学位論文要旨



No 112500
著者(漢字) 片山,光徳
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ミツノリ
標題(和) 糸状性ラン藻のアデニル酸シクラーゼ遺伝子の単離と構造解析
標題(洋) Isolation and characterization of the adenylate cyclase gene from filamentous cyanobacteria
報告番号 112500
報告番号 甲12500
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3280号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 教授 庄野,邦彦
 東京大学 教授 川口,昭彦
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 東京大学 助教授 長谷,あきら
内容要旨

 サイクリックAMP(cAMP)はバクテリアから動物にわたる広い範囲の生物に存在しており、情報伝達物質として機能している。大腸菌などのバクテリアにおいてcAMPはカタボライト活性化タンパク質を介してラクトースなどの糖代謝に関わる酵素の遺伝子の発現を制御している。また動物においてcAMPはcAMP依存性タンパク質キナーゼを介して酵素活性や遺伝子発現およびイオンチャンネルの活性を調節していることが知られている。その一方で光合成生物におけるcAMPについての知見は非常に少なく、その機能についてはほとんど分かっていない。高等植物では一般にcAMPの存在量が非常に少ないため、cAMPの機能の解析が困難となっている。

 光合成原核生物であるラン藻においてはその多くが高等植物よりも高い濃度のcAMPを含んでいることが知られている。糸状性ラン藻Anabaena cylindricaにおいてはcAMPが光やpHなどの環境条件の変化にともなって変動することが報告されており、cAMPが情報伝達物質として機能していることが示唆されている。cAMPの機能を解析するためにはcAMPの合成酵素であるアデニル酸シクラーゼについての情報が必要とされる。これまでにA.cylindricaのアデニル酸シクラーゼの活性が膜画分に存在しているということが報告されているが、ラン藻のアデニル酸シクラーゼの遺伝子は単離されておらずその構造は不明であった。本研究では二種のAnabaenaよりアデニル酸シクラーゼ遺伝子を単離し、その構造の解析を行った。さらに単離したアデニル酸シクラーゼ遺伝子を用いて、ラン藻におけるアデニル酸シクラーゼ遺伝子の強制発現およびアデニル酸シクラーゼ遺伝子の破壊実験を行い、その生理機能について解析を行った。

I.Anabaena cylindricaのアデニル酸シクラーゼ遺伝子の単離

 大腸菌のアデニル酸シクラーゼ遺伝子欠損株のラクトース代謝能の相補を指標にしてラン藻A.cylindricaのゲノムDNAライブラリーをスクリーニングし、アデニル酸シクラーゼ遺伝子を含むDNA断片を一つ取得した。A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼは動物や酵母などの真核生物のアデニル酸シクラーゼの触媒領域と高い相同性を示した(図1)。一方、A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼは大腸菌のアデニル酸シクラーゼとは相同性を示さなかった。このアデニル酸シクラーゼはN末端とタンパク質の中央付近にそれぞれ膜貫通領域と思われる疎水性の領域を含み、C末端側にアデニル酸シクラーゼの触媒領域を持つ、全体として膜結合型の受容体と類似した構造を持つことが明らかとなった(図2)。このアデニル酸シクラーゼの細胞内における存在様式を調べるために、アデニル酸シクラーゼのC末端側の領域を大腸菌内で発現させ、これを抗原に用いてアデニル酸シクラーゼに対する抗体を作成し、イムノブロッティングを行った。その結果、A.cylindricaの細胞粗抽出物の膜画分において、一次構造から予想される分子量55,3キロダルトンに近い55キロダルトンの位置にバンドが検出され、さらにこのバンドはチラコイド膜画分に局在していることが明らかとなった(図3)。A.cylindricaの細胞に光条件の変化を与えると細胞内のcAMP濃度が変化する。A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼのチラコイド膜での局在と光によるcAMP濃度の変動との間に関係があることが示唆される。

図.1アデニル酸シクラーゼの触媒領域のアミノ酸配列の比較.6個以上一致したアミノ酸を反転文字で示してある.図2A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼのハイドロバシープロット.太い線は推定される膜貫通領域を、網かけした部分はアデニル酸シクラーゼの触媒領域を示している.図3(A)A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼの抗体を用いA.cylindricaのタンパク質に対して行ったイムノブロッテイングの結果.レーンはそれぞれ、粗抽出物(レーン1)水溶性画分(レーン2)、膜画分(レーン3)、チラコイド膜画分(レーン4)、細胞膜画分(レーン5)を示している.
II.A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼ遺伝子のAnabaena7120における過剰発現

 アデニル酸シクラーゼの生理機能を知る一つの手段として本酵素を大量発現させ、これによっておこるラン藻の生理的変化を調べる方法が有効であると考えた。そこで、宿主ベクター系が確立されているラン藻Anabaena sp.strain PCC7120(Anabaena7120)を用いてA.cylindricaのアデニル酸シクラーゼの過剰発現を試みた。A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼ遺伝子をtacプロモーターの下流に接続しAnabaena7120のプラスミドベクターに挿入した。次にこれを接合伝達法によりAnabaena7120へと導入した。作成した形質転換体は野性型のAnabaena7120の約170倍のcAMPを蓄積しており(表1)、さらに暗所に置いた形質転換体の細胞に光を照射するとcAMPレベルが減少することが分かった(図4)。このことはA.cylindricaのアデニル酸シクラーゼが光の照射によって活性の抑制を受けていることを示唆している。イムノブロットティングの結果、導入したアデニル酸シクラーゼは細胞膜とチラコイド膜の両方に存在していた。また、野生型のAnabaena7120は数10から数100細胞からなる糸状体を形成するが、この形質転換体では糸状体が切れて細胞がばらばらとなりこれらが接着した集団を形成することが観察された。

表1野生型のAnabaena7120にベクターpRL5のみを導入したWild-type/pRL6、およびアデニル酸シクラーゼを導入したAnabaena7120の形質転換体Wild-type/pTac-cyaのcAMP含有量.図4A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼ遺伝子を導入した形質転換体の暗所(D)および明所(L)におけるcAMP含有量。所に置いた細胞および、これに光を2分間照射したものからそれぞれcAMPを抽出し、定量を行った.
III.Anabaena7120のアデニル酸シクラーゼ遺伝子の単離とその構造の解析

 ラン藻におけるcAMPの機能を調べるためにはその合成酵素であるアデニル酸シクラーゼ遺伝子の破壊実験が有効であるが、これまでにアデニル酸シクラーゼ遺伝子を単離しているラン藻A.cylindricaは遺伝子導入が行えないためにこの目的に適さない。そこで、遺伝子導入の容易なラン藻Anabaena7120からアデニル酸シクラーゼ遺伝子を単離することにした。A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼ遺伝子の単離に用いた方法と同様の方法を用いてAnabaena7120のゲノムDNAライブラリーをスクリーニングした結果、5種類のDNA断片が単離された。塩基配列を調べたところ、これら5種類のDNA断片上にはそれぞれ既知のアデニル酸シクラーゼと高い相同性を持つタンパク質をコードするオープンリーディングフレームが存在していることが明らかとなった。よって、これらをアデニル酸シクラーゼ遺伝子と同定し、それぞれcyaA,cyaB1,cyaB2,cyaC,cyaDと名付けた(図1)。

cyaAの構造

 cyaAは735アミノ酸残基からなるタンパク質をコードしていた。CyaAはC末端側に触媒領域を持ち、N末端とタンパク質の中央付近に2箇所に分散した疎水性領域を持つ膜蛋白質であると想像される(図5)。CyaAの全体の構造はA.cylindricaのアデニル酸シクラーゼと類似しているが、2番目の疎水性領域がA.cylindricaのものでは1箇所であるのに対し3箇所からなること、また触媒領域以外では互いに相同性を持たないことなどからCyaAがA.cylindricaのアデニル酸シクラーゼに対応したものである可能性は低いと考えられる。

cyaB1およびcyaB2の構造

 cyaB1とcyaB2はそれぞれ859および860アミノ酸残基からなる親水性のタンパク質をコードしていた。CyaB1とCyaB2は互いに全長にわたって相同性を示した。これらのアデニル酸シクラーゼはC末端側に触媒領域を持ち、そのN末端側の配列は動物のcGMPホスホジエステラーゼのcGMPの結合領域と高い相同性を示した(図5)。

cyaCの構造

 cyaCは1155アミノ酸残基からなる親水性のタンパク質をコードしていた。CyaCはN末端から順にバクテリアの二成分制御系のレスポンスレギュレーター、ヒスチジンキナーゼタンパク質、レスポンスレギュレーターと相同性のある配列を持ち、そしてC末端側にアデニル酸シクラーゼの触媒領域を持っていた(図5)。

cyaD構造

 cyaDは546アミノ酸残基からなるタンパク質をコードしていた。CyaDのN末端には、ある種の転写調節因子およびキナーゼに存在している Forkhead-associated domainと呼ばれる領域と相同性を示す配列が存在していた(図5)。

 次にこれらのアデニル酸シクラーゼ遺伝子の発現を調べるために、Anabaena7120の全RNAを抽出し、それぞれのアデニル酸シクラーゼ遺伝子に特異的なオリゴヌクレオチドプライマーを用いて、RT-PCR反応を行った。その結果、通常の培養条件において全てのアデニル酸シクラーゼ遺伝子が発現していることが明らかとなった。しかしながらこれらの遺伝子の発現量の間には違いが見られた。5種類のアデニル酸シクラーゼ遺伝子のうちcyaCの発現量が最も多くなっており、次いでcyaD,cyaB1,cyaB2,cyaAの順に発現量が低くなっていた。

 次に、各々のアデニル酸シクラーゼの機能を調べるためストレプトマイシン/スペクチノマイシン耐性遺伝子の挿入により遺伝子破を行った。各々のアデニル酸シクラーゼ遺伝子破壊株について通常の培養条件における細胞内のcAMPを測定したところ、cyaB2およびcyaCの破壊株においてcAMPレベルが野性型株よりも低くなっていた(表2)。これらの破壊株を暗所に置いた後に光を照射し、その前後での細胞内のcAMPを測定したところ、cyaC破壊株においてcAMPの減少がほとんど見られなくなっていた(図6)。これらの結果から、本ラン藻においてCyaCが通常の培養条件において主に発現しているアデニル酸シクラーゼであると同時に、光によるcAMPの活性の調節を受けていることが示唆された。

 いくつかのアデニル酸シクラーゼ遺伝子の破壊株において細胞のサイズに野性型株との間で違いが見られた。cyaB1,cyaB2,cyaC破壊株においては細胞のサイズが野性型株よりも小さくなっており、cyaD破壊株においては細胞のサイズが野性型株よりも大きくなっていた。

 本研究において、初めてラン藻のアデニル酸シクラーゼ遺伝子の構造が明らかとなった。ラン藻のアデニル酸シクラーゼは多くのバクテリアの酵素と相同性を示さず、その一方で真核生物の酵素と高い相同性を持っていた。さらにラン藻は複数のアデニル酸シクラーゼ遺伝子を持つことが明らかとなった。これらは互いに異なった構造と発現パターンを持つことから、異なる情報伝達系に関与していると考えられる。アデニル酸シクラーゼ遺伝子の過剰発現および、遺伝子破壊実験より、ラン藻においてアデニル酸シクラーゼは光情報の伝達だけではなく糸状体や細胞の形態の調節にも関与していることが強く示唆された。

図5Anabaena7120のアデニル酸シクラーゼのドメイン構造の模式図黒色の長方形はアデニル酸シクラーゼの触媒領域を示している. TM,推定される膜貫通領域;r1,r2,レスポンスレギュレーターと相同性を持つ領域;HK,ヒスチジンキナーゼと相同性を持つ領域;FHA,forkhead-associated domainと相同性を持つ領域表2Anabaena7120のアデニル酸シクラーゼ遺伝子破壊株のcAMP含有量図5野生型株および、cya破壊株における光照射前後のcAMP変化
審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章は、Anabaena cylindricaのアデニル酸シクラーゼ遺伝子の単離、第2章は、A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼ遺伝子のAnabaena7120における過剰発現、第3章は、Anabaena7120のアデニル酸シクラーゼ遺伝子の単離とその構造解析について述べられている。

 サイクリックAMP(cAMP)は細胞内情報伝達物質として良く知られており、糸状性ラン藻Anabaena cylindricaにおいては、cAMPが光やpHなどの環境条件の変化にともなって変動することが報告されている。cAMPの機能を解析するためにはcAMPの合成酵素であるアデニル酸シクラーゼについての情報が必要とされる。これまで、ラン藻のアデニル酸シクラーゼの遺伝子は単離されておらずその構造は不明であった。本研究では二種のAnabaenaよりアデニル酸シクラーゼ遺伝子を単離し、その構造の解析を行った。

 第1章を要約は以下のようである。大腸菌のアデニル酸シクラーゼ遺伝子欠損株のラクトース代謝能の相補を指標にしてラン藻A.cylindricaのゲノムDNAライブラリーをスクリーニングし、アデニル酸シクラーゼ遺伝子を含むDNA断片を一つ取得した。A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼは動物や酵母などの真核生物のアデニル酸シクラーゼの触媒領域と高い相同性を示した。一方、A.cylindricaのアデニル酸シクラーゼは大腸菌のアデニル酸シクラーゼとは相同性を示さなかった。このアデニル酸シクラーゼはN末端とタンパク質の中央付近にそれぞれ膜貫通領域と思われる疎水性の領域を含み、C末端側にアデニル酸シクラーゼの触媒領域を持つ、全体として膜結合型の構造を持つことが明らかとなった。また、このアデニル酸シクラーゼは、チラコイド膜画分に局在していることが明らかとなった。

 第2章の要約は以下のようである。宿主ベクター系が確立されているラン藻Anabaena sp.strain PCC7120(Anabaena7120)を用いてA.cylindricaのアデニル酸シクラーゼの過剰発現を試みた。作成した形質転換体は野性型のAnabaena7120の約170倍のcAMPを蓄積しており、さらに暗所に置いた形質転換体の細胞に光を照射するとcAMPレベルが減少した。イムノブロッティングの結果、導入したアデニル酸シクラーゼは細胞膜とチラコイド膜の両方に存在していた。また、この形質転換体では糸状体が切れて細胞がばらばらとなりこれらが接着した集団を形成することが観察された。

 第3章の要約は以下のようである。遺伝子導入の容易なラン藻Anabaena7120からアデニル酸シクラーゼ遺伝子を単離した。その結果、5種類のDNA断片が単離された。塩基配列を調べたところ、これら5種類のDNA断片上にはそれぞれ既知のアデニル酸シクラーゼと高い相同性を持つタンパク質をコードするオープンリーディングフレームが存在することが明らかとなった。よって、これらをアデニル酸シクラーゼ遺伝子と同定し、それぞれcyaA,cyaB1,cyaB2,cyaC,cyaDと名付けた。

 cyaAは735アミノ酸残基からなるタンパク質をコードしていた。CyaAはC末端側に触媒領域を持ち、N末端とタンパク質の中央付近に2箇所に分散した疎水性領域を持つ膜蛋白質であると想像される。cyaB1とcyaB2はそれぞれ859および860アミノ酸残基からなる親水性のタンパク質をコードしていた。CyaB1とCyaB2は互いに全長にわたって相同性を示した。cyaCは1155アミノ酸残基からなる親水性のタンパク質をコードしていた。CyaCはN末端から順にバクテリアの二成分制御系のレスポンスレギュレーター、ヒスチジンキナーゼタンパク質、レスポンスレギュレーターと相同性のある配列を持ち、C末端側にアデニル酸シクラーゼの触媒領域を持っていた。cyaDは546アミノ酸残基からなるタンパク質をコードしていた。CyaDのN末端には、ある種の転写調節因子およびキナーゼに存在しているForkhead-associated domainと呼ばれる領域と相同性を示す配列が存在していた。通常の培養条件において全てのアデニル酸シクラーゼ遺伝子が発現していることがRT-PCR反応により明らかとなった。また、いくつかのアデニル酸シクラーゼ遺伝子の破壊株において細胞のサイズに野性型株との間で違いが見られた。

 以上、本研究において、初めてラン藻のアデニル酸シクラーゼ遺伝子の構造が明らかとなった。さらにラン藻は複数のアデニル酸シクラーゼ遺伝子を持つことが明らかとなった。これらの遺伝子は互いに異なった構造と発現パターンを持つことから、異なる情報伝達系に関与している可能性が示唆された。このように本論文はこれまで知られていなかった、ラン藻におけるアデニル酸シクラーゼ遺伝子に関して新しい知見を与えるものであり、科学的に高い価値がある。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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