シロアリが生態系において果たす重要な役割として、枯死植物等のセルロースのリサイクルを行うことによって自然界の炭素収支のバランスを維持していることがあげられている。このことはシロアリのセルロース消化の仕組みと密接に関係していると考えられる。セルロースは3つのタイプの酵素によって分解される。一つ目はエンドグルカナーゼであり、一般にセルラーゼとはこの酵素を指す。この酵素は主にセルロースの非結晶領域を分解し、これに伴って急激なセルロースの重合度の減少とゆるやかな還元糖の増加を引き起こす。二つ目はb-グルコシダーゼであり、この酵素はセロビオースや水溶性のセロオリゴ糖をグルコースへ分解する。最後の酵素はセロビオハイドロラーゼである。この酵素はセルロースを非還元末端からセロビオース単位で分解していくが、カルボキシメチルセルロースのような置換基を持つセルロースを分解することはできないとされている。昆虫はこのうち、セロビオハイドロラーゼを持たず、残る2種類の酵素の相互作用によってセルロースを分解すると考えられている。 そこで、本論文の提出者は、高等シロアリによるこのようなセルロースの消化の仕組みの解明を目的として実験研究を行っている。 主論文は3章から構成されている。その一部はすでに1編の論文として印刷公表されている。その論文は3名の共著者との連名であるが、論文提出者の徳田岳が筆頭著者であるだけでなく、彼の主導で研究が進められたものであることを、論文審査において確認した。なお、その論文の内容を主論文のなかに含めることについては共著者の承諾書が得られている。 第1章では食性や系統の異なるシロアリを用いて消化管内のセルラーゼ活性の分布を比較検討している。シロアリと腸内原生動物との共生関係は広く知られているが、シロアリ全種のうち75%は共生原生動物をもたない高等シロアリである。高等シロアリの食性は木材のみにとどまらず、キノコを利用するものから腐植土を主食とするものまで多岐に及んでいる。そこで、高等シロアリ3亜科6属6種についてセルラーゼ活性の分布を調べている。 結果として、テングシロアリ亜科の食材性のシロアリであるタカサゴシロアリでは主に中腸に非常に強いセルラーゼ活性を検出し、また、セロオリゴ糖を分解するセロビアーゼ(b-グルコシダーゼ)活性は唾液腺及び中腸に検出している。さらに同亜科でコケなどを主食とするコウグンシロアリでも同じ様なセルラーゼ活性の分布を見ている。しかし、活性自体はタカサゴシロアリに比べると低く、セロビアーゼ活性は中腸で検出されている。次にキノコを栽培するキノコシロアリ亜科のタイワンシロアリでは、唾液腺に最も強いセルラーゼ活性が認められている。また、セロビアーゼ活性は主に中腸に認められ、タカサゴシロアリとは正反対の結果が得られている。シロアリ亜科に属し、腐植土を主食とするニトベシロアリおよびムシャシロアリではソモジーネルソン法で検出できる範囲に明確なセルラーゼ活性を認めることはできず、セルラーゼ活性を持っているとしても他のシロアリと比べるとかなり低いものであった。同亜科でコウグンシロアリの巣に寄生するTermes sp.では唾液腺から中腸にかけてセルラーゼ活性を検出している。しかし、セロビアーゼ活性は後腸に検出されたことから、他のシロアリでは中腸がセルロース消化の場であると考えられるのに対し、このシロアリにおいてはセルロースは中腸で完全に分解するにはいたらずに、後腸に達してはじめてグルコースにまで分解すると考えている。 以上の結果から、高等シロアリではセルロース分解の仕組みが多様化していることを明らかにしている。そして、セルラーゼ分泌の場はシロアリの進化の過程で唾液腺から中腸へ変化していく傾向があると考えている。 第2章では食材性高等シロアリを用い、セルラーゼを精製しその酵素学的な性質を検討している。これまでの研究ではタカサゴシロアリは下等シロアリとは完全に異なり、シロアリ自身が分泌するセルラーゼによってセルロース分解を行うと考えられていた。しかし、高等シロアリのセルロース消化について深く理解するためにはセルラーゼの精製と性質を調べる実験が必須であるにも関わらず、これまで食材性の高等シロアリのセルラーゼが完全に精製された例はない。そこで本研究ではタカサゴシロアリのセルラーゼの精製を試みている。 シロアリ全体からの抽出物に対して2度のゲルろ過とハイドロキシアパタイト吸着クロマトグラフィーを行った結果、15gのシロアリから約5mgの純粋なセルラーゼを得ている。得られたセルラーゼは分子量約47kDaであった。比活性は非常に高く、下等シロアリであるヤマトシロアリや食材性ゴキブリであるPanesthia cribrataに比べると10倍以上であった。つぎにこのセルラーゼを用いて様々な特徴付けを行っている。まず、カルボキシメチルセルロースを基質とした場合の最適温度と最適pHを調べたところ、それぞれ65度と5.8であった。また、Kmは8.7mg/ml、Vmaxは2,222units/mgであった。さらにセロデキストリンを用いて最終分解物を調べたところ、セロペンタオースはセロトリオースとセロビオースに、セロテトラオースはセロビオースとごくわずかのグルコースとセロトリオースに分解された。セロトリオースとセロビオースはそれ以上分解されなかった。これらの結果から、タカサゴシロアリから精製されたセルラーゼはこれまで報告のあるヤマトシロアリのセルラーゼとは異なる性質を示す事などを明らかにしている。 また働きアリの中腸抽出物に対してゲルろ過を行ったところ、全体からの抽出物とほぼ同じ位置にセルラーゼ活性のピークが見られた。このことから、精製されたセルラーゼはシロアリ自身が分泌しているセルラーゼであるとした。 第3章では精製されたセルラーゼをもとに、セルラーゼ遺伝子の解析と消化管内におけるmRNAの局在性について検討を行っている。 1980年代以降、微生物や植物を中心に多くのセルラーゼが遺伝子レベルで解析されてきた。しかしながら、未だに高等動物のセルラーゼ遺伝子に関する報告はない。そこで、本研究では精製されたタカサゴシロアリのセルラーゼを用いてセルラーゼ遺伝子の解析を試みている。 精製されたセルラーゼを電気泳動にかけPVDF膜に転写した後、目的のバンド部分を切り取りプロテインシーケンサーを用いてアミノ酸配列を解析している。その結果、33番目までのN末端のアミノ酸配列を得ている。次に得られたアミノ酸配列をもとにして1番目から32番目のアミノ酸配列に相当する遺伝子断片が増幅されるようにdegenerate primersを設計している。その後、20個体分の中腸からmRNAを抽出し逆転写を行ってファーストストランドDNAを合成している。これを用いてPCR(RT-PCR)を行い、プライマー部分の配列を含む95bpのDNA断片を得ることに成功している。この塩基配列からセルラーゼ遺伝子特異的なプライマーを設計し、PCR(3’-RACE,5’-RACE)に用いた。増幅されたcDNA断片をクローニングし、その塩基配列を決定している。その結果、タカサゴシロアリのmRNAは全長1.7kbであり448個のアミノ酸をコードしていることを明らかにしている。 得られたアミノ酸配列に対してホモロジー解析を行い、タカサゴシロアリのセルラーゼは共同研究者の渡辺(蚕昆研)によって得られたヤマトシロアリ(下等シロアリ)のセルラーゼアミノ酸配列を比べているが、75%の相同性を示している。また、Cellulomonas fimi CenBやアボカドセルラーゼなどと高い相同性を示すことから、炭水化物分解酵素family9(セルラーゼfamily E)に属すると考えている。さらに、微生物のセルラーゼとの比較から、タカサゴシロアリのセルラーゼには微生物で見られるような明確なセルロースとの結合ドメインをもっていないことを指摘している。 タカサゴシロアリの成熟ワーカー2個体を解剖し、消化管各部位に対してRT-PCRを行いセルラーゼのmRNAの検出を試みている。その結果、中腸のみからセルラーゼのcDNA断片が増幅されている。このことから、タカサゴシロアリでは明らかに中腸内でセルラーゼが生産されていることを確認している。 以上の結果から、高等シロアリのセルロース消化は食性によって様々であり、土壌食性のシロアリではほとんどセルロース消化を行っていないことを明らかにしている。また、セルロースを消化するシロアリでは主に中腸で消化が行われる傾向があり、特に食材性シロアリでその活性は圧倒的に強いことを指摘している。食材性高等シロアリであるタカサゴシロアリのセルラーゼは非常に効率のよいものであり、これが食材性高等シロアリの繁栄をもたらしたのかもしれないとしている。タカサゴシロアリのセルラーゼは遺伝子解析の結果から、植物や微生物のセルラーゼと非常に相同性の高いものであった。系統解析の結果、シロアリのセルラーゼと植物や微生物のセルラーゼとの系統関係は曖昧なものでありシロアリセルラーゼの起源を断定するには至らなかったが、タカサゴシロアリと下等シロアリ(ヤマトシロアリ)双方のセルラーゼとも同一起源に由来するものであると考察している。さらに、タカサゴシロアリの中腸におけるセルラーゼmRNAの局在性はセルラーゼの中腸分泌を裏付けると同時に、下等シロアリの唾液腺におけるセルラーゼ分泌とは異なるセルラーゼ分泌の調節機構を示唆していると考えている。 以上、本論文は従来ほとんど明らかでなかった高等シロアリによるセルロースの消化の仕組み、特にセルラーゼの性質と分泌場所そしてセルラーゼをコードしている遺伝子に関して重要な新知見をもたらした。よって本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしいものであると、審査委員会は認める。 |