学位論文要旨



No 112531
著者(漢字) 小島,隆矢
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,タカヤ
標題(和) 環境心理評価におけるモデルと手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 112531
報告番号 甲12531
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3809号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 坂本,雄三
内容要旨

 昨今の環境心理学に対しては,一般論的・普遍的な研究成果を求めるだけでなく,わがまちの市民,この施設の利用者層の声が知りたいといった,現実的な諸問題にも応えてほしいという要請が感じられる.しかし,このような「現場対応」を求める声に応えるには環境心理における調査・分析は難しすぎるのが現状である.

 本研究は,上記の問題を解決するべく,モデルと手法に関する検討を行ったものである.

 以下,章をおって概説する.

第1章序章

 研究の背景として,環境心理的調査に対する需要は大きいが,調査の設計や個人差の扱い方は専門家にとっても難しいという現状と,この点に関する本研究の視点について述べ,「環境に対する人々の評価や意見を個人差も含めてわかりやすく把握できる調査・分析の手法,及びその背景理論となる評価構造モデルの確立を目指す」という研究目的を設定した.

第2章既往研究

 ここでは,既存の手法や理論について論じ,研究課題を設定した.さらに,環境評価研究の方法を以下のように3つに大きく分類した.

 ・実際にその評定者が使用しているものを評価させる「POE型」

 ・研究者が選定したものを呈示して評価させる「サンプル×パネル型」

 ・特定の環境因子を実験条件とする「実験計画型」

 上記の研究方法に対応する研究目的,分析手法等を整理した上で,

 ・実験計画型については,実験計画法→分散分析の方法論が確立している.

 ・サンプル×パネル型とPOE型については,分析法が未分化である.すなわち,サンプル×パネル型の全員同じ対象を評価しているというメリットは活かされていないし,POE型の人と対象の交絡という問題には悩まされている.

 という現状について述べ,以下のように研究計画を立案した.

 ・全員同じ対象を評価したデータは,評価構造および個人差の把握には適しているはずであるから,まず,サンプル×パネル型について中心的に検討し,これらのメリットを活かしたサンプル×パネル型の調査・分析手法の開発と,評価構造モデルの獲得を目指す.

 ・次に,人と対象が交絡するPOE型の手法論を検討する.

 ・最後に,得られた成果も併せて,手法論の再整理を行う.

第3章認知の視点を抽出する定性調査手法

 評価項目を抽出する定性調査法について,以下のように論じた.

 ・類似性判断を利用した,3個組法,多段階グループ編成法を試みた事例を紹介し,これらの方法が有効なのは対象の抽象度が高い場合に限られることを述べた.

 ・気になる対象を探して写真に収め,自由記述式のコメントをつけさせる「キャプション評価法」を提案した.なお,この手法は景観に関する市民活動を通して参加型調査法というコンセプトとともに開発・実践したものであるが,その経緯及び参加型調査の意義についてもここで論じている.

 ・定性情報の整理法として,複数のスタッフによる個別のKJ法的分類結果を多変量解析により統合する方法を提案した.

第4章評定者自身の言葉を用いた評価手法

 前章にて論じた定性調査により抽出された項目群は,当該対象群に対する一人一人の視点をよく反映したものとなる.そこで,それをそのまま個人別の評定尺度として評定調査を実施し,パーソナル・コンストラクト型の因子分析または対応分析と名付けた方法による分析を行うという一連の手法を開発・提案した.

 [パーソナル・コンストラクト型因子分析について]

 サンプル×パネル型の評価データに対する因子分析や対応分析は,(対象×人)×項目の2元データとして行うのが一般的だが,ここでは,対象×(項目・人)の2元データとして分析することを考え,これを「パーソナル・コンストラクト型」と呼んだ.

 手法の名称はG・A・Kellyの認知理論に由来し,

 ・同じ項目であっても人が違えば別の変数として扱う.

 ・人によって異なる項目を用いることが可能となる.

 といった特徴を表したものである.

 この手法は,評定者自身の語彙や着眼点を最大限に尊重し,項目設計に伴う負担とリスクを回避できるものである.にもかかわらず,認知次元の解釈,対象のポジショニング,評価構造とその個人差の把握,後の調査に用いる評価項目の検討など,幅広く活用できる分析結果が出力される.

 適用事例において,認知空間は,多くの評定者に共通な次元,一部の人に共通な次元,さらに,個人的な次元からなっていることが把握された.

第5章選好回帰型因子分析法

 前章で提案したパーソナル・コンストラクト型因子分析を,特に総合評価に関心がある場合のために特化・洗練させた「選好回帰型因子分析」を提案した.

 この手法は,総合評価に相当する1項目を用いて,対象×人の2元データとして因子分析を行うというものである.各人について求められる因子負荷量ベクトルは,各人が好ましく思う方向を表す「選好ベクトル」の,低次元空間における近似となる.

 前章同様,この手法も「POE型」には適用できないという制限付きではあるが,従来難しかった,重みづけの個人差を把握することが可能となった.

第6章認知構造モデルに関する検討

 ここでは,前2章にて提案した手法と適用事例の結果を考察することにより,「多次元潜在構造モデル」と名付けた認知構造モデルを提案した.このモデルに関する要点は以下の通りである.

 ・評価対象が布置された母集団的な多次元空間(潜在認知次元と呼ぶ)を考え,評価項目はその空間内のベクトルとして表す.

 ・同じ項目であっても個人ごとに異なるベクトルとする.ある項目の個人差は,ベクトルの向きの違いとして表される.

 ・言語的認知の単位(=コンストラクト)にも本来は個人差があるので,一人一人が異なった評価項目を有するが,どんな項目であっても潜在認知次元内のベクトルである.個人別項目ベクトル群の布置の違いには,各人の語彙と着眼点の違いが反映される.

 ・潜在認知次元は全部で何次元あるか不明だが,ある個人が当該対象群の認知によく使う次元は限られている.そこで,潜在認知次元からいくつかの次元をピックアップし,あらゆる認知がこの空間内の項目ベクトルとして表されると考える.ピックアップした認知次元(顕在認知次元と呼ぶ)が張る空間が,その人にとっての認知空間である.

 ・潜在認知次元は全ての人に共有されるが,ピックアップする次元には個人差があるので,顕在認知次元としては,多くの人に共有される次元,一部の人に共有される次元,ごく個人的な次元が存在することになる.

 ・項目間には因果関係があり,それを線形な関係で近似すれば,価値判断を含む上位項目は,より下位の項目の一次結合として表される.この因果関係にも個人差がある.

 ・下位項目から総合評価に至るまでの中間層がどのようであっても,結局,ピックアップした認知次元に対する重みづけで表すことができる.ピックアップしない次元の重みは0と表せばよいから,個人差は重みづけの違いとして表せる.このときの重みとは,つまり認知次元における選好ベクトルの成分にほかならない.

 ・何かのきっかけで隠れていた次元が顕在化すると,目覚めたばかりの次元に対する感度は高く,突然大きな重みを伴って顕在化することがあると考えると,様々な現象を説明できる.重みは正負の符号つきであるが,例えば,マイナスの重みは,いわゆる「寝た子を起こす」という問題となり,プラスの重みは,画期的な新商品のヒットをもたらす.

 さらに,このモデルを用いて調査における諸問題について考察し,目にするまでは意識されない項目が強制的に全評定者に等しくピックアップされることに起因する問題が懸念されることなどを論じた.

第7章3相3元・評価データの分析法

 ここでは,個人別ではなく,共通の尺度によるサンプル×パネル型の調査,つまり人×対象×項目の3相3元形式となる評価データの分析手法について論じる.その要点を以下に示す.

 ・共通尺度の評価データに対しても,パーソナル・コンストラクト型因子分析を適用することが有効であり,特に,個人差まで考慮して認知・評価の構造に関する検討を行うのに適していることを示した.

 ・複数の事例を統合し,かつ事例差を反映した因子構造を得るため,ANOVA型因子分析と名付けた分析法を提案した.

第8章POEアンケートに関する検討

 POE型の調査手法について,以下のような検討を行った.

 ・ある項目の重要度が低い人ほど満足度の分散が小さくなる傾向を指摘し,これが重回帰分析により重みづけの違いを把握しようとする際の大きな障害となっていることなど,その人にとって重要でない項目を評定させることに起因する問題について論じた.

 ・これまで解釈が曖昧なままに実施されていた満足度評価の因子分析について,重要度の因子構造と類似の軸が抽出されるメカニズムを論じ,その有効性が再確認された.

 ・重みづけ構造の個人差を把握する回帰分析手法として,重みの変数と評価の変数の積の項を取り入れた「積の項モデル」を提案した.

 ・当たり前品質・魅力的品質といった視点から,評価項目をパターン分類する調査・分析手法を提案し,評価項目は市場における品質要素の歴史的ステージを表す1次元上に並ぶことを示した.

第9章終章

 本研究の総括として,これまでの成果を反映して手法論の再整理を行い,最後に,今後の課題と展望について以下のように述べた.

 結局のところ,調査における様々な問題は,顕在化していない次元の項目を評価させることに起因しているのではないかと考えている.これは避けようのない事態であるが,今後考えていきたい問題である.また,本研究にて理念と手法が提唱された「参加型調査」のコンセプトであるが,今後の筆者の研究活動においてこのコンセプトを実践・発展させていくことが提唱者の責任であると認識する次第である.

審査要旨

 本論文は「環境心理評価におけるモデルと手法に関する研究」と題し、環境に対する人々の評価や意見を個人差も含めてわかりやすく把握できる調査・分析の手法、及びその背景理論となる評価構造モデルの確立を目指したものであり、9章から構成されている。

 第1章では、昨今の環境心理学に対しては、一般論的・普遍的な研究成果だけでなく、実際の居住者・利用者の声が知りたいといった現場対応が要求され、その要求に応えるためには調査・分析における手法と理論の整備が必要であることを論じている。

 第2章では、既往研究を概観した後、環境評価研究における研究方法の分類・整理を行い、本論文の課題、方針、構成を述べている。心理評価の対象となるものの区分から、実際にその評定者が使用しているものを評価させる「POE型」、研究者が選定したものを呈示して評価させる「サンプル×パネル型」、特定の環境因子を実験条件とする「実験計画型」と、研究方法を3つに大きく分類し、研究目的、分析手法との対応関係を整理した上で、既往の手法・理論では不足する点を論じ、問題解決型の研究計画を立案している。

 第3章では、評価項目を抽出する定性調査法について検討している。特に、気になる対象を写真に収め、自由記述式のコメントをつけさせる「キャプション評価法」を提案しているが、この手法は市民参加型調査手法としても活用され、実践面での成果も期待される。

 第4章では、前章で提案した方法の定性調査による個人別評価項目を用いた評定調査と、「パーソナル・コンストラクト型因子分析」を実施するという一連の手法を提案している。認知次元の解釈、評価対象のポジショニング、評価と認知の構造の個人差の把握、後の調査に用いる評価項目の検討など幅広く活用でき、また評定者自身の語彙や着眼点を最大限に尊重することで、項目設計に伴う負担とリスクも回避できることに特徴がある。

 第5章では、前章で提案したパーソナル・コンストラクト型因子分析を、特に総合評価に関心がある場合のために特化・洗練させた「選好回帰型因子分析」を提案している。この手法により、「POE型」でない場合という制限付きではあるが、従来難しいとされていた評価における重みづけの個人差を把握することを可能としている。

 第6章では、前二章にて提案した手法、及びその適用事例の分析結果を考察することにより、「多次元潜在構造モデル」と名付けた認知構造モデルを提案している。このモデルは、評価対象が布置された母集団的な多次元空間を考え、評価項目はその空間内のベクトルとして表すものである。ここで、同じ項目であっても個人ごとに異なるベクトルとすることにより、ある項目の個人差がベクトルの向きの違いとして表される点、また、個人別の評価項目を用いた場合の項目ベクトル布置の違いとして、各人の語彙と着眼点の違い、つまり評価項目自体の個人差についても構造化している点は興味深い。

 第7章と第8章では、第6章のモデルに基づいて、第5章、第6章にて提案した手法の適用範囲外の問題について、調査・分析の方法を検討している。まず第7章では、人×対象×項目の3相3元形式となる評価データの分析手法について論じているが、特に、同じ項目を用いた複数の事例を統合し、かつ、事例差を反映した因子構造を得る分析手法として、ANOVA型因子分析と名付けた分析手法を提案している。事例ごとに因子構造が異なることの意味付けは従来明確でなかったと思われるが、この手法により、母集団的な認知次元における対象の分布と、認知次元に対する各評定者の重みづけの分布の違いとして事例差を表現する因子構造モデルを得ている。次に第8章では、POEに代表されるように、評定者ごとに評価対象が異なる場合に発生する諸問題について論じている。特に、ある項目の重要度が低い人ほど満足度の分散が小さくなる傾向を指摘し、これが重回帰分析により重みづけの違いを把握しようとする際の大きな障害となっていることなど、その人にとって重要でない項目を評定させることに起因する問題について述べている。さらに、これまで解釈が曖昧なままに実施されていた満足度評価の因子分析について、重要度の因子構造と類似の軸が抽出されるメカニズムを論じ、その有効性を再確認している。

 第9章では、本論文にて提案・検討の行われた手法、及び既存の手法を総括し、環境心理評価における調査・分析の方法論を体系的にまとめ、今後の課題と展望を述べている。

 以上、本論文は、評価問題を扱う際の問題点を解決し、従来は研究者それぞれが試行錯誤していた研究の方法論の整備に取り組んだ研究である。提案されている個々の手法の有効性もさることながら、共通の認知モデルを基盤とし、関心事に応じてトップダウン的に研究計画を立案できるような体系化がなされており、今後のこの種の研究に寄与するところが大きいと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54572