学位論文要旨



No 112551
著者(漢字) 芝原,正彦
著者(英字)
著者(カナ) シバハラ,マサヒコ
標題(和) 光熱変換機構の量子分子動力学的研究
標題(洋)
報告番号 112551
報告番号 甲12551
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3829号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 松為,宏幸
 東京大学 教授 庄司,正弘
 東京大学 教授 西尾,茂文
 東京大学 助教授 丸山,茂夫
内容要旨

 レーザーなどの光技術の進歩により、光と物質の相互作用に関する超短時間における非定常現象の解析および解明が重要となっている。この光と物質の相互作用は、材料の製造や加工過程の制御など光照射による物理現象の精密制御を考えるとき、光が系の分解、蒸発などの状態変化にどのように寄与し、どういう過程を経て熱になるかという「光から熱へ」の問題に帰結すると考えられる。実験的事実から、照射光の特性(光のエネルギー、エネルギー密度)の違いにより、照射を受けた系の分解や蒸発、温度上昇に関する超短時間における特性は異なると考えられる。しかし、運動変化の計測、特性時間の短さなどの理由からこれらの特性に関する実験的研究はなされていない。一方、原子・分子系を構成するすべての原子核・電子を量子力学的に考察し、光と物質の相互作用の特性を明らかにする研究は簡単な分子系の反応に用いられている程度である。したがって、本研究は、まず光による物質の熱運動変化を解析するにはどのような解析手法が必要であるかを考察し、得られた手法に基づいて、光照射による物質の熱運動変化及びその分解現象について、物質および光のどのような性質によってどのような影響を受けるのかを定性的に明らかにすることを目的としている。

 解析手法として、光が作用する物質系を構成する原子を、最外殻の電子とそれを除いた荷電原子(イオン)に分けて考え、電子に関しては時間に依存したシュレディンガー方程式を解き、原子・イオンに関しては質点粒子としてニュートンの方程式を解くという、量子分子動力学的解析手法を考えた。光の作用は、ポテンシャル場の光電場による変化としてあつかった。この計算手法により、光のエネルギー、エネルギー密度を電場の周波数、大きさに対応させて変化させ、照射光と原子系の熱運動変化の関係について解析を行い、その定性的特性を明らかすることを研究目的とした。

 基礎式としては光照射下の原子系に対する時間に依存するシュレディンガー方程式を考える。物質の原子系を構成する原子を原子核とそれを取り巻く束縛電子および自由電子よりなると考える。さらに原子核と束縛電子を電荷原子(イオン)として考える。運動の特性時間、質量の違いから、系の波動関数を自由電子の波動関数とイオンの波動関数に分離できると考えられる。イオンの運動に関しては量子力学的な運動エネルギーが小さく量子効果が無視できるとすると、イオンの波動関数に対するシュレディンガー方程式はニュートンの方程式に書き換えることができる。

 

 

 光照射により誘導分極したイオン間ポテンシャルについては、自由電子の励起過程においては、基底状態と励起状態のポテンシャルの中間の値をとり、線形的な重なり合わせであると考える。それら2つの状態の重なり度合いは自由電子場の双極子性を示す物理量に比例関係すると仮定する。これら仮定に用いた係数はすべて計算パラメータであり、数値計算に与える影響について考察を行った。

 数値解析手法としては式(1)のニュートンの方程式は分子動力学法を用いて時間積分し、式(2)のシュレディンガー方程式に関しては、空間微分は高速フーリエ変換によるアルゴリズムを用いてフーリエ空間で行うことにより高速化し、時間積分に関してはSplit operator法を用いる。それぞれの自由電子の波動関数はグリッド上の数値関数として表すこととした。開発した量子分子動力学法を用いて、光の特性の違いが系の運動変化にどのような違いをもたらすかについて数値計算を行い、その結果について考察した。図1はある特性を持つ2原子系において照射光の特性を図中の×印のように変化させた場合に光照射後400fsに観察された系の状態変化を示す。系のイオン化や分解、運動エネルギーの変化が観察される。図2は光電場が109V/mである場合に照射光のエネルギーを変化させた場合の系の運動変化の時間履歴である。光のエネルギーの違いが0.018eV、0.03eVなどの赤外線である場合と1.15eVの可視光の領域である場合では定性的な違いがみられる。また図3は7原子系の場合であるが光のエネルギーの違いにより系の分解に定性的な違いがあることが分かる。光のエネルギーが低い場合には光照射による系の変形は光電場の変動方向に依存し、フラグメントはクラスターに成りやすいが、光エネルギーが高い場合には系の変形はそれらに依存せず、分解が生ずる場合にはフラグメントはランダムな並進速度を持つ孤立原子になりやすい傾向がある。光電場の大きさはそれらの状態変化の速さ、分解によって生ずるフラグメントの並進速度の大きさに関係する。これらの光エネルギーと分解や運動エネルギー変化などの系の熱運動との関係を調べるために式(1)のニュートンの方程式のどの項がこのような現象において作用するのかを、系のパラメータと照射光の特性を同時に変化させることによって調べた。図4は13原子系における例であるが光照射後ある時刻における系の運動エネルギー、変位が系のパラメータと照射光特性によってどのように変化するかを表示したものである。このような数値計算を行った結果、式(1)の第2項すなわち自由電子場の変化によるイオン間ポテンシャル変化の作用は光のエネルギーが可視光エネルギーレベルのときに系に作用し、式(1)の第4項すなわち系の誘導双極子への直接的な作用は光のエネルギーが赤外線であるときに主として作用することが分かった。また系の誘導双極子への直接的な作用は、照射光のエネルギーが系の振動より一桁程度高い振動周波数に相当するエネルギー場合まで有効である。したがってその値より高い周波数のエネルギーの光が系の運動変化に対して作用する場合には、式(1)の第2項の自由電子場の変化の効果により系へ作用するといえる。

図1照射光特性と系の状態変化図2照射光特性と運動エネルギー変化図3系の変形:光エネルギーの影響図4光特性と系の運動エネルギー・変位の変化の例

 本研究では光照射による物質の熱運動変化の非定常過程を解析する量子分子動力学的計算手法を考え、その手法を用いて光の特性、物質の特性とその熱運動変化の関係について定性的な知見を得た。

審査要旨

 本論文は光照射による物質系の熱運動変化の非定常過程、すなわち光熱変換機構を数値解析的に研究を行ったものである。光の特性、物質の特牲と系の熱運動変化の関係を定性的に考察することを目的としている。そのために、光照射下の物質系の運動変化を直接数値計算的に解析するための量子分子動力学的計算手法を開発している。

 従来、光照射による物質の熱運動変化はふく射伝熱として、単なる熱エネルギーの授受として扱われることが多い。しかし、レーザーを応用した材料製造過程の制御や精密加工を考える場合には、光照射による物質の蒸発や温度変化などの熱エネルギーレベルの現象であっても、光と物質の相互作用として捉えて、照射光特性、物質特性、系の熱運動変化の関係を知ることが本質的になると考えられる。

 本論文では、照射光特性、物質特性、系の熱運動変化の関係に関して定性的に知見を得るために、物質系を原子系とし、原子系を構成する原子を最外殻の自由電子とそれ以外の荷電原子からなると考え、光電場の作用を含む自由電子の時間に依存したシュレディンガー方程式、電荷原子のニュートンの方程式の導出を行い、その解法の開発及び数値計算が行われている。

 本論文は全5章から構成されている。

 第1章は「序論」であり、本研究の目的、関連する従来の研究の概要について述べられている。

 第2章は「光作用系の基礎式」であり、光照射下の原子系の基礎式を、系全体の時間に依存するシュレディンガー方程式から量子動力学的に、量子分子動力学的にどのように近似でき、記述されるかについて一般的に述べている。

 第3章は「光熱変換の量子分子動力学」と題され、数値解析のための基礎式の導出、解法について述べている。第2章で示した一般的な光作用系の基礎式から、物質系を構成する原子が最外殻の電子とそれ以外の電荷原子に分離可能であるという仮定を用いることによって、光作用によるポテンシャルを含むシュレディンガー方程式が導出されることを示している。電荷原子に関してはさらにニュートンの方程式が導かれるが、その光による作用としては自由電子による作用と電荷原子内の束縛電子による作用があることが示されている。これらのニュートン方程式、シュレディンガー方程式を組み合わせて解くために、本研究で開発された数値解法およびその計算条件について記述されている。

 第4章は「光熱変換機構」と題され、光特性、系特性、原子系の規模が、系の分解や運動エネルギーの時間履歴に及ぼす影響について、3章までに述べた量子分子動力学法を用いての数値計算及びその結果の考察が行われている。計算結果によると照射光の周波数が原子間振動に近い場合には、主として電荷原子に働く光のポテンシャルによって系の熱運動変化が生じ、照射光の周波数が電子励起が可能なエネルギーの場合には、自由電子の光吸収に伴って起こる電荷原子間ポテンシャル変化によって系の熱運動変化が生じることが示されている。また光のエネルギーが原子間振動に相当するエネルギーより一桁以上大きく、自由電子の励起が可能なエネルギーより小さい場合には、十分に大きな光エネルギー密度であれば電荷原子間ポテンシャルが変化することによって系の運動状態変化が生じることが示されている。またこのような光特性による系への作用の違いにより、物質の運動エネルギーの時間履歴、光照射によるフラグメントの種類およびその並進速度の特性の違いが生じることが示されている。

 第5章は本論文「結論」である。

 付録において第4章「光熱変換機構」の考察、論述のために用いた実際の数値計算結果を示している。

 本論文のように、光の特性と原子系の熱運動変化との関係を考察した研究は例が少なく、物理現象として明確でない点が多い。本研究はそのような現象を解析するための直接数値解析法を示し、解析結果として物質の温度変化特性、分解特性、フラグメント特性と光特性との関係及び光熱変換機構に関して定性的知見を与えている点に関して、工学上寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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