学位論文要旨



No 112477
著者(漢字) 田口,友彦
著者(英字)
著者(カナ) タグチ,トモヒコ
標題(和) 魚卵糖タンパク質に見いだされた多本鎖N型糖鎖の精密な化学構造決定およびそのマンノースコア部分の立体構造解析
標題(洋) PRECISE STRUCTURAL DETERMINATION OF MULTIANTENNARY N-LINKED GLYCAN CHAINS FOUND IN FISH EGG GLYCOPROTEINS AND CONFORMATIONAL ANALYSIS OF THEIR MANNOSE-CORE GLYCANS
報告番号 112477
報告番号 甲12477
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3257号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 教授 赤沼,宏史
 東京大学 講師 武藤,裕
内容要旨

 高分子量多本鎖N型糖鎖を持つ糖タンパク質が、初期胚や癌細胞表面上に出現して、細胞間相互作用の制御に密接に関与することが明らかにされつつあるが、それらの巨大N型糖鎖の詳細な構造、作用機構についての知見は未だ乏しい。本博士論文は、高分子量糖鎖を持ち、受精および発生過程における機能性糖タンパク質である魚卵表層胞局在糖タンパク質(hyosophorin)の糖鎖に着目し、これらの多本鎖糖鎖構造を詳細に決定するとともに、これらの多本鎖構造に共通なコア糖鎖の立体構造を解明することを目的としている。得られた結果を以下に示す。

 (1)4魚種(Oryzias melastigma,Oryzias latipes,Fundulus heteroclitus,Tribolodon hakonensis)卵から、hyosophorin分子を単離・精製し、その全化学構造を精密に決定した(図1-4)(論文リスト(a),(b),(c),(d))。

図1 Oryzias melastigma hyosophorin分子の全化学構造図2 Oryzias latipes hyosophorin分子の全化学構造図3 Fundulus heteroclitus hyosophorin分子の全化学糖鎖構造図4 Tribolodon hakonensis hyosophorin分子の全化学糖鎖構造

 図1-4から明らかなように、これらの糖鎖は共通して多本鎖(4本鎖または5本鎖)多分岐構造を持ち、側鎖非還元末端部分には、魚種特異的な糖鎖構造単位(-Galのクラスター構造等)が1分子中に高頻度で存在する特徴を持つ。このような構造的特徴は、初期発生過程の細胞接着・認識に対するhyosophorin分子の機能に対する構造的基盤を与えるものである。 高分子量N型糖鎖の構造決定には、従来の糖分解酵素の逐次消化に主に依拠した方法では不十分であり、化学的な選択的分解・切断方法(過ヨウ素酸酸化-スミス分解、ヒドラジン分解一亜硝酸脱アミノ化反応)を用いることが有用であること、また糖鎖の側鎖部分の配列決定には、化学的修飾と組み合わせたFAB-MS測定が有効であることも明らかにした。現在知られているN型糖鎖の中で最も多本鎖である5本鎖糖鎖は、オボムコイドの一例の他は通常の糖タンパク質には類例がないこと、なおかつ同一魚種ではアンテナ鎖の数が一種類に決まっていることから、新規糖転移酵素とその厳密な活性発現制御の存在が推定され、糖鎖の生合成機構に興味が持たれる。

 (2)多本鎖N型糖鎖の立体構造解析を目的として、5本鎖N型糖鎖のコア構造(図5)を調製し、2次元NMR(TOCSY,DQF-COSY,RECSY,NOESY)の手法を用いて、同構造中の-Man残基の1Hの化学シフト値と結合定数を決定した。この結果は、Man1-6Man配列の(O6-C6-C5-H5)が180°である立体配座(gauche-gauche)が優勢であることを示しており、今までに報告されている2本鎖のそれとは異なっていることが判明した(論文リスト(e))。また、HMQC、HMQC-TOCSY測定により-Man残基の13Cの化学シフト値も決定した(論文リスト(f))。

 GlcNAc1-6Man1-配列を持つ3本鎖N型糖鎖についても同様の手法により、-Man残基の1Hの化学シフト値を決定した。この糖鎖構造については、シグナルのオーバーラップが激しく結合定数は求められなかったが、Man1-6Man配列の立体配座の状態をよく反映すると考えられている-Man残基のH4が5本鎖N型糖鎖と同様に低磁場シフトを起こしていることから、3本鎖N型糖鎖についてもgauche-gaucheが優勢であることが示唆された(論文リスト(g))。

 GlcNAc1-6Man1-配列をもつN型糖鎖のこの様な立体配座の特徴は、側鎖上での糖鎖の生合成過程および糖鎖結合タンパク質による糖鎖認識過程を制御する上で、重要な寄与をしている可能性がある。

図5 5本鎖N型糖鎖のコア構造

 省略記号:FAB-MS,fast atom bombardment mass spectrometry;NMR,nuclear magnetic resonance;TOCSY,total correlated spectroscopy;DQF-COSY,double quantum filtered correlated spectroscopy;RECSY,relayed correlated spectroscopy;NOESY,nuclear Overhauser effect spectroscopy;HMQC,heteronuclear multiple quantum coherence transfer.

 公表論文リスト

 (a)Taguchi,T.,Seko,A.,Kitajima,K.,Inoue,S.,Iwamatsu,T.,Khoo,K.-H.,Morris,H.R.,Dell,A.,and Inoue,Y.(1993)J.Biol.Chem.268,2353-2362.

 (b)Taguchi,T.,Seko,A.,Kitajima,K.,Muto,Y.,Inoue,S.,Khoo,K.-H.,Morris,H.R.,Dell,A.,and Inoue,Y.(1994)J.Biol.Chem.269,8762-8771.

 (c)Taguchi,T.,Kitajima,K.,Muto,Y.,Inoue,S.,Khoo,K.-H.,Morris,H.R.,Dell,A.,Wallace,R.A.,Selman,K.,and Inoue,Y.(1995)Glycobiology5,611-624.

 (d)Taguchi,T.,Iwasaki,M.,Muto,Y.,Kitajima,K.,Inoue,S.,Khoo,K.-H.,Morris,H.R.,Dell,A.,and Inoue,Y.(1996)Eur.J.Biochem.238,357-367.

 (e)Taguchi,T.,Kitajima,K.,Muto,Y.,Yokoyama,S.,Inoue,S.,and Inoue,Y.(1995)Eur.J.Biochem.228,822-829.

 (f)Taguchi,T.,Kitajima,K.,Niimi,T.,Muto,Y.,Yokoyama,S.,Inoue,S.,and Inoue,Y.(1995)Carbohvdr.Res.275,185-191.

 (g)Taguchi,T.,Muto,Y.,Kitajima,K.,Yokoyama,S.,Inoue,S.,and Inoue,Y.(1996)Glycobiology in press.

審査要旨

 高分子量多本鎖N型糖鎖を持つ糖タンパク質が、初期胚や癌細胞表面上に出現して、細胞間相互作用の制御に密接に関与することが明らかにされつつあるが、それらの巨大N型糖鎖の詳細な構造、作用機構についての知見は未だ乏しい。 本博士論文は、高分子量糖鎖を持ち、受精および発生過程における機能性糖タンパク質である魚卵表層胞局在糖タンパク質(hyosophorin)の糖鎖に着目し、これらの多本鎖糖鎖構造を詳細に決定するとともに、これらの多本鎖構造に共通なコア糖鎖の立体構造を解明することを目的としている。

 INTRODUCTIONの研究の背景と意義、概要についての記述に引き続き、CHAPTERIからCHAPTER IVにおいて、4魚種[Oryzias melastigma(インドメダカ),Oryzias latipes(ニホンメダカ),Fundulus heteroclitus(アメリカ産海水メダカ),Tribolodon hakonensis(ウグイ)]卵から単離・精製したhyosophorin分子の全化学構造を明らかにしている。これらの糖鎖は共通して多本鎖(4本鎖または5本鎖)多分岐構造を持ち、側鎖非還元末端部分には魚種特異的な糖鎖構造単位(-Galのクラスター構造等)が1分子中に高頻度で存在する特徴を持つ。多くの糖タンパク質がその糖鎖の分岐構造において不均一(2、3、4本鎖の混成)であるのに対し、hyosophorin分子のN型糖鎖が多本鎖で均一であることはこの分子の持つユニークな特徴であり、hyosophorin分子がin vivoで特異的なグリコシレーションを受けていることを示している。特に5本鎖構造は、現在のところhyosophorin分子以外にはニワトリ輸卵管糖タンパク質にしかその存在が知られておらず、その生合成機構に興味が持たれる。また高分子量N型糖鎖の構造決定には、従来の糖分解酵素の逐次消化に主に依拠した方法では不十分であり、化学的な選択的分解・切断方法(過ヨウ素酸酸化-スミス分解、ヒドラジン分解-亜硝酸脱アミノ化反応)を用いることが有用であること、側鎖部分の配列決定には、化学的修飾と組み合わせたFAB-MS測定が有効であることも示している。特に、今まで巨大N型糖鎖構造の存在証明とその解析に用いられていたpoly-N-acetyllactosamine配列を分解する酵素endo--galactosidaseが、hyosophorin分子中の同配列をGal残基が分岐しているため分解できないことは、酵素消化のみに頼った従来の方法の限界を明確にした(下式参照)。

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 CHAPTER V-VIでは、2次元NMR(TOCSY,DQF-COSY,RECSY,NOESY)の手法を用いて、5本鎖N型糖鎖のコア構造中の-Man残基の1H、13Cの化学シフト値と結合定数を決定している。この結果は、Man1-6Man配列の(O6-C6-C5-H5)が180°である立体配座(gauche-gauche)が優勢であることを示しており、今までに報告されている2本鎖のそれとは異なっていることを明らかにしたものである。

 CHAPTER VIIでは、GlcNAc1-6Man1-配列を持つ3本鎖N型糖鎖についても同様の手法により、-Man残基の1Hの化学シフト値を決定している。この糖鎖構造については、シグナルのオーバーラップが激しく結合定数は求められていないが、Man1-6Man配列の立体配座の状態をよく反映すると考えられている-Man残基のH4が5本鎖N型糖鎖と同様に低磁場シフトを起こしていることから、3本鎖N型糖鎖についてもgauche-gaucheが優勢であることが示唆された。

 以上を要するに、本研究では、これまでほとんど未知であった巨大多本鎖N型糖鎖の詳細な構造を初めて明らかにした。更にそれらに共通なコア構造の立体構造を解析し、今までに報告されている多本鎖でない糖鎖の立体構造と異なることを示した。このような構造的特徴は、初期発生過程の細胞接着・認識に対するhyosophorin分子の機能に対する構造的基盤を与えるものである、と考えることができる。

 なお、本論文のCHAPTERI-VIIは、既に7編の共著論文として発表されているが、論文提出者が主体となって分析及び検証をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、本論文の著者は博士(理学)の学位を受ける資格があるものと認めるものである。

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