学位論文要旨



No 112530
著者(漢字) 楠,浩一
著者(英字)
著者(カナ) クス,コウイチ
標題(和) 鉛直地震動が建物の動的応答性状に与える影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 112530
報告番号 甲12530
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3808号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中埜,良昭
 東京大学 教授 小谷,俊介
 東京大学 教授 壁谷澤,寿海
 東京大学 助教授 大井,謙一
 東京大学 助教授 塩原,等
内容要旨

 実地震波は,水平2方向・鉛直1方向の3次元に伝わる波であり,従って実地震波のもとでは建物も3次元的に挙動する。そのため,建物には水平地震動とともに鉛直地震動が入力し,鉛直地震動入力により建物ではスラブあるいは梁が鉛直方向に振動する,柱に付加変動軸力が作用する事等が考えられる。しかし,日本建築学会刊行の「鉄筋コンクリート造構造計算規準」あるいは「鉄筋コンクリート造建物の終局強度型耐震設計指針・同解説」を含め鉄筋コンクリート造建物の耐震設計においては鉛直地震動入力の影響は直接的には考慮されていないのが現状である。

 そこで本論文では,まず鉛直地震動の特性および建物の鉛直方向振動の減衰特性を明らかにし,鉛直地震動による柱の付加変動軸力が建物の動的応答性状に与える影響を検討した。さらに,実地震動に対する建物の耐震性能の向上を目的に,鉛直地震動の影響を考慮した設計法を提案した。

 本論文は8章から構成されている。以下に各章にそってその要旨を示し,本研究で得られた知見を記す。

 第1章「序論」では,鉛直地震動特性およびこれが建物の動的挙動に与える影響に関する既往の研究成果を紹介するとともに,近年の被害地震の加速度記録を検討し,設計時に想定した降伏機構を実現するためには鉛直地震動により生じる変動軸力が柱の曲げ耐力に与える影響を定量的に評価することの重要性を述べるなど,本研究の目的,位置づけおよび研究方針を明らかにした。

 第2章「鉛直地震動の性状」では,鉛直地震動の特性を考察するため,東京大学生産技術研究所千葉実験所内で1987年千葉県東方沖地震の際に観測された地震波,耐震設計時に通常使用される地震波3波,1995年兵庫県南部地震の際に観測された地震波8波の計12波の地震記録を用いて各地震波の鉛直地震動と水平地震動の特性を比較検討し、次のような結果を得た。

 まず,加速度記録については,鉛直地震動の最大値は水平地震動のそれに比べて一般的に小さくなることを明らかにした。

 また,加速度応答スペクトルでは,鉛直地震動による卓越周期は水平地震動のそれに比べて短く,かつそのピーク値も小さい。しかし,一般に建物の鉛直振動周期はその水平振動周期と比較し極めて短いため,この関係を考慮し通常の構造物を想定した場合の水平地震動に対する鉛直地震動による加速度応答スペクトルの比(以下加速度応答スペクトル比)を検討した結果,その比は1を大きく超える周期帯が広く存在し,そのため建物の鉛直方向の最大加速度応答が水平方向のそれを上回る可能性があることを明らかにした。次に,加速度応答スペクトル比と同様に建物の水平・鉛直振動周期の関係を考慮し,速度応答スペクトルを検討したところ,地震波によってはある特定の周期で1に近づくものの,一般的には0.2〜0.6程度に収束し,建物の地震時の入力エネルギーとしては水平方向に比べて鉛直方向が低くなることを明らかにした。また,この速度応答スペクトル比は柱の節点間距離と柱せいの比および加速度応答スペクトル比から推定できることを示した。

 一方,水平・鉛直方向の最大加速度応答の同時性については,各地震波で非常に高くなる周期あるいは周期帯が存在する。すなわち建物の応答が2方向でほぼ同時に最大となる可能性があることを示しており、水平・鉛直2方向同時入力に対して各方向の最大応答が同時に作用するとみなすことが安全側である事を示した。

 第3章「建物の鉛直方向振動の減衰特性」では,鉛直地震動入力を考慮した解析を行うにあたり把握する必要のある建物の鉛直方向の振動特性について検討している。まず構造特性の実例として,東京大学生産技術研究所千葉実験所に設置されている鉄筋コンクリート造弱小モデルの地震応答観測データ40波を用い,1階床レベルの加速度応答値に対する各階の加速度応答値から伝達関数を求め,弾塑性領域での水平・鉛直方向の卓越振動数,減衰定数の推移を検討した。その結果,鉛直方向の卓越振動数には水平方向の卓越振動数の低下は大きな影響を与えないことを示した。

 減衰定数に関しては,対象建物では水平方向1次モードの減衰定数に対して,水平方向2次モードの減衰定数は約1.0〜1.5倍,鉛直方向1次モードの減衰定数は約1.0〜4.0倍となった。一般に建物の鉛直振動周期はその水平振動周期と比較し極めて短いため,高次振動モードで振動数比例型の減衰が付与される剛性比例型モデルを振動解析時に設定すると,鉛直方向の減衰力は観測結果に比べて過大評価となり,したがって水平および鉛直各方向の1次モードに対する減衰を考慮したレーリー型減衰モデルの方がより実状に則した解析法となることを示した。

 第4章「鉛直地震動の影響を考慮した動的弾塑性フレーム解析手法」では,部材断面の曲げ-軸力相関関係(以下,M-N相関関係)および部材反曲点の移動を考慮しうるMS Modelを用いた弾塑性フレーム解析プログラムを開発するための基本原理を示し,さらに解析時に剛性の変化に伴い発生する復元力および減衰力の不釣り合い力を次ステップにおいて解除することの重要性を示した。

 第5章「鉛直地震動の影響を考慮した動的弾塑性フレーム解析」では,1スパン3層建物および2スパン12層建物を試設計し,同建物を対象に第4章で開発した解析プログラムを用いて鉛直地震動を考慮した弾塑性地震応答解析を行った。その結果まず水平方向の入力レベルがTaft 70 Kine相当では,鉛直地震動入力は建物の水平方向の応答変形には大きな影響を与えなかったが,設計時に降伏ヒンジを想定しない柱部材(以下,非ヒンジ想定柱)にヒンジが発生する可能性があり,特に設計時に転倒モーメントによる変動軸力がほぼ0となり,かつその支配面積の差から鉛直方向1次振動モードにおいて鉛直地震動による変動軸力が外柱に比べて大きくなる中柱で発生する可能性が高いことを示し,鉛直地震動の影響により損傷が中柱に集中することを明らかにした。また,非ヒンジ柱の降伏は建物の水平・鉛直方向の最大応答の同時性よりもむしろ柱の曲げ降伏耐力余裕度,つまりM-N相関を考慮した降伏曲面と地震時に作用する軸力および曲げモーメントの関係に大きく依存し,柱の曲げ耐力余裕度によっては比較的小さな鉛直地震動付加軸力下においても生じる事を明らかにした。

 また,水平方向の入力レベルが通常設計時に考慮されているTaft EW 50 kine相当では,鉛直地震動を入力しても非ヒンジ柱の降伏はほとんど確認されなかったが、特に中柱の曲げ耐力の余裕率は大きく低下することを示した。

 第6章「鉛直地震動の影響を考慮したRC造建物のオンライン地震応答実験」では,2スパン12層の鉄筋コンクリート造建物平面骨組に対して,鉛直地震動入力がとくに中柱に与える影響を実験的に検討するため,1階中柱を実験対象とした約1/5スケールの試験体を用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験を計画し,水平および鉛直の2方向3自由度の加力制御方法を確立するとともにその実用性を検証し,鉛直地震動が建物の応答性状に与える影響を実験的に検討した。その結果,解析的検討と同様,鉛直地震動の影響で非ヒンジ柱部材に降伏が発生し,その影響は設計時に転倒モーメントによる変動軸力がほぼ0となり,かつその支配面積の差から鉛直方向1次振動モードにおいて鉛直地震動による変動軸力が外柱に比べて大きくなる中柱で顕著であり,その非ヒンジ柱の降伏は作用モーメントが最大となる付近での鉛直地震動入力による変動軸力の影響を大きく受けることを示した。

 一方,解析結果と実験結果の比較から,建物全体の水平方向最大変形量および柱軸力に関しては解析結果は実験結果をほぼ再現し得るものの,解析では水平方向変位に伴い生じる鉛直変位を考慮していないため鉛直方向最大変形量は実験結果と大きく異なることを示した。

 第7章「鉛直地震動の影響を考慮した柱の曲げ設計法の提案」では,前章までに得られた検討結果に基づき,従来の設計で用いられている水平方向地震力に加えて,鉛直方向地震力を考慮するための鉛直方向設計用スペクトルを作成し,水平および鉛直地震動を考慮した設計法を提案した。次いで,提案した設計法により水平1方向および鉛直地震動を考慮して試設計を行った2スパン12層建物について弾塑性地震応答解析を行い,耐震設計時において本論文で提案する鉛直地震動に対する設計手法が,鉛直地震動による柱非ヒンジ部分の降伏を抑制し,建物の耐震性能の向上に有効であることを示した。さらに,外周フレームにおける中柱では,直交方向架構に対する地震動を考慮した水平2方向地震力に対する設計により柱の配筋量が増大する場合があるが,この場合においても鉛直地震動の影響で想定外の降伏ヒンジが生じる可能性があり,鉛直地震動の影響を考慮した本設計手法が耐震性能向上に有効であることを示した。

 第8章「結論」では,鉛直地震動の性状,建物の鉛直方向振動の減衰特性,鉛直地震動の影響を考慮した動的フレーム解析手法,サブストラクチャ・オンライン地震応答実験,および鉛直地震動を考慮した設計法について本研究で得られた結果を総括し,さらに本研究から導き出された今後の検討課題を述べた。

審査要旨

 本論文は,「鉛直地震動が建物の動的応答性状に与える影響に関する研究」と題し,従来の耐震設計法では一般に直接的には考慮されることの少なかった鉛直地震動が建物の強震時における挙動に与える影響を実験的および解析的に検討したものであり,全8章より構成されている.

 第1章「序論」では,鉛直地震動特性およびこれが建物の動的挙動に与える影響に関する既往の研究成果を紹介するとともに,近年の被害地震の加速度記録を検討し,設計時に想定した降伏機構を実現するためには鉛直地震動により生じる変動軸力が柱の曲げ耐力に与える影響を定量的に評価することの重要性を述べるなど,本研究の目的,位置づけおよび研究方針を明らかにした.

 第2章「鉛直地震動の性状」では,1995年・兵庫県南部地震を含む地震記録12波を用いて各地震波の鉛直および水平地震動の基本的特性を比較検討し,(1)鉛直地震動の最大加速度値は水平地震動の0.3〜0.6倍程度であること,(2)水平地震動に対する鉛直地震動の加速度応答スペクトルの比(以下,加速度応答スペクトル比)は1を大きく超える周期帯が広く存在すること,(3)一般的な建物の周期帯においては速度応答スペクトル比は0.2〜0.6程度であること,(4)水平および鉛直各方向の最大加速度応答はほぼ同時に生起しうるため,これらの同時性を耐震設計時に考慮する必要があること,などを明らかにしている.

 第3章「建物の鉛直方向振動の減衰特性」では,東京大学生産技術研究所千葉実験所に設置された鉄筋コンクリート造弱小モデルの地震応答観測データ40波を実例として,弾塑性領域における建物系の水平および鉛直各方向の卓越振動数,減衰定数の推移を比較した.その結果,(1)損傷による水平方向の卓越振動数の低下が鉛直方向のそれに与える影響は顕著ではないこと,(2)対象建物の水平方向1次モードに対する鉛直方向1次モードの減衰定数は1.0〜4.0倍程度であること,(3)一般に建物の鉛直振動周期はその水平振動周期と比較し極めて短いため,高次振動モードで振動数比例型の減衰が付与される剛性比例型モデルを振動解析時に設定すると,鉛直方向の減衰力は(2)で述べた観測結果に比べて過大評価となり,したがって水平および鉛直各方向の1次モードに対する減衰を考慮したレーリー型減衰モデルの方がより実状に則した解析法となること,を示した.

 第4章「鉛直地震動の影響を考慮した動的弾塑性フレーム解析手法」では,部材断面の曲げ-軸力相関(以下M-N相関)関係を考慮しうるMS Modelを用いた弾塑性フレーム解析プログラムを開発するための基本原理を示すとともに,解析時に剛性の変化に伴い発生する復元力および減衰力の不釣り合い力を次ステップにおいて解除することの重要性を指摘している.

 第5章「鉛直地震動の影響を考慮した動的弾塑性フレーム解析」では,水平1方向地震力に対して1スパン3層建物および2スパン12層建物を試設計し,第4章で開発した解析手法を用いて,観測地震波Taft EW成分およびUD成分を同時入力とした弾塑性地震応答解析を行った.

 まず,EW成分の最大速度を50 kineに基準化した解析においては,水平地震動のみを対象とした設計時において降伏を想定しない柱(以下,非ヒンジ想定柱)では降伏はほとんど確認されないものの,曲げ耐力の余裕率は中柱で大きく低下することを示している.

 ついで,EW成分の最大速度を70 kineに基準化した解析においては,鉛直地震動は建物の最大水平応答変位には大きな影響を与えなかったが,非ヒンジ想定柱に降伏ヒンジが発生し,これは特に鉛直地震動により大きな変動軸力が作用する中柱で発生する可能性が高いこと,を示した.

 第6章「鉛直地震動の影響を考慮したRC造建物のオンライン地震応答実験」では,2スパン12層の鉄筋コンクリート造建物の1階中柱を対象とした約1/5スケールの試験体を用いたサブストラクチャ・オンライン地震応答実験を計画し,新たに水平および鉛直の2方向3自由度の加力制御方法を確立するとともにその実用性を検証し,鉛直地震動が建物の応答性状に与える影響を実験的に検討した.その結果,解析的検討と同様,鉛直地震動の影響で非ヒンジ想定柱に降伏ヒンジが発生し,その影響は外柱に比べて中柱で顕著であること.また降伏ヒンジ発生の有無は作用モーメントが最大となる時点での鉛直地震動による変動軸力レベルに大きく依存することを示した.

 第7章「鉛直地震動の影響を考慮した柱の曲げ設計法の提案」では,前章までに得られた検討結果に基づき,鉛直地震動を考慮するための設計用スペクトルを作成し,水平および鉛直地震動を考慮した設計法を提案した.次いで,提案した設計法により水平1方向および鉛直地震動を考慮して試設計した2スパン12層建物について弾塑性地震応答解析を行い,本論文で提案する鉛直地震動に対する設計手法が,非ヒンジ想定柱の降伏を抑制し,建物の耐震性能の向上に有効であることを示した.

 第8章「結論」では,本研究で得られた結果を総括するとともに,今後の検討課題を述べている.

 以上のように,本論文は水平地震動のみを考慮した従来の設計手法では,鉛直地震動の影響により特に非ヒンジ想定柱である中柱に降伏が発生する可能性があることを実験的および解析的に明らかにするとともに,これを抑制し建物の耐震性能を向上させるための設計手法を提案したものであり,その成果は耐震工学の発展に貢献するところが極めて高いと考えられる.よって,本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格であると認める.

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