ゴルジ体が細胞内における物質分泌の集配センターとして重要な機能を果たしていることが、酵母、高等動植物の培養細胞などのモデル細胞系を用いて、分子生物学的に明らかになりつつある。しかしながら、これらの研究の基礎となるべき組織や器官の細胞内におけるゴルジ体の挙動に関する研究は、電子顕微鏡を用いた観察が僅かにあるのみであった。この理由として、電子顕微鏡は高分解能の構造解析はできても広範囲の組織・器官における定量的解析が難しいこと、および光学顕微鏡では容易にゴルジ体を観察することができなかったことが挙げられる。論文提出者の河津維はゴルジ体を蛍光顕微鏡で高感度で観察する方法を開発し、タバコの種子発芽から始まる根の形成過程におけるゴルジ体の挙動と機能を細胞生理学的に解析した。更に細胞分裂時におけるゴルジ体の機能をタバコ培養細胞をモデル系として解析した。本研究は4章からなり、第1章では細胞・組織内のゴルジ体を光学顕微鏡で観察する方法の開発、第2章ではタバコの種子発芽から始まる根の形成過程におけるゴルジ体の挙動と機能、第3章では細胞分裂時における細胞板形成に関するゴルジ体の機能、第4章では細胞分裂時における細胞壁構成成分の挙動について述べられている。研究成果の要旨は以下のとおりである。 第1章テクノビット包埋-DiOC6染色法の開発 植物体の組織内のゴルジ体を高感度に観察するためには、樹脂包埋法と染色法の両方の確立が必要である。まず、樹脂には、薄切切片を作成でき、蛍光染色可能なテクノビットを用いた。さらに、シスターネのスタックであるゴルジ体を染色するために膜特異的蛍光色素として知られているDiOC6を使うことで、ゴルジ体を強く染色することに成功した。さらに、顕微測光装置とカラー画像処理装置を用いることにより、安定した像を得ることができた。この方法をテクノビット包埋-DiOC6染色法と命名した。 第2章タバコの種子発芽から始まる根の形成過程におけるゴルジ体の挙動と機能 この光学顕微鏡法を用いて、タバコの発芽過程におけるゴルジ体の挙動を観察した。吸水直後および1日目の胚・胚乳では、ゴルジ体は観察されなかった。吸水後3日目になると、幼根の先端領域と中心柱の細胞の2カ所で部位特異的に大きさ0.7mのゴルジ体がde novo合成され、観察されるようになった。それ以後、発芽するまでの2日間で、ゴルジ体の分布は幼根全体に広がり、細胞分裂も始まった。幼根に隣接する胚乳でもゴルジ体が多数観察された。発芽直後にはゴルジ体は根端分裂組織全体に分布を広げていた。しかし、子葉や子葉に隣接した胚乳では、発芽までほとんどゴルジ体は観察されなかった。 根冠が形成された発芽後3日目の根端を観察すると、大きさが1.2m以下の小型のゴルジ体は根冠分裂組織全域に観察されるが、細胞分裂がほとんどみられない静止中心には少なかった。また細胞分裂の盛んな根冠起源部でも小型のゴルジ体が多く観られた。細胞分裂が盛んな細胞では小型のままその数を増やして機能していることが示唆された。一方、根冠細胞や表皮細胞のような細胞外分泌を担う細胞内では1.2m以上にゴルジ体は大型化して機能していることが示唆された。 10MブレフェルディンA(BFA)で処理すると根の重力感受能がみられなくなった。これは、BFA処理により根冠のゴルジ体が消滅もしくは2.0m以上に異常に巨大化して、根冠の形成が阻害されるために引きおこされることがわかった。このことは、ゴルジ体は、組織分化に関与していることが示唆している。 第3章細胞分裂時における細胞板形成に関するゴルジ体の機能 有糸分裂期を同調できるタバコ培養細胞BY-2を用い、ゴルジ体と細胞分裂との関係について解析した。分裂前(G2期)から分裂後期までは、細胞内の特定の部位への局在はみられなかった。しかし、分裂終期になると、成熟しつつある細胞板付近にゴルジ体が局在していることが観察された。G2期後半から分裂後期にかけて10MのBFAでBY-2細胞を処理したとき、細胞が2核化した。これは、BFA処理により、ゴルジ体がすばやく消滅し、そのため、ゴルジ体から生じた小胞が集まってできる初期細胞板が不完全にしかできなかったためである。しかし、この不完全な細胞板は分裂期だけをBFA処理した時は観察されなかった。 第4章細胞分裂時における細胞壁構成成分の挙動 細胞壁構成成分の前駆体である、トリチウムラベルしたmyo-イノシトールをBY-2細胞に取り込ませ、その挙動をテクノビットオートラジオグラフィー法を用いて調べた。イノシトールをG2期後半に取り込ませた時、分裂期に取り込ませ時と同様に、細胞板に強い取り込みが見られた。 これらの結果から、ゴルジ体の細胞板形成に関する役割をまとめると次のようになる。ゴルジ体は、G2期から分裂後期にかけて、初期細胞板をつくる小胞を放出し続け、その小胞を紡錘体内に蓄え、短時間のうちに細胞板を形成できる環境をつくっている。分裂後期になると、ゴルジ体は成熟しつつある細胞板付近に集合し、その成熟を促進する。 これらの研究を通じて、植物の組織・細胞内におけるゴルジ体を観察できる光学顕微鏡法を開発し、それを用いて、細胞の分裂・分化に関わるゴルジ体の挙動・役割の生理形態学的研究を行った本論文提出者の業績は優れたものである。なお、本論文の第1章は河野重行・黒岩常祥両博士と、第2章は河野重行・黒岩晴子両博士と、第3章は河野重行・黒岩常祥両博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)を授与できると認める。 |