学位論文要旨



No 112526
著者(漢字) 須田,眞史
著者(英字)
著者(カナ) スダ,マサフミ
標題(和) 臥位での室空間の知覚特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 112526
報告番号 甲12526
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3804号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 平手,小太郎
内容要旨

 室空間に対する評価は、その空間を体験する姿勢によって違いが生じてくる。おもに寝た姿勢、すなわち臥位で空間を体験することは少なくないにもかかわらず、臥位での室空間の知覚特性は未だ明らかにされていない部分が多い。臥位では、空間を定点で観察しなければならないこと、頭の運動の自由度が低いこと、視線の向きが天井方向に向いていること、などが他の姿勢とは異なる特徴である。そのために、臥位での室空間の知覚には独自の特性があると考えられ、臥位で体験することが多い空間はその特性を考慮して計画されるべきである。そこで本論文では、臥位での室空間の知覚特性を、空間の大きさやプロポーションの把握のしやすさ、また距離や容積の知覚特性という点について解明することを目的とし、おもに実験的手法によりこれらを検証した。本研究の結果は、例えば病室計画などに対して指針を与えることも十分予測できる。

 本論文は、序章と終章を含む合計7章より構成されている。

 序章では、研究の対象、目的、位置づけを明らかにした。人間の姿勢の定義・分類を概観することで、本研究で取り扱う「臥位」の定義付けをおこなった。また、室空間の知覚の研究をおもに実験的手法の側面から整理し、本研究の特徴を明確にした。

 第1章では、臥位で空間を体験することが多い場合の事例として患者と病室の関係を取り上げ、入院患者の病室環境評価のインタビュー調査をおこなった。実際の生活の中で、臥位で空間を体験することによる空間に対する評価の特徴を把握することで、臥位で体験することが多い空間の計画の問題発見を試みた。その結果、臥位からの空間のとらえ方にはいくつかの特徴がみられ、以下に示すような問題点があることがわかった。

 (1)臥位では視点の高さが低いため見えないものがでてくる。

 (2)空間を体験する姿勢によって、空間の距離の知覚に違いが生じる。

 (3)広さと天井高の関係で、天井のとらえ方に違いが生じてくる。これは臥位に限った現象ではないが、臥位では視線の方向から特に天井の影響を強く受けるといえる。

 (4)ベッドまわりや病室の広さに対して、すべての調査対象患者が狭いと評価している。

 以上のような問題点を検証する目的で、第2章から第5章まで健常者を対象とした実験をおこなった。

 第2章と第3章では、おもに室空間の大きさやプロポーション把握のしやすさ・知覚のしやすさを明らかにすることを目的とした。

 第2章では、ベッド上臥位とベッド上平座位で視線の動きを測定し、両者の結果を比較することで、室空間における臥位での視野の範囲の特性を明らかにした。その結果、視線の動きや視野の範囲には、視線の向きや視点の高さ、頭の運動の自由度、などの姿勢の特性が大きくかかわっていることがわかった。視野の範囲は、臥位では空間に対し水平方向の拡がりが狭く、おもに身体に対しての正面方向に視線が集中していた。空間に対し垂直方向では、天井面と壁のエッジから天井面に向けて広がっていた。一方平座位では、水平方向の拡がりは比較的広く、垂直方向では天井面と壁のエッジから下方向に向けて広がっていた。各箇所を見ている時間は、臥位では天井を見ている時間が長く、壁、窓を見ている時間は短かったが、平座位では天井を見ている時間は短く、壁、窓を見ている時間は長い、などの傾向がみられた。

 第3章では、距離の知覚特性という側面から、臥位での室空間の知覚のしやすさを、空間を体験する姿勢が立位の場合と比較しながら明らかにした。第1節は第2・3節の基礎となる部分であり、身体の向きと距離の知覚の関係、すなわち人間はその特性として立っている場合と横になった場合で、距離感が異なってくるのかを明らかにした。その結果、身体の向きにかかわらず、身体に対して同方向の等距離の対象までの距離感は等しいことがわかった。第2節では、人間から壁までの距離の知覚のしやすさと天井高の関係について、また第3節では、天井のとらえ方のひとつである天井高の知覚を取り上げ、天井高の知覚のしやすさと床面の大きさの関係について明らかにした。その結果、室空間の大きさやプロポーションの違いによって、壁までの距離や天井高の知覚のしやすさが異なり、壁までの距離感は身体に対して横方向の方が足方向よりもわかりやすいこと。天井高は、床面が広い空間の方が狭い空間よりも床面が見えるため知覚しやすいこと、などがわかった。

 以上、第3章で距離の知覚特性を明らかにしたことに続いて、第4章と第5章では、容積の知覚特性を明らかにすることを目的とした。

 第4章第1節では、空間の広さを測る指標として容積を取り上げ、容積の知覚と天井高・奥行きの知覚の関係を、立位の場合と比較しながら明らかにした。容積・天井高・奥行きの知覚特性をそれぞれ個別に取り扱い、それらの結果から容積の知覚と天井高・奥行きの知覚との関係を検証し、いくつかの結果を得た。その中で特に重要なものは、容積の知覚は奥行きよりも天井高との関連性が強く、天井高が高くなると容積は実際よりもより大きくなったと感じられるようになる、という結果であると考える。第1章では、天井から圧迫感を感じるという意見や、ベッドまわりの空間の狭さに対する不満がみられたが、この結果より天井高を高くすることでこれらを和らげることができる可能性があるのではないかと考えられる。特に床面積が限られた場合の空間の計画に、この結果は有効であると考える。そこで第4章第2節では、空間を体験する人数が1人の場合について、床面積の狭い空間でも天井高を高くすることで、床面積の広い空間と同じ容積と感じられるようになることを検証した。さらに、床面積の広い空間と狭い空間の容積が同じ場合、床面の形やベッドの置き方で、床面積が狭く天井高が高い空間の方が床面積が広く天井高が低い空間よりも、容積は大きいと感じられることがわかった。これは言い換えると、天井高を少し高くするだけで、容積はそれよりももっと大きくなったと感じられるようになる、ということである。ここでは、その具体的な天井高も得られた。

 第4章の結果を踏まえ、第5章では空間を体験する人数が2人の場合について、天井高を高くすることで、容積は実際よりもより大きくなったと感じられるか否かを明らかにした。また、天井高が高くなることと自分のまわりの空間の広さのとらえ方との関係も明らかにした。さらに第1章で、ベッドまわりの広さのとらえ方と空間全体の広さのとらえ方の関係には個人差がみられたことから、自分のまわりの空間の広さのとらえ方と容積のとらえ方の関係も併せて検証した。その結果、自分のまわりの空間の広さは「ベッド間隔」を目安として判断する人と、「自分を取り囲む領域」を目安として判断する人に分けられた。そして、自分のまわりの空間の広さのとらえ方と容積のとらえ方には関連性があり、前述のどちらで自分のまわりの空間の広さを判断しているかによって、天井高が高くなることと、自分のまわりの空間の広さや容積のとらえ方の関係が異なっていた。「ベッド間隔」を目安としている人は、天井高が高くなっても、自分のまわりの空間は広くなったと感じない。ベッド間隔が1200になると、天井高が低い方が自分のまわりの空間は広いと感じ、ベッド間隔が1500になると、さらにその傾向が強まる。また、自分のまわりの空間が狭いと感じるようになると、容積も小さく感じるようになる。一方、「領域」を目安としている人は、ベッド間隔が狭いときは、天井高が高くなると自分のまわりの空間は広くなったと感じるようになる。しかし、ベッド間隔が1200になると、天井高が高くなっても自分のまわりの空間は広くなったと感じなくなり、ベッド間隔が1500になると、さらにその傾向が強まる。また、自分のまわりの空間のとらえ方と容積のとらえ方には関係がなく、容積をほぼ正確にとらえることができる、などがわかった。両者のタイプに共通していることはベッド間隔の影響であり、ベッド間隔が広くなっていくと、自分のまわりの空間の広さや容積のとらえ方にそれぞれ変化がみられた。

 終章では、結語として以上のような各章の結果の流れ、本研究が明らかにした臥位と立位での室空間の知覚の違いを整理することで、臥位で体験する空間について下記のような計画の指針を示し、また今後の課題を述べた。

 (1)身体に対して左右方向にある程度の広さを確保すること

 身体に対して見やすい方向と見づらい方向があり、見やすい方向である左右方向にある程度の広さを確保することで、空間の大きさやプロポーションが把握しやすくなることを指摘した。

 (2)臥位の状態のままでいろいろなものが見える様にすること

 臥位からの視点の高さでは見えないものが多々あるため、臥位で体験されることが多い空間では、必ずしも常に臥位の状態のままで居るわけではないが、臥位の状態のままでいろいろなものが見えることが重要であることを指摘した。

 (3)天井高を高くすることで、より空間があると感じられるようになること

 天井高を少し高くすれば、より空間があるように感じられるようになり、特に限られた床面積内での空間の計画において、狭さに対する不満を天井高を高くすることで和らげることができる可能性があることを提言した。

 (4)天井高はベッドの位置や向き、床面の大きさとのバランスを考慮して決めること

 天井高は床面の大きさとのバランスのもとに決められるべきであり、臥位ではベッドの位置や向きによって、それぞれある適正な値の範囲が存在することを指摘した。

 (5)天井面のしつらえには特別な配慮が必要であること

 天井面のしつらえには特別な配慮が必要であり、色彩や仕上げなどは壁とのバランスのなかで、天井面の付属物は視野の範囲を考慮して計画されるべきものであり、また臥位での目のやり場を意図的に計画することの必要性を指摘し、今後の課題とした。

審査要旨

 本論文は、寝た姿勢での空間体験が頻繁であるにもかかわらず、その知覚特性は未だ明らかでないことに鑑み、臥位での室空間知覚を、その大きさやプロポーション、あるいは距離や容積の把握しやすさという点について解明することを目的としたものである。論文は、序章と終章のほか5章より構成される。

 序章では、研究の対象、目的、位置づけを記述している。人間の姿勢を定義・分類することにより、「臥位」の意味付けをおこない、さらに室空間の知覚に関する研究を主に実験的手法の側面から整理し、本研究の位置づけを明確にしている。

 第1章では、臥位による空間体験の典型的事例として病室を対象とし、入院患者の病室環境評価インタビューを主体とする実地調査を通して、実際の生活における臥位空間体験に対する評価の特徴を把握し、問題発見を試みている。その結果、臥位における特徴として(1)視点の低さによる死角の発生、(2)姿勢による距離知覚の相違、(3)天井の強い影響、(4)病室の広さに対する否定的評価といった問題点を指摘している。

 第2章では、ベッド上の臥位と平座位での視線の動きを測定・比較して室空間における視野特性を分析し、視線の動きや視野には、視線の向きや高さ、頭部の運動自由度などといった姿勢の特性が大きく影響することを指摘している。

 第3章では、臥位による室空間知覚を立位と比較して検討している。第1節では立位と臥位との距離感の相違、すなわち、身体に対して同方向・同距離の対象までの距離感は等しいことを明らかにしている。第2節では、壁までの距離知覚と天井高の関係、第3節では、天井高知覚について、天井高と床面の広さの関係、すなわち、室空間の大きさ・プロポーションにより、壁までの距離や天井高の知覚の容易さの相違、壁までの距離感は身体の横方向が足方向よりも鋭敏なこと、天井高は床面が広い方が狭いよりも知覚しやすいことなどを明らかにしている。

 第4章の第1節では、容積を空間の広さの指標と設定して、それと天井高・奥行の知覚との関係を立位と比較し、容積・天井高・奥行の知覚特性を個別に分析している。特に、容積知覚は奥行よりも天井高との関連性が強く、天井が高くなると容積は実際よりも大きく感じられるという結論は特記すべきである。第2節では、空間体験者が1人の場合、床面積が狭くても天井高が高いと同容積でも天井高が低い場合よりも広く感じることを検証している。

 第5章では空間体験者が2人の場合について検証している。ベッド周辺と空間全体の広さの把握には個人差があり、目安を「ベッド間隔」と「自分を周辺領域」とに置く人に分けられ、周辺空間と容積と把握には関連性があること、目安を「ベッド間隔」に置く人は、天井が高くなっても、周辺空間が拡大したとは感じないが、ベッド間隔が1.2mになると、天井高が低い方が周辺空間は広いと感じ、1.5mでは、さらにその傾向が強まる。また、周辺空間が狭いと感じると、容積も小さく感じるようになるといった容積に関する感覚の相違を指摘している。

 終章では、各章の結果を整理し、臥位での体験空間について、具体的に(1)身体左右方向の広さの確保、(2)臥位状態における視野の確保、(3)空間の存在感につながる天井高の確保、(4)ベッド位置、床面とのバランスを考慮した天井高の決定、(5)壁とのバランス、目のやり場を考慮した天井面の設計を提案している。

 以上、本論文は、臥位における人間の空間知覚を実地調査による問題発見、ならびに実験室測定における検証を通して考察したもので、今後急速に高齢社会に到達するわが国において、保健・医療・福祉の施設での人間の空間体験や日常での臥位による空間知覚に共通した知見を示したものとして有用であり、広範囲の応用可能性を秘めたものである。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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