学位論文要旨



No 112507
著者(漢字) 王,冰
著者(英字) Wang,Bing
著者(カナ) ワン,ビン
標題(和) マウス胚肢芽細胞の生体内および試験官内放射線誘発アポトーシス
標題(洋) Radiation-Induced Apoptosis in Mouse Embryonic Limb Bud Cells in vivo and in vitro
報告番号 112507
報告番号 甲12507
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3287号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋,昭紘
 東京大学 教授 鈴木,紀夫
 東京大学 教授 塩川,光一郎
 東京大学 助教授 三谷,啓志
 東京大学 助教授 松田,良一
内容要旨

 器官形成に関する研究は、従来、細胞の増殖、分化の観点から進められてきた。しかし、最近、プログラムされた細胞死がそれらと同等の重要性をもっていること、さらに、増殖、分化と細胞死が適時、適所でバランスよく正確に起こることが胚発生に必須であることが明らかになってきた。

 これにともない、今日、細胞死は発生生物学の新たな課題として注目されはじめ、多くの生体構造体の形作りへの関与も報告され始めている。また、予定外の細胞死が様々な発生異常を生ずることを示唆する報告もあり、その重要性を一層明白なものとしている。

 奇形形成に対する関心は今世紀初頭より始まった。催奇性因子の一つとして、放射線は他の因子に比べて、先天性奇形の発生機構の研究において比類のない特性をもっている。すなわち、放射線照射は、その物理的特性から、胚発生の任意の時期に短時間に行うことができる。これに対し、他の多くの催奇性因子は、投与後に体内残留、代謝による影響も絡んでくる。放射線による催奇形に関しては研究が進んでおり、器官形成期の照射により、時期に特異的な奇形が起こることも明らかになっている。しかし、その機構とくに細胞死との関連については、まったく研究が進んでいない。

 発生過程における細胞死に関しては、肢芽形成についてとくに研究が多い。肢芽の形態形成過程における細胞死は、通常、プログラム細胞死と呼ばれるが、その特性は、多くの生理的、病理的要因に対する生体調節、防御機構として脚光を浴びているアポトーシスと呼ばれる細胞死と本質的に同一である。プログラム細胞死とアポトーシスの発現分子機構の共通点も明らかになってきている。したがって、以下、正常発生過程でのプログラム細胞死を自発性アポトーシスと呼ぶ。

 一方、多くの正常細胞やがん細胞の放射線誘発アポトーシスについての研究が進められ、多くの細胞において放射線誘発アポトーシスはp53がん抑制遺伝子産物依存性に起こるが、生理的要因によるアポトーシスのほとんどは非依存性に起こるなど、両者が異なる発現機構を介することも報告されている。

 本研究では、ICRマウスを用いて、指形成の直前の準備期である胎齢11日および11.5日に照射し、その影響について、1)マイクロマス培養系、2)生体内観察、ならびに、3)肢芽器官・組織培養系の、3つの実験系について研究を行った。この時期の肢指は、まだ、塊状突起にすぎない肢指原基の状態(肢芽)であり、放射線感受性が高いことが知られている。これらの研究によって、肢指発生過程での、自発性アポトーシスと放射線誘発アポトーシスの出現を検出、確認し、その機構について調べると共に、まだ、研究が行われていない奇形発生における細胞死の関与について明らかにすることを目的とした。

(1)マイクロマス培養系

 この系は、高密度細胞培養で間充織細胞の細胞増殖と分化(軟骨化)を研究するために確立されたもので、これを用いて肢芽細胞について検討した。胎齢11日及び11.5日の肢指原基細胞を用いて、放射線の阻害効果について先ず検討したところ、4日培養後に測定したID50線量は、増殖については6.1Gyであるのに対し、分化については5.2Gyとなり、放射線による阻害効果は、細胞増殖より細胞分化においてより大きいことがわかった。紫外線照射の場合でも細胞分化が細胞増殖よりも高感受性であることが示された。

 さらに、この系における放射線誘発アポトーシスと、自発性アポトーシスについて検討した。アポトーシスの形態的特徴であるクロマチン凝縮を指標として、X線線量依存性の放射線誘発アポトーシス誘導が観察された。上記のID50線量に近い5Gy照射では、胎齢11日照射で、放射線誘発アポトーシスが自発性アポトーシスに先行し、照射後8-10時間でピークとなり(アポトーシス出現率が35-40%)、胎齢11.5日照射では、照射した方がやや高いが、両者ほぼ並行して、照射4時間後にピークとなった。ここでみられたアポトーシスは、典型的なアポトーシスであることが、その生化学的特徴であるDNA断片化の電気泳動によるラダー検出で確認された。

 放射線誘発アポトーシスに関連すると考えられているp53タンパク質が、ウェスタンブロットと組織化学的検出法による検索から、照射3時間後で、著しく増量していること、一方、自発性アポトーシスの際にはほとんど増量しないことがわかった。このことは、両細胞死の発現機構が異なることを示唆する。

(2)生体内観察実験

 さらに、アポトーシスと奇形発生の関連を調べるため、妊娠マウスを胎齢11日及び11.5日に照射し、短時間でのアポトーシス出現の部位を調べると共に、出産直前の胎児の肢指の奇形を調べた。

 ヘマトキシリン-エオシン染色による組織像、透過型電子顕微鏡観察ならびに免疫組織化学的方法(TUNEL法によるDNA切断検出)により、アポトーシスを観察した。上記の観察で、肢指原基に形態学的に異なる2種類の細胞-1)前-指・間充織細胞(pre-digital mesenchymal cells)および、2)前-指間・間充織細胞(pre-interdigital mesenchymal cells)が見られた。自発性アポトーシスは、主として前-指間・間充織細胞に見られるのに対し、照射後のアポトーシス細胞は前-指・間充織細胞に局在していた。すなわち、X線5Gyを照射した前肢芽と後肢芽の前-指域では、照射4時間後、各45%および46%のアポトーシス細胞が検出されたのに対し、両肢芽の前-指間域では5-6%に過ぎなかった。なお、非照射対照の自発性アポトーシスは、いづれも5%以下であった。また、p53タンパク質の存在量は、前-指・間充織細胞部域にのみ高く見られた。これらの結果は、放射線誘発アポトーシスが、発生過程での自発性アポトーシスと異なる部域、すなわち将来指となる細胞に起こっていることを示している。

 出産直前の胎齢19日の胎児について観察した結果、胎齢11日及び11.5日の5Gy照射により、すべての生存胎児に奇形が認められ、障害の重篤度は後肢により高く、主としてectrodactyly(指掌骨欠損を伴う肢指奇形)であり、前肢には主としてaphlangy(指の骨の欠損を伴う肢指奇形)が見られた。この結果は、放射線による異所性のアポトーシスの奇形発生への関与を示唆するものである。

(3)肢芽器官培養および組織培養系での実験

 この実験系では、(1)マイクロマス培養系と(2)生体内観察をつなぐ実験系であり、生体内観察における他部位からの遠達効果(abscopal effect)を排除でき、かつ、マイクロマス系では観察できない組織部位特異的なアポトーシスの出現を検出できる。器官培養では、切り出した肢芽組織(胎齢11日及び11.5日に摘出したもの)を照射後、半日間培養した。この系で、照射後、ナイルブルー染色観察により死細胞を貪食したマクロファージが前-指間・間充織組織の末端部に多数検出され、また、ヘマトキシリン-エオシン染色標本の観察でもアポトーシスが同部位に高率に検出された。

 前肢の前-指部域と前-指間部域を別々に組織培養したところ、5Gy照射後、前-指部域では照射後2時間からアポトーシス細胞が増加し、4時間目に約50%に達し、以後漸減した。一方、この系でも前-指間・間充織細胞は自発性アポトーシスを起こすが、放射線によるアポトーシスはほとんど起こらなかった。これら器官培養、組織培養系での実験により、生体内観察系で観察された照射によるアポトーシスが、前-指部域に高率に生じていることを確認できた。

 以上の結果は、1)放射線は、肢芽の形態形成に対し、アポトーシスを誘導することにより催奇形性を示す可能性が高いこと、2)発生段階の異なる細胞は異なる放射線感受性を示すこと、3)後続する発生段階で増殖と分化を行う前-指・間充織組織に局在する細胞が、きわめて高い放射線感受性を示し、照射後鋭敏にアポトーシスを起こすこと、4)自発性アポトーシスを起こす運命にある、前-指間・間充織組織にある細胞は、放射線誘発アポトーシスをほとんど起こさないこと、5)他の放射線高感受性組織について報告されていたのと同様に、前-指部域の細胞では、放射線誘発アポトーシスと相関して、p53タンパク質量が増えたことから、この細胞死がp53依存性である可能性が考えられる。また、自発性アポトーシスでは、p53タンパク質量の増量はないので、p53非依存性であると考えられ、その分子機構が異なることなどを示していると考えられる。

 本研究の最も重要な知見は、これまでまったく報告のなかった、放射線誘発奇形の成因として、アポトーシスの関与を強く示唆したことである。すなわち、正常発生時には細胞死が生じない前-指・間充織組織に放射線誘発アポトーシスが選択的に生じ、それが奇形の原因となっているのであろう。同様の機構は、放射線に限らず、p53依存性アポトーシスを起こすとされるDNA損傷性の催奇形誘因にもあてはまる可能性が高く、さらに、肢指形成のみならず、他の器官形成にも働いていることが十分考えられ、本研究の成果は、催奇形性機構の研究に新たな展望を与えるものと考えられる。

審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章では、マウス肢芽細胞高密度(マイクロマス)培養系における細胞増殖、分化とアポトーシスに対する放射線の影響を調べ、第2章では、胎内照射を受けたマウス胎児肢芽におけるアポトーシス細胞の局在性、第3章では、さらに肢芽器官培養系におけるアポトーシス細胞の局在性について述べられている。

 器官形成には、細胞の増殖、分化のみならずプログラム細胞死(アポトーシス)も必須である。予定外の細胞死が様々な発生異常を生ずることを示唆する報告もあり、細胞死の重要性を一層明白なものとしている。一方、放射線は催奇性因子の一つであり、器官形成期の照射により、時期に特異的な奇形が起こることが明らかにされている。しかし、その機構とくに細胞死との関連については、まったく研究が進んでいない。

 そこで、本研究では、マウス(ICR)肢芽発生系を用い、放射線奇形と放射線誘発アポトーシスの関係を明らかにすることを目的とした。すなわち、指形成の直前の準備期であり、放射線により奇形が誘発されやすい胎齢11日および11.5日に照射し、その影響について、1)マイクロマス培養系、2)胎内照射系、ならびに、3)肢芽器官・組織培養系の、3つの実験系について経時的にアポトーシスの検出を行い、とくに第2の胎内照射系ではアポトーシスと奇形発生の関連についての解析も行った。

 第1章では、胎齢11日の胎児より肢芽原基細胞を取り出し、マイクロマス培養を行い、X線照射後、細胞増殖、分化ならびにアポトーシス細胞の出現を観察した。放射線誘発アポトーシスは、照射後8-10時間でピークとなり、自発性アポトーシスに先行して発現した。アポトーシスは、生化学的特徴であるDNA断片化の電気泳動によるラダー検出でも確認された。また、放射線・紫外線照射に対し、細胞分化が細胞増殖よりも高感受性であることもわかった。さらに、照射後、アポトーシス関連遺伝子産物のひとつであるp53タンパク質の発現増加があることも検出した。

 第2章では、組織像、電顕観察ならびにTUNEL法により、照射後のアポトーシスは、前-指・間充織細胞(pre-digital mesenchymal cells)に見られるのに対し、自発性アポトーシスは、前-指間・間充織細胞(pre-interdigital mescnchymal cells)に局在していることを見いだした。p53は、照射後増加するが、その発現は、前-指・間充織細胞部域にのみ高かった。一方、自発性アポトーシスでは、p53は、ほとんど増量しなかった。これらの結果は、放射線誘発アポトーシスが、発生過程での目発性アポトーシスと異なる部域で、異なる機構により起こっていることを示している。

 出産直前の胎齢19日の胎児について観察した結果、5Gy照射により、すべての生存胎児に肢指奇形が認められた。この結果は、放射線による器官原基のアポトーシスが奇形発生に関与していることを強く示唆している。

 第3章においては、肢芽器官培養系を用いることにより、第2章で観察した自発性アポトーシスと放射線誘発アポトーシスの局在性の差異を再確認すると共に、この現象が肢芽細胞そのものへの放射線作用の結果であり、他部位に対する放射線影響の二次的な作用ではないことを示した。

 以上、本研究の結果は、以下のように要約される。

 1)放射線は、予定外の剖位にアポトーシスを誘導することにより催奇形性を示す。

 2)発生段階の異なる細胞は異なる放射線感受性をもつ。

 3)後続する発生段階で増殖と分化を行う前-指・間充織組織に局在する細胞が、きわめて高い放射線感受性を示し、照射後鋭敏にアポトーシスを起こす。

 4)自発性アポトーシスを起こす運命にある、前-指間・間充織組織にある細胞は、放射線誘発アポトーシスを起こさない。

 5)前-指部域の細胞では、放射線誘発アポトーシスと相関して、p53タンパク質量が増えたことから、この細胞死はp53依存性である、と判断される。一方、自発性アポトーシスでは、p53タンパク質量の増量はないので、p53非依存性であり、その分子機構が異なることを示している。

 本研究の最も重要な知見は、放射線誘発奇形の成因として、アポトーシスの関与を明らかにしたことである。すなわち、正常発生時には細胞死が生じない前-指・間充織組織に放射線誘発アポトーシスが選択的に生じ、それが奇形の原因となっている。同様の機構は、放射線に限らず、p53依存性アポトーシスを起こすとされるDNA損傷性の催奇形誘因にもあてはまる可能性が高く、さらに、肢指形成のみならず、他の器官形成にも働いていることが十分考えられ、本研究の成果は、催奇形性機構の研究に新たな展望を与えるものと考えられる。

 なお、本論文の第1章は藤田和子、内田信裕、三谷啓志、山田武、嶋昭紘との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験計画を立てそれらを実施し、得られた結果の考察をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54568