学位論文要旨



No 112501
著者(漢字) 河津,維
著者(英字)
著者(カナ) カワヅ,タモツ
標題(和) 被子植物の発生過程におけるゴルジ体の役割に関するテクノビットDiOC蛍光顕微鏡法による解析
標題(洋)
報告番号 112501
報告番号 甲12501
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3281号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 助教授 中野,明彦
 東京大学 助教授 馳沢,盛一郎
 東京大学 助教授 野崎,久義
内容要旨 序論

 被子植物は、発芽に始まる栄養成長過程を経て生殖成長に入り、やがて種子を形成するという生活環を有する。このいずれの成長過程においても新たに固有の機能を果たす細胞・組織・器官が形成される。この際、個々の細胞の細胞内分泌による細胞壁や膜系の形成が必須である。ゴルジ体がこのような細胞内における物質分泌の集配センターとして重要な機能を果たしていることが、酵母、高等動植物の培養細胞などのモデル細胞系を用いて、分子生物学的に明らかになりつつある(Hawesら 1990;Schekman & Orci 1996)。しかしながら、これらの研究の基礎となるべき組織や器官の細胞内におけるゴルジ体の挙動に関する研究は、透過型電子顕微鏡(TEM)を用いた観察により根冠組織(Whaleyら 1959)や胚嚢助細胞(Kuroiwaら 1989)での挙動と細胞壁形成への関与に関するもの(Driouichら 1993)などが僅かにあるのみであった。この理由として、TEMは高分解能の構造解析はできても広範囲の組織・器官における定量的解析が難しいこと、および光学顕微鏡では容易にゴルジ体を観察することができなかったことが挙げられる。そこでゴルジ体を蛍光顕微鏡で観察する方法として、新しいテクノビット樹脂包埋-DiOC6染色法を開発し、タバコの種子発芽から始まる根の形成過程におけるゴルジ体の挙動と機能を細胞生理学的に解析した。更に細胞分裂時におけるゴルジ体の機能をタバコ培養細胞をモデル系として解析した。

結果および考察1タバコの種子発芽

 タバコ(Nicotiana tabacum cv.Bright Yellow 2)の種子内には幼根と子葉からなる胚がある。吸水後3日までは胚は長さが0.7mmのままで伸長しないが、4日目以降急速に伸長を始め、吸水後5日目に約90%の種子が発芽した。発芽後、実生の長さが1.5mm以上になると根冠の、2.0mm以上になると根毛の形成が始まった。吸水後約8日間という短い期間に根の基本的な構造が形成された。

2ゴルジ体の蛍光顕微鏡観察法の開発

 組織細胞内のゴルジ体を蛍光顕微鏡で観察する方法(テクノビット包埋-DiOC6染色法)を開発した。試料を1%グルタールアルデヒドで固定後、エタノールシリーズで脱水、親水性樹脂テクノビット7100および8100に包埋した。厚さ0.5〜0.7mの薄切切片を超ミクロトームで作製し、カバーグラスに張り付けた。その切片を100g/mlの膜特異的蛍光色素DiOC6と0.1g/mlのDNA特異的色素DAPIとで二重染色した。DiOC6の染色時間・洗浄方法を工夫することにより、組織細胞内のゴルジ体、ERなどの膜系とDNAとを同時に観察できるようになった。退色の早さを補うために、顕微測光装置(VIMPCS)で蛍光像を取り込み、カラー画像処理装置(Avio)を用いることにより、安定した像を得ることができた。

3タバコの発芽時におけるゴルジ体の挙動3-1吸水から発芽

 吸水後のタバコの種子をテクノビット包埋-DiOC6染色法で解析した。吸水直後および1日目の胚・胚乳では、大きさ0.4m以上のゴルジ体は観察されなかった。また、胚の色素体・ミトコンドリアの核も小さかった。

 吸水後3日目になると、幼根の先端領域と中心柱の細胞の2カ所で部位特異的に大きさ0.7mのゴルジ体が観察されるようになった。幼根の先端部でゴルジ体が観察されるのは、表層の2層の細胞のみに限られ、その部位では、ミトコンドリアや色素体に先行してゴルジ体が増加した。また、幼根に接した胚乳でもゴルジ体が観察され始めた。それ以後、発芽するまでの2日間で、ゴルジ体の分布は幼根全体に広がり、細胞分裂も始まった。このとき幼根の表皮細胞のゴルジ体の分布密度は高いが、中央部ではゴルジ体の密度は低い状態が続いた。ゴルジ体が観察された幼根の表皮組織に隣接する胚乳でもゴルジ体が多数観察された。しかし、子葉や子葉に隣接した胚乳では、発芽までほとんどゴルジ体は観察されなかった。

3-2発芽後

 発芽直後(吸水後6日目)の根では、根端分裂組織は形成されているが、未だ根冠が形成されていなかった。ゴルジ体は根端分裂組織全体に分布を広げていた。根冠が形成されていない根の先端部には、1.3mの大型化したゴルジ体が観察されはじめた。この部位は将来根冠に分化する細胞で構成されており、後述する根冠にみられるゴルジ体の大型化はすでに根冠が形成される前に始まっていることが分かった。

 吸水後8日目には7細胞層以上から成る根冠が形成された。根冠の周辺部では1.3mの大型化したゴルジ体が多数観察されたが、根冠起源部では1m以下の小型のゴルジ体が周辺部に比べて多数見られた。また、静止中心付近では、ゴルジ体の数が根冠に比べてかなり少なかった。また、表皮組織では根冠周辺部と同様に大型化したゴルジ体が多数観察された。

 ゴルジ体の大きさを定量化すると、表皮細胞のゴルジ体の大きさは吸水後3日目は0.7mだが、8日目には、その約1.5倍になった。静止中心付近のゴルジ体は他の領域に比べて大型化の度合いが少なかった。ゴルジ体の大型化はゴルジ体の活性に深く関係しており、表皮や根冠などの組織ではゴルジ体が根の伸長につれ活性化されているのではないかと考えられる。

 ゴルジ体は根冠分裂組織全域に観察されるが、細胞分裂がほとんどみられない静止中心には少なかった。また、細胞レベルで観察すると、ゴルジ体は分裂期の細胞分裂面近傍に多くみられ、細胞板形成に深く関わっていることが示唆された。

 タバコでの観察で得られた知見の一般性を検討するために、大きな根冠を持つトウモロコシ(Zea mays)でも解析した。根冠起源部では小型のゴルジ体の、根冠周辺部では大型のゴルジ体の密度が高く、タバコでの結果と類似していた。根冠起源部でゴルジ体がまず増加し、周辺部に細胞が移動するにつれ、再度ゴルジ体の増加と大型化が起こることが示された。また、表皮組織に接した根冠細胞では、細胞全体がゴルジ体で満たされているように見えるほど、ゴルジ体の数の著しい増加がみられた。

 ゴルジ体は、根冠細胞のような細胞外分泌を担う細胞内では大型化し、一方細胞分裂が盛んな細胞では小型のままその数を増やして機能していることが推定された。

4タバコの根の形成に対するBFAの影響

 これらの根冠組織形成や細胞板形成におけるゴルジ体の機能を解析するために、ゴルジ体の機能阻害剤であるブレフェルディンA(BFA)を用いて細胞生理学的な解析を行った。吸水後のタバコの種子をBFAで処理して、根の形成に対する影響を観察した。その結果、1Mで根毛の伸長が、10Mでは根冠の形成が阻害された。これらの濃度では、発芽や実生の伸長にはほとんど影響がなかった。また、10M BFAで処理をした根では、重力感受能がみられなくなった。10MのBFAで処理をした8日目のタバコの根を観察すると、根冠は1層の細胞から成り、そこにはゴルジ体は観察されなかった。また表皮細胞では2.0m以上の巨大化したゴルジ体しか観察されなかった。BFA処理により、根冠組織の形成を含めた表皮組織の分化が不能になったと考えられる。しかしながら、細胞分裂に関与しているゴルジ体にはBFAの影響がほとんどみられず、そのために根は伸長したものと思われる。

5細胞分裂におけるゴルジ体の役割

 ゴルジ体は分裂中の細胞では細胞板付近に観察されることが多かったが、根では分裂している細胞の存在部位が限定されており、分裂過程におけるゴルジ体の挙動を経時的に解析することができない。そこで、有糸分裂期を同調できる、タバコブライトイエロー2からとられた培養細胞(BY-2)を用い、ゴルジ体と細胞分裂との関係について解析した。分裂前(G2期)から分裂前期にかけて、ゴルジ体は細胞質に均等に分布している。その後、分裂中期から後期にかけて紡錘体が形成されると、ゴルジ体はその周りに分布するようになった。分裂後期にはフラグモプラストにより初期細胞板が形成されるが、このとき、ゴルジ体の細胞内の特定の部位への局在はみられなかった。しかし、分裂終期になると、成熟しつつある細胞板付近にゴルジ体が局在することが観察された。

 次に、BY-2細胞を10M BFAで処理したところ、細胞が2核化した。このことは、ゴルジ体が細胞板形成に必要であることを示唆している。10MのBFAにより、ゴルジ体は巨大化した後、30分以内に消滅した。この巨大化は根の表皮細胞でみられたBFA処理による巨大化と同じと考えられる。電子顕微鏡で観察すると、巨大化したゴルジ体はシスターネが伸び、層数が減っていた。1MのBFAでBY-2細胞を4時間処理したとき、小胞が十分に集まらない不完全な初期細胞板が形成され、細胞は2核化した。この不完全な細胞板は1もしくは2時間BFA処理しただけでは観察されなかった。細胞分裂の開始から、初期細胞板の形成まで約2時間かかることから、ゴルジ体は初期細胞板をつくる小胞を分裂期の前から放出していると考えられる。

 ゴルジ体の細胞板形成に関する役割をまとめると次のようになる。ゴルジ体は、G2期から分裂後期にかけて、初期細胞板をつくる小胞を放出し続け、その小胞を紡錘体内に蓄え、短時間のうちに細胞板を形成できる環境をつくっている。分裂後期になると、ゴルジ体は成熟しつつある細胞板付近に集合し、その成熟を促進する。

6細胞壁構成物質の挙動の解析

 ゴルジ体がG2期から分裂後期にかけて小胞を紡錘体内に蓄え、短時間のうちに細胞板を形成できる環境をつくっているという先の説を実証するために、細胞壁構成成分の前駆体である、トリチウムラベルしたmyo-イノシトールを、BY-2細胞に取り込ませ、その挙動をテクノビットオートラジオグラフィー法を用いて調べた。BY-2細胞をmyo-イノシトールで2時間ラベルして、その後7時間まで様々な時間チェイスした。その結果、細胞板と細胞壁、紡錘体に強いシグナルが出た。分裂期の細胞は、細胞壁へのとり込みが間期の細胞に比べて少なかった。また、中期の細胞の紡錘体には大量のシグナルがでた。また細胞板へのmyo-イノシトールの取り込みは、分裂中に取り込ませたときとG2期に取り込ませたときとで同様であった。これらのことはすべて、先の説を支持するものであった。

まとめ

 (1)組織細胞内のゴルジ体を蛍光顕微鏡で観察する方法(テクノビット包埋-DiOC6染色法)を開発した。この方法を用いてタバコの発芽時と細胞分裂時におけるゴルジ体の挙動を解析した。

 (2)吸水直後と1日目には大きさ0.4m以上のゴルジ体は観察されなかったが、3日目になると幼根の先端などで部位特異的にゴルジ体が観察されるようになった。その後、ゴルジ体の分布は広がり、根端分裂組織全体で観察されるようになった。

 (3)細胞外分泌を盛んにおこなう根冠組織や表皮細胞ではゴルジ体が大型化していたが、細胞分裂が盛んな細胞では、ゴルジ体は小型のまま数だけが増えていた。

 (4)BFA処理により根の表皮組織のゴルジ体が巨大化し、根冠組織の形成が選択的に阻害され、根の重力感受性までもが無くなっていた。根冠形成にゴルジ体が関わっていることが示唆された。

 (5)細胞分裂に携わるゴルジ体は、細胞分裂期の前から細胞板形成の準備を始め、細胞板の成熟期にはその細胞板付近に集まり、成熟を助けることが分かった。

審査要旨

 ゴルジ体が細胞内における物質分泌の集配センターとして重要な機能を果たしていることが、酵母、高等動植物の培養細胞などのモデル細胞系を用いて、分子生物学的に明らかになりつつある。しかしながら、これらの研究の基礎となるべき組織や器官の細胞内におけるゴルジ体の挙動に関する研究は、電子顕微鏡を用いた観察が僅かにあるのみであった。この理由として、電子顕微鏡は高分解能の構造解析はできても広範囲の組織・器官における定量的解析が難しいこと、および光学顕微鏡では容易にゴルジ体を観察することができなかったことが挙げられる。論文提出者の河津維はゴルジ体を蛍光顕微鏡で高感度で観察する方法を開発し、タバコの種子発芽から始まる根の形成過程におけるゴルジ体の挙動と機能を細胞生理学的に解析した。更に細胞分裂時におけるゴルジ体の機能をタバコ培養細胞をモデル系として解析した。本研究は4章からなり、第1章では細胞・組織内のゴルジ体を光学顕微鏡で観察する方法の開発、第2章ではタバコの種子発芽から始まる根の形成過程におけるゴルジ体の挙動と機能、第3章では細胞分裂時における細胞板形成に関するゴルジ体の機能、第4章では細胞分裂時における細胞壁構成成分の挙動について述べられている。研究成果の要旨は以下のとおりである。

第1章テクノビット包埋-DiOC6染色法の開発

 植物体の組織内のゴルジ体を高感度に観察するためには、樹脂包埋法と染色法の両方の確立が必要である。まず、樹脂には、薄切切片を作成でき、蛍光染色可能なテクノビットを用いた。さらに、シスターネのスタックであるゴルジ体を染色するために膜特異的蛍光色素として知られているDiOC6を使うことで、ゴルジ体を強く染色することに成功した。さらに、顕微測光装置とカラー画像処理装置を用いることにより、安定した像を得ることができた。この方法をテクノビット包埋-DiOC6染色法と命名した。

第2章タバコの種子発芽から始まる根の形成過程におけるゴルジ体の挙動と機能

 この光学顕微鏡法を用いて、タバコの発芽過程におけるゴルジ体の挙動を観察した。吸水直後および1日目の胚・胚乳では、ゴルジ体は観察されなかった。吸水後3日目になると、幼根の先端領域と中心柱の細胞の2カ所で部位特異的に大きさ0.7mのゴルジ体がde novo合成され、観察されるようになった。それ以後、発芽するまでの2日間で、ゴルジ体の分布は幼根全体に広がり、細胞分裂も始まった。幼根に隣接する胚乳でもゴルジ体が多数観察された。発芽直後にはゴルジ体は根端分裂組織全体に分布を広げていた。しかし、子葉や子葉に隣接した胚乳では、発芽までほとんどゴルジ体は観察されなかった。

 根冠が形成された発芽後3日目の根端を観察すると、大きさが1.2m以下の小型のゴルジ体は根冠分裂組織全域に観察されるが、細胞分裂がほとんどみられない静止中心には少なかった。また細胞分裂の盛んな根冠起源部でも小型のゴルジ体が多く観られた。細胞分裂が盛んな細胞では小型のままその数を増やして機能していることが示唆された。一方、根冠細胞や表皮細胞のような細胞外分泌を担う細胞内では1.2m以上にゴルジ体は大型化して機能していることが示唆された。

 10MブレフェルディンA(BFA)で処理すると根の重力感受能がみられなくなった。これは、BFA処理により根冠のゴルジ体が消滅もしくは2.0m以上に異常に巨大化して、根冠の形成が阻害されるために引きおこされることがわかった。このことは、ゴルジ体は、組織分化に関与していることが示唆している。

第3章細胞分裂時における細胞板形成に関するゴルジ体の機能

 有糸分裂期を同調できるタバコ培養細胞BY-2を用い、ゴルジ体と細胞分裂との関係について解析した。分裂前(G2期)から分裂後期までは、細胞内の特定の部位への局在はみられなかった。しかし、分裂終期になると、成熟しつつある細胞板付近にゴルジ体が局在していることが観察された。G2期後半から分裂後期にかけて10MのBFAでBY-2細胞を処理したとき、細胞が2核化した。これは、BFA処理により、ゴルジ体がすばやく消滅し、そのため、ゴルジ体から生じた小胞が集まってできる初期細胞板が不完全にしかできなかったためである。しかし、この不完全な細胞板は分裂期だけをBFA処理した時は観察されなかった。

第4章細胞分裂時における細胞壁構成成分の挙動

 細胞壁構成成分の前駆体である、トリチウムラベルしたmyo-イノシトールをBY-2細胞に取り込ませ、その挙動をテクノビットオートラジオグラフィー法を用いて調べた。イノシトールをG2期後半に取り込ませた時、分裂期に取り込ませ時と同様に、細胞板に強い取り込みが見られた。

 これらの結果から、ゴルジ体の細胞板形成に関する役割をまとめると次のようになる。ゴルジ体は、G2期から分裂後期にかけて、初期細胞板をつくる小胞を放出し続け、その小胞を紡錘体内に蓄え、短時間のうちに細胞板を形成できる環境をつくっている。分裂後期になると、ゴルジ体は成熟しつつある細胞板付近に集合し、その成熟を促進する。

 これらの研究を通じて、植物の組織・細胞内におけるゴルジ体を観察できる光学顕微鏡法を開発し、それを用いて、細胞の分裂・分化に関わるゴルジ体の挙動・役割の生理形態学的研究を行った本論文提出者の業績は優れたものである。なお、本論文の第1章は河野重行・黒岩常祥両博士と、第2章は河野重行・黒岩晴子両博士と、第3章は河野重行・黒岩常祥両博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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