学位論文要旨



No 112506
著者(漢字) 太田,博樹
著者(英字)
著者(カナ) オオタ,ヒロキ
標題(和) 東南アジアおよび東アジアの古人類集団のDNA分析
標題(洋) DNA Analysis of Ancient Human Populations in Southeast and East Asia
報告番号 112506
報告番号 甲12506
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3286号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 植田,信太郎
 札幌医科大学 助教授 石田,肇
 東京大学 教授 青木,健一
 東京大学 教授 馬場,悠男
 東京大学 助教授 石田,貴文
内容要旨 第一章1)古DNA研究の歴史

 過去の生物の遺伝情報を分析することが可能なら、過去の生物の進化の歴史を直接論じることができる。そこで、12年ほど前から古DNAの研究が開始され、さまざまな生物種で古DNA分析は試みられてきた。ヒトに関しては、ミイラや骨からDNAが抽出され、PCR法による増幅がなされてきた。試料の保存状態によっては、約7,000〜8,000年前の人骨で分析が可能であることが証明されている。

2)本研究の重要性

 現在までの古人骨DNA分析は、古い試料でのDNA分析の可能性を生化学的に証明する研究が大半を占めてきた。方法論において一定の確立をみた現在、重要なことは古人骨DNAを分析して"何を知りうるか"である。私は古代社会がどのような遺伝的背景をもつ人々により構成されてきたかを探ることを目的とし、古人骨DNA分析の方法の改良をおこない、一つの遺跡から出土した多くの人骨を分析し、その遺跡(古代社会)を構成した人々の遺伝的構成を明かにした。また、この技術をもちい後期旧石器時代(約12,000〜25,000年前)の古人骨DNA分析に成功した。

第二章古人骨DNA分析の方法

 より多くの試料を分析し、信頼性の高いデータを得るための、実験手順のシステム化をした。DNA抽出は従来の方法より単純化、小規模化することにより、短時間でより多くの試料を処理できるよう改良した。また、UV照射がDNA鎖を破壊する性質を利用した、コンタミネーション除去の方法を随所に採用した。

第三章タイ・マレー半島中央部の二つの洞窟の新石器時代および後期旧石器時代の地層から出土した人骨のDNA分析

 タイ・マレー半島中央部のSakai洞窟出土の新石器時代の4個体およびMoh Khiew洞窟出土の後期旧石器時代の1個体の歯根部からDNAを抽出し、試みた検体すべてでPCR法による増幅に成功した。これらはいずれもアジアにおける最古の古人骨DNA分析の成功例である。古代人の分析にくわえ、現在マレー半島中央部にすんでいるMalayを6個体、マレー半島の先住民であるSenoiを12個体分析した。ミトコンドリアDNAの塩基配列をもちい近隣結合法で系統樹を構築したところ、新石器時代の個体は現存のSenoiに対し比較的高い親和性を示した。マレー半島の考古学的知見および言語学的知見と、今回の古代人および現代人の分析結果は矛盾しないものであった。

図1
第四章九州・弥生時代遺跡出土人骨の遺伝学的研究

 北部九州・詫田西分貝塚遺跡は弥生時代遺跡で、二つの埋葬様式、甕棺と土壙墓から人骨が出土した点で特徴的である。出土した112個体の人骨のうち37個体は甕棺から、75個体は土壙墓から出土した。このうち35個体(甕棺9個体、土壙暮26個体)についてDNA分析をおこなったところ、26個体(甕棺9個体、土壙墓17個体)のミトコンドリアDNA増幅に成功した。26個体から11配列がみつかり、これらの塩基配列から最大節約法で系統樹を構築した(図1;円の大きさは各配列の頻度に比例している。Kは甕棺、Dは土壙暮を示す)。矢印でしめしたcircldeAに甕棺出土人骨が集中している。反対に土壙墓出土人骨はcircleA以外の配列に分散している。この分布の偏りが偶然であるか否かをFisherの直接確率計算法で検定したところ、5%水準で有意差があると判定された。この結果から、二つの可能性がしめされた。もし二つの埋葬様式が同時代に存在した場合、死者を埋葬する際、遺伝的関係が考慮されていた可能性がある。一方、二つの埋葬様式がことなる時代に存在した場合、ことなる文化と遺伝的構成をもった人々がある特定の時代、この遺跡に流入した可能性がある。

第五章中国・山東省より出土した約2,000年前の人骨の系統分析

 中国・山東省Linzi遣跡から出土した、約2,000年前の人骨42個体のDNA分析をおこなった。その結果、24個体のミトコンドリアDNA増幅に成功した。そして塩基配列を決定し、塩基多様度を算出したところ現代の東アジア5集団(台湾中国人、韓国人、本土日本人、アイヌ、沖縄人)とほぼ同程度の多様性をしめした。そこで世界中の人類集団のうちどの集団とLinziの人々は遺伝子頻度などにおいて共通性を示すかを探るために、日本DNAデータバンク(DDBJ)に登録されている世界中のさまざまな人類集団の塩基配列データの収集をおこなった。インターネットを介し、集めた2,000を越えるヒトのミトコンドリアDNAのデータのうち、ヨーロッパ、アフリカを除く人類集団のデータは、中東、東ユーラシア、アメリカ大陸あわせて約700個体分あった。MT1+4と名付けた185bpの配列を比較した結果、これらのうち340配列は互いにことなる配列であった。この340配列から系統ネットワーク(最大節約法による系統樹に似た一種のグラフ)を構築した。この巨大ネットワークにはStar-like cluster(一つの配列を中心として星状に枝が伸びる形のクラスター)が20個みとめられた。このような星状の中心となる配列は過去における人口の爆発的増加の中心であった可能性が指摘されており(Sheny et al.,1994)、ヨーロッパではこのような星状の中心となる配列の一つをきわめて多くの個体が共有していることが報告されている(Richards et al.,1996)。今回構築した巨大ネットワークから、中東、東ユーラシア、アメリカ大陸でも少なくとも20配列を中心とする人口爆発があったことが予想される。また、この人口爆発の時期が先行の研究の推定値などをもとに概算された。そのうちの一つ、本州日本人と韓国人を最も多く含む配列の人口爆発の時期は3万年〜1万年以上前と推定された。次にStar-like clusterの中心から6個のグループ(A、A’、B、C、D、E)に分割し、それぞれのグループに各人類集団(地理的集団、民族的集団、ことなる時代の集団)がどのような頻度で分布しているかを調べた。その結果、本州日本人、韓国人、アイヌ、沖縄人は比較的似た頻度パターンをしめす一方、モンゴル人、アメリカ先住民、東南アジアおよび太平洋の人々、トルコ人はそれぞれ特徴ある頻度パターンをしめした。台湾中国人は全体としては他の東アジアの集団(本州日本人、韓国人、アイヌ、沖縄人)およびモンゴル人、アメリカ先住民)と似ていたが、グループEが比較的高い頻度を示すという点でそれらと異なっていた。そして、今回分析した約2,000年前の山東省のLinzi遺跡から出土した集団は、現代台湾中国人(漢民族)と最も似た頻度パターンをしめすことが判明した。これらの分析結果は現代日本人の形成に関して、次のような示唆を与えた。すなわち、1)現代日本人の大半が約3万年〜1万年以上前に起こった、人口の爆発の結果、朝鮮半島および日本列島に形成された集団である。また、2)約2,000年前の山東半島における遺伝子頻度パターンは現在の台湾中国人にみられる遺伝子頻度パターンと似ていたことから、約2,000年前にはすでに現代台湾中国人(漢民族)にみられる遺伝的構成が形成されていたと考えられる。さらに、このパターンは現代本州日本人とも弥生時代人ともことなっていた。したがって、もし弥生時代の大陸からの渡来民の原郷が山東半島と考えた場合、渡来民の遺伝子流入が現代日本人の遺伝的構成に大きな影響は与えた可能性は低いとおもわれる。また渡来民の原郷が朝鮮半島と考えた場合、渡来民と在来民の間に遺伝的差はほとんどなかったであろう。3)第4章にしめしたように、埋葬文化と遺伝的背景の関連性をしめす結果を考慮しても、弥生時代に渡来があったことは事実と考えられる。また、細部において本州日本人、韓国人と、アイヌ、沖縄人の間には頻度パターンの差があったことから、日本列島人類集団に二重構造が存在するのは事実と思われるがこれは埴原(1991)の提唱した二重構造とは別のものである。

参考文献Sherry,S.T.,Rogers,A.R.,Harpending,H.,Soodyall,H.,Jenkins,T.and.Stoneking,M.(1994)Mismatch distributions of mtDNA reveal recent human populations expansions.Hum.Biol.66:761-775.Richards,M.,Corte-Real,H.,Forster,P.,Macaulay,V.,Wilkinson-Herbots,H.,Demaine,A.,Papiha,S.,Hedges,R.,Bandelt,H-J.and Sykes,B.(1996)Paleoplithic and Neolithic Lineages in European Mitochondrial Gene Pool.Am.J.Hum.Genet.59:185-203.Horai,S.,Kondo,R..,Murayama,K.,Hayashi.,Koike,H.,and Nakai,N.(1991)Phylogenetic affiliation of ancient and contemporary humans inferred from mitochondrial DNA.Phil.Trans.R.Soc.Lond.B333:409-417.Hanihara,K.(1991)Dual structure model for the population history of the Japanese.Nei,M.(1995)The origins of human populations:Genetic,linguistic,and archaeological data.In:The Origin and Past of Modern Humans as Viewed from DNA (Brenner,S.and Hanihara,K.Eds.),World Scientific,Shingapore,pp.71-91.
審査要旨

 本論文は5章からなり、第1章は、古DNA研究の歴史と本研究の重要性、第2章は、古人骨DNA分析の方法論、第3章は、タイ・マレー半島中央部の二つの洞窟の新石器時代および後期旧石器時代の地層から出土した古人骨の DNA分析結果、第4章は、九州・弥生時代遺跡出土古人骨のDNA分析結果にもとづく古代社会の構造、第5章は、中国(山東省)・前漢時代の遺跡から出土した古人骨のDNA分析結果にもとづく人類集団遺伝学的解析結果とくに日本人の起源、について述べられている。

 タイ・マレー半島中央部の二つの洞窟の新石器時代および後期旧石器時代の地層から出土した古人骨のDNA分析では、タイ・マレー半島中央部のSakai洞窟出土の新石器時代の4個体およびMoh Khiew洞窟出土の後期旧石器時代の1個体の歯根部からDNAを抽出し、試みた検体すべてでPCR法による増幅に成功した。これらはいずれもアジアにおける最古の古人骨DNA分析の成功例である。古代人の分析にくわえ、現在マレー半島中央部にすんでいる Malayを6個体、マレー半島の先住民であるSenoiを12個体分析している。ミトコンドリアDNAの塩基配列をもちい近隣結合法で系統樹を構築したところ、新石器時代の個体は現存のSenoiに対し比較的高い親和性を示す結果を得ている。これは、マレー半島の考古学的知見および言語学的知見と矛盾しないものであった。

 九州・弥生時代遺跡出土古人骨のDNA分析結果にもとづく古代社会の構造解析では、北部九州・詫田西分貝塚遺跡は弥生時代遺跡から出土した古人骨のDNA分析をおこなっている。この遺跡は、二つの埋葬様式、甕棺と土壙墓から人骨が出土した点で特徴的である。出土した112個体の人骨のうち37個体は甕棺から、75個体は土壙墓から出土している。このうち35個体(甕棺9個体、土壙暮26個体)についてDNA分析をおこない、26個体(甕棺9個体、土壙墓17個体)のミトコンドリアDNA増幅とその塩基配列の決定に成功している。最大節約法で遺伝子系統樹を構築、系統樹上での分布の偏りが偶然であるか否かをFisherの直接確率計算法で検定したところ、5%水準で有意差があった。このことから、もし二つの埋葬様式が同時代に存在した場合、死者を埋葬する際、遺伝的関係が考慮されていた可能性を、二つの埋葬様式がことなる時代に存在した場合、ことなる文化と遺伝的構成をもった人々がある特定の時代にこの遺跡に流入した可能性があること、を示した。

 中国・前漢時代の遺跡から出土した古人骨のDNA分析結果にもとづく人類集団遺伝学的解析では、山東省Linzi遺跡から出土した約2,000年前の人骨42個体のDNA分析をおこない、24個体のミトコンドリアDNA増幅とその塩基配列の決定に成功している。塩基多様度を求め、現代の東アジア5集団(台湾中国人、韓国人、本土日本人、アイヌ、沖縄人)とほぼ同程度の多様性を示す結果を得ている。世界中のさまざまな人類集団の塩基配列データを収集し、2,000を越えるヒトのミトコンドリアDNAのデータを集めた。このうち、ヨーロッパ、アフリカを除く人類集団のデータは、中東、東ユーラシア、アメリカ大陸あわせて約700個体分あった。系統ネットワーク(最大節約法による系統樹に似た一種のグラフ)を構築し、Star-like cluster(一つの配列を中心として星状に枝が伸びる形のクラスター)を20個みとめた。このような星状の中心となる配列は過去における人口の爆発的増加の中心であった可能性が指摘されており、ヨーロッパではこのような星状の中心となる配列の一つをきわめて多くの個体が共有していることが報告されている。今回構築した巨大ネットワークから、中東、東ユーラシア、アメリカ大陸でも少なくとも20配列を中心とする人口爆発があったことが予想される。そして、これら人口爆発の時期を概算し、本州日本人と韓国人を最も多く含む配列の人口爆発の時期は3万年〜1万年以上前と推定した。Star-like clusterの中心から6個のグループを分割し、それぞれのグループに各人類集団がどのような頻度で分布しているかを調べた結果、本州日本人、韓国人、アイヌ、沖縄人は比較的似た頻度パターンをしめす一方、モンゴル人、アメリカ先住民、東南アジアおよび太平洋の人々、トルコ人はそれぞれ特徴ある頻度パターンを示す結果を得ている。台湾中国人は全体としては他の東アジアの集団(本州日本人、韓国人、アイヌ、沖縄人、モンゴル人、アメリカ先住民)と似ていたが、グループEが比較的高い頻度を示すという点でそれらと異なっていた。そして、今回分析した約2,000年前の山東省のLinzi遺跡から出土した集団は、現代台湾中国人と最も似た頻度パターンを示していた。これらの結果から、現代日本人の形成に関して次のような推測をおこなっている。1)現代日本人の大半は、約3万年〜1万年以上前に起こった人口の爆発によって朝鮮半島および日本列島に形成された集団から構成されている。2)約2,000年前には現在の中国人にみられる遺伝子頻度パターンがすでに形成されていた。このパターンは現代本州日本人とも弥生時代人とも異なっている。したがって、もし弥生時代の大陸からの渡来民の原郷が山東半島と考えた場合、渡来民の遺伝子流入が現代日本人の遺伝的構成に大きな影響は与えた可能性は低いとおもわれる。また渡来民の原郷が朝鮮半島と考えた場合、渡来民と在来民の間に遺伝的差はほとんどなかったと考えられる。第4章に示した埋葬文化と遺伝的背景の関連性を示す結果や、細部において本州日本人、韓国人と、アイヌ、沖縄人の間には頻度パターンの差があったことから、日本列島人類集団に二重構造が存在するのは事実と思われるが、本研究結果は、埴原(1991)とは別の意味での二重構造説を示すものであった。

 なお、本論文第4章は斎藤成也・松下孝幸・植田信太郎との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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