本研究は、ジュネーヴを核としたスイス西部のジュネーヴ州、ヴォー州、ヌーシャテル州における教会建築の具体的なあり方を示すことを目的とする。 16世紀初頭の宗教改革でローマ・カトリックから分岐した改革派教会は、自らの礼拝に適した教会建築を生むことになった。すなわち、ミサや祈祷の場として常に開かれた「神の家」としての聖堂から、説教中心の礼拝を行う「集会所」への機能の転換に従って、新たな建築類型が探求されていく。中でも建築上の実験を17世紀から18世紀にかけて積極的に行ったのが、カルヴァン派であった。そこでは、説教を聞くホールとしての集会空間を実現するために、平面形が試行錯誤され、断面に工夫が凝らされた。そして、堂内の装飾は、カルヴァンの考えに基づいて排除する方針がとられた。その建築は、地域ごとの構法により多様に展開していくことになる。 宗教改革以降の改革派の教会建築を、礼拝と建築の観点から新しい流れとして示したのは、スコットランドの神学者A.L.ドゥルモンドA.L.Drummondによる1934年の「改革派の教会建築、-歴史的、構築的研究-」The Church Architecture of Protestantism,An Historical and Constructive Studyと、米国の神学者J.F.ホワイトJ.F.Whiteによる1964年の「改革派の礼拝と教会建築、-神学的、歴史的考察-」Protestant Worship and Church Architecture,Theological and Historical Considerationsであった。これらには今世紀までの改革派の建築が国別に多数示されているが、宗教改革史上で中心的な位置にあったスイスにおける教会堂がほとんど例に挙げられていない。特にジュネーヴは、改革者ジャン・カルヴァンの活動拠点であり、主にオランダ、スコットランドと、ドイツ、米国の一部に根付くことになるカルヴァン派教会を支える重要な都市であった。そこで、ジュネーヴ周辺のフランス語圏の教会堂を研究対象とすることにした。 ここでは、スイス西部3州で宗教改革以降に新築された現存する教会堂のうち、図面などの資料が手に入る代表的、あるいは特異な7例について事例別にみていく。最終章に平面図と外観写真を載せる16例を含めると、この地域の教会建築の全体的な姿はおおよそ掴めたことになる。 スイス全土の改革派教会建築に関する唯一の研究書は、建築史家G.ゲルマンG.Germannにより1963年に出版された「スイスの改革派教会建築、-宗教改革からロマン主義まで-」Der protestantische Kirchenbau in der Schweiz,von der Reformation bis zur Romantikである。また、ヴォー州については、1988年に建築史家M.グランジャン M.Grandjeanが「ヴォーの教会堂、-ヴォー地方における改革派の建築(1536-1798)-」Les Temples vaudois,L’architecture reformee dans le Pays de Vaud(1536-1798)を著し、ヴォー地方がベルン州の支配下にあった時代に建てられた教会堂を網羅している。 教会堂の歴史を明らかにすることに主眼が置かれるこれらの研究には、図面が十分に扱われていない。本研究は、主な対象を7例に限定して内部の配置に焦点をあてるので、説教壇や座席の配置がわかる平面図を含め、図面を揃えることを重視する。 スイス連邦でチューリヒ、ベルンなどのドイツ語圏に普及した改革派の教義は、西部にも浸透し、1530年にヌーシャテル公国で、1536年にローザンヌ一帯のヴォー地方とジュネーヴ共和国で公認される。西隣の王国フランスでは、16世紀後半には総人口の約10パーセントにあたる新教徒がいたが、カトリックが公認とされ続けたので、ナントの勅令が1685年に廃止されると、その多くが国外に流出する。ジュネーヴを玄関口として北へ向かう通過経路となったスイス連邦にも、少なからずの新教徒が移住した。 カルヴァンは、1536年の「キリスト教綱領」Institution de la religion chretienneなどの著作で教会建築に関する具体的な示唆はしていないが、神や聖性を目にみえる形で表した彫像や祭壇画などの一切の芸術と、建築自身の美を否定した。また、カルヴァン派教会で広く受け入れられた1566年の「続スイス信仰告白」Confession helvetique posterieure は、教会堂の聖性が建物にではなく、そこで行われる集会自体にあるとする。しかし、教会堂を建設する際の指針は明らかになっていない。ただ教会堂として、礼拝に必要な説教壇と聖餐テーブルを備えていることが求められる。そして実用の面から、長時間続く説教を聞くための座席と、讃美歌の詠唱を補助するオルガンが導入されることになる。もっとも、オルガンは、装飾の一部としてカルヴァンにその使用を認められなかったので、18世紀後半になるまで使われない。 16世紀初頭の改革派教会は、一斉に新教徒となったすべての人々の礼拝の場として、既存の聖堂を転用することを余儀なくされる。そこで、祭壇や内陣を撤去したゴシック会堂に座席を導入し、身廊中央の説教壇を囲むように配置する。側廊の上にギャラリーを架けることもあった。この説教壇を中心とする囲みの配置は、ゴシック会堂のもつ西から東への方向性と矛盾していたことになる。 17世紀、18世紀になると、中世の会堂の老朽化や、経済的繁栄による教会堂建設資金の獲得、都市人口の増加などの要因が重なり、新教の礼拝専用の教会堂が新築される。それらには、規模や平面形状に多様なものがみられた。 そこで、以下に名称と所在地、州、建築年、建築家を示す各々の教会堂について、1:それが属す市町村の成り立ち、2:建設と改修の経緯、3:堂内の家具と設備、4:配置計画と平面計画、家具の配置、5:図面と写真、の5点から整理する。4は、軸と方向性、そして囲みの観点から記述する。5の図面は、各例を比較するために原図を書き直した縮尺400分の1の平面図、家具の配置を示した平面図、立面図、断面図と、縮尺2500分の1の敷地図からなる。通常の平面図を家具の配置の示された図面から分けた理由は、建築自体がもつ軸と、家具の配置による軸のずれを認識するためである。 1 ジュネーヴのフュストリ教会、ジュネーヴ州、1713-1715、ジャン・ヴェンヌ Temple de la Fusterie a Geneve,canton de Geneve,Jean Vennes 2 シェン=ブジュリー教会、ジュネーヴ州、1756-1758、ジャン=ルイ・カランドリニ Temple de Chene-Bougeries,canton de Geneve,Jean-Louis Calandrini 3 ラ・ショ=ド=フォンのグラン教会、ヌーシャテル州、1795-1796、モイーズ・ペレ=ジョンティユ Grand-Temple de la Chaux-de-Fonds,canton de Neuchatel,Moise Perret-Gentil 4 シェン=パキエ教会、ヴォー州、1667年、アブラハム・デュンツ1世 Temple de Chene-Paquier,canton de Vaud,Abraham Dunz I 5 ローザンヌのサン=ロラン教会、ヴォー州、1716-1719、ギヨーム・ドゥラグランジュ、正面ファサードは1761-1763、ロドルフ・ド・クルサ Temple de Saint-Laurent a Lausanne,canton de Vaud,Guillaume Delagrange,Rodolphe de Crousaz 6 モルジュ教会、ヴォー州、1769-1776、エラスムス・リター、正面ファサードはレオナール・ルーとロドルフ・ド・クルサ Temple de Morges,canton de Vaud,Erasmus Ritter,Leonard Roux,Rodolphe de Crousaz 7 イヴェルドン教会、ヴォー州、1753-1757、ジャン=ミシェル・ビヨン Temple d’Yverdon,canton de Vaud,Jean-Michel Billon スイスの教会建築を考察するうえで、以下の2項を念頭におく必要がある。 フランスでは、改革派の教会堂が1560年代から1620年代にかけて建てられていた。それらは楕円形平面、正多角形平面、あるいはシャラントン Charenton の教会堂にみられる矩形平面を有し、堂内を1、2層のギャラリーが一巡して吹き抜け部分の片側に説教壇が置かれる。そして、外部には他から際立った正面ファサードはない。つまり、説教壇の位置のずれによる軸はあるが、中心を囲む平面計画と内部の配置がとられていた。これらの教会堂は、ナントの勅令の廃止後に取り壊されることになるが、特にその平面計画は、17世紀後半以降、スイスを始め、他の国の建築に引き継がれることになる。 一方、スイスの牧師エリー・ベルトランElie Bertrandは、1755年に「改革派のための教会堂の建設と内部の配置について」"Sur la construction & l’arrangement interieur d’une eglise destinee a l’usage des Protestants"をスイス・ジャーナルJournal helvetiqueに発表する。ベルトランは音響の観点から、楕円形平面の教会堂の建設と、平面の長軸上に説教壇を置くことを推奨する。ここでは、会堂内のしつらいや家具の作りに至る考察の多くが、改革派の礼拝における説教の重要性に基づいてなされている。なお、このベルトランの見解は、ジュネーヴ州とヌーシャテル州の以後の建築に影響したとされる。 結論として、スイス西部の教会建築の特徴は、次のようにまとめることができる。1:会堂部の平面が矩形や楕円形などのひとまとまりの幾何学形からなる。2:一般的に鐘塔か目立った正面ファサードがある。そして、正面ファサードで正面性を表す傾向と、各面を均等に扱って正面を示さない傾向がみられる。3:説教壇を囲むギャラリーが多用される。4:内部には、平面形の短軸を主軸とした「横配置」がみられ、外部から見た建築上の軸と内部の配置の軸は必ずしも一致しない。 定日定刻に行われる説教だけが教会堂に課された機能であることから、会堂は単一のホール空間であればよい。そして、すべての人々が同時に牧師を向き、その言葉を聞く説教には、正面性を付与された同心円状の配置が適している。「横配置」がこれをそのまま表しているとはいえないが、少なくとも会堂内の主軸の長さが「縦配置」に比べて短くなるので、囲みの性質は強く表れることになる。また、容積の限られたホール空間で立体的に効率良く中心を囲むための工夫として、ギャラリーは有効である。したがって、上に挙げた教会堂の特徴の多くは、説教を中心とした改革派の礼拝の建築への反映とみることができる。 |