の合成を行い、それを用いた簡便な解析法を開発することによって行った(3)。また、免疫原性が低く作成が困難であるとされていた抗oligo/polyNeu5Gc抗体をネオオリゴ・ポリシアロ糖脂質を抗原として用いて調製し、その特異性を明らかにした。この抗体を用いてラット、ブタの各組織の免疫化学的染色を行い、oligo/polyNeu5Gc構造をもつ糖タンパク質の存在を強く示唆する結果を得た。さらにブタの脾臓から糖ペプチドを精製し、(→8Neu5Ge2→)n,n2構造の存在を化学的にも明らかにした(4)。

【1】サケ科魚卵PSGPの2→8結合oligo/polySia構造の解析【方法】

 Salvelinus属、Salmo属のPSGPを常法(2)に従って精製を行い、化学的手法(アミノ酸分析、糖組成分析、構成シアル酸の同定、定量、緩和酸水解/TLC分析、シアル酸ダイマー成分の精製、同定、定量、1H-NMR測定)、免疫化学的手法(anti-polyNeu5Ac抗体H.46との反応性)、酵素化学的手法(エンド-N-アシルノイラミニダーゼ(endo-N)消化、エキソシアリダーセ消化)を用いてoligo/polySia構造の解析を行った。

【結果】

 アミノ酸組成分析、糖組成分析、構成シアル酸の同定、定量を行った(Table I)。Salvelinus属、Salmo属でNeu5GcのほかにNeu5Acが確認され、Oncorhynchus属ではNeu5Gcのみであった。また緩和酸水解/TLC分析(Fig.2)、ダイマー成分の精製・同定・定量、endo-N消化実験、H.46抗体との反応性から、Salvelinus属のPSGP(Sn)のポリシアリル基はNeu5AcまたはNeu5Gcのホモオリゴ・ポリマーで存在し、一方、PSGP(Sf)、PSGP(Slp)、Salmo属のPSGP(Stf)はNeu5AcとNeu5Gcのヘテロオリゴ・ポリマーで存在する事が明らかになった。また、今回はじめて、Neu5AcのみからなるPSGP(Sn)の存在が明らかになった。またシアリダーゼ消化実験、1H-NMR測定により、PSGPの中には4-,7-,9-,7,9-,8,9-O-アセチル-Neu5Ac残基をもつものの存在が確認され、さらにPSGP(Sn)中に9-O-ラクチル-Neu5Ac残基の存在が強く示唆された。

図表Table I.PSGPの糖組成分析 Fig.2.緩和酸水解/TLC分析 Lane 1.(Neu5Gc)n;lane 2.(Neu5Ac)n; lane 3.PSGP(Sn)-I;lane 4. PSGP(Sn)-II;lane 5.PSGP(Sn)-II; lane 6.PSGP(Sf)-II;lane 7. PSGP(Slp);lane 8.PSGP(Omi)

 以上の結果より、サケ科魚卵PSGPのoligo/polySia構造には、これまで知られているoligo/polyNeu5Gc、O-Ac-oligo/polyNeu5Gcだけでなく、oligo/polyNeu5Ac、oligo/poly(Neu5Ac,Neu5Gc)、O-Ac-oligo/polyNeu5Ac O-Ac-oligo/poly(Neu5Ac,Neu5Gc)が存在し、多様性があることが明らかとなった(2)。

【2】抗オリゴ・ポリシアル酸抗体の特異性の解析【方法】

 oligoNeu5Ac,oligoNeu5Gc,oligoKDNをコロミン酸、PSGP(Om)、KDN-gpを緩和酸水解することによって精製した。また(Neu5Ac)n(n=1〜16)、(KDN)n(n=1〜7)はoligoNeu5Ac,oligoKDNをそれぞれMono-Q,DEAE-Toyopearl650M陰イオン交換クロマトグラフィーにかけることにより重合度別に精製した。それぞれのオリゴシアル酸をNaBH4存在下で脂質(phosphatidylethanolamine dipalmitoyl,(PE))に還元アミノ化反応(Fig.3)で結合させ、ネオオリゴ・ポリシアロ糖脂質を合成し、TLCで解析を行った。

Fig.3.還元アミノ化反応によるネオオリゴ・ポリシアロ糖脂質の合成

 さらにネオオリゴ・ポリシアロ糖脂質を用いて抗oligo/polyNeu5Ac抗体(H.46.mAb.735,mAb.12E3,mAb.5A5,mAb.2-2B,mAb.OL.28,mAb.S2-566)、抗oligo/polyKDN抗体(mAb.kdn8kdn)の特異性を詳細に解析した。

【結果】

 ネオオリゴ・ポリシアロ糖脂質を合成し、それを抗原として用いることにより、抗オリゴ・ポリシアル酸抗体の特異性を簡易かつ鋭敏に明らかにする方法を開発した(3)。その方法を用いて、いままで解析が困難であり、その詳細な特異性の解析がおこなわれていなかった抗体の特異性を明らかにした(Table II)。

Table II.Anti-oligo/poly(2→8Sia)antibodies
【3】anti-oligo/polyNeu5Gc抗体の開発および動物細胞の糖タンパク質におけるoligo/polyNeu5Gc構造の存在証明【方法】

 oligoNeu5Gc-PEを免疫原とし、自己免疫疾患マウスを用いて、oligo/polyNeu5Gc抗体の作成を行い、その特異性を解析した。その抗体を用いて、マウスの各臓器、及びブタ脾臓のSDS-PAGE/Western-blotting-immunostainingを行った。さらにブタ脾臓由来の糖ペプチドをDEAE-Sephadex A-25陰イオンクロマトグラフィーを用いて部分精製し、過ヨウ素酸酸化/DMB-HPLC法(C7/C9分析)、緩和酸水解/TLC法、及び1H-NMR測定を行った。

【結果】

 oligoNeu5Gc-PEには反応性を示すが、oligoNeu5Ac-PEには反応性を示さないモノクローナル抗体mAb.2-4Bを樹立した。oligoSia-PE,(Neu5Gc)n-PE(n=1〜10),H-PSGP(Om),H-PSGP(Sn)を用いて特異性の解析を行った結果、mAb.2-4Bの特異性は(Neu5Gc)n(n2)であることが明らかになった。この抗体を用いて、ラット各臓器およびブタ脾臓のSDS-PAGE/Westernblotting-immunostainingを行った結果、抗体と反応性を示しシアリダーゼ感受性の糖タンパク質の存在が強く示唆された。(Neu5Gc)n構造が動物細胞に存在することを化学的に証明するために、ブタの脾臓から部分精製した糖ペプチドについて、C7/C9オリゴマー分析、緩和酸水解/TLC分析(Fig.4)、及び、1H-NMR測定を行い、Neu5Gc2→8Neu5Gc構造が糖ペプチドに結合していることを明らかにした(4)。

Fig.4a.ブタ脾臓由来の糖ペプチド(A-IV)の緩和酸水解物のSephacrylS-100クロマトグラフィーの溶出パターン,b.遊離シアル酸画分(A-IV-MH)のTLC分析:Lane1,(Neu5Ac)n;lane2,(Neu5Gc)n;lane3,A-IV-MH
【結論】

 サケ科魚卵PSGPのoligo/polySia構造は、構成シアル酸の違いにより、多様な構造をしていることが明らかになった(Table III)。さらに今までポリシアル酸の検出に用いられていた抗体の詳細な特異性を調べたところ、構成シアル酸の種類と重合度により反応性が異なることが明らかとなり抗体によるpolySiaの重合度の評価には注意を要することが示された。また今回開発したoligo/polyNeu5Gc構造に対する抗体を用いた免疫化学的手法および化学的手法によって哺乳動物各組織におけるoligo/polyNeu5Gc構造をもつ糖タンパク質の存在が証明され、今後これらの多様性もつ生物学的機能に注目される。

Table III Occurrence of oligo/polySia structure
【参考文献】(1)Inoue,S.,and Iwasaki,M.(1978)Biochem.Biophys.Res.Commun.83,1018-1023(2)Sato,C.,et al.,(1993)J.Biol.Chem.268 23675-23684;(3)Sato,C.,et al.,(1995)J.Biol.Chem.270 18923-18928;(4)Sato,C.,et al.,(1997)J.Biol.Chem.to be submitted
審査要旨

 2→8結合オリゴ・ポリシアル酸(oligo/polySia)構造は、N-アセチルノイラミン酸(Neu5Ac)、N-グリコリルノイラミン酸(Neu5Gc)、デアミノノイラミン酸(KDN)が2-200残基連なった縮重合体の総称であり、1978年にニジマス未受精卵ポリシアロ糖タンパク質(PSGP)中にpolyNeu5Gc構造が発見されて以来、バクテリアからヒトに至る広い生物種において神経細胞接着分子(N-CAM)、Naチャンネルの分子にpolyNeu5Ac構造が検出されている。oligo/polySia構造はポリアニオンとしての物理化学的性質をもつこと、またその発現が発生過程で時間的・空間的に限定されていることから、発生や分化の特定の過程で細胞接着や細胞移動に関与する重要な機能性分子であると考えられている。本研究はかかる機能性分子の生物学的機能を構造との関連で理解することを目指し、構成シアル酸種とその重合度を解析することによってoligo/polySia構造の多様性の実体を明らかにするとともに、その多様性のもつ機能的意義の解明を目的として行ったものである。

 Prefaceの研究の背景と意義、概要についての記述に引き続き、ChapterIではサケ科8魚種の魚卵PSGPのoligo/polySia構造を化学的、酵素学的、免疫化学的手法により詳細に解析を行っている。すなわちサケ科魚卵から精製したPSGPについて、アミノ酸および糖組成分析、緩和酸水解/TLC分析、1H-NMR分析、endo-およびexosialidase消化、抗polyNeu5Ac抗体との反応性を調べた結果、サケ科魚卵PSGPのoligo/polySia構造には、これまで知られていたoligo/polyNeu5Gc、O-Ac-oligo/polyNeu5Gc構造だけでなく、oligo/polyNeu5Ac、oligo/poly(Neu5Ac,Neu5Gc)、O-AC-oligo/polyNeu5AC,O-AC-oligo/poly(Neu5Ac,Neu5Gc)構造が存在することが明らかとなった。このことはサケ科魚卵には、きわめて多様なoligo/polySia構造が存在すること示している。

 Chapter IIでは現在、polySia構造の検索、同定、解析に不可欠であり、しかし、詳細な特異性が理解されないままに広く用いられている抗oligo/polySia抗体についての免疫特異性の解析を行っている。まず、構成シアル酸種別、および重合度別に精製したオリゴシアル酸を脂質(フォスファチジルエタノールアミンジパルミトイル)に結合させたネオオリゴ・ポリシアロ糖脂質を合成しそれを用いた特異性の解析法を新しく開発した。次にこの方法を用いて現在入手可能な抗oligo/polySia抗体の特異性を解析した。その結果、調べた全ての既知の抗体はoligo/polyNeu5Ac構造のみを認識するものであり、これらの抗体ではサケ科魚卵に見出された多様なoligo/polySia構造を認識することはできないことが明らかとなった。またこれらの抗体は抗polyNeu5Ac抗体、抗oligo/polyNeu5Ac抗体および抗diNeu5Ac抗体と言うべきの3つのクラスに分類できることが判明した。この結果から、いままで抗体を用いて検出されてpolySia構造と考えられていたものの中にoligoSia構造をもつものがあること、また重合度の違いによる多様なoligoSia構造が存在する可能性が示唆されている。

 Chapter IIIでは免疫原性が低く作成が困難であるとされていた抗oligo/polyNeu5Gc抗体をネオオリゴ・ポリシアロ糖脂質を抗原として用いて調製し、その特異性を明らかにしている。さらにこの抗体を用いてラット、ブタの各組織の免疫染色を行い、oligo/polyNeu5Gc構造をもつ糖タンパク質が複数存在することを強く示唆する結果を得ている。また微量でoligo/polySia構造を化学的に検出する方法を開発し、ブタの脾臓から(→8Neu5Gc2→)n,n2構造含有糖ペプチドを調製しoligo/polySia構造の存在を化学的に証明している。以上の結果から哺乳動物細胞系においてもサケ科魚卵に見出される多様なoligo/polySia構造が存在することを指摘している。

 以上を要するに、本研究では、まずoligo/polySia構造の化学的、酵素化学的および免疫化学的に解析する方法の開発を行い、構造解析の方法論を確立した。第二にそれらの手法を用いてサケ科魚卵PSGPおよび哺乳動物組織における多様なoligo/polySia構造の存在をはじめて明らかにした。そして第三にoligo/polySia構造の詳細な理解を通じて、これらの構造の機能追求の基盤を確立した。従って本論文の著者は理学博士の学位を受ける資格があるものと認める。

 なおこの論文のChapter I及びChapter IIは既に2篇の共著論文として発表されており、Chapter IIIは1篇の共著論文として投稿中であるが、いずれにおいても論文提出者は主要な寄与をなしたものであることが認められる。

UTokyo Repositoryリンク