学位論文要旨



No 112514
著者(漢字) 佐々木,猛智
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,タケノリ
標題(和) 現生原始腹足類(軟体動物 : 腹足綱)の比較解剖学・系統学的研究
標題(洋) Comparative Anatomy and Phylogeny of the Recent Archaeogastropoda(Mollusca : Gastropoda)
報告番号 112514
報告番号 甲12514
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3294号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 棚部,一成
 横浜国立大学 助教授 間嶋,隆一
 国立科学博物館 室長 加瀬,友喜
 東京大学 講師 上島,励
 東京大学 助教授 大路,樹生
内容要旨

 軟体動物は外骨格として硬組織(貝殻)を持つため化石記録が極めて豊富な動物群である。特に、腹足綱の中でも原始腹足類(Archaeogastropoda)はカンブリア紀後期より現世まで連続的に化石記録を持つ主要な分類群の一つであり、約80科(現生では約40科)が含まれる。この類は解剖学的には多くの原始的形質を持つことが知られており、例えば外套腔や内部器官の対称性は軟体動物の共通祖先より保存されている原始性の反映であると考えられてきた。よって原始腹足類は腹足類全体の起源を探る上でも、さらにはより派生的な特徴を持つ腹足類の進化を考える上でも系統学的に重要な位置を占めている。

 現生腹足類の高次分類群の体系は主に軟体部の特徴に基づいて議論されてきた。近年の系統分類においては解剖学の進歩により多くの新しい成果が発表されつつあるが、依然として多くの分類群において詳細な解剖データが不足しており高精度の系統構築上の障害となっていた。よって本研究では幅広い分類群にわたって新たに高精度の解剖学的データを収集し、それらを詳細に比較分析することにより原始腹足類の系統関係を明らかにし、殻体形質も含めた形態進化についての仮説を提唱することを目的とした。

 具体的な手順としては、まず比較解剖の結果から分岐分析に基づき系統関係を推定し、形質変化の極性についても考察した後、軟体形質から得られた分岐図上に殻体形質(原殻・殻体構造)の分布を重ね合わせることにより系統的対応関係を検証した。解剖は実体顕微鏡下における肉眼解剖、パラフィン包埋連続切片、SEMによる微細構造の観察を総合して行い、17科23属25種を対象に、一種につき200以上の形質に関する解剖学的データを得た。次に系統解析では、離散的形質状態を示す形質について、微細構造と位置の基準(神経支配の器官特異性など)に基づき相同性を慎重に吟味し、系統解析に利用可能な形質として93形質を抽出した。それらの内約20形質が過去の系統的研究では検討されたことのない新形質であった。分岐分析は系統解析ソフトPAUP(=Phylogenetic Analysis Using Parsimony)ver.3.1を用い、外群としてヒザラガイ・ネオピリナ・オウムガイを含めて28分類群・93形質について発見探索法(heuristic search)により最短系統樹を計算した。

 分岐分析の結果、以下のような系統関係が明らかになった(図1)。(1)Patellogastropodaは外群と複数の原始形質を共有しており、腹足類の中では最初に分岐する。特に、歯舌や顎板を含む消化系がこの関係を支持する形質として重要である。(2)Patellogastropoda以外の腹足類が単系統群を形成する。これはPonder and Lindberg(1996)のOrthogastropodaに対応する。(3)Vetigastropoda(s.s.)(=Zeugobrachia+Trochoidea)は単系統である。さらに、LepetodriloideaとSeguenzioideaがより大きな単系統群を形成し、これらはVetigasatropoda(s.l.)としてまとめることができる。(4)Cocculinidaeの系統上の位置については2通りの可能性があり、今回の分析結果からはそのどちらが妥当であるかは特定できなかった。よって厳密合意樹ではOrthogastropodaの関係は完全に多分岐となった。(5)Neritimorpha(陸棲種を含む)の単系統性は多くの形質によって支持される。特に、口球、消化管、生殖器系の形質が重要である。(6)ArchitaenioglossaはNeotaenioglossaと複数の派生形質を共有しており、Caenogastropodaとしてまとめられる。従って、Architaenioglossaは原始腹足類に含めることは出来ない。しかし、神経系においてはNeritimorphaと共有される形質があり、よってCaenogastropodaの中でも原始的な位置を占める。(7)以上の結果より、Thiele(1925)の提唱したArchaeogastropodaは単系統ではなく側系統であることが明らかになった。従って、Archaeogastropodaは分岐群(clade)ではなく、梁舌型または扇舌型の歯舌を持つ段階群(grade)として定義される。

 次に各形質ごとに分岐樹上での形質状態の変化の極性を追跡した結果、軟体部の進化に関して次のような傾向が明らかになった。(1)Patellogastropodaが真に最も原始的な腹足類であるならば、Zeugobranchiaに見られる外套腔の対称性は2次的であると解釈される。この考えは従来の説とは全く異なるが、個体発生の基準からは支持される。よって腹足類の祖先は既に非対称な外套腔と内部器官を持っていたと考えられる。(2)多板類・単板類と共通性の高い原始的な口球筋肉が原始腹足類ではよく保存されていることが明らかになった。一方、筋肉系の著しい特殊化・単純化がCaenogastropodaの共通祖先で起きたものと思われる。口球軟骨・消化管においても同様に単純化の傾向が明らかである。(3)心臓や体腔器官の非対称性は完全にモザイク状の形質分布を示す。よって非対称性(右側の退化)は複数の分類群において独立に進化したものと思われる。

 次に、軟体部から推定される分岐関係を殻体形質の類型と対照し、殻体形質の高次分類上の評価を試みた。その結果、原殻形質は外形により次の4類型に分けられ、それらは解剖学的に定義される高次分類群と基本的によく対応することが明らかになった。(a)壺型:前後に長く左右対称。Patellogastropodaのみに見られる。内臓塊先端部が吸収された後に隔壁が形成され、殻長1〜2mmの段階で胎殻は脱落する。(b)少旋型:胎殻は形成初期から巻き始め、非対称になるものが多い。Cocculiniformia,Vetigastropoda等(すなわちNeritimorpha以外のRhipidoglossa)に見られる(例外的にMacroshismaスカシガイは左右対称であり全く巻かない)。(c)多旋型:捕食型幼生期に原殻IIが形成され、付加成長による成長線を残す。水棲アマオブネガイ目(Neritimorpha)に見られ、深海〜淡水に棲息する種(複数科)間で原殻形態は酷似する。内部では殻軸の再吸収が起こる。(d)陸生型:陸棲アマオブネガイ目は卵殻内で発生するため外部形態は著しく特殊化するが、内部は殻軸が再吸収される点で(c)と共通である。

 また、以上の結果から原殻形質の形態進化に関して以下のような結論が得られる。(1)軟体部から推定される進化過程との対応から、原始腹足類の原殻は、左右対称型→少旋型→多旋型という過程を経て進化したと解釈される。(2)Neritimorpha以外の原始腹足類では原殻表面は稜柱構造からなる不規則な彫刻に覆われ、付加成長による成長線を欠く。ProtoconchIIの形成はアマオブネガイ目より派生的な腹足類のみにみられる形質である。(3)壺型のPatellogastropodaには全個体発生過程を通じて全く左右対称な種があり、幼生期に起こる軟体部の捻れ(Torsion)と貝殻の巻きが独立に生じていることを示す。(4)上記の原殻の類型化は収斂によって生じた笠型貝類の同定に極めて有効である。特に、殻頂が前寄りに位置するPatellogastropodaは、後ろ寄りの他の腹足類(Orthogastropoda)とは明確に区別される。

 一方、殻体構造においても特定の構築構造の組み合わせが比較的低次(科より下のレベル)の高次分類群に見られる。腹足類の殻体形質に関して最も興味深い問題は柱状真珠構造が原始性を反映するかどうかという点である。真珠構造は腹足類の中ではVetigastropodaのみにしか見られない特異的な形質であるが、外群も含めた分岐図上ではVetigastropodaと頭足類の間で同形形質(homoplasy)になる。しかし、構造的さらには個体発生的には両者の(共有原始形質としての)相同性は否定できない。さらに、Vetigasatropodaの内部にも真珠構造を欠く分類群が散見される。これらのことから真珠層の欠如は独立に複数回進化したものと解釈され、多くの場合は小型化による二次的な変化であるとみなされる。殻体構造の形質は軟体部に基づく高次分類群の関係とは整合性が低く、これは恐らく殻体形質の著しいモザイク状進化に起因するものと思われる。しかし、低次の分類群では形態型は同定に利用可能であり、原殻形質・筋肉痕・終殻に見られる形質とともに分類形質としての価値は高い。

図1.軟体形質に基づく分岐関係(厳密合意樹)
審査要旨

 腹足綱は軟体動物門の中でも種多様性が高く、陸上から深海にいたるあらゆる環境に適応して繁栄している。この仲間は石灰質の外骨格(貝殻)を持つため、カンブリア紀後期から現在に至るまで豊富な化石記録があり、進化古生物学的に重要な分類群である。しかし、生活様式や食性の分化と対応して腹足綱の軟体部および貝殻の形態には著しい多様性や特殊化が認められ、このことが高次での系統関係や他の軟体動物との進化的関係の研究の障害になっていた。

 本論文は、腹足綱の中でもとくに原始的な体制を持ち、かつカンブリア紀後期から現在まで豊富な化石記録のある原始腹足類(Archaeogastropoda)を対象として、高次での系統関係や殻体形質も含めた形態進化を議論した、国際的にも注目される画期的な研究成果である。

 本論文の前半で、学位申請者は日本周辺海域を中心に世界各地から採集された生体試料に基づき、肉眼解剖法、パラフィン包埋連続切片法、SEMを駆使して比較解剖学的観察を行い、巨視的器官と微視的組織との対応関係を明示するとともに、原始腹足類の主要分類群をカバーする17科23属25種の解剖学的特徴を詳細に記載している。

 論文の主部では、比較解剖学的研究で相同性が確認された多数の形質についての分岐分析の結果と、その系統学的意義についての考察が述べられている。申請者は、分岐分析に先立ち、収集された200以上の形質の中から離散的形質状態を示す形質について、微細構造と位置の基準(神経支配の器官特異性など)に基づき相同性を慎重に吟味し、系統解析に利用可能な93形質を抽出することに成功した。これらのうち、約20形質は申請者が初めて検出した新形質である。次いで、原始腹足類に外群のヒザラガイ・ネオピリナ・オウムガイを加えた28分類学的単位を対象として形質分析を行い、探索法(heuristic search)により最短系統樹を作成している。その結果、Patelogastropodaは外群と歯舌や顎板を含む消化系に関して原始形質状態を共有しており腹足類の中では最初に分岐することや、Patellogastropoda以外の腹足類は単系統群を形成しPonder and Lindberg(1996)のOrthogastropodaに対応することが示された。さらにOrthogastropodaの中では、Lepetodriloideaとその姉妹群であるSeguenzioideaが単系統群を形成してVetigasatropoda(s.l.)としてまとめることができることも明らかにしている。しかし、Orthogastropodaの1構成単位Cocculinidaeの系統上の位置については2通りの可能性が示され、従って厳密合意樹ではOrthogastropodaの内群間の系統関係については完全に多分岐になるという解析結果が得られた。以上の結果に基づき、申請者は原始腹足類は単系統ではなく側系統であると結論づけ、分岐群(clade)ではなく梁舌型または扇舌型の歯舌を持つ段階群(grade)として再定義している。

 申請者はさらに、分岐樹上での形質状態の変化の極性の追跡に基づき、軟体部の進化についても言及している。すなわち、原始腹足類には多板類・単板類と共通性の高い原始的な口球筋肉が保存されていること、従来原始的特徴と解釈されてきたZeugobranchiaの外套腔の対称性が2次的に生じていること、心臓や体腔器官の非対称性が各分類群ごとに完全にモザイク状の形質分布を示すこと、などを明らかしている。そして、腹足類の祖先は既に非対称な外套腔と内部器官を持っていて、原始腹足類にみられる非対称性(右側の退化)は複数の分類群において独立に進化したとする興味深い仮説を提唱している。この仮説は腹足類の体制の進化を考える上で斬新なもので、今後化石の証拠などからの検証が望まれる。

 ところで、軟体部から推定される分岐関係が化石として保存される殻体形質から支持されるかどうかを調べることは、進化古生物学的に大きな意義がある。学位申請者はこのような視点に立ち、論文の後半部で殻体形質、とくに発生初期に形成される原殻に注目して、その高次分類上の評価を試みている。その結果、原始腹足類の原殻の形態は壺型、少旋型、多旋型、球形型の4型に大別され、それらが解剖学的に定義される高次分類群と基本的によく対応することを明らかした。さらに、軟体部から推定される進化過程との対応から、原始腹足類の原殻は左右対称型→少旋型→多旋型という過程を経て進化した可能性を示唆した。原始腹足類の祖先型が左右対称な原殻を持つという考えは、外群の頭足類や単板類でも類似の初期殻を持つという事実からも強く支持される。申請者はまた、左右対称の壺型の原殻を持つPatellogastropodaには全個体発生過程を通じて全く左右対称な種があることを示し、幼生期に起こる軟体部の捻れ(Torsion)と貝殻の巻きが独立に生じていることを明らかにした。この事実は腹足類の固有派生形質である軟体部の捻れの起源を考える上で、きわめて興味深い。

 本論文は、原始腹足類という腹足類の起源や系統進化の研究に適した素材を対象に、多数の分類群にわたり軟体部の巨視的・微視的解剖形質を詳細に調べ、現在最も信頼性の高い系統推定法とされる分岐分析法を用いて、高次の系統関係や軟体部諸形質の進化を詳細に考察した、きわめて独創性の高い研究成果である。とくに、軟体部から推定される系統が貝殻形質の解析結果と高い整合性を示したことは、本研究の成果の妥当性を強く支持していると言える。また、今後原殻や貝殻表面に残された軟体部の情報を用いて、化石種から腹足類の起源や進化過程を推定することが可能であることを示した点でも、進化古生物学の重要かつ革新的な側面を開拓と判断され、高く評価される。ただし、Orthogastropodaの内群間の系統関係が多分岐になったことは、扱った形質の数に問題があるか、もしくは解析に用いた分類群が十分でないことに起因する可能性があり、今後さらに詳細に検討する必要があろう。しかし、申請者が導入した比較解剖学的手法は進化生物学に新しい規範を示したと言える。よって、審査員全員は申請者が博士(理学)の学位を受けるにふさわしい傑出した論文を提出したと判断した。

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