学位論文要旨



No 112505
著者(漢字) 藤野,眞理
著者(英字)
著者(カナ) フジノ,マリ
標題(和) 酵母Cdk Pho85キナーゼの遺伝生化学的研究
標題(洋) Genetic and biochemical analysis of the Pho85 kinase,a member of Cdk family
報告番号 112505
報告番号 甲12505
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3285号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東江,昭夫
 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 助教授 高橋,陽介
 東京大学 助教授 西田,生郎
 東京大学 助教授 大矢,禎一
内容要旨 <序論>

 真核生物の細胞周期の進行は、サイクリン依存性タンパク質リン酸化酵素(Cyclin dependent kinase:Cdk)の活性化を中心に制御される。脊椎動物では、時期特異的な複数のCdkが各々のサイクリンと結合し活性化を受け細胞周期進行を制御するが、出芽酵母では細胞周期を制御するCdkは、Cdc28キナーゼがただ一つ知られるのみである。

 出芽酵母には培地内の無機リン酸イオン濃度に応じてその活性・発現が調節される一連のPHO系と呼ばれる遺伝子群がある(図1)。PHO系はPHO5遺伝子にコードされる酸性フォスファターゼの活性を指標として、遺伝学的に詳細に解析されてきた。本研究のPho85キナーゼはPHO系負調節因子として単離され、Cdc28キナーゼとアミノ酸配列で51%の高い相同性を持つCdkである。高い相同性にも拘わらずCDC28、PHO85各々の遺伝子は互いに代替しない。最近、他の研究室からPho85キナーゼがG1-サイクリンと相同性を持つタンパク質と結合してG1/Sの進行に関与する可能性が報告された。また、同じくPHO系負調節因子であるPho80タンパク質が、サイクリンとしてPho85キナーゼと結合し活性化すること、このPho80-Pho85サイクリン-Cdk複合体は、Pho81タンパク質がCdk阻害タンパク質(Cdk inhibitor:CKI)として機能し、不活化されることが明らかになっている。

 当研究では、Cdkとの比較からPho85キナーゼとCdc28キナーゼの差異およびPho85キナーゼの活性調節機構を調べ、CdkとしてPho85キナーゼが細胞周期の進行に関与する可能性について解析した。

<結果と考察>1)Pho85キナーゼの多機能性

 pho85遺伝子破壊株では、Pho5酸性フォスファターゼの活性が培地内の無機リン酸イオン濃度に依存せず構成的になる。この表現型以外に、pho85遺伝子破壊株は、増殖の遅延、ガラクトースや非発酵性の炭素源の資化異常といった表現型を示した。これらpho85遺伝子破壊株の表現型は全て、Pho4遺伝子との二重破壊で回復した。(図2)この結果は、pho85キナーゼがPHO系のみならず、正常な増殖や炭素源の資化をもPho4タンパク質を介して調節する可能性を示唆する。Pho80タンパク質はPho85キナーゼのサイクリンとして機能するPHO系負調節因子だが、pho80遺伝子破壊株は非醗酵性の炭素源を資化できた。つまり、Pho85キナーゼがPho80タンパク質以外のサイクリンと結合して、しかもPHO系同様にPho4タンパク質を介して炭素源の資化を制御する可能性が考えられる。

2)Pho85キナーゼの機能ドメイン

 ATP結合領域、PSTAIRE配列、活性化リン酸化部位などCdkの機能に重要なアミノ酸配列は、Pho85キナーゼにも保存されている。これらのアミノ酸残基を置換した変異Pho85キナーゼを作成し、in vivoではPho5酸性フォスファターゼの活性と非醗酵性の炭素源上での生育状況(図3)、in vitroではキナーゼ活性(図4)を指標にPho85キナーゼの機能ドメインを調べた。ATP結合領域内のY18,22F変異、PSTAIRE配列内のE53A変異、及びK58A変異はin vivoで機能を持たず、in vitroでのキナーゼ活性も低下していた。PHO80遺伝子を過剰発現すると、Y18,22F、K58A変異の活性はin vivo及びin vitroで回復したが、キナーゼ活性に必要な残基へのE53A変異の活性は失われたままであった。Y18,22F変異とK58A変異の活性の低下は、Pho80タンパク質との結合が弱まりサイクリンによる活性化を受けにくいためと考えられる。活性化リン酸化部位に相当するF165S166S167への変異はPho85キナーゼのin vivoでの機能にもin vitroのキナーゼ活性にも影響を及ぼさなかった。Cdk Activating Kinase(CAK)のリン酸化による活性化機構がPho85キナーゼに存在するかは不明だが、S166S167残基はPho85キナーゼの機能に重要ではないと言える。

3)Pho85キナーゼはPho80タンパク質を含むタンパク質複合体を形成して活性を持つ

 Y18,22F変異とK58A変異の活性の低下がPho80タンパク質との結合が弱くなったためと予想し、変異Pho85キナーゼとPho80タンパク質との物理的な相互作用について調べた。大腸菌から調製した野生型、E53A変異、K58A変異のそれぞれのPho85タンパク質をリガンドとしたカラムに、Pho80タンパク質を過剰生産している酵母抽出液を通したところ、野生型及びK58A変異Pho85タンパク質のカラムではPho80タンパク質の結合が観察され(図5)、E53A変異ではPho80タンパク質の結合は見られなかった。また、Pho80タンパク質が特異的に溶出される画分にはそれ以外のタンパク質の存在が観察された。この結果はPho85キナーゼがPho80タンパク質を含むいくつかのタンパク質からなる複合体を形成して機能することを示唆する。そこで、酵母細胞内で機能しているPho85キナーゼが含まれるタンパク質複合体を解析した。グルタチオン-S-トランスフェレース(GST)融合タンパク質としてPho85キナーゼを産出している酵母細胞抽出液を用い、抗GST抗体をリガンドとしたカラムに特異的に結合する免疫タンパク質複合体を調べた。野生型Pho85キナーゼの含まれる画分にはそれ以外のタンパク質も特異的に溶出されてきたが、機能を持たないE53A変異あるいはpho80変異株から調製した細胞抽出液には、野生型の場合のような他のタンパク質の溶出は観察されなかった(図6)。つまり、酵母細胞内でPho85キナーゼが機能するためには、Pho80タンパク質を介した複数のタンパク質からなる複合体形成が必要であると予想される。

4)細胞周期阻害剤の影響

 Pho85キナーゼが細胞周期の進行に関与するなら細胞周期阻害剤に対する感受性が変化すると考え、細胞周期阻害剤のpho85遺伝子破壊株への影響を調べた。すると、pho85遺伝子破壊株はヒドロキシウレア(HU)に対して感受性を示した(図7)。pho80遺伝子破壊株は野生型株と同程度の、またpho85pho4二重遺伝子破壊株はpho85遺伝子破壊株と同程度の感受性を示したことから、HU存在下ではPho85キナーゼはPho80タンパク質以外のサイクリンによる活性化を受け機能すると予想される。紫外線照射やメチルメタンスルホン酸処理はpho85遺伝子破壊株の感受性へ顕著な影響を及ぼさず、HU処理後もpho85遺伝子破壊株の生存率は有意には低下しないので、pho85遺伝子破壊株ではチェックポイントコントロール機構は正常で細胞周期停止からの回復過程に障害があると考えられる。

5)Pho85キナーゼはCKIであるSic1タンパク質をin vitroでリン酸化した

 HUはDNA合成を阻害して細胞周期をS期で止める薬剤だが、出芽酵母ではDNA合成はCdc28-Clb5,6複合体が促進し、このCdc28-Clb5,6複合体の活性はSic1タンパク質により阻害される。HUに対する感受性が高くなった原因として、pho85遺伝子破壊株ではSic1タンパク質が適切に分解されずCdc28-Clb5,6複合体が充分に活性化されないと予想し、Sic1タンパク質のpho85遺伝子破壊株内での安定性を調べた。すると、Pho85キナーゼが欠損している場合にSic1タンパク質はより長時間存在した(図8)。Sic1タンパク質は、リン酸化の修飾が引金となってユビキチン化され速やかに分解される。Sic1タンパク質の安定化の原因として、Pho85キナーゼによるリン酸化がユビキチン化を介した分解に関係していることを予想し、Sic1タンパク質がin vitroでPho85キナーゼの基質となるかを調べた。大腸菌から調製したSic1タンパク質は、Pho85キナーゼによりリン酸化された(図9)。pho85遺伝子破壊株内でのSic1タンパク質の安定化とin vitroでのPho85キナーゼによるリン酸化より、CKIの分解を制御するCdkとしてPho85キナーゼが細胞周期を調節する可能性が示唆される。

<まとめ>

 本研究ではPHO系負調節因子であるPho85-Pho80複合体をCdk-cyclin複合体の一つのモデルとして、Cdkの機能ドメインおよびサイクリンとの結合状況を明らかにした。CdkであるPho85キナーゼが機能を持つためにはPho80サイクリンを介して大きなタンパク質複合体を形成することが必要であり、Cdkで保存されているアミノ酸残基はこのタンパク質複合体形成に重要であった。

 また、Sic1タンパク質の安定化およびリン酸化より、Pho85キナーゼがCKIの分解を通して細胞周期の制御に関わる可能性が示唆された。

図1 PHO系の情報伝達機構培地内の無機リン酸イオン(Pi)濃度が低下すると(low Pi)、細胞表層にPho5酸性フォスファターゼが産出され、Piは細胞膜上のPho84リン酸イオン透過酵素により取り込まれる。Pi濃度が充分な場合(high Pi)は、Pho85-Pho80 Cdk-サイクリン複合体がPho4転写活性化因子をリン酸化しPHO5遺伝子の転写を抑制する。このPho85-Pho80複合体は、low PiでPho81CKIにより不活化され、Pho4はPHO5遺伝子の転写を活性化する。図2 pho85遺伝子破壊株の表現型はpho4遺伝子破壊により抑圧された。Pho5酸性フォスファターゼの活性および非発酵性の炭素源上での生育について、PHO系変異の影響を調べた。Pho5酸性フォスファターゼの活性がない場合には、酵母菌体は活性染色されず白いままである。図3 変異Pho85キナーゼの構造Cdkファミリーで活性調節に重要な配列は、Pho85キナーゼにも保存されている。ATP結合領域内のTY残基へのリン酸化は、Cdc2キナーゼを不活性化する。PSTAIRE配列はサイクリンとの結合に重要であり、そのなかのE残基はキナーゼ活性に必須である。また、T-loopのT残基へのリン酸化はCdkを活性化する。Pho85キナーゼ内で相当するアミノ酸残基を置換し、Pho5酸性フォスファターゼの活性を指標にPho85キナーゼの機能に対する影響を調べた。図の右にPho85キナーゼとして機能するものを+として表す。図4 Cdk間で保存されるアミノ酸はPho85キナーゼの機能にも重要である。図3の変異Pho85キナーゼのin vivoでの機能への影響をPho5酸性フォスファターゼの活性染色および非発酵性の炭素源上での生育について調べた。図5 変異Pho85キナーゼのin vitroでの活性を測定した。酵母内でGST融合タンパク質として図に示すように野生型および変異型のPho85キナーゼを生産させ、抗GST抗体を用いた免疫沈降物のin vitroのキナーゼ活性をAではカゼインを基質にBでは大腸菌から調製したPho4タンパク質を基質に測定した。レーン1から10は低コピー数でPHO80遺伝子を持つpho85遺伝子破壊株に、レーン11から15は高コピー数でPHO80遺伝子を持つpho85遺伝子破壊株にそれぞれのPho85キナーゼを生産させた。図6 大腸菌から調製したPho85タンパク質と酵母抽出液内のPho80タンパク質の結合を調べた。大腸菌からGST-融合タンパク質として調製した(A)野生型、(B)E53A変異型、(C)K58A変異型それぞれのPho85をリガンドとしたカラムに、HAエピトープをつけたPho80タンパク質を産出している酵母抽出液を通し、特異的に結合するタンパク質を銀染色(左)と抗HA抗体によるイムノブロッティング(右)で調べた。矢印は抗HA抗体により認識されるPho80タンパク質の泳動度を示す。図7 酵母内からPho85キナーゼを含む免疫複合体を単離した。抗GST抗体をリガンドとしたカラムに、GST融合タンパク質を生産している酵母抽出液を通して特異的に結合するタンパク質を銀染色(A上,B)と抗GST抗体によるイムノブロッティング(A下)で調べた。野生型Pho85キナーゼのGST融合タンパク質を生産している場合、イムノブロッティング(A下)でGST-Pho85融合タンパク質(矢頭)が認識される画分(4-6)には、銀染色(A上)で他のタンパク質(A下)が認識された。同じカラムを用いて異なる酵母抽出液を通し、Aの5に相当する画分に含まれる総タンパク質を銀染色で調べた(B)。図8 細胞周期阻害剤のPHO系変異に及ぼす影響を調べた。対数増殖している菌体を集菌し107cells/mlに調整し10倍ずつの希釈液を図に示す処理をした完全培地に植菌した。HUはDNA合成を阻害するS期の細胞周期阻害剤である。BenomylはG2/M移行期を阻害する。また、MMSと紫外線照射はDNAの損傷を引き起こしS期のチェックポイント機構を活性化する。紫外線処理後は遮光して培養した。図9 pho85遺伝子破壊株内ではSic1タンパク質がより安定に存在した。MET3プロモーター下にPHO85遺伝子をGALIプロモーター下にSIC1遺伝子を繋げてメチオニンおよびガラクトースの添加により発現を制御した。メチオニンを含むガラクトース培地で培養してPho85キナーゼが無い状態でSic1タンパク質を産出させた酵母細胞を、メチオニンを含む(Pho85キナーゼは生産されない)あるいは含まない(Pho85キナーゼが生産される)グルコース培地に移植し、GALI-SIC1遺伝子の発現を止めた。移植後、図に示す時間毎に集菌した酵母細胞内でのSic1タンパク質をイムノブロッティングにより観察した。矢印はSic1タンパク質の位置を示す。図10 Pho85キナーゼがSic1タンパク質をin vitroでリン酸化した。大腸菌から精製したGST-Sic1融合タンパク質(S)、Pho4タンパク質(4)を基質として、酵母菌体から野生型およびE53A変異型のGST-Pho85タンパク質の抗GST抗体を用いた免疫沈降物によるin vitroでのリン酸化反応を行なった。
審査要旨

 本研究は、出牙酵母のサイクリン依存性プロテインキナーゼのひとつであるPho85キナーゼによる多面的な形質支配の機構を明らかにすることを目的として行われた。第一章では、遺伝学的方法によりpho85変異が多面的な形質変化を引き起こす現象を明らかにし、第二章では、Pho85蛋白質の機能ドメインを解析し、第三章では、Pho85キナーゼによる細胞周期制御について論じられている。詳細は以下のとおりである。

第一章Pho85キナーゼによる多面形質支配

 pho85遺伝子破壊株では、Pho5酸性フォスファターゼの活性が培地内の無機リン酸イオン濃度に依存せず構成的になる。このPhO5遺伝子の構成的発現以外に、pho85遺伝子破壊株は、増殖の遅延、ガラクトースや非発酵性の炭素源の資化異常といった表現型を示した。これらpho85遺伝子破壊株の表現型は全て、pho4遺伝子破壊により抑圧された。PHO4遺伝子はPHO5遺伝子の転写活性化因子であり、Pho85キナーゼによるリン酸化を受け不活化することが明らかになっている。つまり、Pho85キナーゼがPHO系のみならず、正常な増殖や炭素源の資化をもPho4タンパク質を介して調節している可能性を示唆する。Pho80タンパク質はPho85キナーゼのサイクリンとして機能する。pho80遺伝子破壊株はpho85遺伝子破壊株と同様にPho5酸性フォスファターゼの活性が構成的になるが、非醗酵性の炭素源の培地上では生育可能であった。このことからPho85キナーゼがPho80タンパク質以外のサイクリンと結合して炭素源の資化を制御し、しかも炭素源の資化の情報もまたPho4タンパク質を介している可能性が考えられる。

第二章Pho85キナーゼの機能ドメイン

 ATP結合領域、PSTAIRE配列、活性化リン酸化部位などCdkの機能に重要と考えられているアミノ酸配列は、Pho85キナーゼにおいても保存されている。これらのアミノ酸残基に点変異を導入して変異Pho85キナーゼを作成し、in vivoではPho5酸性フォスファターゼの活性と非醗酵性の炭素源上での生育状況、in vitroではキナーゼ活性を指標にPho85キナーゼの機能ドメインについて調べた。ATP結合領域内のY18,22F変異、PSTAIRE配列内のE53A変異、及びK58A変異はin vivoでPho85キナーゼとして機能しなかった。これらの変異はin vitroでのキナーゼ活性も低下していた。PHO80遺伝子の発現量を増やすことで、Y18,22F、K58A変異の活性はin vivo及びin vitroで回復したが、キナーゼ活性に必要な残基であるE53A変異の活性は失われたままであった。Y18,22F変異とK58A変異による活性の低下は、Pho80タンパク質との結合が弱まってサイクリンによる活性化を受けにくいためと考えられる。活性化リン酸化部位に相当するF165S166S167への変異はPho85キナーゼのin vivoでの機能に影響を及ぼさず、in vitroでも野生型と同程度のキナーゼ活性を持っていた。他のCdkのようなCdk Activating Kinase(CAK)のリン酸化による活性化の機構がPho85キナーゼに存在するかどうかはまだ明かではないが、S166S167残基はPho85キナーゼの機能に重要ではないことが言える。

 Y18,22F変異とK58A変異の活性の低下がPho80タンパク質との結合が弱くなっているためと予想し、変異Pho85キナーゼとPho80タンパク質との物理的な相互作用について調べた。大腸菌から調製した野生型、E53A変異、K58A変異のそれぞれのPho85タンパク質をリガンドとしたカラムに、Pho80タンパク質を過剰生産している酵母抽出液を通したところ、野生型及びK58A変異Pho85タンパク質のカラムでは特異的なPho80タンパク質の結合が観察され、E53A変異ではPho80タンパク質の結合は見られなかった。また、Pho80タンパク質が特異的に溶出される画分にはPho80タンパク質以外のタンパク質の存在が観察された。このことはPho85キナーゼがPho80タンパク質を含むいくつかのタンパク質と結合して複合体を形成して機能していることを示唆する。そこで、酵母細胞内で機能しているPho85キナーゼが含まれるタンパク質複合体を解析した。グルタチオン-S-トランスフェレース(GST)融合タンパク質としてPho85キナーゼを産出している酵母細胞抽出液を用い、抗GST抗体をリガンドとしたカラムに特異的に結合する免疫タンパク質複合体を調べた。野生型Pho85キナーゼの含まれる画分にはそれ以外のタンパク質も特異的に溶出されてきたが、機能を持たないE53A変異の場合あるいはpho80変異株から調製した細胞抽出液の場合には、野生型のGST-Pho85キナーゼの含まれる画分に含まれていた他のタンパク質は観察されなかった。つまり、酵母細胞内でPho85キナーゼが機能するためには、Pho80タンパク質を含んだタンパク質複合体形成が必要であり、Pho85キナーゼはPho80タンパク質を介してタンパク質複合体と結合することが予想される。

第三章Pho85キナーゼによる細胞周期制御

 Pho85キナーゼが細胞周期の進行に時期特異的に作用しているのであれば、細胞周期阻害剤に対する感受性が変化すると考え、細胞周期阻害剤のpho85遺伝子破壊株への影響を調べた。すると、pho85遺伝子破壊株はヒドロキシウレア(HU)に対して野生型より高い感受性を示した。pho80遺伝子破壊株は野生型株と同程度の、またpho85pho4二重遺伝子破壊株はpho85遺伝子破壊株と同程度の感受性を示したことから、HU存在下ではPho85キナーゼはPho80タンパク質以外のサイクリンによる活性化を受け機能することが予想される。紫外線照射やメチルメタンスルホン酸処理に対するpho85遺伝子破壊株の感受性が大きく変化しないことや、HU処理をしてもpho85遺伝子破壊株の生存率は顕著には低下しないことから、pho85遺伝子破壊株ではチェックポイントコントロール機構は機能しており細胞周期停止からの回復過程に障害があることが考えられる。

 HUはDNA合成を阻害して細胞周期をS期で止めることが知られているが、DNA合成はCdc28-Clb5,6複合体が促進し、このCdc28-Clb5,6複合体の活性はSic1タンパク質により阻害される。HUに対する感受性が高くなった原因として、pho85遺伝子破壊株ではSic1タンパク質が適切に分解されずにCdc28-Clb5,b複合体の活性が充分に上昇しないことを考え、Sic1タンパク質のpho85遺伝子破壊株内での安定性を調べた。すると、野生型株に比べpho85遺伝子破壊株ではSic1タンパク質はより長時間存在した。Sic1タンパク質は、リン酸化の修飾が引金となってユビキチン化され速やかに分解される。pho85遺伝子破壊株でSic1タンパク質がより安定に存在する可能性として、Pho85キナーゼによるリン酸化がユビキチン化を介した分解に関係していることを予想し、Sic1タンパク質がin vitroでPho85キナーゼの基質となるかを調べた。大腸菌から調製したSic1タンパク質は、Pho85キナーゼによりリン酸化された。pho85遺伝子破壊株内でのSic1タンパク質の安定化とin vitroでのPho85キナーゼによるリン酸化より、CKIの分解を制御するCdkとしてPho85キナーゼが細胞周期を調節する可能性が示唆される。

 以上のように、本論文はPho85キナーゼの新規な細胞機能を明らかにしている。とくに、細胞周期制御について新しい作用機構をs提案している。発表論文は共著であるが、実験計画とその遂行は申請者によって行われたものである。このような評価に基づき、本研究は博士(理学)の学位に十分値するものであることが審査員全員の一致により認められた。

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