真核生物において、Ca2+は細胞内の普遍的なシグナル伝達物質として働いている。Ca2+がセカンドメッセンジャーとして働くことができるのは、細胞内外で大きな濃度差が保たれているからである。出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)においても,細胞外の濃度が10-3Mに対し、細胞内の遊離Ca2+濃度は10-7Mであり,細胞内外に大きな濃度勾配が保たれている。このようなCa2+濃度差を形成し,Ca2+ホメオスタシスを維持する細胞機構を解明することは、Ca2+による細胞内の情報伝達系を理解する上で不可欠である。現在までに,出芽酵母の100mMCa2+に感受性を示すcls変異株の系統的な遺伝学的研究から、Ca2+ホメオスタシスに関与する因子が続々と解明されてきた。一群のcls変異株(cls7〜cls11)の解析を通じて液胞膜H+輸送性ATPaseのサブユニット遺伝子の同定が飛躍的に進み、液胞へのカルシウム輸送が酵母のCa2+ホメオスタシスにとって極めて重要であることが示された。また細胞内Ca2+プールが異常に高くなったcls異株の解析からは、小胞体膜上のCls2pタンパク質がカルシニューリンと協同してCa2+ホメオスタシスに関与していることが明らかになった。 本研究において、論文提出者,滝田は,細胞膜を介してCa2+ホメオスタシスを維持する機構を解明するために、Ca2+特異的に感受性を示すCLS5遺伝子の分子生物学的研究を展開した。さらに分子遺伝学的手法を駆使して、CLS5遺伝子産物と協同して機能を発現する因子を探索した。加えて,以上の分子生物学的解析を円滑に行うための迅速かつ網羅的な出芽酵母の遺伝子操作法を開発した。その成果の要旨を以下に記す. 1.CLS5遺伝子はプロフィリンをコードしている 出芽酵母のゲノムDNAライブラリーから、cls5-1変異株のCa2+感受性を相補するクローン(pMN751)を単離した。その制限酵素地図を作成してサブクローニングを行った結果、cls5-1を相補する最小必須領域にPFY1遺伝子(酵母プロフィリン遺伝子)が存在することがわかった。四分子解析によりcls5-1変異とPFY1遺伝子との連鎖が確認されたことから、PFY1遺伝子がCLS5遺伝子と同一であることが示唆された。さらにcls5-1変異遺伝子を回収し、そのDNA塩基配列の決定から、cls5-1がプロフィリンのカルボキシル末端付近の108番目のGlyがAspに変化した変異であることを明らかにした。 プロフィリンはアクチンの重合・脱重合を調節するアクチン結合タンパク質であり、出芽酵母でもアクチン繊維の制御に関与している。cls5/pfy1遺伝子破壊株(pfy1)は生育遅延とcls5-1変異株より強いCa2+感受性を示した。高濃度(300mM)Ca2+存在下で、cls5-1変異株およびpfy1株は10時間後に約50%まで生存率が減少し、そのとき細胞溶解を引き起こした。従ってCLS5/PFY1遺伝子はアクチンの制御系で働く以外に、特に高濃度Ca2+存在下で細胞増殖に必須な機能を果たし、その必須機能の欠如は不可逆的な増殖停止に結び付くことが明らかになった。さらにcls5/pfy1変異株において、細胞内のCa2+プールがどのように変化しているかを45Caを用いて調べた。cls5-1変異株およびpfy1株の細胞全体のプールは野生型に比べて、それぞれ2.4倍および5.8倍に増加していた。培地のCa2+と交換可能な細胞内Ca2+プールと、交換不可能な細胞内Ca2+プールのどちらも上昇していた。以上の結果から酵母プロフィリンのもう一つの機能として、細胞のCa2+ホメオスタシスを維持する働きがあることが示された。 2.プロフィリンがCa2+ホメオスタシスを維持する分子メカニズム プロフィリンがCa2+ホメオスタシスを維持している分子機構を解析するために、プロフィリンと直接結合できる因子について、Ca2+ホメオスタシスに関与しているか否かを調べた。まず、プロフィリンとの結合能力を失ったアクチンの変異株では、Ca2+感受性がみられなかったことから、プロフィリンのアクチンとの相互作用はCa2+ホメオスタシスの維持に関係ないことが示唆された。PIP2の関与については、PIP2がホスフォリパーゼC(PLC1遺伝子産物)によって分解されることから、CLS5とPLC1の遺伝学的相互作用について検討した。もし、プロフィリンがPIP2との結合を介してCa2+ホメオスタシス維持に関与しているならば、cls5-1変異のCa2+感受性はplc1変異により影響を受けるはずである。しかしplc1単独ではCa2+感受性を示さず、cls5-1plc1二重変異株は依然としてcls5-1と同様のCa2+感受性を示し、プロフィリンとPLCとの間の強い関係を見い出すことはできなかった。 プロフィリンがBni1タンパク質(Bni1p)と結合することがTwo-hybrid法で示唆されている。Bni1PおよびそのホモログであるBnr1タンパク質(Bnr1p)がCa2+ホメオスタシス維持に関与しているかどうかを調べるために、bni1遺伝子破壊株(bni1)およびbni1bnr1株のCa2+感受性および細胞内のCa2+プールを調べた。その結果bni1株は弱いがCa2+感受性を示し、bni1bnr1株はさらに強いCa2+感受性を示すことを発見した。どちらの変異株もMg2+感受性は示さない。bni1bnr1株はcls5変異株と同様にCa2+存在下で細胞溶解を起こしていた。また、bni1bnr1株の細胞全体のCa2+プールは野生型株の3.6倍に増加していた。以上の結果から、プロフィリンとBni1pおよびBnr1pが協同してCa2+ホメオスタシスを維持していることが示唆された。Bni1pはGTP結合型のRho1pに特異的に結合するRho1pのターゲットの一つである。そこで、Bni1pと結合できないrhol変異がCa2+感受性を示すと予想し、Bni1pとの結合活性を失ったrho1-2変異をもちいて検討を行った。rho1-2変異株は予想どおりbni1株と同程度にCa2+感受性を示し、細胞のCa2+プールは野生型株の3.1倍に増加していた。以上の結果から,プロフィリン、Bni1pとBnr1P,Rho1pが協同してCa2+ホメオスタシスを維持していることを提案した。 3.CLS5、BNI1およびBNR1と遺伝学的に相互作用する遺伝子の単離 プロフィリン、Bni1pとBnr1p、Rho1pを中心とする制御系で働く因子をさらに取得するために、cls5-1変異の多コピー抑圧遺伝子を単離した。約6,000個のコロニーをスクリーニングしてキネシン様のタンパク質をコードするSMY1遺伝子を単離した。SMY1遺伝子はcls5/pfy1株のCa2+感受性を抑圧できたが、bni1株およびbni1bnr1株のCa2+感受性は抑圧できなかった。さらにbni1bnr1株のCa2+感受性を多コピーで抑圧する因子の単離を試みた。20,000個のコロニーをスクリーニングして、5つのクローンを単離した。また、bni1bnr1からCa2+感受性を復帰する突然変異株を単離した。40,000個のコロニーから4個の復帰突然変異株を取得した。 4.広域PCRを用いた新しい分子遺伝学的手法 酵母DNAから広域PCR(LA-PCR)で増幅したDNA断片を使って直接塩基配列を決定できる手法を確立した。広域PCRとはBarnes(1994)によって開発された方法で、2kb以上のDNA断片を増幅するのに適している。プラスミドを含む酵母からガラスパウダーを使って精製したDNAを鋳型として用い、ベクタープラスミドに挿入された約10kbの断片を増幅した。この増幅したDNAを直接鋳型に用いて塩基配列の決定が可能であったため、今まで3日かかったステツプが1日に短縮されて迅速な酵母遺伝子の構造解析が可能となった。さらに,ベクターへのサブクローニングなしに広域PCRで増幅した遺伝子を酵母に導入する方法を開発した。酵母に導入する際に、増幅したDNA断片と直線状にしたプラスミドベクターとの間に共通な領域を作り、両者を混合して直接酵母を形質転換した。条件検討の結果DNA断片とベクターの量比を10:1にし、20bp以上のオーバーラップ領域があれば高い効率で酵母に導入され、組み換えを起こしてプラスミドとして保持されることが明らかになった。この方法を用いると、制限酵素やライゲースを使わなくても遺伝子を酵母に導入でき、また、大腸菌でうまく増幅しない酵母遺伝子の解析も可能になった。 本研究は、1)cls5-1はプロフィリンの変異であり,プロフィリンは細胞のCa2+ホメオスタシスを維持する働きがあること,2)プロフィリンと直接結合するBni1pとBnr1p、および,Bni1pと直接結合するRho1pがプロフィリンと協同してCa2+ホメオスタシスを維持機構を形成すること,3)酵母のDNAを広域PCRを用いて増幅させることにより迅速な塩基配列の解析を可能とし,従来の「酵母と大腸菌のシャトル」に代わる新しい遺伝子操作法として「酵母と広域PCRで増幅したDNA」のシャトルを提案した。審査委員は,全員一致して,これらの業績は新規であり,博士(理学)の学位にふさわしいものと認めた. |