学位論文要旨



No 112476
著者(漢字) 高橋,史峰
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,フミタカ
標題(和) ショウジョウバエの新たなsrc遺伝子Dsrc41の単離と解析
標題(洋)
報告番号 112476
報告番号 甲12476
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3256号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 堀田,凱樹
内容要旨

 ラウス肉腫ウイルス(RSV)はニワトリの肉腫を引き起こすレトロウイルスである。その癌化能は、RSV遺伝子にコードされる癌遺伝子(v-s r c)による。v-srcの由来はそのcellular homologueである癌原遺伝子(c-src)である。c-src遺伝子産物(以下Src)は分子量約60Kのタンパク質で、プロテインチロシンキナーゼ活性を持つ。この活性はカルボキシル末端のチロシン残基(Tyr527)がリン酸化されることで抑制されている。v-src遺伝子産物にはこのアミノ酸残基が欠失しており、チロシンキナーゼ活性が常にactivateされている。

 Srcは、アミノ末端に結合したミリスチン酸を通じて、細胞膜と結合している。細胞の増殖や分化に関して、Srcが担っている役割を解明していくことは重要であり、その細胞内の局在性から、細胞内情報伝達経路において比較的上流で機能していると考えられる。

 脊椎動物においては、s r c 遺伝子産物の発現パターンが詳細に調べられてきた。基本的には個体中の様々な組織で非特異的に発現しているが、特に神経系において強い発現がみられる。ラットの脳においては、ニューロンのグロースコーンに局在していることが知られている。更に、マウスの神経系において、alternative splicingにより6アミノ酸が挿入された形のSrcが発現しており、神経系の発生において特別な機能を果たしていることが推定される。実際、RSVを感染させたPC12cell は、ニューロン様の形態に変化する。しかし、相同的組み換えによりsrc遺伝子を欠損したマウスにおいては、部分的な表現形しか観察されなかった。これはおそらくSrc類似の非受容体型チロシンキナーゼによるredundancyが原因であろうと考えられている。従って、個体発生におけるsrc遣伝子産物の機能には、解明されるべき点が多く残されている。

 本研究では、ショウジョウバエにおけるsrc遺伝子のホモログ(Dsrc41)を単離した。プロテインキナーゼの酵素活性部位は、保存された11個のサブドメインを持つ。その中でも6番目のサブドメインは、チロシンキナーゼとセリン・スレオニンキナーゼとでアミノ酸配列が大きく異なっている。ショウジョウバエの新規なチロシンキナーゼを単離する目的で、当研究室の宍戸らは、サブドメインの6番と9番に対応するチロシンキナーゼ特異的なdegenerate primerを作製した。このプライマーを用いてショウジョウバエのゲノムに対してPCRを行ない、7種類の新規なチロシンキナーゼ遺伝子の断片(約200bp)が得られた。それらの遺伝子断片の一つから、Dsrc41を単離した。

 ショウジョウバエのsrc類似遺伝子は、v-srcをプローブに用いて、既に2種類(Dsrc64,Dsrc28)が単離されている。しかし、Dsrc28はSrcとは異なった特徴をいくつか持っており、B cell Progenitor Kinase(BPK/Btk)と高いホモロジーを示す。従って、Dsrc28はSrcとは異なる他のサブファミリーに属するものと考えられる。よってそのホモロジーから、Dsrc64がsrc遺伝子のホモログであると考えられていた。しかし、Dsrc41とDsrc64のアミノ酸配列を、他の脊椎動物のSrc及びSrc類似の非受容体型チロシンキナーゼと比較すると、そのホモロジーからDsrc41の方が脊椎動物のsrcに対しより近縁であることがわかった。

 Dsrc64は、分子進化の系統樹上で、src類似遺伝子のグループの外側で分岐している。しかしながらDsrc41は、srcを含むグループにより近い所から分岐しているものと考えられ、Dsrc41が脊椎動物のsrcホモログであるということができる。

 一般にSrcは、アミノ末端がミリスチン酸化されている。ミリスチン酸化が阻害されると、v-src遺伝子産物は細胞膜へ局在しなくなるが、それと同時に、トランスフォーミング能もなくなることが知られている。従って、Srcにとって細胞膜に局在することは、情報伝達等に関わるための必須条件である。ミリスチン酸化されるタンパク質に関して提案されているアミノ末端のコンセンサス配列はDsrc41においても保存されており、脊椎動物のSrcと同様にDsrc41も細胞膜に局在しているものと思われる。

 アミノ末端側から、まずSrc Homology3(SH3)と呼ばれる領域があり、-sheet構造を持つことが知られている。その機能としては、プロリンに富んだ配列に結合すると考えられている。また、SrcのSH3に関しては、Src自身のチロシンキナーゼ活性の抑制にもSH3が必要である。Dsrc41においては、特にSH3の部分で脊椎動物のSrcと高いホモロジーを示した。

 次にSrc Homology2(SH2)と呼ばれる領域が保存されている。SH2もSH3と同様に、様々なタンパク質に保存されているモチーフである。SH2の機能はリン酸化されたチロシン残基(P-Tyr)を含むペプチドとの結合である。ただしどのようなP-Tyrとも結合する、というわけではなく、P-Tyrの前後のアミノ酸配列に対して、SH2の種類に応じた選り好みをする。3次構造の解析結果から、SH2もまた主に-sheet構造からなることが知られている。SrcのSH2において重要なことは、結合可能なP-Tyr(Tyr527)が自分自身のカルボキシル末端に存在する、ということである。自己のSH2で自己のカルボキシル末端を結合することにより、Src自身のチロシンキナーゼ活性が抑制されていると考えられている。従って、Srcの酵素活性の制御に関してSH2の存在は本質的であり、Tyr527に点突然変異を導入するだけで、トランスフォーミング能を持つ活性型のSrcにすることができる。Dsrc41に関しても、SH2及びTyr527に対応するチロシン残基が保存されており、後述する機能解析のためにDsrc41の活性型変異体(Dsrc41YF)を作製した。

 前述のようにチロシンキナーゼの酵素活性部位は、11個のサブドメインからなる。Dsrc41においても、これら11個のサブドメイン中の特徴的な配列が保存されている。特にSrcにおいて、サブドメインの7番目と8番目の間に存在するチロシン残基(Tyr416)が酵素活性の調節に関与している。このTyr416をSrc自身が自己リン酸化しており、Tyr416に点突然変異を導入してリン酸化を阻害することでSrcのチロシンキナーゼ活性が抑制される。Dsrc41においても、このTyr416に対応するチロシン残基が保存されている。

 また、サブドメインの2番には、ATPの結合に必要なリジン残基が保存されている。この残基を変異させることで、チロシンキナーゼは受容体型・非受容体型を問わずキナーゼ活性を失う。Srcにおいても、この様な変異体が作製され、様々な実験に用いられている。Dsrc41についても、対応するリジン残基を変異させた変異体(Dsrc41KR)を作製し、その後の解析に用いた。

 一般に発生過程において重要な役割を果たしている遺伝子産物の機能は、ショウジョウバエと他の脊椎動物等で相同であると思われる。ショウジョウバエは体長わずか数mmの非常に小さな無脊椎動物であり、各器官は限られた数の細胞から成る。そして、遺伝学的な手法や抗体による組織染色などによって、各器官の発生・分化のメカニズムをcell resolutionで解析することが可能である。特に複眼は約800個の個眼の繰り返し構造から成り、1つの個眼はわずか20個前後の細胞によってできており、全ての細胞を同定可能である。このため複眼の分化に関する研究は、様々な細胞間及び細胞内シグナル伝達経路を明らかにしつつある。各個眼には8個の神経細胞である光受容体細胞(R1-R8)が存在し、R8・R2/5・R3/4・R1/6そしてR7の順番で分化する。Sevenless(Sev)はR7で発現する受容体型チロシンキナーゼで、R7の分化に必須である。R8で発現するbossがSevのリガンドであり、結合することによってSevを活性化し、またこの時Sevに結合したbossはR7に取り込まれる。bossまたはSevのいずれかが欠けてもR7は光受容体細胞に分化できずにコーン細胞に運命転換してしまう。逆に、活性型のSevを過剰発現するとコーン細胞が余分なR7に運命転換してしまうことが知られている。

 Dsrc41の機能解析の一環として、前述したDsrc41の変異体の発現が複眼の形態形成に与える影響を調べたところ過剰なR7の発生が確認され、Sev pathwayとの相互作用が推定された。更にSev pathwayのcomponentとして同定されているras等の様々な遺伝子の突然変異体とかけ合わせたところ、これらの突然変異はこの表現形を抑圧した。従って、Dsrc41とSev pathwayとが何らかの形で関わっていることが考えられる。

 また、複眼成虫原基を詳しく観察したところ、光受容体細胞前駆体の細胞の形に異常がみられた。よってDsrc41が細胞の形態維持に関与している可能性が考えられる。更に抗体染色の結果、R7以外の細胞にbossが取り込まれているのが観察された。電子顕微鏡による複眼成虫原基の切片観察等も併せて考えると、コーン細胞とR8との新たな接触が過剰なR7を誘導する原因の一つではないかと考えられる。actin繊維や、抗カドヘリン抗体によるadherence junctionの観察結果からも、これらの細胞接着・細胞骨格系にDsrc41が影響を与えていることがわかった。

 脊椎動物の培養細胞系においても、Srcが細胞接着・細胞骨格系の形成に関与していることが示唆されている。従って、個体中におけるDsrc41の機能を解明していくことが、Src全般の機能の解明にも役立つものと思われる。

審査要旨

 本論文では、ショウジョウバエの新たなsrc遺伝子Dsrc41の単離及びその遺伝子産物の機能解析について詳細な検討を行った。

 脊椎動物において癌原遺伝子として最初に同定されたc-srcは、分子量約60Kの非受容体型チロシンキナーゼ(Src)をコードしている。Srcは細胞の増殖や分化に関して重要な役割を担っており、その細胞内の局在性から、細胞内情報伝達経路において比較的上流で機能していると考えられる。しかし、相同的組み換えによりsrc遺伝子を欠損したマウスにおいては、部分的な表現形しか観察されなかった。これはおそらくSrc類似の非受容体型チロシンキナーゼによるredundancyが原因であろうと考えられている。従って、個体発生におけるsrc遺伝子産物の機能には、解明されるべき点が多く残されている。

 Dsrc41は、ショウジョウバエにおいて新たなチロシンキナーゼをコードする遺伝子として単離された。そのアミノ酸配列から、Dsrc41はSrcと高い相同性を持つことが分かった。ミリスチン酸化されるタンパク質のアミノ末端のコンセンサス配列、プロリンに富んだ配列に結合すると考えられているSrc Homology3(SH3)、リン酸化されたチロシン残基(P-Tyr)を含むペプチドと結合すると考えられているSrc Homology2(SH2)、11個のサブドメインからなるチロシンキナーゼ領域がそれぞれDsrc41において保存されていた。また、リン酸化されることにより酵素活性を抑制するカルボキシル末端のチロシン残基(Tyr-511)も保存されていた。

 ショウジョウバエのsrc関連遺伝子は、既に2種類(Dsrc64,Dsrc28)が単離されており、そのホモロジーから、Dsrc64がsrc遺伝子のホモログであると考えられていた。しかし、Dsrc41とDsrc64のアミノ酸配列を、他の脊椎動物のSrc及びSrc類似の非受容体型チロシンキナーゼと比較すると、Dsrc41の方が脊椎動物のsrcに対しより近縁であった。従って、Dsrc41がショウジョウバエにおけるsrcのホモログであるということが分かった。

 次に、Dsrc41のTyr-511を変異させてDsrc41の活性型変異体(Dsrc41YF)を作製した。また、サブドメインの2番の、ATPの結合に必要なリジン残基を変異させ、Dsrc41の不活性型変異体(Dsrc41KR)を作製した。

 これらのDsrc41変異体の発現がショウジョウバエの個体発生に与える影響を、複眼において調べたところ、rough eyeの表現型を示した。特にDsrc41KR形質転換体の表現型は、野生型Dsrc41の発現によって抑圧された。従って、Dsrc41KRはDsrc41に対してアンタゴニストとして作用しており、複眼の発生にDsrc41が必要であることが分かった。また、これらのrough eyeの表現型をより詳しく調べたところ、光受容体細胞のR7が増加していた。これらの過剰なR7は、光受容体細胞を取り囲むコーン細胞の運命転換に由来していた。よって、R7の分化を担っていることが既に知られているSevenless(Sev)pathwayとの相互作用が予想された。Sevは受容体型チロシンキナーゼであり、そのリガンドは光受容体細胞R8において発現している。そこで、sev pathwayのcomponentとして同定されているRas等の様々な遺伝子の突然変異体とかけ合わせたところ、これらの突然変異はこの表現形を抑圧した。従って、Dsrc41とSevpathwayとが何らかの形で関わっていることが考えられた。

 また、複眼成虫原基を詳しく観察したところ、光受容体細胞前駆体の細胞の形に異常がみられた。よってDsrc41が細胞の形態維持に関与している可能性が考えられる。更に抗体染色により調べたところ、コーン細胞が本来接触していないR8との接触が推定される結果が得られた。電子顕微鏡による複眼成虫原基の切片観察等も併せて考えると、コーン細胞とR8との新たな接触がコーン細胞のSev pathwayを活性化し、過剰なR7を誘導する原因の一つとなったと考えられる。

 更に、actin繊維や、抗カドヘリン抗体によるadherens junctionの観察結果からも、これらの細胞接着・細胞骨格系にDsrc41が影響を与えていることがわかった。脊椎動物の培養細胞系においても、Srcが細胞接着・細胞骨格系の形成に関与していることが示唆されており、Dsrc41も脊椎動物のSrcと相同な機能を担っていることが分かった。

 本論文で得られた結果は、ショウジョウバエにおけるsrcホモログであるDsrc41の機能解析が、Src全般の機能の解明にも役立つものであることを示している。

 なお、本論文は、遠藤幸子、小嶋徹也、西郷薫氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、本論文提出者高橋史峰は博士(理学)の学位を授与されるのに十分な資格があると認める。

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