学位論文要旨



No 112490
著者(漢字) 内田,勝久
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,カツヒサ
標題(和) 魚類の鰓における塩類細胞の機能分化と内分泌系
標題(洋) Functional Differentiation of Gill Chloride Cells and Its Hormonal Control in Chum Salmon
報告番号 112490
報告番号 甲12490
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3270号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,哲也
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 竹井,祥郎
 東京大学 助教授 朴,民根
内容要旨

 魚類の体液の浸透圧は、われわれヒトを含む哺乳類とほぼ等しく、淡水魚、海水魚を問わず300mOsm/kg前後の一定の値に保たれている。魚類が体液と異なる浸透圧環境に適応する上で、鰓、腸、腎臓等が浸透圧調節器官として機能しているが、とりわけ鰓の塩類細胞は、体内外のイオン輸送に極めて重要であるとされている。塩類細胞には、多くのミトコンドリアと良く発達した管状構造が認められる。この管状構造上には、イオン輸送のさまざまな局面に関与しているNa+,K+-ATPaseが存在している。従来、塩類細胞は海産魚あるいは海水に適応した魚の鰓で特に発達していることから、海水中において過剰となった塩類の排出の場であると考えられてきた。しかし、淡水中の魚の鰓にも塩類細胞が存在し、淡水中におけるイオンの取り込みに関与している可能性も考えられているが、その機能は必ずしも明らかではない。

 回遊性のサケ科魚類は、生活史のある特定の時期に海と川を規則的に行き来し、海水、淡水の双方に適応する能力を有しているので、淡水、海水中における塩類細胞の機能を解明する上で好適な実験材料である。本研究においては、先ず、降海期および遡上期のシロサケの鰓の塩類細胞の形態的変化を調べ、淡水、海水中で機能的に異なる2型の塩類細胞が存在することを明らかにした。次いで、これら2型の塩類細胞の淡水、海水中における入れ替わりの速度を、BrdUを用いて明らかにした。さらに、塩類細胞の機能分化に及ぼす内分泌系の関与を明らかにすべく、コルチゾル受容体の動態を細胞レベルで明らかにした。

第1部:降海期のシロサケの海水適応時における塩類細胞の機能的変化

 ベニザケやギンザケなどは、孵化後1年以上を淡水域で過ごした後、典型的な銀化変態を経て海へ降る。このようなサケ科魚類においては、Na+,K+-ATPaseの活性並びに塩類細胞の発達は、海水適応能の発達と密接な関係があることが明らかにされている。一方、シロサケやカラフトマスは孵化後、卵黄の吸収が終了すると直ちに海に降るが、このような魚種におけるNa+,K+-ATPaseの活性あるいは塩類細胞の形態的変化についてはほとんど明らかにされていない。シロサケ稚魚を淡水から海水へ直接移すと、血液中のナトリウムは移行後数日の間わずかに上昇したが、その後は移行前のレベルに回復した。降海期の稚魚の鰓のNa+,K+-ATPase活性は、淡水中においてすでに卵黄吸収途中の仔魚に比べ約2倍に高まっていた。この活性は海水移行後さらに上昇し、移行21日目には淡水群の約1.4倍の値を示した。これらの結果は、稚魚期のシロサケが淡水中ですでに優れた海水適応能を有しており、ベニザケやギンザケと同様に淡水中での鰓のNa+,K+-ATPase活性の上昇が海水適応能の発達と密接に関わっていることを示している。

 次いで,Na+,K+-ATPaseに対する抗体を用いて塩類細胞を検出し、淡水群および海水移行群でその分布、形態を比較した。一般に、魚類の鰓は、鰓弁および鰓弁から伸びるひだ状の2次鰓弁からなるが、淡水中のサケ稚魚においては鰓弁上と2次鰓弁上に異なった形態を示す塩類細胞が認められた。鰓弁上の塩類細胞は2次鰓弁の付け根付近に位置する円形ないし円柱形の大型の細胞であるのに対し、2次鰓弁上の塩類細胞は扁平な形状を呈していた。これら2型の塩類細胞のうち、鰓弁上の塩類細胞の数は海水移行前後で変化は認められなかったが、大きさは顕著に増大し、海水移行21日目には淡水群の約1.8倍にまで達した。また、Na+,K+-ATPase抗体に対する免疫反応の強さも、海水移行後に顕著に増大した。これに対し、2次鰓弁上の塩類細胞は、海水移行後徐々に減少し、最終的にはほとんど消失した。透過型電子顕微鏡を用いて観察したところ、海水群の鰓弁上の塩類細胞は、細胞質中の管状構造が極めて良く発達していた。2次鰓弁上の塩類細胞は淡水群でのみ認められたが、海水移行群の2次鰓弁上には、退化途上と思われる細胞が頻繁に観察された。以上の結果から、鰓弁上の塩類細胞が海水中で特に活性化されることは明らかであり、この細胞が海水中で塩類の排出に関わっているものと推察される。一方、2次鰓弁上の塩類細胞は主に淡水中の魚に存在し、海水中で消失したことから、淡水中におけるイオンの取り込みに重要な役割を担っている可能性が極めて高いと思われる。

第2部:シロサケの産卵回遊に伴う鰓の塩類細胞の機能的変化

 産卵のため母川に回帰し、最終成熟期を迎えたシロサケは、海水適応能を失い、海水中で生存できないことが知られている。本実験においては、岩手県大槌湾で捕獲した成熟魚を海水に保持、あるいは淡水へ移し、塩類細胞の機能的変化を経時的に調べた。また、比較のために、北太平洋で捕獲した未成熟なシロサケの塩類細胞の観察も併せて行った。排卵が完了し、完全に成熟した雌魚を海水中に保つと、血液の浸透圧は急激に上昇し、大部分の個体が死亡した。これに対し、淡水へ移した魚においては血液浸透圧には大きな変動は認められず、死亡する個体もなかった。鰓のNa+,K+-ATPase活性は淡水、海水群ともに減少したが、その減少は海水群で顕著であった。北太平洋で捕獲したサケの鰓弁上には大型の塩類細胞が発達していたが、2次鰓弁上にはほとんど塩類細胞は認められなかった。成熟した魚の鰓弁上にも大型の塩類細胞が存在していたが、その数は海水群、淡水移行群ともに急激に減少した。一方、成熟魚の2次鰓弁上には扁平な塩類細胞が多数発達しており、その数は海水、淡水中で実験期間を通し変化しなかった。以上の結果は、稚魚期のシロサケと同様に、鰓弁、2次鰓弁上の塩類細胞がそれぞれ、海水、淡水中で重要な役割を担っていることを示唆している。また、成熟したシロサケが海水中で生存できないのは、鰓弁上の塩類細胞の数の減少と、それに伴うNa+,K+-ATPase活性の低下によるものと推察される。

第3部:稚魚期のシロサケにおける鰓の塩類細胞の分化

 環境の塩分濃度の違いによる塩類細胞の形態学的変化は、いくつかの魚種において調べられているが、塩類細胞の分化に着目した研究は極めて少ない。本実験においては、淡水、海水に適応したシロサケ稚魚、および淡水から海水に移行した稚魚において、鰓の塩類細胞の入れ替わりの速度を、新たに分裂・分化した細胞の核をBrdUで標識することにより経時的に調べた。鰓弁上の塩類細胞の数は、各実験群において経時的な変化は認められなかった。一方、2次鰓弁上の塩類細胞は淡水中の魚で良く発達しており、海水適応に伴い減少した。

 BrdUを取り込んだ塩類細胞の割合は、鰓弁上にある海水型の塩類細胞が2次鰓弁上の淡水型の塩類細胞に比べ顕著に高かった。その割合をBrdU投与後1日目で比較すると、海水中における鰓弁上の塩類細胞は、淡水群に比べ約3倍高い値を示した。以上の結果は、鰓の塩類細胞、とりわけ鰓弁上の塩類細胞が絶えず新しく分裂・分化した細胞によって置き換わっていることを示している。また、鰓弁上の塩類細胞が海水中で重要な役割を担っていることが、細胞の分裂速度の面からも明らかである。

第4部:シロサケの鰓の塩類細胞におけるコルチゾル受容体の発現とその局在

 魚類の海水適応、特に鰓の塩類細胞の分化・発達には、副腎皮質ホルモンであるコルチゾルが重要であるとされている。本実験においては、フランスのDucouret博士らによりニジマスで明らかにされた糖質コルチコイド受容体のcDNAをもとにオリゴプローブを合成し、in situ hybridization法によりコルチゾル受容体遺伝子の発現部位を調べるとともに、この配列をもとにホルモン結合部位に対する特異的な抗体を作製し、受容体の局在を免疫組織化学的に調べた。コルチゾル受容体遺伝子は、抗Na+,K+-ATPase抗体で染色される機能的な塩類細胞、即ち、鰓弁あるいは2次鰓弁上の塩類細胞において特異的に発現しており、受容体タンパクの局在部位とも良一致していた。従って、コルチゾルは塩類細胞に作用し、これら2型の塩類細胞の機能の維持に関与していると推察される。また、鰓弁上の塩類細胞の大きさは、海水に適応した魚で大型化しており、受容体遺伝子の細胞当たりの発現量にも淡水に適応した魚との間に顕著な差が認められた。これらの結果も、鰓弁上の塩類細胞の海水中における重要性を示唆している。さらにコルチゾル受容体は、抗Na+,K+-ATPase抗体で染色されない未分化な細胞にも存在していた。このことは、コルチゾルが塩類細胞の分化・発達を調節している重要な内分泌的要因の一つであることを示している。

 以上に示した一連の実験結果より、シロサケの鰓には、環境の塩分濃度の違いにより機能的に異なる2型の塩類細胞の存在することが明らかとなった。また、これら2型の塩類細胞の分化あるいは機能の維持にはコルチゾルが関与していることも明らかである。従来の塩類細胞のイオン輸送機能に関する研究は、海水中における塩類の排出といった画一的な捉え方でのみ進められてきた。シロサケの鰓に存在する2型の塩類細胞は、塩類細胞の機能の多様性あるいは機能的分化の過程を解明していく上で優れた実験モデルといえる。今後、塩類細胞の機能分化とそれに関わるホルモンおよびその受容体を、回遊魚であるシロサケを用いさらに詳細に解析することにより、魚類の浸透圧調節およびその内分泌系による調節に関するこれまでの理解を、飛躍的に発展させることができるものと思われる。

審査要旨

 魚類が体液と異なる浸透圧環境に適応する上で、鰓、腸、腎臓等が浸透圧調節器官として機能しているが、とりわけ鰓の塩類細胞は、海水中におけるイオンの排出に極めて重要であるとされている。しかし、淡水中の魚の鰓にも塩類細胞が存在しており、その機能は必ずしも明らかではない。本研究の目的は、回遊性のサケを用い、淡水あるいは海水中における塩類細胞の機能を解明しようとするものである。

 先ず第1部においては、降海期のシロサケ稚魚の海水適応時における塩類細胞の機能的変化を明らかにしている。塩類細胞は、Na+,K+-ATPaseに対する抗体を用いて検出した。淡水中のサケ稚魚においては鰓弁上と2次鰓弁上に異なった形態を示す塩類細胞が認められた。これら2型の塩類細胞のうち、鰓弁上の塩類細胞の数は海水移行前後で変化は認められなかったが、大きさは顕著に増大した。これに対し、2次鰓弁上の塩類細胞は、海水移行後徐々に減少し、最終的にはほとんど消失した。以上の結果は、鰓弁上の塩類細胞が海水中における塩類の排出に関わっていること、および2次鰓弁上の塩類細胞は淡水中におけるイオンの取り込みに関与している可能性を示唆している。

 第2部においては、岩手県大槌湾で捕獲した成熟魚を海水に保持、あるいは淡水へ移し、塩類細胞の機能的変化を調べている。産卵のため母川に回帰し、最終成熟期をむかえたシロサケは、海水適応能を失い、海水中では生存できない。比較のために北太平洋で捕獲した未成熟なシロサケの鰓弁上には、大型の塩類細胞が発達していたが、2次鰓弁上にはほとんど塩類細胞は認められなかった。成熟した魚の鰓弁上にも大型の塩類細胞が存在していたが、その数は海水群、淡水移行群ともに急激に減少した。一方、成熟した魚の2次鰓弁上には扁平な塩類細胞が多数発達しており、その数は海水、淡水中で実験期間を通し変化しなかった。以上の結果は、稚魚期のシロサケと同様に、鰓弁、2次鰓弁上の塩類細胞がそれぞれ、海水、淡水中で重要な役割を担っていることを示唆している。また、成熟したシロサケが海水中で生存できないのは、鰓弁上の塩類細胞の数の減少と、それに伴うNa+,K+-ATPase活性の低下によるものと推察される。

 次いで、第3部においては、淡水から海水に移行した稚魚において、塩類細胞の入れ替わりの速度を、新たに分裂・分化した細胞の核をBrdUで標識することにより経時的に調べている。BrdUを取り込んだ塩類細胞の割合を、BrdU投与後1日目で比較すると、海水中における鰓弁上の塩類細胞は、淡水群に比べ約3倍高い値を示した。以上の結果は、鰓の塩類細胞、とりわけ鰓弁上の塩類細胞が絶えず新しく分裂・分化した細胞によって置き換わっていることを示している。また、鰓弁上の塩類細胞が海水中で重要な役割を担っていることが、細胞の分裂速度の面からも明らかでる。

 第4部においては、塩類細胞にコルチゾル受容体遺伝子が特異的に発現していることを明らかにしている。副腎皮質ホルモンであるコルチゾルは、魚類の海水適応に重要であるとされている。本実験においては、in situ hybridization法により受容体遺伝子の発現部位を調べるとともに、ホルモン結合部位に対する特異的な抗体により、受容体の局在を免疫組織化学的に調べている。コルチゾル受容体遺伝子は、鰓弁あるいは2次鰓弁上の塩類細胞において特異的に発現しており、受容体タンパクの局在部位とも良く一致していた。従って、コルチゾルは塩類細胞に作用し、これら2型の塩類細胞の機能の維持に関与していると推察される。さらにコルチゾル受容体は、未分化な細胞にも存在しており、コルチゾルが塩類細胞の分化・発達をも調節していることを示している。

 以上に示した一連の実験結果より、シロサケの鰓には淡水型と海水型という、機能的に異なる2型の塩類細胞の存在することが明らかである。また、これら2型の塩類細胞の分化あるいは機能の維持にはコルチゾルが関与していると思われる。本論文に述べられた塩類細胞の機能分化とそれに関わるホルモンおよびその受容体に関する研究は、新たに拓かれつつある分野であり、本論文提出者、内田勝久は博士の学位を受ける資格があるものと認める。なお印刷公表論文は共著であるが、いずれも第一著者であり、かつ全ての論文において本論文提出者が主として研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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