学位論文要旨



No 112543
著者(漢字) 伊藤,史子
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,フミコ
標題(和) 住宅及び宅地の選択行動に関する解析的研究
標題(洋)
報告番号 112543
報告番号 甲12543
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3821号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡部,篤行
 東京大学 教授 小出,治
 東京大学 助教授 大方,潤一郎
 東京大学 助教授 浅見,泰司
 東京大学 講師 貞廣,幸雄
内容要旨

 住宅地の環境は、そこが人々の暮らしの拠点であるという意味で、商業や業務地と比べてより一層の重要性をもつ。しかし都市計画において「住環境」に強い関心がおよんだのはそれほど昔のことではなく、1970年代前半の開発ブーム以降である。1976年の建築基準法改正、1978年の住環境整備モデル事業制度など、住環境に関する制度の制定は、人々が住環境の重要性を認識しはじめたことを反映している。それ以降、地域性の重視、高齢化社会への対応を含め、住環境が占める位置づけは近年さらに大きくなっている。「住環境」を享受する主体は人である。享受サイドからの住環境の評価がどのようになされているかを知ることは大変重要である。そこで本論文では、住環境を享受する主体である人に視点を据え、人々が住環境をどう評価しているかをとらえる手法の開発を大きな目標とした。居住地選択行動には住環境に対する考え方が表出していると考えられるため、居住地選択行動に焦点を当てて研究をおこなった。居住地選択行動分析では個人の選択行動を、効用が最大になるような選択肢を一つ「選ぶ」行動であると考え、実際に現れた行動結果を用いてこれを解くことにより環境諸要因の重要度等を推し量るという分析方法である。1980年代後半の地価高騰以来、世帯の可処分所得にしめる住居費負担の比率は10%近くに達しており、選択の際には真剣に評価されていると考えられる。従ってその行動を解析することにより人々の住環境の評価がはっきりと浮かび上がって来ると考えられるので、居住地選択行動を分析することの意義は大きい。以上の背景から、本論文では、住宅や宅地の選択行動について以下の3つの視点から分析手法の開発をおこなった。

(1)ニューラルネットワークモデルにより住宅選択行動の構造自体をデータから推定する柔軟な分析手法の開発(第2章)(2)選択行動の構造を一意的に決定するのではなく、住宅選択要因の重みについて許容される範囲を明確にする数理的な分析手法の開発(第3章)(3)抽選を伴う確率的な選択行動において、主観的確率という概念を含んだ選択者の感覚が反映される分析手法の開発(第4章)

 論文の構成は、第1章で既往研究を概観した上で本論文の位置づけ及びその目的を明確にし、第2、3、4章で上記の(1)から(3)についての各研究内容を記し、第5章でまとめを行っている。各章の内容を以下に記す。

 第1章では、研究の背景を述べた後に住環境評価および居住地選択に関する既存の研究を概観、分類し、その中における本論文の位置づけを示した。また住宅選択に関する国内の研究例が海外にくらべて少ない点をふまえ、上記(1)から(3)で開発した分析手法の独自性および本論文の目的と意義を示している。

 第2章では、住宅選択行動における応募者特性と住宅特性の関係を、ニューラルネットワークモデル(以下、NNモデル)を用いて解析する手法を開発した。NNモデルを用いた研究は1980年代から盛んになってきた新しい分析方法であり、都市計画分野への適用例はまだ少ない中で、住宅選択への適用を試みた。

 本章では、応募者属性値(世帯人数、世帯年収など7因子)を入力して応募の際の選択住宅グループ(価格帯と住宅規模により分類した5グループ)を出力するような、誤差逆伝搬学習則によるNNモデルを構築している。まず実際に行われた入居者募集時の応募者アンケートから、応募者の属性値およびその応募者がどの住宅を選択したかのデータを用意し、先に構築したNNモデルにこれらのデータを入力して、NNモデルがデータに最も合うような構造になるまで学習を行った。つぎに学習用以外のデータを入力して得られた結果により統計的検証を行った結果、学習の効果が有ることが示された。すなわち、応募者の特性値を入力値として与えると、その応募者がどのような価格帯でどのような規模の住宅を選択するかを推定して出力するモデルとして有効であることがわかった。そこで、NNモデルの内部構造を解析するために、入力値(応募者属性)と出力値(住宅の規模価格)の間の関係を表す「因果性尺度」という指標を導入し、その値により住宅選択の際の要因の重みづけ、すなわち、応募者属性の各要因と住宅の規模・価格との間の関係を論じている。この結果、応募者属性のうち旧住宅の広さに関する要因や世帯人数要因などが、選択住宅の価格や規模を規定する関係が深いことが示された。この章で適用可能性を示したNNモデルは、ある応募者の特性データセットを入力することによりその応募者が選択するであろう住宅を推定することができるという、個人データを最大限活かしたモデルである。また既存のモデルが構造を規定され要因間の相関などによって制限を受けるのに対して、このモデルは適切なデータが十分に与えられれば自らモデルを構造化する柔軟性をもっており、応用範囲が広いという利点がある。

 第3章では、住宅選択要因の重みを推定する分析手法を開発した。住宅の選択においてどのような要因がどの程度重視されているのかを知ることは住宅地における諸施設の配置計画の上で大変重要である。そこで、ここでは住宅選択者が客観的に示した極めて弱い順序関係から、選択要因の重みを推定する数理的な方法を開発することにした。

 本章では、選択者が複数の住宅選択肢からある1つを選択することは、その住宅を他より総合的に高く評価することであると理解し、その順序づけだけを基にして選択要因の重みを推定する方法を開発した。すなわち住宅選択要因の重みを推定する問題を、「最大効用選択原理」のもとで「線形効用関数仮定」が成り立つときの効用関数の中の重みベクトルの推定問題として定式化している。まず仮定した効用関数に関する合理性の判定方法を述べ、次に推定問題の解法について、視覚的に理解しやすい選択要因数3の場合から一般の要因数mの場合へと拡張していった。推定問題の幾何学的意味を考慮することにより数理的な解法を提示し、住宅選択要因の重みがとりうる値の範囲はm次元空間内の多角錐の内部領域として表されることと、それが実用的な所要時間内で計算可能であることを示した。最後に実際の入居者募集を想定した住宅選択アンケートを行って得られたデータにより実証的検討をおこなった。結果より回答者は概ね合理的な選択をしていると判定され、各回答者を教育施設重視、購買施設重視、各施設均等視の3回答者群に分けることが出来た。ここで提案した分析手法は、住宅選択主体が示した極めて弱い順序関係を与えることにより、選択要因の重みの存在する可能性のある範囲を明示する手法であり、他のモデルのように強い条件を与えていないという点で現象に忠実にとらえることが出来るという利点がある。

 第4章では、供給される宅地数が需要数よりも下回る市場での住宅選択行動について論じた。このような状況下では抽選によって購入者が決定されるという確率的な要素が加味され、応募者はある確率でしか希望する宅地を購入することが出来ない。応募者は当選確率を考慮して効用の期待値を最大化するような宅地選択行動をとると考えられることから、応募者の感じている「あたりやすさ」と実際の当選確率との関係を明示的に含む分析手法を開発した。

 本章ではまず宅地購入に係る効用を、宅地の特性と購入世帯の特性を含む効用関数により表し、宅地選択行動を効用期待値の最大化ととらえる「期待効用モデル」として定式化している。この仮定の下で応募最終期限における各宅地の期待効用の均衡化を「応募均衡」の状態として定義した。続いて応募者の感じる「あたりやすさ」を主観的当選確率として定義し、実際の当選確率との関係を4種類の関数形として仮定した後に、それを組み込んだ「期待効用モデル」を構築して宅地選択行動を表現している。構築したモデルを元に、実際の新規宅地入居者募集の事例を用いて実証分析を行った。その結果、応募者の主観的当選確率は実際の当選確率の対数項を含む関数形(「対数モデル」)で表されること、当選確率がほとんど0に等しい場合を除いて実際当選確率よりも主観的当選確率が高い値をとり、応募者はかなり楽観的に「当たるであろう」と考えて宅地を選択し応募していることなどが示された。また、ここで得られた主観的当選確率の関数形についてみると、ロジットモデルによる分析は、応募者の主観的な当選確率が対数モデルに従うとする分析方法として解釈できるということがわかった。これはロジットモデル適用の解釈として極めて興味深く、同モデルは購入する確率が1、つまり主観的確率が常に1である場合の効用最大化を前提としたモデルであるが、本実証研究により抽選付きの選択にも適用できる可能性を示していると言えよう。

 第5章では、第2章から第4章で開発した分析手法および実証例から得られた知見をまとめ、本研究の意義を示した。また、残された課題を整理することにより今後の当分野における研究の展望について論じた。

審査要旨

 本論文は、住宅及び宅地選択行動を通じて人が住環境をどう評価しているかをとらえる手法の開発を目的としたものである。住宅や宅地の選択行動には住環境に対する考え方が表出しているという考えから、この居住地選択行動に焦点があてられている。本論文では以下の3つの視点から分析手法が開発されている。

 (1)住宅選択行動の構造をデータから推定する柔軟な分析手法

 (2)住宅選択要因の重みの範囲を推定する数理的な手法

 (3)主観的確率という心理学的な概念を導入した分析手法

 論文の構成は、第1章で既存の研究における本論文の位置づけ及びその目的が述べられ、第2、3、4章では上記の(1)から(3)についての各内容が記され、第5章でまとめが行われている。各章の内容を以下に記す。

 第1章では、住環境評価および居住地選択に関する既存の研究を概観、分類し、その中における本論文の位置づけが示されている。また住宅選択に関する国内の研究例が海外にくらべて少ない点をふまえ、上記(1)から(3)の分析手法の独自性および本論文の目的と意義が述べられている。

 第2章では、住宅選択行動における応募者特性と住宅特性の関係を、ニューラルネットワークモデル(以下、NNモデル)を使用して解析する手法が開発されている。NNモデルの都市計画分野への適用例はまだ少ない中で、住宅選択に適用した先進的な例であるといえよう。

 応募者属性値(世帯人数、世帯年収など7因子)を入力して、応募の際の選択住宅グループ(価格帯と住宅規模により分類した5グループ)を出力するNNモデルが構築されている。実際に行われた入居者募集時の応募者アンケートから、応募者の属性値およびその応募者がどの住宅を選択したかのデータを用意し、構築したNNモデルに入力して、NNモデルがデータに最もあうような構造になるまで学習を行っている。つぎに学習用以外のデータを入力した結果により統計的検証を行い、学習の効果があることを示している。NNモデルの内部構造を解析するために、入力値(応募者属性)と出力値(住宅の規模価格)の間の関係を表す「因果性尺度」という指標が導入され、その値により住宅選択の際の要因の重みづけ、すなわち、応募者属性の各要因と住宅の規模・価格との間の関係が論じられている。

 第3章では、住宅選択の要因の重みを推定する数理的手法が開発されている。ここでは、住宅選択者が客観的に示した極めて弱い順序関係から、選択要因の重みを推定する方法を考案している。

 住宅選択要因の重みを推定する問題を、「最大効用選択原理」のもとで「線形効用関数仮定」が成り立つときの効用関数の中の重みベクトルの推定問題として定式化した後、仮定した効用関数に関する合理性の判定方法が述べられている。次に推定問題の解法について、視覚的に理解しやすい選択要因数が3の場合から一般の要因数mの場合へと拡張している。推定問題の幾何学的意味を考慮することにより数理的な解法が提示され、要因重みのとりうる値の範囲がm次元空間内の多角錐の内部領域として表され、それが実用的な所要時間内で計算可能であることが示されている。最後に実際の住宅選択アンケートで得られたデータにより実証的検討が行われている。

 第4章では、供給される宅地数が需要数よりも下回る市場での住宅選択行動について論られている。このような状況下では抽選によって購入者が決定されるという確率的な要素が加味されている。応募者は当選確率を考慮して効用の期待値を最大化するような宅地選択行動をとるという考えから、応募者の感じている「当たりやすさ」と実際の当選確率との関係を明示的に含む分析手法が開発されている。すなわち、応募者の感じる「当たりやすさ」が主観的当選確率として定義され、4種類の関数形を仮定して、それを組み込んだ宅地選択行動モデルが構築されている。

 構築されたモデルを元に、実際の新規宅地入居者募集の事例を用いて実証分析が行われている。その結果、応募者の主観的当選確率は実際の当選確率の対数項を含む関数形で表され(「対数モデル」)、当選確率がほとんど0に等しい場合を除いて、実際の当選確率よりかなり楽観的に「当たるであろう」と考えて宅地を選択し応募していることが述べられている。また、ここで得られた主観的当選確率の関数形について、ロジットモデルによる分析は、応募者の主観的な当選確率が対数モデルに従うとする分析方法として解釈できるという点が指摘されている。

 第5章では、第2章から第4章で提案した手法および実証例から得られた知見がまとめられ、本研究の意義が示されている。また、残された課題を整理することにより今後の当分野における研究の展望について論じられている。

 以上のごとく、本論文は住宅計画学に新たな手法を導入して大きな貢献をした論文であり、よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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