学位論文要旨



No 112486
著者(漢字) 小野,清美
著者(英字)
著者(カナ) オノ,キヨミ
標題(和) 個体の窒素と炭素のバランスが個葉の窒素利用に及ぼす影響
標題(洋) Effects of the Balance of Nitrogen and Carbon on the Nitrogen Utilization in the Whole Plant
報告番号 112486
報告番号 甲12486
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3266号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,昭
 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 筑波大学 助教授 寺島,一郎
内容要旨

 自然環境下では、植物の生育に必要な窒素のような無機栄養や光の供給はかならずしも十分ではないため、植物は一度取り込んだ物質を個体の中で有効に利用する仕組みを備えていると考えられている。植物は生長に伴い、葉を展開させていくが、展開を終えた葉に含まれる窒素量は次第に低下していく。これを葉の老化といい、被陰されがちな古い葉のタンパクを分解し、その窒素を新しい葉に転流するという、植物にとって最も重要な無機栄養を有効に利用する仕組みとして捉えられている。強光下や、窒素欠乏下で生育している個体では、この葉の老化が早いが、この環境依存性に関しては、これまで個葉のおかれた環境にのみ着目した研究が主であった。また生育光と窒素供給が個葉の老化に与える影響はそれぞれ個別に考えられてきた。一方、シンクを除去する実験から、シンクの有無が個葉の老化の速さを変えるという結果が得られている。そこで、本研究では個葉の窒素化合物量の変化が示す生育環境に対する依存性を、個体の成長がもたらす変化という面から解析した。さらに個葉の中の窒素を、個体全体として有効に利用する機構が働いているのかを調べるために実験を行った。

1老化に伴う個葉の窒素量を減少させる要因の解析

 第一葉がほぼ展開完了したヒマワリ個体を、光(強光約450mol m-2s-1、弱光約150mol m-2s-1)、水耕液の窒素濃度(高窒素8.0mM NO3-、低窒素0.8mM NO3-)を組み合わせ、人工気象室内で生育させた。移植後の日数の経過に伴って、個体に供給される窒素が少なく、生育光強度が強いものほど、第一葉の窒素量は速く減少した(図1)。

 続いて、この第一葉の窒素量の変化と、個体の生長量や個体に取り込まれた窒素量、個体の乾燥重量あたりの窒素含量などとの関連を調べた。強光高窒素条件下で生育した個体に比べ、他の条件下では個体の生育が制限され、第一葉が黄化したときの個体の乾燥重量は、強光高窒素条件に比べて約3分の1であった。個体全体の窒素量は、強光で増加が速かったが、低窒素条件では、次第に増加が鈍くなった。第一葉の窒素量を個体の乾燥重量や個体の窒素量に対してプロットすると、窒素条件によって明らかな差が見られ、第一葉の窒素量の減少の生育環境に対する依存性は、これらの増加の速さの違いでは、説明できなかった(図2A,B)。個体の乾燥重量あたりの個体の窒素量は、強光低窒素条件では移植後7日目以降、大きく低下したが、弱光下で生育している植物では、低下が遅れた。このとき、展開が始まったばかりの若い葉の乾燥重量あたりの窒素量にも、個体全体と同様の変化が起きていた(図3)。本研究では、個体の窒素欠乏が第一葉の窒素量の減少の大きな原因になっていると考え、次のような式で個体の窒素欠乏(ND)を表した。

 

 この式の、Nmaxは、乾燥重量あたりの窒素量の最大値である。ここでは展開し始めの若い葉での全ての条件における初期値を平均した値を、共通に用いた。N(t)は時間tでの展開中の葉の乾燥重量あたりの窒素量、DM(t)はtでの個体の乾燥重量を示す。このように表した個体の窒素欠乏は同じ強光下で生育していても、低窒素条件の個体で早い時期に増加し、弱光下での増加は緩やかであった。第一葉の窒素量をこの窒素欠乏に対してプロットすると、生育条件に関わらず一定の変化を示した(図4)。これらの結果から個葉の窒素量の減少は、展開中の若い葉あるいは個体全体で窒素量が低下すること、すなわち個体の窒素欠乏の増加により引き起こされていると考えられる。この窒素欠乏というパラメーターを導入することにより、個葉の窒素量の減少の生育光強度、窒素供給量に対する依存性は統一的に解釈することが可能になった。

 第一葉の窒素量がこのように変化しているとき、光合成産物量は、強光下の葉に比べ弱光下の葉では低い値を示し、日数の経過に伴った大きな変化は見られなかった。この光合成産物量は高窒素条件では、最大量に達した後減少したが、低窒素条件下では葉が黄化したときでも光合成産物が蓄積したままであり、個体の窒素欠乏が速く増加する条件では、第一葉に光合成産物が蓄積する傾向が見られた。これらの結果から、個体の窒素欠乏の増加が光合成産物量の蓄積として個葉に反映されることが示された。

2個葉の窒素利用に対する炭素の影響2-1個葉の老化に伴う光合成活性と光合成産物量の変化

 展開した葉の光合成活性は老化に伴い次第に低下していく。先の実験において、強光低窒素条件で生育している個体の第一葉に光合成産物の蓄積が見られたが、このような個体を幾つかの生育段階で高窒素条件に移した結果、第一葉の光合成活性の老化に伴う低下の抑制や、上昇が見られた。このとき、第一葉の光合成産物量は高窒素条件に移すことにより減少した。

2-2光合成産物による光合成系タンパク量の調節

 次に光合成活性と光合成産物量の間に働いている機構について調べた。水耕移植後12日目には高窒素条件下の第一葉に比べ、低窒素条件下の第一葉には、糖が蓄積した(図5)。この糖は個体を高窒素条件に移すと2日目には減少し、低窒素条件のまま置かれた個体の第一葉の糖含量と大きな差が見られ、この差は、高窒素に移行後4日目でも見られた。

 先に示した光合成活性の低下の抑制は光合成系タンパク質量の変化を反映しているのかを調べるために、代表としてRuBP Carboxylase(以下RuBisCOと略す)量を測定した。RuBisCOのlarge subunit量は、高窒素に移行後2日目には増加が見られなかったが、移行後4日目には低窒素条件のままのものに比べ増加した(図6)。この結果は、RuBisCO量の増加が光合成活性の低下を抑制していることを示す。

 近年、切り葉やプロトプラストに外部からグルコースを与えると、光合成系のタンパク量が減少したり、これらをコードする遺伝子の発現が低下が見られることが報告されてきた。これは、光合成産物が過剰になったときに光合成能力を低下させるという終産物制御として捉えられている。このような機構が、強光低窒素条件で生育している個体の第一葉でも働いているのかを調べるために、糖を測定したものと同じ個体から採取した第一葉からRNAを抽出し、ノーザンハイブリダイゼーションで、RuBisCOをコードしているrbcS,rbcLの発現量の変化を調べた。高窒素移行後2日目には糖が減少していたが、このとき、低窒素条件のままの個体に比べ、rbcSの発現量は上昇していた(図7)。4日目でもこのような発現量の差は見られた。rbcSのこのような変化に比べ、rbcLは、ほとんど変化していなかった。以上の結果から、rbcSの発現は窒素欠乏条件下で蓄積した光合成産物によっても抑えられているということ、rbcLの発現には光合成産物の蓄積の影響は小さいということが示唆された。このような結果は、個体を高窒素へ移行する実験だけでなく、第一葉を光合成阻害剤であるDCMUで処理し、第一葉の光合成産物量を減少させることによっても得られている。

 これらの結果は、糖による終産物制御機構が、本研究の強光低窒素条件で生育している個体の葉でも働いていることを示唆するだけでなく、光合成産物による終産物阻害が、窒素欠乏条件下で、RuBisCO量の減少が速い原因となっている可能性を示している。

2-3上位葉の光環境と第一葉の老化に伴うRuBisCO量の減少の速さの関連

 これまで述べてきた実験では、第一葉がおかれた環境自体が変化していた。ここで、第一葉のおかれた環境が変化せず、個体の他の部分、例えば上位葉での光環境が変化したときにも、第一葉の老化に伴うRuBisCO量の減少の速さは変化するのだろうか。これを調べるために、強光低窒素条件下で生育した個体に3種類の被陰処理(上部被陰、全被陰、第一葉被陰)を行った。すると、第一葉のおかれた光条件が、無被陰と上部被陰、全被陰と第一葉被陰で同じであるにも関わらず、上部が被陰されている場合に、第一葉の老化に伴うRuBisCO量の減少が遅れた。この結果は、上位葉の光環境の変化が何らかの機構を通して第一葉に伝えられ、第一葉のRuBisCO量を変えていることを示唆する。

まとめ

 生育光強度と、個体への窒素供給が個葉の窒素量の減少に与える影響は、これまで個別に考えられてきたが、展開中の若い葉での窒素量の低下などを考慮した個体の窒素欠乏という観点から統一的に理解できることを示した。この個体の窒素欠乏は光合成産物の蓄積として個葉に反映されていると考えられる。また、プロトプラストや切り葉を用いた系で明らかにされてきた、光合成産物による光合成系遺伝子の発現の抑制が、個葉の中で増加した光合成産物によっても引き起こされ、低窒素条件で生育している個体の葉のRuBisCO量の減少が速い要因の一つとなっていることを示した。さらに被陰実験の結果は、これまで個葉レベルで考えられてきた機構が個体レベルで働いていることを示すものであり、炭素、窒素利用の制御に関する研究を個体レベルにまで発展させ得るものであるといえよう。

図1日数の経過に伴う第一葉の葉面積あたりの窒素含量の変化。図中の記号はそれぞれ、〇は強光高窒素条件、●は弱光高窒素条件、□は強光低窒素、■;弱光低窒素で生育している個体の第一葉での値を示す。強光条件としては450mol m-2s-1、弱光条件としては150mol m-2s-1を用い、高窒素条件としては8.0mM NO3-、低窒素条件としては0.8mM NO3-を用いた。 図中の線は、回帰直線を示す。図2個体の乾燥重量(A)の増加や個体の窒素量の増加(B)に伴う第一葉の葉面積あたりの窒素含量の変化 図中の直線は回帰直線を示す。 図中の記号は図1に同じ。図3日数の経過に伴う展開を開始してから問もない若い葉での乾燥重量あたりの窒素含量の変化。図中の記号は図1に同じ。直線は回帰直線を示す。水平に引かれた点線は、個体の窒素欠乏の算出に用いた平均値を示す。図中の記号は図1に同じ。図4窒素窒素欠乏の増加に伴う第一葉の窒素含量の変化。図中の直線は回帰直線を示す。図中の記号は図1に同じ。図5窒素供給量の変化に伴う第一葉の葉面積あたりのショ糖量の変化。白色棒は低窒素条件下の個体、灰色棒は高窒素条件下の個体、黒色棒は低窒素条件から高窒素条件に移行した個体での値を示す。図6窒素供給量の変化に伴う第一葉のRuBisCOのlarge subunit量の変化SOS電気泳動後クマシー染色を行い、RuBisCOのlarge subunitのピークをデンシトメーターで測定し、相対値で表した。図中の棒は図5に同じ。図7窒素供給量の変化に伴う第一葉でのrbcSの発現量の変化。上はノーザンハイブリダイゼーションの結果。下のグラフには上のバンドの32Pの放射活性をイメージングアナライザーで解析した値を相対値で示した。図中の棒は図5に同じ。
審査要旨

 本論文は、生物にとって重要な資源である炭素や窒素を有機化する植物が、より効率の良い物質生産のために個体の中でそれらをどのように利用しているのか、また、どのような機構を通して炭素と窒素の利用が制御されているのかという点について、3章に分けて述べている。

 第1章では、個葉の老化に伴う窒素量の減少の速さと生育環境との関連、第2章では、個葉に蓄積した光合成産物による光合成系タンパク質をコードする遺伝子発現の抑制、第3章では、個体に様々な被陰処理を行ったときに見られる個葉のタンパク質量の変化について述べている。

 葉が展開すると、その葉の窒素量は次第に減少していくが、この減少の速さは、個体のおかれた光環境や、個体への窒素供給量に依存している。これまで、光や窒素の影響は個別に調べられることが多かったが、本論文の第1章では、個体の成長(乾燥重量)と展開し始めた若い葉における窒素量の減少から算出した"個体の窒素欠乏"という新たなパラメータを考案した。光の強度と窒素供給量の影響の両方を含むこのパラメータを導入することにより、これまで報告されてきた個葉の窒素量の減少を統一的に説明できることを明らかにしている。

 この"個体の窒素欠乏"の増加が早く、第一葉の窒素量の減少も早い条件下で生育した個体では、第一葉により多くの光合成産物が蓄積するという結果が得られ、第2章では、この光合成産物の蓄積と個葉の窒素量の減少の間に働いている機構を調べている。この章では、個体への窒素供給量を変えることと、光合成阻害剤を用いることによって、老化する個葉に蓄積する糖のレベルの変化と、それに関連する光合成系タンパク質およびその遺伝子の発現レベルの変化を調べている。この章の結果は、切り葉やプロトプラストを用いた系によって明らかにされてきた糖による遺伝子発現の抑制機構が、内生的に光合成産物を蓄積した葉でも働いていることを示唆している。さらに、窒素欠乏条件においてRuBP carboxylase/oxygenase(RuBisCO)量の減少が速い原因として、遺伝子発現の制御を通したその合成の過程に、光合成産物による終産物阻害が働いている可能性を示している。

 第3章では、第一葉より上位の葉の光環境の変化が、第一葉のRuBisCO量の減少の速さに与える影響を調べている。この章では、上部が被陰されている場合には、第一葉のおかれた光条件が同じであるにも関わらず、老化に伴うRuBisCO量の減少が遅れるということが示されている。この結果は、上位葉の光環境の変化が何らかの機構を通して第一葉に伝えられ、第一葉のRuBisCO量を変えていることを示唆する。このようなシグナルが何であるかは非常に興味深い問題であり、これを明らかにすることが今後に残された課題である。

 本論文は、植物個体の物質生産という生態学的視点から、生理学的手法を用い、系統的に解析を行っている。このような研究方法は、自然界での様々な植物の生き様を明らかにしていく上できわめて重要であると考えられる。

 なお、本論文第1章は、寺島一郎、渡邊昭との、第2、3章は渡邊昭との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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