学位論文要旨



No 112509
著者(漢字) 木曽,太郎
著者(英字)
著者(カナ) キソ,タロウ
標題(和) サメ類の歯及び鱗の化学的性質とその進化的意味付け
標題(洋) Chemical properties of shark teeth and scales and their evolutionary implications
報告番号 112509
報告番号 甲12509
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3289号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 棚部,一成
 東京大学 教授 谷内,透
 鶴見大学 助教授 後藤,仁敏
 東京大学 助教授 中嶋,悟
 東京大学 助教授 大路,樹生
内容要旨

 歯は脊椎動物が古くから持っている構造のひとつであり、脊椎動物にとって重要な上皮-間充織相互作用によって形成されるため進化学的にも発生学的にも興味が持たれてきた。とくに古生物学や発生学の分野では歯の進化や発生のプロセスが形態の記載を基に調べられ、発生と進化の関係が議論されてきた。しかし、これまでの歯に関する進化学的議論では、石灰化のプロセスや基質の形成といった材質の要素に関しては十分に考慮されていなかった。そこで著者は歯の組織の生化学的、生鉱物学的側面を種間或いは、器官間で比較し歯の形態形成の進化的意義を考究することを目指して研究を行った。材料はサメの仲間を用い、一つには象牙質の構造を異にするネズミザメ目2種(ネズミザメ、ホホジロザメ)とメジロザメ目1種(ヨシキリザメ)の比較を通して、象牙質の形成機構の違いを考察した。また哺乳類のエナメル質とサメ類のエナメロイドとの間に進化的にどのような関係があるかを明らかにする目的で、ネズミザメ目のエナメロイドの形成プロセスを材質的側面も含めて検討した。そして更に、歯の進化に関して問題となっている皮歯、即ちサメの鱗と歯との関係について、その石灰化メカニズムや基質形成に関連して考究した。

 1)象牙質の形成についての研究:象牙質には構造的に大きく異なる2つのタイプが知られている。それらは、一つの随を持ち発達した象牙細管を有する真正象牙質、および多数に分岐した髄を持ち象牙細管が未発達な骨様象牙質の二つである。本研究では形態以外の側面をそれぞれの象牙質を持つ比較的近縁な種類で比較し、石灰化や基質形成に関して2つのタイプの相違を議論した。

 EPMAによって象牙質に含まれる元素を分析した結果、骨様象牙質を有するネズミザメ目の2種と、真正象牙質を有するメジロザメ目1種の間にカルシウムやナトリウム、フッ素の濃度及びそれら元素の象牙質内での分布パターンに違いを認めることが出来なかった。ところがマグネシウムに関しては真正象牙質では骨様象牙質の3倍近い濃度を示し、両タイプに顕著な違いのあることが分かった。次亜塩素酸ナトリウムによる有機基質の除去によってもマグネシウム量の違いに変化はないことから、この違いは鉱物質に含まれるマグネシウム量の違いに帰因する。一方、有機基質については電気泳動によってタンパク質の分子量を比較したところ双方の象牙質で違いのあることが分かり、糖鎖の結合の有無についても違いのあることが分かった。更に、骨様象牙質を有するネズミザメの歯の抽出物に対するポリクローナル抗体を作成し、これを用いてネズミザメとヨシキリザメの象牙質基質の可溶性成分についてイムノブロットを行ったところ、この2種の間で異なるパターンを示した。同じサンプルについてELISAを行っても、この2種では異なるパターンを示した。これらの分析結果から、2種の象牙質において異なる分子種が含まれているか、もしくはいくつかの同じ分子種が異なる比率で含まれていることが示唆される。この抗体を用いた成熟歯の免疫組織化学的観察は、同じ骨様象牙質を有するホホジロザメで反応したが、ヨシキリザメでは反応は認められなかった。従って、特に可溶性の成分について有機基質は2つの象牙質で異なっていることが分かった。以上の結果から、二つの種類の象牙質で認められたマグネシウム含有量の差異は、石灰化に伴うイオンの輸送様式の違いに起因すると考えられる。また、2つの象牙質のタイプは石灰化と基質形成におけるプロセスにも相違のあることが示唆された。

 2)エナメロイドの形成について:これまで石灰化と基質形成の双方が上皮細胞によって行われるエナメル質とエナメロイドが進化的に繋がるのかどうかが議論の対象になってきた。しかし、エナメロイドは上皮によって形成されるという説と間充織によって形成されるという説があり決着を見ていない。論争の原因は細胞の形態変化といった解剖学的な指標を基にしているためで、本研究では生理的条件をより直接的に示す化学的データに依拠してエナメロイドの形成を調べた。とくに、石灰化については産物としての無機元素の分布や濃度を指標とし、また基質形成については走査型電子顕微鏡(SEM)による観察と組織化学を結び付けて細胞との関連を議論し、基質タンパクについては間充織由来である象牙質の基質との比較を行った。その結果、3種のサメでナトリウム、カルシウム、マグネシウムの濃度と分布様式が極めてよく類似することが判明した。ナトリウムやマグネシウムなどの微量な元素の分布と濃度は従来の哺乳類のエナメル質についての分析結果とも対応することが解った。哺乳類のエナメル質が上皮細胞による石灰化によって形成されることから、サメ類においても上皮による石灰化が行われていると考えられる。SEM観察によりホホジロザメのエナメロイド基質に非コラーゲン性の線維とメジロザメ目等には見られない胞状構造物(vacuole)が観察されたが、胞状構造物については象牙芽細胞からくびれによって形成され、また非コラーゲン線維についても象牙芽細胞にまとわりついている像が認められた。このことからエナメロイド基質は象牙芽細胞によって形成されることが確認された。可溶性のタンパク質については、エナメロイドの脱灰抽出物と象牙質の脱灰抽出物とで同じ成分が含まれているという結果が得られたので、エナメロイドの可溶性基質が象牙質の基質と同じ起源を持っていることが示唆される。ただし、基質形成期の可溶性成分と成熟歯の抽出物では異なる成分が含まれていることがELISAや、イムノブロットの結果から判明し、生化学的に基質の成熟期の存在が確認された。この成熟期には糖質の出現が組織化学的に認められるが、この研究では象牙芽細胞側からの糖質の出現が示された。従って、糖質は象牙芽細胞に由来する。以上の生化学的データはエナメロイドの哺乳類のエナメル質とは異なった結果であり、基質形成に関して言うとエナメル質とエナメロイドは進化的に繋がらない、つまりエナメロイドがエナメル質の祖先ではないと結論づけられる。さらにネズミザメ目では基質形成の際に他のサメ類に見られない特徴的な構造である胞状構造物が観察されるが、以下のような考察によってネズミザメ目が特徴的な骨様象牙質を有することと関連があると考えられる。骨様象牙質は真正象牙質と比べてマグネシウム量に大きな差を示すことは、象牙質形成の際に象牙芽細胞のくびれによって生じる小胞が多量のマグネシウムを含んでいることを考え併せると、象牙質の違いに伴って小胞の形成に差があると考えることができる。そして、エナメロイドにおける特徴的な胞状構造も象牙芽細胞のくびれによって生じることが示されたからである。

 3)皮歯と歯の関係について:歯の起源に関して鱗が口腔に入ることによって出現したとする説が古くから在るが、その根拠になっているのは構造的な同一性である。同じサメ類でも象牙質やエナメロイドの形成に関して材質的な多様性があることがわかったので、同じ個体の歯と皮歯の発生学的関係について比較を試みた。無機元素の分析により、ネズミザメ目のサメにおいては皮歯の石灰化の機構は歯の骨様象牙質のそれと一致することが分かった。また、抗体を用いた免疫組織化学的観察の結果、歯と皮歯について同様に抗体が反応した。従って、双方の器官においては有機基質に共通性が高いということが判明した。象牙質の石灰化や基質形成に関して多様性が認められるにも関わらず、ほぼ同じ発生の仕組みを皮歯と歯で共有していることは、これらの器官が共通の進化的起源を持つことを強く示唆する。従って、旧来の進化的説明を支持する結果を得たと言える。

 以上のようにサメの進化における骨様象牙質の発達は、象牙芽細胞のくびれ方の変化を伴っていると考えられる。また、エナメロイドは石灰化においてエナメル質と共通した機構を有するが、基質形成から見て進化的に繋がるものではないことが解った。皮歯と歯は本質的に同じものであることも判明した。

審査要旨

 歯は脊椎動物が古くから持っている構造の一つで,上皮-間充織相互作用によって形成されるため,進化学的にも発生学的にも興味が持たれている器官である.歯の形態学・組織学的な研究は,現生種・化石種の両方について前世紀より行われており,多くの研究者により個体発生と系統進化の関係が議論されてきた.しかし従来の歯の研究は主に哺乳類などの高等脊椎動物を対象としたものが多く,脊椎動物の中でも古い起源を持ち、歯の起源を探る上で重要なサメ類についての研究例は少ない。とくにサメ類の歯の化学組成・組織化学的・生化学的性質などに関しては、十分な検討ががされていなかった。

 本論文は,サメ類における歯の形成と進化を明らかにする目的で、ネズミザメ目およびメジロザメ目に属する計3種を対象として、歯および皮歯(鱗)の無機鉱物の化学組成・元素分布,およびそれらの中の有機基質の分布様式,成熟歯および未成熟の組織に含まれる有機分子の性質などについて詳細な分析を行い,その結果を基に種間あるいは器官間で比較生化学・生鉱物学的な比較検討を試みたもので、極めて独創性の高い研究成果である.本論文では,サメ類の(1)象牙質の性質について,(2)エナメロイドの形成機構について,そして(3)歯と鱗の関係について、の相互に関連する3つの課題が、豊富なデータに基づき議論されている。

 論文の前半部で申請者は象牙質の性質について考察している.一般に象牙質には構造的に大きく異なる2つのタイプ、すなわち一つの髄を持ち発達した象牙細管を有する真正象牙質と,多数に分岐した髄を持ち象牙細管が未発達な骨様象牙質の存在が知られている。従来の研究では,2タイプの形態学的な違いが、石灰化や有機基質形成と関連してどのようなメカニズムで生じるのか不明であった。申請者はこの問題に取り組み、EPMAを用いて様々な元素の分析を行い,真正象牙質と骨様象牙質の間でマグネシウムの含有量に顕著な違いがあることを明らかにするとともに,この元素量の違いが石灰化に伴うイオンの輸送様式の違いに起因するという新しい解釈を提示した.また,電気泳動法を用いて象牙質中のタンパク質の比較を試み,分子量および糖鎖の結合の有無において上記2タイプの象牙質の間に明瞭な違いがあることを明らかにした.申請者は、さらに骨様象牙質を有する歯の抽出物に対する抗体を用いた免疫測定,イムノブロット,および免疫組織化学的検討を試み、この2タイプの象牙質は異なる基質形成ブロセスを持つことを実証した。

 次に,申請者はエナメロイドの形成機構について考察を加えている。従来、エナメロイドの形成は、上皮細胞由来説と間充織細胞由来説の2つに意見が分かれていた.このことは,上皮細胞によって形成される哺乳類のエナメル質と,魚類に発達するエナメロイドの間に進化的な繋がりがあるかどうかを解明する上で重要な問題である.従来の研究者は、細胞の形態変化という解剖学的所見に基づいて議論を行ってきたが、生理的条件をより直接的に示す化学的データに基づく検討はなされていなかった。そこで、申請者は後者の視点に立ち、無機元素の分布と濃度を指標として石灰化におけるイオン輸送を考慮に入れて,走査型電顕(SEM)による観察と組織化学的観察に基づき有機基質と諸細胞の関連を考察するとともに、基質タンパク質については間充織由来である象牙質の基質との比較を試みた.その結果,サメ類の3種間でナトリウム,カルシウム,マグネシウムの濃度と分布様式が極めてよく類似するという事実を明らかにした.さらに,ナトリウムやマグネシウムなどの微量な元素の濃度と分布が哺乳類のエナメル質についての分析結果とよく対応することを示し,エナメロイドにおいても石灰化におけるイオン輸送は,哺乳類のエナメル質と同様に上皮細胞によって行われていると結論づけた。

 一方,SEMによる観察から,ネズミザメ目ホホジロザメのエナメロイド基質にメジロザメ目等には見られない胞状構造物(vacuole)を認めるとともに,この胞状構造物が象牙芽細胞からのくびれによって形成されること,また基質の構成要素である非コラーゲン線維も象牙芽細胞にまとわりついてことを示した.そして,エナメロイドと象牙質の抽出物に含まれる可溶性のタンパク質について比較することにより,両者に同じ主要成分が含まれていることを明らかにした.さらに,免疫測定やイムノブロットによる比較などから,エナメロイドの有機基質が象牙芽細胞(間充織)によって形成されることを明確にすることに成功した.これはエナメロイドが,上皮細胞由来の哺乳類のエナメル質とは本質的に異なっているということを意味しており,このことから有機基質形成に関しては,少なくともネズミザメ目のエナメロイドはエナメル質と進化的に繋がらないとの結論を導いた.加えて,申請者はネズミザメ目で見られたエナメロイドの特質は,ネズミザメ目が骨様象牙質という他と違うタイプの象牙質を持つことと関連があるとの解釈を示した.その根拠として,エナメロイドの基質形成の際に、他のサメ類に見られない胞状構造物が発達し,この胞状構造物が象牙芽細胞のくびれによって生じること,また象牙質のタイプ間におけるマグネシウム量の違いが,同じく象牙芽細胞のくびれによって生じる小胞(多量のマグネシウムを含むことが知られる)の違いによって説明され得るなど,いずれも象牙芽細胞の挙動にそれらの特異性の原因を求められる可能性があることを挙げている.

 論文の後半では、歯と鱗の関係についての研究成果がまとめられている。歯は鱗が口腔に入ることによって出現したとする説は古くからあるが,それは構造的な同一性のみを根拠にしており,石灰化および基質形成についての比較は従来ほとんど行われていなかった.そこで申請者は、ネズミザメ目の種の同一個体の歯と鱗を用いて、,無機元素の比較と免疫組織化学的方法による有機基質の比較を試みた.その結果,鱗の石灰化の機構は歯のそれと一致することや,歯と鱗の双方の器官において有機基質に共通性が高いという新事実を明らかにした.すなわち、本研究は,歯と鱗が共通の進化的起源を持つという旧来の解釈を物質化学的側面から裏付けたと言える。申請者はさらに、歯と鱗者がある部分の発生機構を共有していることを示唆するとともに,歯の進化と鱗の進化をリンクして考察する必要性を強調している。

 本論文は、従来細胞組織学・形態学的側面からの研究が主体であったサメの歯の器官形成と石灰化の問題を、生化学・生鉱物学・免疫組織化学などの物質科学的側面から詳細に比較検討して、多くの新しい進化学的知見を得ることに成功した点で、国際的に高く評価される。ただ、今回扱った材料は3種と少ないため、サメ類の歯の進化を解明する上ではまだ十分とは言えない。本論文で得られた結論をさらに補強し発展するためには、今後化石種を含めた多くの分類群について、古生物学・細胞組織学・生鉱物学的・生化学・分子生物学的手法を駆使した詳しい比較検討が望まれる。しかし、申請者が本論文で導入した方法と概念は,歯の発生と進化についての新しい領域を開拓し,硬組織形成論と脊椎動物学の発展に関して一つの規範を示したと言える.よって,審査委員全員は申請者が博士(理学)の学位を受けるに十分な傑出した論文を提出したと判断した.

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