内容要旨 | | 日本列島では植生帯の分布は主に温度によって決まる.特に日本列島は南北に長く緯度変化による温度傾度で南は亜熱帯林から北は亜寒帯林まで森林帯の水平分布が見られる.また高山域では,高度による垂直的な温度傾度により,植生帯の垂直分布が明瞭に見られる. ひとつの植生帯の中には,それぞれの種が持つ固有の生育温度による生育適正域が存在する.植物の生育温度は実験室などで光合成や呼吸量など生理的な側面から推測可能である.しかし,複数の樹種からなる天然の森林においては,それぞれの生育適正域を抽出することは難しい. 中部山岳のハイマツは山岳の最上部に幅350mから500mにおよぶ垂直分布帯を持っている.この垂直幅を温度差として換算する(0.6℃/100m)とハイマツ帯は1.8℃〜3℃の温度幅を持っている.垂直植生帯のうち,ハイマツ帯は下限を亜高山帯針葉樹林と接し,上限は山頂までで他の植生帯のように上部は他種との種間関係に規定されず,むしろ気温条件という無機的な環境に規定されている.またハイマツ帯はハイマツ一種からなる純林を形成し,内部に生態的に競合する他の樹木を持たない. 本研究では,このハイマツ帯の特色から,ハイマツ帯を一つの独立した植生帯のモデルとして選び,植生帯の中で変化する温度環境に対して,植物がどのように生長や繁殖を行いその植生帯を維持しているのかを明らかにしようとした. 中部山岳において,山頂高度が3000m前後の山岳を選び,ハイマツ帯内部の垂直の環境傾度=標高をもとに,ハイマツの分布形態,生育形,球果生産と更新過程を調査した.その結果,ハイマツの分布は標高が上がるほど断続的なパッチ状となり,生長量や球果生産量が漸減した.ハイマツ帯内はハイマツ純林で形成されており,他に生態的に競合する樹木が存在しない.こうしたことから,ハイマツはハイマツ帯内に存在する垂直分布の温度傾度に規定されて,生長や繁殖を変化させているものと考えられる.ハイマツ帯の中でハイマツの生長が最も大きかった標高帯は亜高山帯と接する標高2600m前後であった.球果生産を盛んに行っていたハイマツは標高2700mから2800mであった.ハイマツの生長や繁殖が大きく落ち込むのは標高2900m前後であった.この結果から,標高2900mを境に,ハイマツ帯は上部と下部に分けられた.森林限界から標高2900m未満のハイマツ帯下部では,ハイマツが面的に斜面を被い,ハイマツ個体の各部位(群落高,根元直径,幹長,年平均伸長量)のサイズや球果生産量もハイマツ帯上部の約2倍の大きさを示した.林床植生も上部と異なり,亜高山帯の林床と共通する植生が中心であった.これに対して,標高2900m以上のハイマツ帯上部では,ハイマツ個体のサイズと球果生産量は下部の半分であった.林床植生は高山要素の植生が中心となった. ハイマツの更新は,伏条更新という無性繁殖と種子による有性繁殖がそれぞれハイマツ帯上・下部で行われていた.種子による更新は,主として球果の豊作年に散布された種子が実生として残る傾向にあった.実生はハイマツ群落内では定着せず,周辺の矮性低木群落内に生育することが多かった.しかし,一旦定着した実生は分枝をさかんにして,個体面積を大きくする傾向があった.ハイマツが面的に被うハイマツ帯下部では,更新の主体は伏条更新であると考えられた.ハイマツ帯上部では,実生の定着後20年以上を経過している個体は少く,この間にほとんどが淘汰されてしまうと考えられた. このように,ハイマツ帯という植生帯の内部は標高2900m付近を境に大きく分けて2つの分布,生長,繁殖,更新形態をもつことが明らかになった.この標高2900mはYanagimachi & Ohmori(1991)が指摘した温度的なハイマツ上限高度(Scrub Line)と調和的であり,このScrub lineはハイマツ帯の中に出現する生態的な境界(Eco-line)であると考えられた.すなわち,ハイマツ帯はこのEco-lineを境に下部が生長と繁殖(球果生産)を担う中心ゾーン(Core zone)となり,Eco-lineから上部は,主として栄養生長のみが行われる外縁ゾーンと考えられた. ハイマツ帯の結果で得られた植生帯内における生長や球果生産の傾向は,温度という環境で見た場合,他の植生帯にも考えられる可能性がある.すなわち,植物は植生帯内の温度的な生育適正域(Core zone)では生長と繁殖更新を安定して行うことができる.そしてこのような再生産を継続して行うことで植生帯としてのゾーンが維持される.一方,Core zoneの外側の外縁帯では,生長量や繁殖能力が落ちる.個体の更新も実生が定着することが難しかったり,そこで運よく定着できた個体は生長を行うが,生長量は少ない.栄養繁殖などで個体を維持することだけで精一杯で,種子を生産することはなかなかできない.従って,外縁帯においてはその植物の分布は断続的になる. 欧米の高山では森林限界以上になると,亜高山帯を構成するトウヒなどが,低木化し孤立して斜面に点在するようになる.これはいわゆる森林-ツンドラ移行帯(Forest-Tundra Ecotone)の景観として代表的なものである.移行帯はこれまで外見上の分布形態や樹形の変形などの景観的視点から認識されてきたが,しかし,Ecotoneにおいては植物は,生長や繁殖,更新の成功など,植生帯を維持するために必要な機能をもつことができない.すなわち,植生帯は植生帯内に現われる温度傾度により,大きくは2つの生態的ゾーン,すなわち再生産と非再生産のゾーンという構造を持っていると考えられ,移行帯は非生産ゾーンと位置づけることができる. 今後の植生帯分布の研究において,植生帯がこうした大きくは2つの再生産と非再生産の空間を内包するものであることを視点に加えることは,その植生帯の維持・再生機構を理解するためには非常に重要なことであると考える. |